本日二つ目にご案内するのは、となりまち「神栖市」「手子后神社(てごさきじんじゃ)」、「波崎地区」で7月20日(土)・21日(日)に開催されます「大潮祭」です。
「神栖市」は、「茨城県」の「東南端」に位置し、「東側」は「太平洋」に、「南側」・「西側」は「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)を経て「千葉県」に、「北西側」は「鹿嶋市」及び「潮来市」に接した「南北」に長い「形状」をしています。
「神栖市」は、隣接する「鹿嶋市」とともに「鹿島臨海工業地帯」を形成しており、「鹿嶋市」・「潮来市」・「鉾田市」・「行方市」とともに「Jリーグ」「鹿島アントラーズ」の「ホームタウン」となっています。
「神栖市」は、平成17年(2005年)8月1日に「神栖町」と「波崎町」との「市町村合併」により、「人口」9万人余りの「市」として誕生しました。
「神栖市」は、「東」は「太平洋」「鹿島灘(かしまなだ)」(2012年6月16日のブログ参照)に面し、「南」は「利根川」「常陸利根川」が流れています。
「神栖市」の「面積」は、147.26平方kmとなっています。
「神栖市」はかつては広大な「面積」の「池」「神之池(ごうのいけ)」(2012年3月27日のブログ参照)がありましたが、現在は「鹿島開発」のため「一部」を残して「大部分」が埋め立てられています。
「神栖市」は以前、「農業」と「漁業」が「中心」の「地域」でしたが、1960年に始まりました「鹿島開発」により、「世界的」にも珍しい「堀込式人工港」「鹿島港」を「核」に、「鉄鋼」・「石油」を「中心」とした「重化学コンビナート」の「まち」として発展、「工場立地企業」からの「税収」により「財政」は豊かで、「福祉」が充実しており、「県外」からの「転入者」も多く、このため「鹿嶋市」との「広域市町村合併構想」は、「自主財源」の「確保」の「観点」から「合併」には至っていません。
「神栖市」「波崎町地区」は、「黒潮」と「親潮」が出合う「有数」の「漁場」があり、古くから「漁業のまち」として「水産業」や「水産加工業」が発展してきました。
「神栖市」旧「波崎町地区」は、「太平洋」に面し、「夏」涼しく「冬」温暖な「気候」であることから「アウトドアスポーツ」を「観光」の「中心」に据えており、「海水浴」、「マリンスポーツ」から「サッカー」、「テニス」、「トライアスロン」に至るまで幅広い「スポーツ」が楽しめます。
「神栖市」旧「波崎町地区」は、特に「民間」の「サッカーグラウンド」は70面以上有しており、「サッカー合宿」の「メッカ」として「全国的」に「有名」です。
なお「波崎海水浴場」(2012年7月13日・2011年7月19日のブログ参照)は、「環境省」の「環境省」の「快水浴場百選」に選定されています。
「手子后神社」は、「茨城県」「神栖市」「波崎」にある「神社」で、「御祭神」は「手子比売命」を祀っています。
「手子后神社」は、神護景雲(じんごけいうん)年間(767年〜770年)創建の「寺社」で、「鹿嶋市」では「神遊社」ともいい、「大神の御女」が「祭神」とあります。
また「一説」には「常陸国風土紀(ひたちのくにふどき)」(2012年6月3日のブログ参照)の「童子女松原」(2012年5月29日のブログ参照)に見られる「安是の嬢子」を祀った「社」とも言われています。
「手子后神社」「社伝」では、古くより「息栖神社」(2010年11月7日のブログ参照)・「大洗磯前神社」とともに「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)の「三摂社」と称されてきたとされています。
「手子后神社」は「利根川」河口近くの「茨城県」側に鎮座し、「国道124号線」を「銚子大橋」から「北」へ向かうと「茨城県」側「たもと」すぐの「信号」の「右手前方」に「手子后神社」「入口」があり、真っ直ぐに行くと「手子后神社」があります。
「手子后神社」「境内」には「摂末社」として「厳島神社」、「浅間神社」、「稲荷神社」、「天満宮」、「金刀比羅宮」が祀られています。
また「手子后神社」「境内」には「神仏習合」の「名残」をとどめる「太子堂」も残っています。
「大潮祭」は、「神栖市」「波崎町地区」の「氏神」である「手子后神社」の「祭祀」として毎年「旧暦」の「6月15日」に近い「土・日曜日」に執り行われています。
「大潮祭」は、「航海」の「安全」や「豊漁」を祈る「海の男たち」の「祭り」で、「大潮祭」「当日」は、「神輿」や「鳴り物」が「街中」を練り歩き、「波崎の漁船」は「出漁」を止めて、「大漁旗」を飾り、「乗組員」・「関係者」は「手子后神社」に参拝するそうです。
上記のように「神栖市」「波崎町地区」は、「北」に「太平洋」、「南」に「利根川」と「水」に挟まれた「地域」であるため、昔から「漁業」をはじめ、「水産業」が非常に盛んなため、「水神様」として「漁師の信仰」が篤い「手子后神社」では、「大潮祭」が、毎年盛大に行われてきました。
「大潮祭」では、「初日夜」の「宵宮」、「2日目」の「祭礼当日」ともに「神輿」や「鳴り物」が「街中」を練り歩きます。
「大潮祭」は、江戸時代中期から行われてきたとされており、「大漁祈願」の「祭り」として伝えられてきました。
「大潮祭」は、「古文書」「総州勤向(つとめむき)」の中で、
「毎年、磯廻しと申し、今日近辺のもの飯沼高神の磯辺見学の者相廻り候者もこれ有る由。
尤(もっと)も今日当所の塩干に御座候。」
などと記録されているそうです。
「海上安全」、「大漁」を祈願する「大潮祭」ですが、「勇壮」で「躍動的」な「祭り」として知られています。
「大潮祭」の「見処」は「神輿」で、「神輿」は、「手子后神社」から「波崎漁港」まで「波崎東部地区」を練り歩きながら、時には激しくもみあい、「暴れ神輿」としても知られています。
「大潮祭」「神輿」では、「沿道」の「大勢」の「人々」からは「威勢」のいい「掛け声」が飛び交い、「夏本番」を告げる「祭り」は「最高潮」を迎えるそうです。
「波崎」の「総鎮守」(鎮守社)「手子后神社」「波崎東部地区」で行われる「威勢」のいい「海の男たち」の「祭り」「大潮祭」。
この機会に「神栖市」「波崎町地区」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「大潮祭」詳細
開催日 7月20日(土)・21日(日)
開催会場 手子后神社 茨城県神栖市波崎8819
波崎東部地区
問合わせ 手子后神社社務所 0479-26-3302
備考
「手子后神社」・「大潮祭」「鳴り物」は、「神栖市」の「市指定無形民俗文化財」に指定されています。
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地域情報::神栖 | 06:25 PM |