本日ご紹介するのは、となりまち「旭市」「銚子市」にある「屏風ヶ浦(びょうぶがうら)」の中にある「通蓮洞(つうれんどう)」です。
「屏風ヶ浦」(5月20日のブログ参照)は、「銚子市潮見町」と「旭市」(旧「海上郡飯岡町」)の「刑部岬(ぎょうぶみさき)」(5月26日のブログ参照)間、約10kmにわたって続く高さ35m〜60mに及ぶ「断崖絶壁(だんがいぜっぺき)」です。
「太平洋」の「海蝕(かいしょく)」によって創り出された「景観」が、「イギリス」と「フランス」の間にある「ドーバー海峡」の「白い崖」に似ている所から、「日本のドーバー」或(ある)いは「東洋のドーバー」といわれています。
「屏風ヶ浦」は、「波浪(はろう)」や「風雨」などの「影響」で浸蝕(しんしょく)が激しく、「名洗地域」では過去50年ほどの間に40m後退したそうです。
また「屏風ヶ浦」西端の「旭市」にある「刑部岬」は今よりかなり「沖」まで延びており、鎌倉時代には約6km位先まで「陸地」があったと言われています。
そして「刑部岬」の近くに、平安時代末期頃、「片岡常春」の「居城」であった「佐貫城(さぬきじょう)」がありましたが、浸蝕によって「海底」に没してしまったといわれています。
しかし浸蝕の速度は年間に40m〜50mとする「学説」もあり、実際には「城」があった当時からの後退は、約350m前後ではないかと考えられているそうです。
近年、県内の「城郭研究家」などが、「旭市上永井」の「屏風ヶ浦」上(「磯見川」河口西側の台地)に、「城郭」の「一部」が残っているという「調査結果」を発表しています。
今回ご紹介する「通蓮洞」は、「磯見川」の河口付近にある「洞窟(どうくつ)」のことで、「名所」として賑わい、「通漣洞」、「通漣坊」、「潮漣洞」とも読み書きしていました。
「千葉縣海上郡誌」の「潮漣洞」の「項」には、
「豊岡小浜磯見川の河口にあり、一名「通漣坊」ともいう。
潮汐(ちょうせき)沿岸を洗い、岩石為めに穿(うが)たれて一の大なる竈(かまど)形の空洞を生ず。
一洞崩壊すれば、随(したがって)って一洞を生ず。
世俗之(これ)を「延命淵」と称す。
数十年前には、川の左右両岸に大小二個あり。
小なるを「女竃(めがま)」と称し、大なるを「男竃(おがま)」と称せり。
海上浪(なみ)高き時は、侵入する潮汐、恰(あたか)も長鯨(ちょうげい)の水煙を呼出(こしゅつ)するが如く、実に奇観なり。
遠近伝えて奇異の顕象(けんしょう)となし、夏季観客常に絶えずという。」
と記され、「通蓮洞」の「項」には、
「小浜磯見川の河口に「通漣洞」あり。
往昔(おうせき)「安倍晴明(あべのせいめい)」、垣根長者の娘「延命姫」の慕(した)うところとなる。
「晴明」之(これ)を厭(きら)い、夜に乗じて逃れ去る。
姫追慕、踪跡(そうせき)を尋ねて此(ここ)に至る。
「晴明」履(くつ)を岩上に残し、去て「真福寺」に入る。
姫至り之を見て、「晴明」既に死せりとなし、身を踊らして怒涛(どとう)の淵に投ず。
空洞此(この)時より生じ、随(したがっ)て破るれば随て成る。
居民此処(ここ)を称して「延命が淵」と云う。」
と記されています。
要約しますと「陰陽師(おんみょうじ)」の「安倍晴明」と「夫婦」になった「長者」の「娘」、「延命姫」は、醜い顔の「痣(あざ)」のために「晴明」に嫌われ、逃げられてしまいます。
後を追った「延命姫」が「通蓮洞」のところに行ってみると、そこには「晴明」の「衣類」と「草鞋(わらじ)」が。
絶望した「姫」は「晴明」を慕って「海」に「身」を投げてしまいました。
しかし「晴明」は死んでおらず、「姫」を騙したという「悲しい物語」です。
上記のような「延命姫伝説」の「舞台」でもある「通蓮洞」は、「旭市」との境にあり、「小浜側」の「男竃」は、「小浜通蓮洞」、「上永井側」の「女竃」は「上永井通蓮洞」と呼ばれていて、「男竃」は明治30年代に消滅し、「女竃」は「岩山」の「残骸」が昭和30年代まで見られ、河口の「砂洲(さす)」が広く美しかったそうです。
また「岩」が「潮」を噴き上げる壮観な「景観」は、素晴らしく風光明媚(ふうこうめいび)な場所であったそうです。
現在「通蓮洞」へは「畑」の中の「道」を入った奥にある「空き地」に「車」を停めて、徒歩で「海岸」まで降りていくことになりますが、「通蓮洞」跡へ続く「遊歩道」は現在「立ち入り禁止」となっていています。
「悲しい物語」の「舞台」であり、風光明媚な「観光地」であった「通蓮洞」。
「通蓮洞」に想いを馳せ、「景勝地」「屏風ヶ浦」「刑部岬」にお出かけしてみませんか?
備考
「陰陽師」「安倍晴明」と「延命姫」にゆかりのある「スポット」のひとつは「川口神社」(2010年12月22日のブログ参照)です。
「通蓮洞」で「延命姫」が「身」を投げ、「川口」に流れ着いた「姫」の「歯」や「櫛(くし)」を、土地の人が憐れんで、「川口神社」の「丘」に埋め「祠(ほこら)」を建てて祀ったそうです。
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地域情報::旭 | 11:08 AM |