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「東大社桜井神幸祭〜桜井浜のお浜降り〜」(東庄町)
 本日ご案内するのは、となりまち「東庄町」「東大社」、地元「銚子市」「桜井町公園」(桜井浜)で4月9日(土)に開催されます「東大社桜井神幸祭〜桜井浜のお浜降り〜」です。

 「桜井町公園」は、「銚子市」「桜井町」地先にある「公園」です。
 「桜井町公園」は、「国道356号線」沿い、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「河川敷」近くにあり、「桜井町公園」は、昭和54年(1979年)に完成した「公園」で、「面積」60000平方m、「施設内容」ですが、「軟式野球場」2面、「少年野球場」1面、「庭球場」2面、「公園」、「駐車場」40台となっています。
 「桜井町公園」では、「ピクニック」を楽しんだり、「自転車乗り」の「練習」が出来たり、「子供」の遊ぶ「遊具」や、「アスレチック」も整備された「ファミリー」で楽しめる「公園」となっています。
 「銚子市」では、2014年(平成26年)に「桜井町公園」「遊具」の全面リニューアルを行い、「児童用」に3種の「スライダー」と、「ネットトンネル」が付いた「大型複合遊具」や、「スーパーノバ」(円盤型遊具)など、また「幼児用」に「ブランコ」や、「クリーパー」(滑り台)、「スイング遊具」なども設置、「健康遊具」も設置したことにより、「子ども」から「大人」まで遊び応え十分な「公園」となっています。

 「東大社」(2011年4月24日のブログ参照)は、「香取郡」「東庄町」に鎮座する「神社」で、「旧社格」は、「県社」です。
 「東大社」の「御祭神」ですが、「主祭神」は「玉依姫尊(タマヨリビメノミコト)」で、「鵜葺草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)」を配祀しています。
 ちなみに「玉依姫尊」は、「綿津見大神(ワタツミノオオカミ)」(海神)の「子」であり、「豊玉姫」の「妹」、「鵜葺草葺不合尊」も「豊玉姫」の「子」であり、「玉依姫尊」の「夫」なのだそうです。

 「東大社」の「由緒」ですが、「景行天皇」の「東国巡幸」の折に、「春臣命」に命じて「一社」を造営、「玉依姫尊」を祀って「東海の鎮護」をしたことが「はじまり」であるといわれています。
 以来「東大社」は「歴代天皇」の「崇敬」が篤く、康和4年(1102年)に「堀河天皇」より「総社玉子大明神」、又は「王子大明神」2つの「称号」を受け、享徳3年(1454年)には「御花園天皇」から「勅額」が贈られています。
 「東大社」では、「歴代天皇」のほか、寿永3年(1184年)「源頼朝」公が「御厨一処」を寄進、「徳川家康」公も天正19年(1591年)に「神領」10石を寄進しているそうです。
 また「東大社」は、「下海上」の「総社」として「東荘」(別称「橘荘」、中世「下総国」「海上郡」の「荘園」)の「総氏神」として「遠近」の「信仰」が篤く、「東氏」は「社殿」を造営、あるいは「神領」を奉納するなど、代々崇奉したそうです。
 「東大社」は、応永2年(1395年)に「東左馬助胤家」が「社殿」を造営、現在の「東大社」「社殿」ですが、「本殿」は文政9年(1826年)、「拝殿」は文政10年(1827年)に再建されたそうです。
 その後「東大社」は、明治6年(1873年)に「郷社」に列し、大正8年(1873年)には「県社」に列しています。

 「東大社」の「例祭」は「堀河天皇」康和4年(1102年)、「海上郡高見浦」(現在の「銚子市」「外川町」あたり)の「海上」が荒れに荒れ、治まらなかった為、当時「海上郡総社」であった「東宮」に「宣旨(センジ)」(「朝廷」からの「宣旨」)があり、「臨時」の「祭礼」を行ったところ「海」は治まり、「陸上」は「大豊作」になったと伝えられ、その日が4月8日であったことから「例祭」をこの日に行うようになったそうです。

 「東大社」の「銚子」への「御神幸」ですが、毎年8度行われてきましたが、10回目からは20年毎(ゴト)になり、「銚子」までの「大神幸」、その間2年毎に「利根川」「河畔」の「さくらいの里」(現在の「桜井町公園」あたり)までの「小神幸」「桜井神幸」(お浜降り)の「制」に改められ、現在に至っています。
 なお「小神幸」「桜井神幸」(お浜降り)ですが、

 「利根川の桜井浜へ小規模の桜井御神幸を行うこと」

 と定められたことが始まりなのだそうです。

 「東大社」の一番大きな「催事」(神事)ですが、満20年毎に行われている「式年三社銚子大神幸祭」です。
 「式年三社銚子大神幸祭」ですが、古式豊かな「行列」を伴い「銚子街道」を一路「外川」に向かうもので、「銚子市内」には、18ヶ所の「関所」も設けられ、「全国屈指」の「大神幸」が執り行われます。
 近年行われた「式年三社銚子大神幸祭」は、2010年(平成22年)4月10日(土)・11日(日)・12日(月)の3日間行われ、「ハイライト」である「銚子外川浦」の「お浜降り」(「船」による「海上渡御」と、「御潮汲み」の「祭典」)で、「大勢」の「観衆」の見守る中、執り行われました。
 (次の「式年三社銚子大神幸祭」は、14年後に執り行われます。)

 ちなみに「式年三社銚子大神幸祭」の「三社」とは、「東大社」(東庄町)、「雷神社(ライジンジャ)」(旭市)(2011年9月19日のブログ参照)、「豊玉姫神社(トヨタマヒメジンジャ)」(香取市)(2012年1月9日のブログ参照)のことを指し、「三社」は「東総御神幸三社」と呼ばれています。
 また「式年三社銚子大神幸祭」の「三社」である「東大社」、「雷神社」、「豊玉姫神社」は「姉妹親子神社」だそうです。

 「東大社」では、古来より「年中」の「祭祀」七十五度といわれ、中でも「春秋」の「大祭」は最も重要とされています。
 「春」は4月8日の「例祭」と、隔年毎(2年に一度)に「桜井御神幸」が行われるそうです。
 「桜井御神幸」は、「神輿」が「銚子市」「桜井町」(桜井浜)の「利根川」へ「お浜降り」をする勇ましく、そして厳(オゴソ)かに行われる「催事」です。

 「東大社桜井神幸祭〜桜井浜のお浜降り〜」「当日」は、「東大社」で「神饌(シンセン)」を献じて「出御祭典」が行われ、「神輿」は「桜井町公園」から「鳥居」をくぐり「白装束」に身を包んだ「氏子」の「皆さん」が「神輿」を担いで「利根川」へ入ります。
 その後、「桜井浜」の「祭場」で「祭典」が行われ、「小学生」の「女子」数名で「地域」の「平穏」と、「安寧」を祈る「浦安の舞」が披露されます。
 「東大社桜井神幸祭〜桜井浜のお浜降り〜」では、近年、途中の「御産宮」での「祭典」は、「神輿」のかわりに「御霊代」の「金幣」が用いられ、「神輿」の「巡幸」にも「自動車」が用いられるそうです。

 「東庄」の「古社」「東大社」、「桜井町公園」(桜井浜)で開催される2年に一度の「伝統行事」「東大社桜井神幸祭〜桜井浜のお浜降り〜」。
 この機会に「東庄町」、「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「東大社桜井神幸祭〜桜井浜のお浜降り〜」詳細

 開催日時 4月9日(土)  13時00分〜15時30分(9時00分頃 東大社初御)

 開催会場 東大社 香取郡東庄町宮本434
      桜井町公園 銚子市桜井町61

 問合わせ 東大社 0478-86-4405
      東庄町まちづくり課 0478-86-1111
      銚子市商工観光課 0479-24-8707

 備考
 「東庄町」の「PR」として「東庄町観光協会」が発行している「東庄町ガイドマップ」は、「東庄町観光大使」(2015年3月19日のブログ参照)を務める「浪曲師」の「玉川奈々福」さんと、「東庄町アイベリーいちご大使」を務める「歌手」の「西田あい」さんを「表紙」に起用されています。
 この「ガイドマップ」は、「ARアプリ」を使って「表紙」に「スマートフォン」をかざすと、「観光動画」が見られる「機能」がついているそうですが、今回、それぞれの「大使」が出演して「東庄町」の「魅力」をPRする「動画」に更新されたそうです。
 「東庄町ガイドマップ」の「バーコードリーダー」ですが、「広報とうのしょう」(平成28年4月号・No.600)P10を参照下さい。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2902 |
| 地域情報::香取 | 10:31 AM |
「吉高の大桜まつり」(印西市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「印西市」で4月9日(土)・10日(日)まで開催されます「吉高の大桜まつり」です。

 「印西市」は、「東京」の「都心」から約40km、「県庁所在地」「千葉市」から約20km、「世界の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)から約15kmに位置し、三方を「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)、「印旛沼」(2011年2月23日のブログ参照)、「手賀沼」に囲まれた「水」と「緑」豊かな「市」です。
 「印西市」は、「周辺」の「佐倉市」、「四街道市」、「白井市」、「八街市」、「成田市」、「富里市」、「印旛郡」「酒々井町」、「印旛郡」「栄町」と合わせて「印旛地域」と称されています。

 「印西市」に隣接する「自治体」ですが、「柏市」、「我孫子市」、「白井市」、「八千代市」、「佐倉市」、「成田市」、「印旛郡」「酒々井町」、「印旛郡」「栄町」、「茨城県」「北相馬郡」「利根町」となっています。
 ちなみに、隣接する「茨城県」「北相馬郡」「利根町」とは、「印西市」からは直接的な「往来」は出来なくなっており、「我孫子市」または、「印旛郡」「栄町」を経由する必要があるそうです。
 「千葉県」では、「他県」と接していながら、直接的な「往来」ができない「自治体」は、「印西市」のみとなっています。

 「印西市」ですが、2008年(平成20年)に「印西市」・「印旛郡」「印旛村」・「印旛郡」「本埜村」の「1市2村」の「枠組み」で、「市町村合併」の「特例」等に関する「法律」(新合併特例法)の「期限」である2010年(平成22年)3月末までの「合併」に関する「話し合い」を行うために、2008年10月24日に「合併問題懇談会」が、それぞれの「市村の長」および「議会議員の代表」により構成、設置され、翌2009年(平成21年)1月9日に「合併協議会」が設置されました。
 「合併協議会」では、「合併」の「期日」を2010年(平成22年)3月23日とし、「合併方式」は「印西市」に「印旛郡」「印旛村」・「印旛郡」「本埜村」を編入する「編入合併」、「新市」の「名称」は「印西市」とすることで「合意」、「合併申請」が行われ、2010年3月5日「総務省告示第73号」で「合併」が決定。
 これにより、予定通り、2010年3月23日に、「新・印西市」が誕生しました。
 「印西市」の「人口」ですが、「人口」94926人、「世帯」36397世帯、「男性」47147人、「女性」47779人となっています。
 (2016年(平成28年)2月現在)
 「印西市」ですが、今年(2016年・平成28年)「市制施行20周年」を迎えています。

 新「印西市」は、「千葉ニュータウン中央・印西牧の原地区」、「木下地区」、「印旛地区」、「本埜地区」から構成されています。

 「千葉ニュータウン中央・印西牧の原地区」ですが、「印西市」「西部」の「下総台地」(北総台地)(2012年7月10日のブログ参照)上、「千葉ニュータウン」が広がり、「千葉ニュータウン中央駅」・「印西牧の原駅」「周辺」および「国道464号線」沿線は、「印西市」における「経済」・「商業」の「中心地」(新「市街地」)となっています。
 「千葉ニュータウン中央・印西牧の原地区」ですが、最も「印西市」で「人口」が多く、「北総線」および「国道464号線」に沿って発展しており、「北総エリア」における「一大ショッピングゾーン」を形成しています。

 「印西市」「北西部」の「利根川」沿いの「低地」に所在する「木下(キオロシ)地区」(旧・木下町)ですが、、「利根川水運」の「宿場町」であった「旧・市街地」があり、「印西市」の「市役所」や「警察署」などの「行政機関」が位置し、「印西市」「行政」の「中心地」となっています。
 「木下(キオロシ)地区」ですが、古くからの「町並み」が残る「旧・市街地」であり、「利根川」および「木下(キオロシ)街道」に沿って発展しています。

 「印旛地区」(旧・印旛村)は、「印西市」の「東南部」に位置し、「北総エリア」の「基幹病院」である「日本医科大学千葉北総病院」があり、「印旛日本医大駅」を「中心」として「宅地化」が進行している「エリア」です。
 一方「印旛地区」は、「谷津田」をはじめ、「自然」も多く残されており、「樹齢」300年を越える「吉高の大桜」(2011年4月5日のブログ参照)や、「ナウマン象発掘の地」などの「観光名所」もあります。

 「本埜地区」(旧・本埜村)ですが、「印西市」の「北東部」に位置し、「北印旛沼」に面し「水田」が広がり、「冬」には「越冬」のために、800匹を越す「白鳥」が、飛来することで知られています。
 一方「本埜地区」は、「印西牧の原駅」「北側」に位置する「千葉ニュータウン」「滝野地区」で「宅地化」が進行、また「成田国際空港」に近いこともあって、近年「国道464号線」の「沿道」「みどり台」などに、「研究所」や「物流センター」などの「進出」が目立っているそうです。

 「印西市」は、江戸時代より「利根川」の「水運」が盛んで、「物資輸送」の「拠点」のひとつであった「木下(キオロシ)河岸」や、「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「息栖神社」(2010年11月7日のブログ参照)の「東国三社詣」(2010年10月23日のブログ参照)などに向かう「道中」の「宿場町」として栄えた「木下(キオロシ)街道」付近を、「中心」に栄えてきました。
 上記のように、「印西市」は江戸時代から「商業のまち」として栄え、「江戸」と「佐倉」・「銚子」を結ぶ上で「重要なまち」として、また「香取神宮」、「鹿島神宮」、「息栖神社」を詣でる「旅人」の「宿場町」として繁栄し、そのため、「印西市」には「歴史的建造物」、「遺跡」も数多く残り、当時の面影(オモカゲ)を偲(シノ)ばせている「まち」です。
 現在も「印西市」は「地理的条件」にも恵まれ、上記のように「東京都心」、「千葉市」、「成田国際空港」という「日本」を代表する「高機能拠点」の「中心」に近く位置している「まち」として「利点」を活かし「発展」を続けています。

 「吉高の大桜」(2011年4月5日のブログ参照)は、「印西市」「吉高地区」にある「桜」で、「樹齢」300年を超える「孤高」の「一本桜」です。
 「吉高の大桜」は、昔から「吉高の大桜」と呼ばれ「地域」で親しまれており、「印西市」の「市指定天然記念物」に指定されている「桜」で、「小林牧場の桜」と併せて、「印西市」の「2大花見スポット」と称されています。
 ちなみに「小林牧場」ですが、1965年(昭和40年)に設けられた「競争馬」の「保養育成」のための「牧場」で、「東京」の「大井競馬場」などに出場する「馬」が「ここ」で調教されています。
 「小林牧場」には、「入口」から「ロータリー」まで続く約700mにおよぶ「桜並木」があり、「見頃」を迎えると「見事」な「桜の回廊」、「桜の風景」が広がります。
 「小林牧場の桜」ですが、「桜の季節」になりますと、多くの「人」や「出店」で賑わい、「印西市観光協会」が選定した「いんざい八景」(2012年2月12日のブログ参照)のひとつとして指定されているほか、「千葉県」「選定」の「房総の魅力500選」にも選ばれています。
 ちなみに「吉高の大桜」、「小林牧場の桜」の「過去」5年の「満開日」は、下記の通りです。

 吉高の大桜(ヤマザクラ)

 平成27年 4月7日〜4月10日
 平成26年 4月8日〜4月11日
 平成25年 4月3日〜4月4日
 平成24年 4月14日〜4月17日
 平成23年 4月14日〜4月16日

 小林牧場の桜(ソメイヨシノ)

 平成27年 3月31日〜4月6日
 平成26年 4月1日〜4月8日
 平成25年 3月25日〜4月3日
 平成24年 4月9日〜4月13日
 平成23年 4月8日〜4月14日

 「吉高の大桜」ですが、「樹高」10.6m、「幹周囲」6.85m、「枝張最大幅」25.8mの「山桜(ヤマザクラ)」で、「開花の時期」には、「ピンク色」の「小山」のような「景観」を見せ、その圧倒的な貫禄に、想像以上の大きさと驚く「人」も多いそうです。
 「吉高の大桜」の「桜」の「周囲」には、たくさんの「菜の花」が咲き誇り、きれいに枝分かれした太く大きな「幹」、「周囲」の「花々」と調和して見事な「姿」をあらわし、「苔」の生えた「幹」から「吉高の大桜」が過ごしてきた、長い「年月」を感じる事ができるそうです。
 また「吉高の大桜」の「桜」ですが、「桜」の「周り」をぐるりと一周することが出来るので、「色々」な「角度」から「吉高の大桜」を愛(メ)でることができるそうです。
 なお「吉高の大桜」の現在の「開花情報」ですが、「印西市」「HP(ホームページ)」の「小林牧場、吉高の大桜開花情報」をご参照下さい。

 「吉高の大桜」は、「例年」、「ソメイヨシノ」より1週間程度遅く開花するそうで、さらに「吉高の大桜」は「開花時期」が短いそうで、「吉高の大桜」の「満開」の「状態」ですが、2、3日しか続かないそうで、見逃さないよう、「吉高の大桜」に足繁く通う「人」も多いそうです。
 ちなみに「吉高の大桜」の「場所」は、「印旛中央公園」「駐車場」(印西市瀬戸1518)から「徒歩」約25分となっています。
 ちなみに「印旛中央公園」ですが、「市町村合併」前、「印旛村中央公園」(旧・印旛郡印旛村瀬戸1518)として整備された「公園」で、「駐車料金」は「無料」、「カーナビ」に「目的地」を設定される「方」は、「敷地内」にある「印旛公民館」(旧・印旛村立中央公民館)の「電話番号」(0476-98-0427)を入力しても「駐車場」に到着するそうですので、ご参考にして下さいとのことです。

 「吉高の大桜まつり」ですが、上記のように「印西市」の「桜の名所」「吉高の大桜」から「徒歩」約10分の「イベント会場」で開催される「印西市観光協会」「主催」による「イベント」です。
 「吉高の大桜まつり」ですが、4月9日(土)・10日(日)10時00分から15時00分まで行われ、「イベント内容」ですが、「もちつき大会」、「お雑煮」、「きなこ餅」、「印西産」の「野菜」・「漬物」の「販売」、「せんべい」(2012年2月18日のブログ参照)その他となっています。
 また「印西市」では、「吉高の大桜」がある「吉高方面」へ、「吉高の大桜まつり」が行われる4月9日(土)・10日(日)に「見学無料送迎バス」を運行するそうです。
 「吉高の大桜」「見学無料送迎バス」、「時刻表」は、下記の通りです。

 「吉高の大桜」「見学無料送迎バス」「時刻表」

 「印旛中央公園」行き

 便 印旛日本医大駅  印旛中央公園

 1   8時50分発    9時05分着
 2   9時50分発   10時05分着
 3  10時45分発   11時00分着
 4  11時45分発   12時00分着
 5  13時30分発   13時45分着
 6  14時30分発   14時45分着
 7  15時20分発   15時35分着

 「印旛日本医大駅」行き

 便 印旛中央公園  印旛日本医大駅

  1  9時20分発    9時30分着

  2 10時20分発   10時30分着

  3 11時15分発   11時25分着

  4 12時10分発   12時20分着

  5 14時00分発   14時10分着

  6 15時00分発   15時10分着

  7 15時50分発   16時00分着

  8 16時40分発   16時50分着

 なお「吉高の大桜」「見学無料送迎バス」ですが、「道路事情」等により、予定通り運行できない場合がありますので、あらかじめご了承下さいとのことです。

 「印西」の「桜の名所」「樹齢」300年以上の「山桜」「吉高の大桜」「周辺」の「イベント会場」で開催される「恒例」の「桜イベント」「吉高の大桜まつり」。
 この機会に「印西市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「吉高の大桜まつり」詳細

 開催期間 4月9日(土)・10日(日) 10時〜15時

 開催会場 吉高の大桜 印西市吉高930

 問合わせ 印西市観光情報館 0478-45-5300

 備考
 「吉高の大桜まつり」ですが、「雨天中止」の「イベント」で、「イベント内容」も「天候」等により、変更になる場合もあるそうですので、ご注意下さい。
 「吉高の大桜」「周辺」には、「駐車スペース」がなく「車両進入禁止」となっており、少し離れた「国道464号線」沿いの「印旛中央公園」(印西市瀬戸1518)「駐車場」をご利用下さいとのことです。
 なお、「吉高の大桜」「周辺」は、「満開時」には、「花見客」による「道路渋滞」が発生するそうですので、「時間」には余裕をもって、お越し下さいとのことです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2901 |
| 地域情報::成田 | 02:21 PM |
「第28回成田太鼓祭」(成田市)
 本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「成田山新勝寺」、「成田山表参道」で4月9日(土)・10日(日)に開催されます「第28回成田太鼓祭」です。

 「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)は、「成田市」にある「真言宗智山派」の「寺」であり、「真言宗智山派」の「大本山」のひとつで、1000年以上の「歴史」をもつ「全国有数」の「霊場」で、「成田」を「代表」する「観光地」でもあり、「正月3が日」には約300万人、「年間」約1000万人以上の「参拝客」が訪れています。
 「成田山新勝寺」の「御本尊」は「不動明王」で、「成田山新勝寺」は「関東地方」有数の「参詣人」を集める「著名寺院」で、「家内安全」、「交通安全」などを祈る「護摩祈祷」のために訪れる方が多い「不動明王信仰」の「寺院」のひとつであり、「成田のお不動さま」の「愛称」で親しまれています。

 「成田山新勝寺」の「御本尊」である「不動明王」ですが、「真言宗」の「開祖」「弘法大師」「空海」が自ら「一刀三礼」(ひと彫りごとに三度礼拝する)の「祈り」をこめて敬刻開眼された「御尊像」で、この霊験あらたかな「御本尊」「不動明王」の「御加護」で、千年以上もの間、「御護摩」の「火」を絶やすことなく、「皆様」の「祈り」が一体となり清浄な願いとなって現れるそうです。
 「成田山新勝寺」は、開山1080年を間近に控えた現在も「成田山のお不動さま」として数多くの「人びと」の「信仰」を集めています。

 「成田山新勝寺」では、平成20年(2008年)に「開基1070年祭記念大開帳」が行われ、これにあわせて、平成19年(2007年)には「総欅造り」の「総門」が落慶され、「新勝寺」の「表玄関」として荘厳な「佇まい」を見せています。
 この「総門」は、開かれた「庶民のお寺」「成田山」と「門前町」とをつなぐ「担い手」として、「大開帳」を記念し創建されたもので、「総門」前にある「門前広場」は「参拝客」の「憩いの場」となっています。

 「成田山新勝寺」ですが、「総門」をくぐって、「境内」に入ると大きな赤い「提灯」のある「仁王門」があり、「境内」には、数多くの「建造物」が立ち並んでいます。
 「仁王門」から「東海道五十三次」にならった53段の「石段」を上がると、「成田山のシンボル」である「大本堂」が現れ、「大本堂」では、「世界平和」と「人々の幸せ」を願って「開山」以来毎日欠かさずに「御護摩祈祷」が厳修されています。

 「成田山新勝寺」の「伽藍」ですが、「JR」および「京成電鉄」の「成田駅」から「成田山新勝寺」への「参道」が伸び、「参道」を10分ほど歩き、急な「石段」を上った先の「台地上」に「境内」が広がっています。
 「石段」の「途中」に「仁王門」、「石段」を上った先に「正面」に「大本堂」、その手前「右手」に「三重塔」、「鐘楼」、「一切経堂」などが建っています。
 この他、「大本堂」の「左手」に「釈迦堂」、「大本堂」の「背後」の「一段」高くなった「地」には「額堂」、「光明堂」、「開山堂」、「平和の大塔」(2012年5月7日のブログ参照)などが建っており、「境内」の「東側」は広大な「成田山公園」(2011年11月8日・2010年11月12日のブログ参照)があります。
 「成田山新勝寺」にある「釈迦堂」、「光明堂」、「表参道」にある「薬師堂」(2013年5月22日のブログ参照)は、歴代の「成田山」の「大本堂」です。
 これほどの数の「御堂」が現存している「寺院」は大変珍しく、それぞれの「建物」には建立時の「建築様式」を今に伝えており、江戸中期から末期の「建物」である「仁王門」、「三重塔」、「釈迦堂」、「額堂」、「光明堂」の5棟が「国」の「重要文化財」に指定されています。

 「成田山表参道」ですが、「成田市」にある「参道」で、「JR成田駅」前から始まり、「終点」「成田山新勝寺」「総門」と「総門広場」までつなぐ「成田山新勝寺」に参拝する際に通る「全長」約800mの「通り」で、「成田山表参道」には風情のある「門前町」が形成されています。
 「成田山表参道」には、江戸時代の「成田詣」で、当時使われていた「3階建て旅館」の名残を残す「料理屋」や、「土産物店」が、軒(ノキ)を並べ、「門前町の歴史」と共に様々な情景を刻んでおり、「成田山表参道」は、「成田山新勝寺」と共に、「成田の歴史」を感じることができる「町並み」となっています。
 「成田山表参道」ですが、大きく分けて、「JR成田駅前」、「花崎町界隈」、「上町界隈」、「仲町(ナカノチョウ)界隈」、「本町・田町界隈」、「門前広場」となっています。
 「成田山表参道」は、各界隈ごとに趣(オモムキ)が異なり、界隈ごとに「特色」ある「門前町」を形成しており、「成田詣」に「いろ」をそえています。

 「成田太鼓祭」(2015年4月13日・2014年4月11日・2013年4月12日・2012年4月10日・2011年4月14日のブログ参照)は、「関東」を「中心」とした「各府県」を代表する「和太鼓」や「日本の伝統音楽」、「伝統舞踏」の「チーム」が「成田山新勝寺」と「成田山表参道」「一帯」を「舞台」に、賑やかに盛り上がる「日本屈指」の「太鼓祭」で、今年(2016年)で「28回目」を数える「太鼓祭」です。
 「成田太鼓祭」は、毎年「恒例」となった「人気イベント」で、「各ステージ」における「演奏」、「表参道太鼓パレード」の際には、「大迫力」の「演奏」と「演舞」が繰り広げられています。

 「第28回成田太鼓祭」ですが、「成田山新勝寺」、「成田山表参道」「一帯」を「舞台」に、「全国各地」から集まった約50団体、「総勢」約1500人(延べ参加人数)の「実力派」の「和太鼓演奏者達」により、4月9日(土)・10日(日)の2日間にわたって盛大に開催され、この勇壮な「成田太鼓祭」は、「日本屈指」の「太鼓の祭典」として知られており、「観客」は例年20万人を超え、「陽春の大気」を震わせ、「身体の奥底」に響き渡る「太鼓の轟音」と「パフォーマンス」とが、「圧倒的な迫力」で繰り広げられます。
 「第28回成田太鼓祭」の「出演団体」「出演者」は下記の通りです。

 日本各地の実力派チーム

 舞太鼓あすか組(奈良県)

 輪島和太鼓虎之介(石川県)

 三宅島芸能同志会(東京都)

 大治太鼓尾張一座(愛知県)

 銚子はね太鼓保存会(千葉県)

 創作和太鼓集団 打鼓音(神奈川県)

 鼓風(岩手県)

 みや誠承太鼓 御諏訪(福島県)

 琉球國祭り太鼓(神奈川県)

 ネットユニット来舞(茨城県他)

 枇魅鼓(埼玉県)

 本陣太鼓(茨城県)※千願のみ

 高校生チーム

 千葉県立八千代高校・鼓組(千葉県)

 木更津総合高校・和太鼓部(千葉県)

 相洋高校・和太鼓部(神奈川県)

 東京都立青梅総合高校・和太鼓部(東京都)

 東京都立南多摩中等教育学校・和太鼓部(東京都)

 明星高校・和太鼓部(東京都)

 東京都立美原高校・和太鼓部(東京都)

 東京都立府中東高等学校・和太鼓部(東京都)

 桐蔭学園高校・和太鼓部(神奈川県)

 横浜隼人高校・和太鼓部(神奈川県)

 武蔵越生高校・和太鼓部(埼玉県)

 日本航空高校・太鼓隊(山梨県)

 千葉県太鼓連盟 太鼓チーム

 成田エイサー美ら海会(成田市)

 印旛龍凰太鼓(印西市)

 千種太鼓(千葉市)

 のさか太鼓(匝瑳市)

 豊潤流ほのぼの太鼓(千葉市)

 四街道太鼓みかさ会(四街道市)

 作新漣太鼓(千葉市)

 みぞれ流船橋芝六太鼓(船橋市)

 和太鼓琉翔(八千代市)

 九十九里黒潮太鼓(山武郡九十九里町)

 和太鼓桜鼓会(四街道市)

 大塚太鼓かずら会(千
葉市)

 佐倉太鼓衆(佐倉市)

 太鼓衆 楽(長生郡白子町)

 花見川鼓連(千葉市)

 千代田和太鼓(四街道市)

 我孫子和太鼓龍翔(我孫子市)

 和太鼓 凪(いすみ市)

 和太鼓衆 雷夢(習志野市)

 和太鼓 風(山武郡九十九里町)

 世界の音楽・芸能音楽チーム

 ソニックス東京(スチールドラム)

 ALHERI(アフリカンドラム)

 二胡 王霄峰

 尺八 森淳

 ウニアン・ドス・アマドーリス(サンバ)
 江戸芸かっぽれ櫻川寿々慶会

 ばか面・笑福おどり 笑幸連

 「太鼓」には「大変」な「力」があり、「太鼓」に打ち込む「演奏者」、力強い「太鼓」の響き、そして、「祭」を盛り上げ、成功させようとする「人々の思い」、それに呼応する「観客の方々」の「姿」、「祭の両日」、「成田」は「日本」で最も賑やかで「元気な街」になるそうです。

 この「太鼓の力」を集結し、「被災地復興支援」の一端を担いたいという思いから、平成24年度からは「東北の団体」を招聘し、「義援金」の「募集」等を行い、「被災地」に1日も早く復興することを願って「太鼓祭」を行っています。
 このように、「成田太鼓祭」は、回を重ねるごとに充実した「イベント」になろうとしており、これも、「ご来場のお客様」や「出演者」、「関係団体」の「方々」からの「多大なご支援」と「ご声援の賜物」と感謝しているそうです。
 「成田太鼓祭」ですが、力強い「太鼓の響き」で、「人々」に「元気」、「勇気」を与え、そして「希望」を持って欲しいとの「願い」を込めて、開催するそうです。
 「第28回成田太鼓祭」の「イベント」ですが、「千願華太鼓」、「成田山千年夜舞台」、「参道ステージ」、「太鼓パレード」となっています。

 「千願華太鼓」は、「大本堂」前を会場にし、4月9日(土)・10日(日)に行われる「イベント」で、「成田太鼓祭」の「オープニングイベント」として開催されます。
 「千願華太鼓」では、「大本堂」前に「出演者全員」が集合し、一斉に「太鼓演奏」し、平成28年度は「出演者」800名が集合、「千願華太鼓」のために作曲された「平和の祈り」を奏します。

 「成田山千年夜舞台」は、4月9日(土)「夜」17時00分から約2時間、「大本堂」前で演奏する「イベント」で、「かがり火」に照らされた「幽玄な雰囲気」の中、行われます。
 「成田山千年夜舞台」では、「超一流の打ち手たち」が力強い「演奏」を奉納するそうです。

 「参道ステージ」は、4月9日(土)・10日(日)の「成田山表参道」の8つの「ステージ」にて開催される「イベント」です。
 「参道ステージ」では、「成田山表参道」に設けられた8つの「ステージ」に次々と登場する「様々なチーム」の「出演者」の「表情」、「気迫」を感じとれる「パワフルなパフォーマンス」、賑やかに繰り広げられる「チーム」それぞれの個性あふれる「演奏」が披露されるそうです。
 ちなみに「参道ステージ」の「各ステージ」は、下記の通りです。

 JR東日本花崎町ステージ

 上町ステージ

 上町第2ステージ

 薬師堂ステージ

 仲町ステージ

 NAA総門ステージ

 ANAみらいステージ

 奥山広場

 「参道ステージ」「演奏スケジュール」は、「成田太鼓祭公式サイト」(HP)をご参照下さい。

 「太鼓パレード」は、4月19日(日)に「成田山表参道」(JR成田駅前〜成田山門前)を15時00分にスタートする「パレード」で、「成田太鼓祭」の「フィナーレ」を飾る「底抜け」に楽しい「太鼓パレード」となっています。
 「太鼓パレード」では、「表参道」を個性溢れる多彩な「出演者」が、演奏しながら、踊りながら、賑やかに、そして華やかにパレードし、毎年「出演者」と「観客」の「皆さん」が一体となって盛り上がります。

 「成田の名刹」「成田山新勝寺」、「成田山表参道」で開催される「大人気」な「恒例イベント」「第28回成田太鼓祭」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第28回成田太鼓祭」詳細

 開催日時 4月9日(土)・10日(日) 10時〜

 開催会場 成田山新勝寺 成田市成田1
      成田山表参道 成田市成田

 問合わせ 成田太鼓祭実行委員会事務局 0476-24-3232

 備考
 「第28回成田太鼓祭」では、「会場周辺」で「交通規制」が、下記のように行われます。

  規制日   規制時間       規制区間

 4月9日(土) 9時45分〜19時30分 JR成田駅〜成田山門前(鍋店かど)

 4月10日(日) 9時45分〜17時30分 JR成田駅〜成田山門前(鍋店かど)

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2900 |
| 地域情報::成田 | 11:27 AM |
「第20回そうさチューリップ祭り」(匝瑳市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「匝瑳市」「のさか花の広場」(匝瑳市野栄総合支所前)で4月3日(日)〜17日(日)の期間開催されます「第20回そうさチューリップ祭り」です。

 「匝瑳市」は、「千葉県」の「北東部」に位置し、「首都」「東京」から70km圏、「世界の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)からは「車」で30分の「距離」にあり、「匝瑳市」の「中心部」を「JR総武本線」と「国道126号線」が「東西」に走り、「成田方面」とは「国道296号線」で結ばれています。
 「匝瑳市」の「面積」は101.78平方kmで、「匝瑳市」の「市役所本庁」は「旧・八日市場市役所」を使用し、「匝瑳市」の「市区域」のうち、「旧・八日市場市」は「植木」(苗木)の「産地」として「有名」であり、「匝瑳市」は「植木」の「栽培面積」が「日本一」となっており、「匝瑳市」は、「日本有数の植木のまち」(2011年9月30日のブログ参照)として知られています。

 「匝瑳市」の「北部」は「谷津田」が入り組んだ「複雑」な「地形」の「台地部」となっており、一方「匝瑳市」の「南部」は「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)に面する「平坦」な「地形」となっています。
 「匝瑳市」に隣接する「自治体」ですが、「旭市」(旭地区、干潟地区)、「香取市」(山田地区)、「香取郡」「多古町」、「山武郡」「横芝光町」(光地区)となっています。
 「匝瑳市」の「気候」は「海洋性」の「温暖」な「気候」で、「年間平均気温」は15度、「東京」周辺と比べると、「夏」涼しく「冬」暖かい、とても過ごしやすい「土地柄」で、「冬」でもほとんど「降雪」は見られません。

 「匝瑳市」は、2006年(平成18年)1月23日、「八日市場市」と「野栄町」が合併して誕生しました。
 「匝瑳市」「合併」の「発足時」の「人口」ですが、約4万2000人で、「匝瑳市」の「市名」の「由来」ですが、「旧・八日市場市」と「旧・野栄町」が「匝瑳郡」に属していたことから「決定」されたそうです。
 ちなみに現在の「匝瑳市」の「人口」ですが、38129人となっており、「男性」18815人、「女性」19314人、「世帯数」14464世帯となっています。
 (平成28年2月29日現在)
 なお「匝瑳市」の「市名」ですが、「竹内正浩」氏の「日本の珍地名」(文春新書)で「難読・誤読地名番付」の「東の横綱」と紹介されています。

 「匝瑳市」の「気候」ですが、1年を通して「良好」なため、上記のように「温暖」な「気候」を活かした「農業」が、「匝瑳市」の「主(オモ)」だった「産業」となっており、「県内屈指」の「米どころ」「水稲」をはじめ、1年を通し出荷され「高品質」を維持している「トマト」、「栽培」の「歴史」が長い「いちご」などの「施設栽培」の「野菜」や「果物」、「ねぎ」などの「露地野菜」も盛んに生産されています。
 また「匝瑳市」は、「千葉県」「唯一」の「赤ピーマン」(2011年6月27日のブログ参照)の「産地」として知られており、「露地物」の「茄子(ナス)」や、「周囲」約30cm・「長さ」1mの「日本一」の「大きさ」を誇る「特大ゴボウ」「大浦ごぼう」(2011年1月10日のブログ参照)、「肉質」の良い「黒毛和牛」と「発育」の良い「乳用牛」をかけ合わせ誕生し、柔らかい「肉質」が「ステーキ」や「すき焼き」にぴったりな「ブランド牛」「若潮牛(ワカシオギュウ)」などが作られています。

 「のさか花の広場」(2012年3月20日のブログ参照)(野栄総合支所南側)は、「匝瑳市」「今泉」にある「チューリップ」が咲き誇っている「おすすめスポット」です。
 「のさか花の広場」(野栄総合支所南側)は、「チューリップ」約15種類、約7万本が「見頃」を迎える、4月上旬から4月中旬にかけて、「チューリップ祭り」が開催されており、「東総地区」の「チューリップ」の「名所」として知られています。
 ちなみに、「チューリップ」ですが、「匝瑳市」の「花」として、2006年(平成18年)10月31日に指定されています。

 「そうさチューリップ祭り」(2015年4月5日・2014年4月6日・2013年4月7日・2012年4月8日のブログ参照)ですが、1997年(平成9年)から、「旧・匝瑳郡」「野栄町」で行われていた「のさかチューリップ祭り」として始められた「イベント」で、「野栄いきいき農業塾」「主催」の「お祭り」として開催されていました。
 「そうさチューリップ祭り」の「前身」「のさかチューリップ祭り」では、当時から「チューリップ祭り」「期間中」の「日曜日」に「イベント」が行われ、「イベント」では、「野栄太鼓」を聞きながら、「餅投げ大会」、「ミニ動物園」、「ビンゴ大会」なども行われ、一日楽しく過ごせる「祭り」として、「旧・野栄町民」はもとより、「近隣」からも多くの「見物客」が訪れていたそうです。

 上述のように、平成9年()に「野栄ふれあい農業塾」をきっかけに始まった「チューリップ祭り」ですが、今年(2016年)(今回)で「第20回」を迎えます。
 「匝瑳市」の「春」の「訪れ」を告げる「イベント」「第20回そうさチューリップ祭り」は、上記のように4月3日(日)から4月17日(日)の「期間」開催され、「会場」となる「のさか花の広場」(野栄総合支所南側)が、「常時」開放されるそうです。
 「第20回そうさチューリップ祭り」では、「チューリップ」の「種類」が19種類と増え、約7万本の「球根」が植えられたそうで、さらに「匝瑳市」の「市制施行10周年」を記念して作成された「花文字」が「見どころ」となっているそうです。

 また「第20回そうさチューリップ祭り」「期間中」の4月10日(日)10時00分から15時30分まで「アトラクション」を開催するそうです。
 「第20回そうさチューリップ祭り」「アトラクション」の「内容」ですが、「楽天舞」による「よさこい鳴子踊り」、「ピアダンス」、「匝瑳市」の「ご当地戦隊」「ハリキリ戦隊」「ソーサマン」(2012年3月16日のブログ参照)の「ショー」(演劇)、「北上健」さんによる「歌謡ショー」、「つくも99スペシャル」(2014年3月8日のブログ参照)の「皆さん」による「ライブ」、「オーナー抽選会」、「ポニー」で「第20回そうさチューリップ祭り」「会場」「のさか花の広場」(野栄総合支所南側)の「園内」を「散策」できる「園内散策」(有料)、「チーバくん」「ちば犬」の「来場」、「ふれあいミニ動物園」、「景品券」付き「もち投げ」、「出店ブース」等が行われるそうです。
 「第20回そうさチューリップ祭り」「アトラクション」「スケジュール」は、下記の通りです。

 10時00分〜 開会式

 10時35分〜 よさこい鳴子踊り(楽天舞)

 11時20分〜 ピアダンス

 12時05分〜 ソーサマンショー

 12時40分〜 北上健歌謡ショー

 13時25分〜 つくも99スペシャルライブ

 14時15分〜 オーナー抽選会

 15時00分〜 景品券付きもち投げ

 「第20回そうさチューリップ祭り」「アトラクション」ですが、「雨天時」は「イベント」の一部を「隣接」の「のさかアリーナ」で行うそうです。
 なお「第20回そうさチューリップ祭り」の「会場」「のさか花の広場」(野栄総合支所南側)の「チューリップ」の「開花情報」ですが、「匝瑳市」の「HP(ホームページ)」の「花だより」「コーナー」でアップしていますので、ご参照下さい。

 「市の花」「チューリップ」が咲き誇る「のさか花の広場」(匝瑳市野栄総合支所前)で開催される「匝瑳」の「春の風物詩」「第20回そうさチューリップ祭り」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第20回そうさチューリップ祭り」詳細

 開催期間 4月3日(日)〜17日(日)

 開催会場 のさか花の広場(匝瑳市野栄総合支所前) 匝瑳市今泉6525-1

 問合わせ そうさチューリップ祭り実行委員会事務局 0479-67-3114 (匝瑳市野栄総合支所前)

 備考
 「第20回そうさチューリップ祭り」が開催される「匝瑳市」では、4月の「週末」、4月9日(土)、10日(日)の2日間「匝瑳市」の「春の花スポット」などを巡る「無料観光周遊バス」「花めぐりバス」が運行されます。
 「無料観光周遊バス」「花めぐりバス」「バス停留所」ですが、「匝瑳観光物産センター」「匝りの里」、「チューリップ祭り会場」(野栄総合支所)、「飯高壇林跡駐車場」、「黄門桜入り口」、「ふれあいパーク八日市場」(2012年6月16日・5月1日・2010年9月11日のブログ参照)となっています。
 「無料観光周遊バス」「花めぐりバス」「運行時間」ですが、4月9日(土)・10日(日)とも9時台から15時台の間となっており、全5便となっています。
 「無料観光周遊バス」「花めぐりバス」の「時刻表」は、下記の通りです。

 「無料観光周遊バス」「花めぐりバス」「時刻表」(運行日・4月9日、10日)

  バス停留所          1便    2便   3便   4便   5便

 匝瑳観光物産センター匝りの里発 9時15分 10時40分 12時45分 14時20分 15時55分

 チューリップ祭り会場    着  9時30分 10時55分 13時00分 14時35分 16時10分
 (野栄総合支所)
            発  9時30分 11時00分 13時05分 15時00分 16時15分

 匝瑳観光物産センター匝りの里着 9時45分 11時15分 13時20分 15時15分 16時30分

             発  9時50分 11時40分 13時30分 15時20分 16時30分

 飯高壇林跡駐車場      10時05分 11時35分 13時45分 15時15分

 黄門桜入り口        10時10分 11時40分 13時50分 15時20分

 ふれあいパーク八日市場    10時20分 11時50分 14時00分 15時30分

 匝瑳観光物産センター匝りの里  10時35分 12時05分 14時15分 15時45分

 なお「無料観光周遊バス」「花めぐりバス」の「バス」の「運行」に合わせて、「妙雲山飯高寺」(2011年10月7日・4月22日・2010年10月9日のブログ参照)「講堂」も開放されるそうです。
 ちなみに「妙雲山飯高寺」「講堂」(鐘楼・鼓楼・総門)ですが、「国指定」の「重要文化財」に指定されており、「檀林跡」(飯高檀林跡)として、「妙雲山飯高寺」「境内全体」が、「千葉県」の「県指定史跡」に指定されています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2899 |
| 地域情報::匝瑳 | 11:26 AM |
「第11回佐原五月人形めぐり 薫る新芽 そよぐ風 商家に伝わる五月人形」(香取市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「佐原の町並み」で4月9日(土)〜5月15日(日)の期間開催されます「第11回佐原五月人形めぐり 薫る新芽 そよぐ風 商家に伝わる五月人形」です。

 「佐原の町並み」は、「香取市」「佐原」の「市街地」にある「歴史的」な「建造物」が残る「風情」のある「町並み」です。
 「佐原」は、江戸時代に「利根川東遷事業」により「舟運」が盛んになると、「小野川」(2012年9月7日のブログ参照)には、「物資」を「陸」に上げるための「だし」と呼ばれる「河岸施設」が多くが作られました。
 明治以降もしばらくは「繁栄」は続き、「自動車交通」が発達し始める昭和30年(1955年)頃までにかけて、「成田」から「鹿島」にかけての広範囲な「商圏」を持つ「まち」となっていました。
 上記のように「利根川水運」で栄えた「商家町」の「歴史的景観」を今に残す「佐原の町並み」が、「市街地」を「南北」に流れる「小野川」沿い、「市街地」を「東西」に走る「香取街道」、及び「下新町通り」などに見ることができます。
 「佐原の町並み」ですが、「佐原」が最も栄えていた江戸時代末期から昭和時代前期に建てられた「木造町家建築」、「蔵造り」の「店舗建築」、「洋風建築」などから構成されています。
 「佐原の人々」は、「江戸の文化」を取り入れ、更にそれを「独自の文化」に昇華していて、「江戸優り(エドマサリ)」といわれるほど栄えていたそうで、当時の「面影」・「歴史景観」を今に残し、またそれを活かした「まちづくり」に取り組んでいることが認められ、「佐原の町並み」は、平成8年(1996年)12月、「関東」で初めて「国」の「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建)に選定されています。
 「佐原の重伝建」は「昔」からの「家業」を引き継いで今も営業を続けている「商家」が多いことから、「生きている町並み」としても評価されています。

 「重要伝統的建造物群保存地区」には、「佐原の偉人」「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)が過ごし、寛政5年(1793年)建築された「伊能忠敬旧宅」(国指定史跡)(2012年2月24日のブログ参照)のほか、「千葉県」の「県指定有形文化財」も8軒(13棟)が「小野川」沿いや「香取街道」沿いに軒を連ねています。
 「重要伝統的建造物群保存地区」「千葉県指定有形文化財」ですが、大正3年(1914年)建築の「三菱館」(2012年1月27日のブログ参照)、「土蔵」が明治元年(1868年)「店舗」が明治28年(1895年)建築の「福新呉服店」(2012年4月29日のブログ参照)、「店舗」が安政2年(1855年)「土蔵」が明治25年(1892年)以降に建築の「中村屋商店」(2012年5月21日のブログ参照)、明治13年(1880年)建築の「正文堂書店」(2013年6月22日のブログ参照)、「店舗」が天保3年(1832年)「土蔵」が明治元年(1868年)建築の「いかだ焼き本舗正上」(2011年12月28日のブログ参照)、「店舗」が明治25年(1892年)「土蔵」が明治23年(1890年)建築の「小堀屋本店」(2012年8月31日の
ブログ参照)、明治25年(1892年)建築の「中村屋乾物店」、「店舗」が明治33年(1900年)「土蔵」が寛政10年(1798年)に建築の「旧油惣商店」が指定されています。

 「樋橋(トヨハシ)」(2012年2月13日のブログ参照)は、「香取市」「佐原」に架かる「橋」で、「通称」「ジャージャー橋」とも呼ばれています。
 「樋橋」ですが、もともと江戸時代に「小野川」「上流」でせき止めた「農業用水」を「佐原」の「関戸方面」(現・佐原駅方面)の「田」に送るために「小野川」に架けられた、大きな「樋(トヨ)」だったそうで、その「樋」を「人」が渡るようになり、昭和時代に「コンクリート橋」に、1992年(平成4年)に現在の「橋」になったそうで、「橋」を造る際に、かつての「ジャージャー橋」の「イメージ」を再現するため、「水」が落ちるように造られました。
 なお「樋橋」ですが、1996年(平成8年)に、「環境省」の「日本の音風景100選」に選定されています。

 「小野川」は、「香取市」を流れる「一級河川」で「利根川水系」「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「支流」です。
 「利根川」の「支流」である「小野川」は、江戸期より「水運の集散地」として「佐原のまち」を発展させました。
 2004年(平成16年)には、「佐原の市街地」の「洪水」を解消するため「香取市」「牧野地先」から「本宿耕地地先」「利根川」まで流す「小野川放水路」が完成しています。

 「佐原まちぐるみ博物館」(2011年12月26日のブログ参照)ですが、平成10年(1998年)頃、「佐原」の「一軒」の「商家」から始まった「博物館」で、「道具類」や「お雛様」の「展示」がなされ、「伊能忠敬記念館」の「伊能家のお雛様」(2012年1月29日のブログ参照)の「展示」が行われるようになりました。
 その後、「伊能忠敬記念館」の「呼びかけ」で、「数軒」の「店」で「お雛様」の「展示」を行うようになり、平成16年(2004年)には28軒の「佐原まちぐるみ博物館」が誕生し、平成20年(2008年)には「佐原まちぐるみ博物館」は42館になっているそうです。

 「佐原まちぐるみ博物館」は、「各家」に残る、古い「道具箱」や「暮らしぶり」、「伝統」の「味」や「技」、「コレクション」等、「自慢の宝」を、それぞれの「家」で公開し、訪れた「方」に楽しんでいただき、「佐原のまち」をまるごと「博物館」にしてしまおうという「活動」です。
 「佐原まちぐるみ博物館」では、「年間」を通した「常設展」のほかに、「お雛様の季節」に行われる「さわら雛めぐり」(2016年1月28日・2015年2月6日・2014年2月6日・2013年2月16日・2012年2月2日・2011年2月5日のブログ参照)、「五月の節句」に行われる「佐原五月人形めぐり」(2015年4月6日・2014年4月15日・2013年4月24日・2012年4月7日・2011年4月28日のブログ参照)、「お盆時期」に行われる「さわら・町並み・夕涼み」(2015年8月5日・2014年8月12日・2013年8月12日・2012年8月11日・2011年8月11日・2010年8月12日のブログ参照)、「お正月」に行われる「お正月飾り」の「企画展」「佐原・町並み・お正月」(2015
年12月27日・2014年12月24日・2013年12月24日・2012年12月27日・2011年12月26日・2010年12月26日のブログ参照)といった「企画展」も行っています。
 「佐原まちぐるみ博物館」は、「佐原の商家」の「おかみさん」たちによって、結成している「佐原おかみさん会」(2011年2月5日のブログ参照)により、運営されています。

 「佐原おかみさん会」ですが、「佐原」を大切に思っている「女性の集まり」で、「佐原」の「地元商店のおかみさん」が「中心」となって活動されている「団体」で、「メンバー」ですが、「佐原」以外の「他の地域」から「縁」があり、「佐原の商家」に嫁がれた「お嫁さん」や、「佐原生まれ」、「佐原育ち」の「女性」等で構成されており、「佐原のまち」の「良さ」を見直し、もっとたくさんの「人々」に「佐原のまち」を知ってもらおうと立ち上がりました。
 「佐原おかみさん会」ですが、今年(2016年・平成28年)で12年目を迎える「団体」で、ますます「佐原」のために、「元気」にがんばっている「まちづくり団体」です。

 「佐原おかみさん会」ですが、平成21年(2009年)3月には「佐原おかみさん会」が「企画・運営」されている「佐原まちぐるみ博物館」をはじめとする「活動」が評価され、「全国信用金庫協会」の「商店街ルネッサンス・コンテスト」で、「最優秀賞」を受賞されています。
 ちなみに「商店街ルネッサンス・コンテスト」では、「全国」から190あまりの「応募」の中から、「わかば部門」で「全国1位」であったそうで、「商店街ルネッサンス・コンテスト」は、「地元信用金庫」の「応募」(推薦)によるものであったそうです。
 なお「香取市」では、「商店街ルネッサンス・コンテスト」で「佐原おかみさん会」・「佐原まちぐるみ博物館」が、「最優秀賞」を受賞したことを記念し、平成21年(2009年)7月25日に「佐原文化会館」を「会場」とした「記念フォーラム」が、「佐原商工会議所」「主催」で開催されたそうです。
 また「佐原おかみさん会」は、平成23年(2011年)にも「活動」が評価され、「千葉県功労者」としても表彰されています。

 「端午の節句」を控え、「香取市」「佐原」では、毎年「佐原五月人形めぐり」が行われています。
 「佐原五月人形めぐり」は、4月から5月にかけて行われており、「江戸の商家」の「面影」を残す「佐原の町並み」をめぐり、それぞれの「商家自慢」の「お宝」を見てもらう「佐原まちぐるみ博物館」の「企画展」のひとつで、「佐原おかみさん会」の「皆さん」が運営されています。
 「佐原五月人形めぐり」では、「佐原町並み交流館」(2012年1月27日のブログ参照)などの「周辺施設」でも「五月人形」が飾られ、「香取市」「佐原」の「まちなか」を「中心」に約40軒で個性豊かな「人形たち」と出会えます。
 現在「佐原まちぐるみ博物館」には、約42館(店舗等)が参加し、そのうち半数以上で「佐原五月人形めぐり」期間中、「老舗」に伝わる「年代物」など「家々」で大切にしている「五月飾り」を公開しています。
 「佐原五月人形めぐり」期間中には、「店先」(表)に掲げられる「若草色」の「まねき布」を「目印」に、ゆっくりと「風情」のある「佐原のまち」を巡ることができます。

 「第11回佐原五月人形めぐり 薫る新芽 そよぐ風 商家に伝わる五月人形」では、上記のように、「佐原まちぐるみ博物館」の半数以上の「店舗」で「開催期間中」に、「老舗」に伝わる「年代物」の「五月人形」など家々で、大切にしている「五月飾り」を公開しています。
 また「佐原町並み交流館」などの「周辺施設」でも、「五月人形」が飾られる「五月人形展」が行われ、「佐原」の「町なか」を「中心」に約27軒で、個性豊かな「人形たち」と出会えるそうです。

 「第11回佐原五月人形めぐり 薫る新芽 そよぐ風 商家に伝わる五月人形」の「五月人形」の「展示店舗・会場」は、下記の通りです。

 山本宅(交流館にて展示)

 山村商店

 忠敬茶屋

 素顔屋

 町並み交流館

 一蘭荘

 正上

 玉澤(忠敬茶屋にて展示)

 植田屋(2012年6月11日のブログ参照)

 中村屋

 並仲商店

 中央観光案内所

 上州屋酒店

 八木の耳かき

 福新

 加納屋服地店

 香取生花店

 徳島屋

 八木清

 佐伯洋品店

 ギャラリー卯兵衛

 虎屋

 紀の国屋

 高六

 亀村本店

 馬場本店

 東薫酒造(2011年2月2日のブログ参照)

 山城屋茶舗

 駅前観光案内所

 佐原駅(2015年9月20日のブログ参照)

 千葉中央博物館大利根分館でも展示(下記「備考」参照)

 「第11回佐原五月人形めぐり 薫る新芽 そよぐ風 商家に伝わる五月人形」「展示物」は、「端午の節句」にちなんだもので、「時間」、「休日」は「各店」により異なるそうです。

 「小江戸情緒」あふれる昔ながらの「町並み」が今も残る「佐原の町並み」で開催される「恒例」の「企画展」「第11回佐原五月人形めぐり 薫る新芽 そよぐ風 商家に伝わる五月人形」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第11回佐原五月人形めぐり 薫る新芽 そよぐ風 商家に伝わる五月人形」詳細

 開催期間 4月9日(土)〜5月15日(日)

 開催会場 佐原の町並み 香取市佐原

 問合わせ 佐原おかみさん会 
      香取商工観光課 0478-50-1212

 備考
 「第11回佐原五月人形めぐり 薫る新芽 そよぐ風 商家に伝わる五月人形」が行われている「香取市」「佐原」では、「同時開催」で、「大利根博物館大利根分館」(2011年6月24日のブログ参照)にて、「鍾馗(ショウキ)様」や「弁慶」や、「牛若丸」、「八幡太郎源義家」など、昭和50年代「五月人形」7点、「佐原町並み交流館」にて、「地域の五月人形展」を開催するそうです。

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| 地域情報::香取 | 10:32 AM |
「成田のおどり花見」(成田市)
 本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「成田山表参道」及び、その「周辺地域」で4月3日(日)に開催されます「成田のおどり花見」です。

 「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)は、「成田市」にある「真言宗智山派」の「寺」であり、「真言宗智山派」の「大本山」のひとつです。
 「成田山新勝寺」は、1000年以上の「歴史」をもつ「全国有数」の「霊場」で、「成田」を「代表」する「観光地」でもあり、「正月3が日」には約300万人、「年間」約1000万人以上の「参拝客」が訪れています。
 「成田山新勝寺」の「御本尊」は「不動明王」で、「成田山新勝寺」は上記のように「関東地方」「有数」の「参詣人」を集める「著名寺院」で、「家内安全」、「交通安全」などを祈る「護摩祈祷」のために訪れる方が多い「不動明王信仰」の「寺院」のひとつであり、「成田のお不動さま」の「愛称」で親しまれています。

 「成田山新勝寺」の「御本尊」である「不動明王」ですが、「真言宗」の「開祖」「弘法大師」「空海」が自ら「一刀三礼」(ひと彫りごとに三度礼拝する)の「祈り」をこめて「敬刻開眼」された「御尊像」なのだそうです。
 「成田山新勝寺」では、この「霊験」あらたかな「御本尊」「不動明王」の「御加護」で、千年以上もの間、「御護摩」の「火」を絶やすことなく、「皆様」の「祈り」が「一体」となり「清浄」な「願い」となって現れるそうです。
 「成田山新勝寺」は、「開山1080年」を間近に控えた現在も「成田山のお不動さま」として数多くの「人びと」の「信仰」を集めています。

 「成田山」の「開山の祖」「寛朝大僧正(カンチョウダイソウジョウ)」は、延喜16年(918年)に生まれ、天慶3年(940年)「平将門の乱」を鎮めるため「朱雀天皇」の「勅命」により「関東」に下り、「この地」に「成田山新勝寺」が開山されました。
 「寛朝大僧正」は、「皇室」との「血縁」もある大変に「格」の高い「僧侶」で、後に「真言宗」初めての「大僧正」に任じられ、「成田山」の他にも「京都」に「遍照寺」を開山しているそうです。

 「成田山新勝寺」は、上記のように平安時代中期に起きた「平将門の乱」の際、939年(天慶2年)「朱雀天皇」の「密勅」により「寛朝大僧正」を「東国」に遣わしたことに「起源」を持ちます。
 「寛朝大僧正」は、「京」の「高雄山」(神護寺)「護摩堂」の「空海」作の「不動明王像」を奉じて「東国」へ下り、翌940年(天慶3年)、「海路」にて「上総国」「尾垂浜」に上陸、「平将門」を調伏するため、「下総国」「公津ヶ原」で「不動護摩」の「儀式」を行ったそうです。
 「成田山新勝寺」では、この天慶3年を「開山の年」としています。
 「平将門の乱」「平定後」の永禄年間(1566年)(永禄9年)に「成田村一七軒党代表」の「名主」が「不動明王像」を背負って「遷座」され「伽藍」を建立された「場所」が、現在の「成田市」「並木町」にある「不動塚」周辺と伝えられており、「成田山発祥の地」といわれています。
 「成田山新勝寺」の「寺名」ですが、「また新たに勝つ」という「語句」に因み「新勝寺」と名づけられ、「東国鎮護」の「寺院」となったそうです。

 「成田山新勝寺」では、平成20年(2008年)に「開基1070年祭記念大開帳」が行われ、これにあわせて、平成19年(2007年)には「総欅造り」の「総門」が「落慶」され、「新勝寺」の「表玄関」として「荘厳」な「たたずまい」を見せています。
 この「総門」は、開かれた「庶民のお寺」「成田山」と「門前町」とをつなぐ「担い手」として、「大開帳」を記念し創建されたもので、「総門」前にある「門前広場」は「参拝客」の「憩いの場」となっています。

 「成田山新勝寺」ですが、「総門」をくぐって、「境内」に入ると大きな赤い「提灯」のある「仁王門」があり、「境内」には、数多くの「建造物」が立ち並んでいます。
 「仁王門」から「東海道五十三次」にならった53段の「石段」を上がると、「成田山」の「シンボル」である「大本堂」が現れ、「成田山新勝寺」「大本堂」では、「世界平和」と「人々の幸せ」を願って「開山」以来「毎日」欠かさずに「御護摩祈祷」が厳修されています。

 「成田山新勝寺」の「伽藍」ですが、「JR」および「京成電鉄」の「成田駅」から「成田山新勝寺」への「参道」が伸び、「参道」を10分ほど歩き、「急」な「石段」を上った先の「台地上」に「境内」が広がっています。
 「石段」の途中に「仁王門」、「石段」を上った先に「正面」に「大本堂」、その手前「右手」に「三重塔」、「鐘楼」、「一切経堂」などが建っています。
 この他、「大本堂」の「左手」に「釈迦堂」、「大本堂」の「背後」の「一段」高くなった「地」には「額堂」、「光明堂」、「開山堂」、「平和の大塔」(2012年5月7日のブログ参照)などが建っており、「成田山新勝寺」「境内」の「東側」は「広大」な「成田山公園」(2011年11月8日・2010年11月12日のブログ参照)があります。
 「成田山新勝寺」にある「釈迦堂」、「光明堂」、「表参道」にある「薬師堂」(2013年5月22日のブログ参照)ですが、歴代の「成田山」の「大本堂」です。
 これほどの「数」の「御堂」が現存している「寺院」は大変珍しく、それぞれの「建物」には「建立時」の「建築様式」を「今」に伝えており、江戸中期から末期の「建物」である「仁王門」、「三重塔」、「釈迦堂」、「額堂」、「光明堂」の「5棟」が「国」の「重要文化財」に指定されています。

 「成田山表参道」ですが、「成田市」にある「参道」で、「JR成田駅」前から始まり、「終点」「成田山新勝寺」「総門」と「総門広場」までつなぐ「成田山新勝寺」に参拝する際に通る「全長」約800mの「通り」で、「風情」のある「門前町」が形成されています。
 「成田山表参道」には、江戸時代の「成田詣」で、当時使われていた「3階建て旅館」の「名残」を残す「料理屋」や、「土産物店」が、「軒」を並べ、「門前町の歴史」と共に「様々」な「情景」を刻んでおり、「成田山表参道」は、「成田山新勝寺」と共に、「成田の歴史」を感じることができる「町並み」となっています。
 「成田山表参道」ですが、大きく分けて、「JR成田駅前」、「花崎町界隈」、「上町界隈」、「仲町(ナカノチョウ)界隈」、「本町・田町界隈」、「門前広場」となっています。
 「成田山表参道」は、「各界隈」ごとに「趣」が異なり、「界隈」ごとに「特色」ある「門前町」を形成しており、「成田詣」に「いろ」をそえています。

 「成田」では、毎年4月3日に、「旧・成田町」を形成していた「本町」・「仲町」・「上町」・「幸町」・「花崎町」・「田町」・「東町」の「7ヵ町」で、「成田のおどり花見」が行われています。
 「成田のおどり花見」ですが、元禄年間頃から伝承されているといわれ、1964年(昭和39年)に、「千葉県」の「県指定無形民俗文化財」に指定されています。

 「成田のおどり花見」では、「各町内」には「女人講(ニョニンコウ)」と呼ばれる「女性たち」の「集まり」があり、「成田のおどり花見」は、「女人講」によって行われます。
 「成田のおどり花見」ですが、7年に一度まわってくる「年番」にしたがって、「成田」の「鎮守」である「三ノ宮埴生神社」に集まり、ここをはじめに「各町内」に祀られている16の「神仏」に詣で、「お篭(=ご神体)」の「保管」をします。
 1年の「保管」が終わって、「やれ、うれしや」と「サクラの季節」の4月3日に踊ることから「おどり花見」と呼ばれているそうです。
 普通ならば、「花見おどり」というべきところですが、「おどり花見」と読んでいるところから、「花見」ではなく「おどり」が「主」であることがわかります。

 「弥勒踊り」の「弥勒」とは、「末法」の「世界衆生」を救うという「経典」に基づく「救世菩薩」で、「日本」では、11世紀頃から盛んになった「信仰」なのだそうです。
 「弥勒踊り」ですが、「太鼓」の「音」にあわせ

 「皆神々の仰せなれば、弥勒踊り面白や」

 と始まり、

 「あんば大杉大明神、悪魔祓ってヨイヤサ」

 で結ぶ「口伝(クデン)」による「歌」で、「踊り」はゆったりとした「仕種」の中に「神」を称える、厳(オゴソ)かな「気分」と「ハレ」(普段でないこと)の「日」の伸びやかな「開放感」が満ちているそうです。
 「弥勒踊り」は、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)を「中心」に、「茨城」・「千葉」・「埼玉地方」から「伊豆方面」に広く「分布」している「郷土舞踏」で、「神仏」をなぐさめ、「悪疫退散」を祈り、「五穀豊穣」を願う「踊り」で、「女人講」の「婦人たち」は「おそろい」の「着物」を着て、7町内、16の「神社」や「仏堂」をまわって「お参り」をし、「踊り」を奉納します。

 「成田のおどり花見」の「巡拝コース」ですが、「各町内」ごとに祀られた「神仏」を回りますが、「回り方」は「各町内」ごとに異なっています。
 ただし、「始まり」が「成田」の「鎮守様」である「三ノ宮埴生神社」であるところは共通しており、毎年、午前7時00分から8時00分頃から「おどり花見」が始まるそうです。
 本年(2016年)の「成田のおどり花見」「巡拝予定時刻」及び「コース」ですが、下記の通りとなっています。

 「成田のおどり花見」「巡拝コース」詳細

  1  7時00分 埴生神社(三の宮様)

  2      幸町 道祖神様

 3  8時00分 成田山 出世稲荷様

 4  8時30分 幸町 薬師様

 5  9時00分 上町 道祖神様

 6 10時00分 仲町 愛宕様

 7 11時00分 東町 子安様

  8      東町 お仙稲荷様

  9 12時00分 本町 愛宕様

 10 14時00分 成田山 堂庭

 11      成田山 御不動様 (大本堂前)

 12      成田山 清瀧権現様 (光明堂脇)

 13      成田山 噴水公園

 14      成田山 光輪閣

 15 16時00分 田町 道祖神様

 16      田町 愛宕様

 17 17時00分 花崎町 権現様

 「成田」の「歴史」色づく「成田山新勝寺」の「参道」「成田山表参道」及び「その周辺地域」で開催される、元禄年間から伝承される「女性達」による「伝統」を伝える「春の踊り」「成田のおどり花見」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「成田のおどり花見」詳細

 開催日時 4月3日(日) 7時〜

 開催会場 成田山表参道及びその周辺地域 成田市成田

 問合わせ 社団法人成田市観光協会 0476-22-2102

 備考
 「成田のおどり花見」ですが、「当日」の「状況」により、「各所」の「巡拝」が「予定時刻」よりも遅れることがありますので、ご注意下さい。

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| 地域情報::成田 | 06:50 PM |
「小林牧場の桜まつり」(印西市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「印西市」「小林牧場」で4月2日(土)・3日(日)まで開催されます「小林牧場桜まつり」です。

 「印西市」ですが、2008年(平成20年)に「印西市」・「印旛郡」「印旛村」・「印旛郡」「本埜村」の「1市2村」の「枠組み」で、「市町村合併」の「特例」等に関する「法律」(新合併特例法)の「期限」である2010年(平成22年)3月末までの「合併」に関する「話し合い」を行うために、2008年(平成20年)10月24日に「合併問題懇談会」が、それぞれの「市村の長」および「議会議員の代表」により構成、設置され、翌2009年(平成21年)1月9日に「合併協議会」が設置されました。
 「合併協議会」では、「合併」の「期日」を2010年(平成22年)3月23日とし、「合併方式」は「印西市」に「印旛郡」「印旛村」・「印旛郡」「本埜村」を編入する「編入合併」、「新市」の「名称」は「印西市」とすることで「合意」、「合併申請」が行われ、2010年(平成22年)3月5日「総務省告示第73号」で「合併」が決定。
 これにより、予定通り、2010年(平成22年)3月23日に、「新・印西市」が誕生しました。
 現在の「印西市」の「人口」ですが、「人口」93926人、「世帯」36397世帯、「男性」47147人、「女性」47779人となっています。
 (2016年(平成28年)2月現在)
 「印西市」ですが、今年(2016年・平成28年)「市制施行20周年」を迎えています。

 「印西市」は、「東京」の「都心」から約40km、「県庁所在地」「千葉市」から約20km、「世界の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)から約15kmに位置し、三方を「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)、「印旛沼」(2011年2月23日のブログ参照)、「手賀沼」に囲まれた「水」と「緑」豊かな「市」です。
 「印西市」は、「周辺」の「佐倉市」、「四街道市」、「白井市」、「八街市」、「成田市」、「富里市」、「印旛郡」「酒々井町」、「印旛郡」「栄町」と合わせて「印旛地域」と称されており、「印西市」に隣接する「自治体」ですが、「柏市」、「我孫子市」、「白井市」、「八千代市」、「佐倉市」、「成田市」、「印旛郡」「酒々井町」、「印旛郡」「栄町」、「茨城県」「北相馬郡」「利根町」となっています。
 ちなみに、隣接する「茨城県」「北相馬郡」「利根町」とは、「印西市」からは直接的な「往来」は出来なくなっており、「我孫子市」または、「印旛郡」「栄町」を経由する必要があるそうです。
 「千葉県」では、「他県」と接していながら、直接的な「往来」ができない「自治体」は、「印西市」のみとなっています。

 「印西市」ですが、「千葉ニュータウン中央・印西牧の原地区」、「木下地区」、「印旛地区」、「本埜地区」から構成されています。

 「千葉ニュータウン中央・印西牧の原地区」ですが、「印西市」「西部」の「下総台地」(北総台地)(2012年7月10日のブログ参照)上、「千葉ニュータウン」が広がり、「千葉ニュータウン中央駅」・「印西牧の原駅」「周辺」および「国道464号線」沿線は、「印西市」における「経済」・「商業」の「中心地」(新「市街地」)となっています。
 「千葉ニュータウン中央・印西牧の原地区」ですが、最も「印西市」で「人口」が多く、「北総線」および「国道464号線」に沿って発展しており、「北総エリア」における「一大ショッピングゾーン」を形成しています。

 「印西市」「北西部」の「利根川」沿いの「低地」に所在する「木下(キオロシ)地区」(旧・木下町)ですが、、「利根川水運」の「宿場町」であった「旧・市街地」があり、「印西市」の「市役所」や「警察署」などの「行政機関」が位置し、「印西市」「行政」の「中心地」となっています。
 「木下(キオロシ)地区」ですが、古くからの「町並み」が残る「旧・市街地」であり、「利根川」および「木下(キオロシ)街道」に沿って発展しています。

 「印旛地区」(旧・印旛村)は、「印西市」の「東南部」に位置し、「北総エリア」の「基幹病院」である「日本医科大学千葉北総病院」があり、「印旛日本医大駅」を「中心」として「宅地化」が進行している「エリア」です。
 一方「印旛地区」は、「谷津田」をはじめ、「自然」も多く残されており、「樹齢」300年を越える「吉高の大桜」(2011年4月5日のブログ参照)や、「ナウマン象発掘の地」などの「観光名所」もあります。

 「本埜地区」(旧・本埜村)ですが、「印西市」の「北東部」に位置し、「北印旛沼」に面し「水田」が広がり、「冬」には「越冬」のために、800匹を越す「白鳥」が、飛来することで知られています。
 一方「本埜地区」は、「印西牧の原駅」「北側」に位置する「千葉ニュータウン」「滝野地区」で「宅地化」が進行、また「成田国際空港」に近いこともあって、近年「国道464号線」の「沿道」「みどり台」などに、「研究所」や「物流センター」などの「進出」が目立っているそうです。

 「印西市」は、江戸時代より「利根川」の「水運」が盛んで、「物資輸送」の「拠点」のひとつであった「木下(キオロシ)河岸」や、「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「息栖神社」(2010年11月7日のブログ参照)の「東国三社詣」(2010年10月23日のブログ参照)などに向かう「道中」の「宿場町」として栄えた「木下(キオロシ)街道」付近を、「中心」に栄えてきました。
 上記のように、「印西市」は江戸時代から「商業のまち」として栄え、「江戸」と「佐倉」・「銚子」を結ぶ上で「重要なまち」として、また「香取神宮」、「鹿島神宮」、「息栖神社」を詣でる「旅人」の「宿場町」として繁栄し、そのため、「印西市」には「歴史的建造物」、「遺跡」も数多く残り、当時の「面影(オモカゲ)」を偲(シノ)ばせている「まち」です。
 現在も「印西市」は「地理的条件」にも恵まれ、上記のように「東京都心」、「千葉市」、「成田国際空港」という「日本」を代表する「高機能拠点」の「中心」に近く位置している「まち」として「利点」を活かし「発展」を続けています。

 発展を続ける「印西市」には、「吉高の大桜」(2011年4月5日のブログ参照)という「有名」な「桜」と、「小林牧場」の「桜並木」と2つの「桜の名所」があります。
 「吉高の大桜」は、「印西市」「吉高地区」にある「桜」で、「樹齢」300年を超える「孤高」の「一本桜」です。
 「吉高の大桜」は、昔から「吉高の大桜」と呼ばれ「地域」で親しまれており、「印西市」の「市指定天然記念物」に指定されている「桜」で、上述の「小林牧場の桜(並木)」と併せて、「印西市」の「2大花見スポット」と称されています。
 ちなみに「吉高の大桜」、「小林牧場の桜」の「過去」5年の「満開日」は、下記の通りです。

 吉高の大桜(ヤマザクラ)

 平成27年 4月7日〜4月10日
 平成26年 4月8日〜4月11日
 平成25年 4月3日〜4月4日
 平成24年 4月14日〜4月17日
 平成23年 4月14日〜4月16日

 小林牧場の桜(ソメイヨシノ)

 平成27年 3月31日〜4月6日
 平成26年 4月1日〜4月8日
 平成25年 3月25日〜4月3日
 平成24年 4月9日〜4月13日
 平成23年 4月8日〜4月14日

 「小林牧場」とは、「印西市」「小林」にある「地方競馬」(大井競馬)の「施設」(牧場・トレーニングセンター)で、「正式名称」は、「大井競馬小林牧場」、「施設管理者」は「東京都競馬」です。
 「小林牧場」ですが、1965年(昭和40年)に設けられた「競争馬」の「保養育成」(養成やトレーニング)のための「牧場」で、「東京」の「大井競馬場」などに出場する「馬」が「ここ」で調教されています。
 「小林牧場」には、2010年(平成22年)に、「地方競馬界」「初」の「調教用坂路コース」が設けられており、「小林牧場」周辺には、「キャンプ場」や、「芝生広場」、「放牧場」が整備されていおり、「ピクニック」や、「アウトドア」には「最適」な「スポット」として知られています。
 「小林牧場」の「施設概要」は、下記の通りです。

 パークガイド

 桜並木 約350本 (700m)
 キャンプ場
 芝生広場
 放牧場
 練習馬場
 追馬場
 公衆トイレ

 施設

 厩舎 11棟(268棟)
 厩務員住宅 2棟
 管理事務所及び関係者宿舎 18棟
 練習馬場一周 1100m

 お花見

 レジャーシートを敷いてお花見ができる場所は、公園内の大通り横奥のスペースと奥のロータリー脇を奥に入った所が広くてお勧め。

 敷地面積

 約460801平方m

 駐車場

 臨時または公園内

 近隣施設

 コンビニ 牧場から徒歩約10分

 「小林牧場」ですが、「八王子牧場」の「廃止」に伴い、1965年(昭和40年)に「大井競馬」に所属する「競争馬」の「育成」・「調教」、「休養」を「目的」として「中央競馬」に先駆けて開場された「トレーニングセンター」(中央競馬最初のトレセンである「栗東トレセン」は1969年開場)です。
 最初は「厩舎」は設置されませんでしたが、「大井競馬場」「厩舎区域」が手狭になり1975年(昭和50年)に「小林分厩舎」が設置されたそうです。

 2008年(平成20年)2月には「地方競馬界」「初」の「調教用坂路コース」(全長1050m、坂路部分400m、勾配3%、全天候型馬場(ニューポリトラック))の「導入」が決定され、2009年(平成21年)2月23日着工、2010年(平成22年)1月に完成、同年6月から「運用」が開始されました。
 「新コース」は「大井・小林所属馬」だけではなく、「浦和」、「船橋」、「川崎」「所属馬」、さらには条件付きではありますが「他」の「地方競馬」「所属馬」にも解放されていることから、「南関東所属馬」はもとより「地方競馬全体」の「レベルアップ」を図る「拠点」として「重要性」が増すことが期待されています。
 「小林分厩舎」ですが、上記のように1975年(昭和50年)に設置され、2007年(平成19年)現在では15名の「調教師」が「厩舎」を構えており、「競馬」「開催時」には「馬運車」で「大井競馬場」で輸送しているそうです。

 「小林牧場」には、「入口」から「ロータリー」まで続く約700mにおよぶ「桜並木」があり、見頃を迎えると見事な「桜の回廊」、「桜の風景」が広がります。
 「小林牧場」の「桜」の「種類」ですが、「シダレザクラ」、「ソメイヨシノ」、「八重桜」、「山桜」となっており、「桜」の「本数」ですが、約350本となっています。
 「小林牧場の桜」ですが、「桜の季節」になりますと、多くの「人」や「出店」で賑わい、「印西市観光協会」が選定した「いんざい八景」(2012年2月12日のブログ参照)のひとつとして指定されているほか、「千葉県」「選定」の「房総の魅力500選」にも選ばれています。
 「小林牧場」の「アクセス」ですが、「小林駅」または、「印西牧の原駅」から「徒歩」30分、または「両駅」から「バス」に乗車し、「バス停」「小林牧場」で下車となっています。

 「小林牧場桜まつり」ですが、上記のように「印西市」の「桜の名所」「小林牧場」で開催される「印西市観光協会」「主催」による「イベント」です。
 「小林牧場桜まつり」ですが、4月2日(土)・3日(日)10時00分から15時00分まで行われ、「イベント内容」ですが、「もちつき大会」、「お雑煮」、「きなこ餅」、「焼コロ」、「印西産」の「漬物」「おでん」「唐揚げ」「ジュース」の「販売」、「ヨーグルト」の「試飲」、「ヨーヨーすくい」その他となっています。

 「印西」の「桜の名所」で、「いんざい八景」のひとつに数えられる「小林牧場」で開催される「恒例」の「桜イベント」「小林牧場桜まつり」。
 この機会に「印西市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「小林牧場桜まつり」詳細

 開催期間 4月2日(土)・3日(日) 10時〜15時

 開催会場 小林牧場 印西市小林2886-1

 問合わせ 印西市観光情報館 0478-45-5300

 備考
 「小林牧場桜まつり」ですが、「雨天中止」の「イベント」で、「イベント内容」も「天候」等により、「変更」になる場合もあるそうですので、ご注意下さい。
 上記2つの「桜の名所」のほかにも、「印西市」には、「県立印旛沼公園」や、「牧の原公園」、「県立北総花の丘公園」等、「桜観賞スポット」があります。
 中でも「県立印旛沼公園」は、間近で楽しむ「桜」の「枝張り」が「特徴」の「桜観賞スポット」で、中世にあった「師戸城」の「城跡」に整備された「公園」で、「園内」のあちこちに「桜」が植樹されており、「園内」の「展望台」からは「桜」とともに「印旛沼」も一望できるそうです。

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| 地域情報::成田 | 09:50 AM |
「舟戸の神楽」(東庄町)
 本日ご案内するのは、となりまち「東庄町」「左右大神」で4月2日(土)に開催されます「舟戸の神楽」です。

 「左右大神」ですが、白鳳年間に創建されたとされる「香取郡」「東庄町」に鎮座する「古社」(神社)です。
 「左右大神」ですが、「急坂」と「石段」を登った、小高い「山頂」に鎮座している「神社」で、「左右大神」の「御祭神」ですが、「伊邪那岐大神(イザナギノオオカミ)」と「伊邪那美大神(イザナミノオオカミ)」の「男女」「二柱」を祀っています。
 「左右大神」は、「男女」「二柱」を祀っていることが、「左右大神」の「社名」の「由来」となっているそうです。
 「左右大神」では、毎年「4月第1土曜日」の「例祭」で、旧「神代」・「万才」「地区」の「新入学児童」を祝う「入学祭」が行われており、「神楽」が奉納されています。
 「左右大神」「例祭」で、奉納される「神楽」ですが、「舟戸の神楽」と呼ばれています。

 「舟戸の神楽」ですが、上記のように「左右大神」の「神楽殿」で奉納されている「神楽」で、「天下泰平」・「五穀豊穣」を祈願し、「東庄町」「舟戸区」の「若者」により行われています。
 「舟戸の神楽」の「演目」ですが、「猿田彦命」、「三宝荒神」、「天児屋根命」、「天太玉命」、「乙女命」、「手力雄命」、「宇受女命」、「蛭子・ひょっとこ」、「稲荷」、「狐」、「受持命」、「素盞鳴尊」の「十二座」が伝わり、「笹川の神楽」(2012年4月5日のブログ参照)の「演目」との「共通点」が多く見られて、興味深い「神楽」となっているそうです。
 「舟戸の神楽」「当日」15時過ぎからは、55軒の「氏子」や「近隣」から奉納された、たくさんの「餅」や「お菓子」が投げられ、振る舞われるそうです。
 ちなみに「舟戸の神楽」ですが、「舟戸神楽保存会」の「皆さん」が、「伝統」を守っているそうです。

 「山の奥」の「木々」の中に鎮座する「神社」「左右大神」で開催される「天下泰平」・「五穀豊穣」を祈願し奉納される「十二座神楽」「舟戸の神楽」。
 この機会に「東庄町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「舟戸の神楽」詳細

 開催日時 4月2日(土) 13時〜17時

 開催会場 左右大神 香取郡東庄町舟戸区

 問合わせ 東庄町観光協会 0478-86-6075

 備考
 「舟戸の神楽」ですが、1980年(昭和56年)4月23日に、「香取郡」「東庄町」の「町指定無形民俗文化財」に指定されています。

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| 地域情報::香取 | 06:26 PM |
「成田山花まつり」「祝賀パレード」「祝賀大会」(成田市)
 本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「成田山表参道」および「その周辺地域」で4月1日(金)〜4月8日(金)の期間開催されます「成田山花まつり」「祝賀パレード」・「祝賀大会」です。

 「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)は、「成田市」にある「真言宗智山派」の「寺」であり、「真言宗智山派」の「大本山」のひとつです。
 「成田山新勝寺」は、1000年以上の「歴史」をもつ「全国有数」の「霊場」で、「成田」を「代表」する「観光地」でもあり、「正月3が日」には約300万人、「年間」約1000万人以上の「参拝客」が訪れています。
 「成田山新勝寺」の「御本尊」は「不動明王」で、「成田山新勝寺」は上記のように「関東地方」「有数」の「参詣人」を集める「著名寺院」で、「家内安全」、「交通安全」などを祈る「護摩祈祷」のために訪れる方が多い「不動明王信仰」の「寺院」のひとつであり、「成田のお不動さま」の「愛称」で親しまれています。

 「成田山新勝寺」の「御本尊」である「不動明王」ですが、「真言宗」の「開祖」「弘法大師」「空海」が自ら「一刀三礼」(ひと彫りごとに三度礼拝する)の「祈り」をこめて「敬刻開眼」された「御尊像」なのだそうです。
 「成田山新勝寺」では、この「霊験」あらたかな「御本尊」「不動明王」の「御加護」で、千年以上もの間、「御護摩」の「火」を絶やすことなく、「皆様」の「祈り」が「一体」となり「清浄」な「願い」となって現れるそうです。
 「成田山新勝寺」は、「開山1080年」を間近に控えた現在も「成田山のお不動さま」として数多くの「人びと」の「信仰」を集めています。

 「成田山」の「開山の祖」「寛朝大僧正(カンチョウダイソウジョウ)」は、延喜16年(918年)に生まれ、天慶3年(940年)「平将門の乱」を鎮めるため「朱雀天皇」の「勅命」により「関東」に下り、「この地」に「成田山新勝寺」が開山されました。
 「寛朝大僧正」は、「皇室」との「血縁」もある大変に「格」の高い「僧侶」で、後に「真言宗」初めての「大僧正」に任じられ、「成田山」の他にも「京都」に「遍照寺」を開山しているそうです。

 「成田山新勝寺」は、上記のように平安時代中期に起きた「平将門の乱」の際、939年(天慶2年)「朱雀天皇」の「密勅」により「寛朝大僧正」を「東国」に遣わしたことに「起源」を持ちます。
 「寛朝大僧正」は、「京」の「高雄山」(神護寺)「護摩堂」の「空海」作の「不動明王像」を奉じて「東国」へ下り、翌940年(天慶3年)、「海路」にて「上総国」「尾垂浜」に上陸、「平将門」を調伏するため、「下総国」「公津ヶ原」で「不動護摩」の「儀式」を行ったそうです。
 「成田山新勝寺」では、この天慶3年を「開山の年」としています。
 「平将門の乱」平定後の永禄年間(1566年)(永禄9年)に「成田村一七軒党代表」の「名主」が「不動明王像」を背負って遷座され「伽藍」を建立された「場所」が、現在の「成田市」「並木町」にある「不動塚」周辺と伝えられており、「成田山発祥の地」といわれています。
 「成田山新勝寺」の「寺名」ですが、「また新たに勝つ」という「語句」に因み「新勝寺」と名づけられ、「東国鎮護」の「寺院」となったそうです。

 「成田山新勝寺」では、平成20年(2008年)に「開基1070年祭記念大開帳」が行われ、これにあわせて、平成19年(2007年)には「総欅造り」の「総門」が落慶され、「新勝寺」の「表玄関」として荘厳な「たたずまい」を見せています。
 この「総門」は、開かれた「庶民のお寺」「成田山」と「門前町」とをつなぐ「担い手」として、「大開帳」を記念し創建されたもので、「総門」前にある「門前広場」は「参拝客」の「憩いの場」となっています。

 「成田山新勝寺」ですが、「総門」をくぐって、「境内」に入ると大きな赤い「提灯」のある「仁王門」があり、「境内」には、数多くの「建造物」が立ち並んでいます。
 「仁王門」から「東海道五十三次」にならった53段の「石段」を上がると、「成田山」の「シンボル」である「大本堂」が現れ、「成田山新勝寺」「大本堂」では、「世界平和」と「人々の幸せ」を願って「開山」以来「毎日」欠かさずに「御護摩祈祷」が厳修されています。

 「成田山新勝寺」の「伽藍」ですが、「JR」および「京成電鉄」の「成田駅」から「成田山新勝寺」への「参道」が伸び、「参道」を10分ほど歩き、急な「石段」を上った先の「台地上」に「境内」が広がっています。
 「石段」の途中に「仁王門」、「石段」を上った先に「正面」に「大本堂」、その手前「右手」に「三重塔」、「鐘楼」、「一切経堂」などが建っています。
 この他、「大本堂」の「左手」に「釈迦堂」、「大本堂」の「背後」の「一段」高くなった「地」には「額堂」、「光明堂」、「開山堂」、「平和の大塔」(2012年5月7日のブログ参照)などが建っており、「成田山新勝寺」「境内」の「東側」は広大な「成田山公園」(2011年11月8日・2010年11月12日のブログ参照)があります。
 「成田山新勝寺」にある「釈迦堂」、「光明堂」、「表参道」にある「薬師堂」(2013年5月22日のブログ参照)ですが、歴代の「成田山」の「大本堂」です。
 これほどの数の「御堂」が現存している「寺院」は大変珍しく、それぞれの「建物」には建立時の「建築様式」を今に伝えており、江戸中期から末期の「建物」である「仁王門」、「三重塔」、「釈迦堂」、「額堂」、「光明堂」の5棟が「国」の「重要文化財」に指定されています。

 「成田山表参道」ですが、「成田市」にある「参道」で、「JR成田駅」前から始まり、「終点」「成田山新勝寺」「総門」と「総門広場」までつなぐ「成田山新勝寺」に参拝する際に通る「全長」約800mの「通り」で、「風情」のある「門前町」が形成されています。
 「成田山表参道」には、江戸時代の「成田詣」で、当時使われていた「3階建て旅館」の名残を残す「料理屋」や、「土産物店」が、軒を並べ、「門前町の歴史」と共に様々な「情景」を刻んでおり、「成田山表参道」は、「成田山新勝寺」と共に、「成田の歴史」を感じることができる「町並み」となっています。
 「成田山表参道」ですが、大きく分けて、「JR成田駅前」、「花崎町界隈」、「上町界隈」、「仲町(ナカノチョウ)界隈」、「本町・田町界隈」、「門前広場」となっています。
 「成田山表参道」は、「各界隈」ごとに趣が異なり、「界隈」ごとに特色ある「門前町」を形成しており、「成田詣」に「いろ」をそえています。

 「花まつり」ですが、「お釈迦さま」の「御誕生」を、お祝いする「行事」です。
 「お釈迦さま」は、約2500年前の4月8日、「ヒマラヤ」の「ふもと」「ルンビニー」の「花園」でお生まれになったそうです。
 その時、「お釈迦さま」は、「天」と「地」を指さし、

 「天にも地にもわれひとり」

 とおっしゃいました。
 この「言葉」ですが、「自分」が一番偉いということではなく、ひとりひとりの「生命の大切さ」を教えたものなのだそうです。
 その後、「一生」をかけて、多くの「人たち」に

 「この世の中の人間や動物、草や木に至るまで、すべての生き物の生命はお互いに生かし合い尊びあうことによって救われていく」

 と教えられたそうです。
 毎年「成田山新勝寺」では、「お釈迦さま」の「お誕生」をお祝いして

 「おしゃかさま おたんじょう おめでとう」
 「笑顔で明るくあいさつ」
 「共生きの心で平和な世界を」

 を「スローガン」に、すべての「人々の幸せ」を願い、「花まつり行事」が開催されます。

 この度(タビ)「成田山新勝寺」では、「仏教」を開いた「お釈迦さま」の「御降誕」を祝い、すべての「人々」の「幸せ」を願う「記念行事」「成田山花まつり」が開催されます。
 「成田山花まつり」「期間中」、「成田山新勝寺」「花御堂」にて「誕生仏」に「甘茶」を注ぎ祝い、また「お釈迦さま」が生まれた「日」を祝い、4月3日には、「花まつり祝賀パレード」が「成田山表参道」を「会場」に行われ、「各種の催し」は、「参拝者」や、多くの「見物客」で賑わうそうです。
 「成田山花まつり」「祝賀パレード」・「祝賀大会」の「内容」ですが、「祝賀行事」として「花まつり祝賀パレード」、「祝賀大会」、「花御堂潅仏(ハナミドウカンブツ)」、「降誕会法要(ゴウタンエホウヨウ)」(釈尊降誕会(シャソンコウタンエ))となっています。

 「花まつり祝賀パレード」ですが、「お釈迦さま」の「御降誕」した「日」をお祝いする「パレード」(記念行事)で、4月3日(日)に行われ、「雨天」「中止」の「催し」となっています。
 「花まつり祝賀パレード」では、「花車」を先頭に「成田高校」の「音楽部」、「ダンスドリル部」、「成田山新勝寺」の「僧侶」、「雅楽部」、「白象」に乗った「お釈迦さま」の「誕生仏」や、「ボーイスカウト」など、約300人が行進するそうです。
 「花まつり祝賀パレード」の「日時」、「コース」は、下記の通りです。

 開催日時 4月3日(日) 10時40分〜11時25分

 コース    JR成田駅前(表参道入口)〜成田山大本堂

 「祝賀大会」ですが、4月3日(日)に行われる「記念行事」で、「成田山新勝寺」「大本堂」前「広場」を「会場」にして、開催される「催し」です。
 「祝賀大会」では、「誕生仏」に「甘茶」をかける「潅仏会」と「パレード」に参加した「音楽部」、「ダンスドリル部」、「付属中学校」「バトン部」の「アトラクション」が行われ、華麗な「演技」が披露されます。
 「祝賀大会」の「日時」、「会場」は、下記の通りです。

 開催日時 4月3日(日) 11時30分〜12時00分

 開催会場 成田山新勝寺大本堂前広場

 「花御堂潅仏」は、4月1日(金)から4月8日(金)までの「期間」開催される「祝賀行事」で、「成田山新勝寺」「釈迦堂」前で開催される「催し」です。
 「花御堂潅仏」ですが、参詣された「方」は、自由に「花御堂」の「誕生仏」に、「甘茶」をそそぎ、お祝いすることができます。
 「甘茶」とは、「ガクアジサイ」の「変種」である「アマチャ」という「植物」の若い「葉」を、煎じて作った「黄褐色」で、「甘み」のある「飲み物」です。
 なお「甘茶」ですが、「お釈迦さま」「御誕生」の際、「甘露」の「雨」が降ったことに由来しているそうです。
 「花御堂潅仏」の「開催期間」、「開催時間」、「会場」は、下記の通りです。

 開催期間 4月1日(金)〜4月8日(金)

 開催時間 6時00分〜16時00分

 開催会場 成田山釈迦堂前

 「降誕会法要」(釈尊降誕会)は、4月8日(金)に行われる「法要」で、「成田山新勝寺」「釈迦堂」で開催される「催し」です。
 「降誕会法要」(釈尊降誕会)ですが、「お釈迦さま」の「お誕生」をお祝いして「お釈迦さま」が、奉安されている「釈迦堂」で、「法要」で「法要」が行われます。
 「降誕会法要」(釈尊降誕会)では、どちらでも「自由」に参詣していただけるそうです。
 「降誕会法要」(釈尊降誕会)の「日時」、「会場」ですが、下記の通りとなっています。

 「降誕会法要」(釈尊降誕会)

 開催日時 4月8日(金) 10時00分〜10時30分

 開催会場 成田山釈迦堂

 「成田山花まつり」「祝賀パレード」・「祝賀大会」の「花まつり祝賀パレード」の「コース」(会場)「JR成田駅前」〜「薬師堂」〜「成田山門前」では、4月3日(日)10時30分から11時30分まで「交通規制」が行われますので、ご注意下さい。

 「成田」の「名刹」「成田山新勝寺」とともに「成田」の「歴史」が息づいている「参道」「成田山表参道」「その周辺地域」ど開催される「お釈迦さま」の「御生誕」をお祝いする「記念行事」「成田山花まつり」「祝賀パレード」・「祝賀大会」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「成田山花まつり」「祝賀パレード」・「祝賀大会」詳細

 開催期間 4月1日(金)〜4月8日(金)

 開催会場 成田山表参道およびその周辺地域 成田市成田

 問合わせ 成田山新勝寺 教宣課 0476-22-2111

 備考
 「成田山花まつり」「花まつり祝賀パレード」ですが、「雨天」の場合は、「中止」となりますので、ご注意下さい。
 「降誕会法要」(釈尊降誕会)は、2月の「涅槃会(ネハンエ)」と、12月の「成道会」とともに「仏教徒」の「聖日」として知られています。

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| 地域情報::成田 | 10:25 AM |
「山倉の白川流十二座神楽(ヤマクラノシラカワリュウジュウニザガクラ)」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「山倉大神」で4月2日(日)に開催されます「山倉の白川流十二座神楽(ヤマクラノシラカワリュウジュウニザガクラ)」です。

 「山倉大神(ヤマクラタイジン)」(2010年12月3日のブログ参照)は、「香取市」「山倉」(「下総国」「香取郡」)で、「社格」は「村社」です。
 「山倉大神」の「御祭神」ですが、「高皇産霊大神(タカミムスビノオオカミ)」、「建速須佐男大神(タテハヤスサノオオオカミ)」、「大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)」を祀っています。

 「山倉大神」の「由緒」ですが、弘仁2年(811年)の「創建」で、「大六天王社」の「総社」として、古くから、「人々」の「信仰」を集めており、「山倉大神」の「現」「本殿」は、安永7年(1778年)に建立されたものだそうです。
 「山倉大神」は、江戸期までは「真言宗」「山倉山観福寺」「別当」でありましたが、明治の「神仏分離令」により、「大六天王」を「観福寺」に遷座、明治3年(1871年)「山倉大神」と改め、上記のように「高皇産霊大神」、「建速須佐男大神」、「大国主大神」を「御祭神」としたそうです。
 「山倉大神」の「本殿」ですが、「間口」、「奥行き」共に、4.5mの「木造」・「銅板葺き」・「権現造り」で、「山倉大神」「本殿」は、「香取市」の「市指定文化財」に指定されています。

 「山倉の白川流十二座神楽(ヤマクラノシラカワリュウジュウニザガクラ)」ですが、「香取市」「山倉」の「山倉大神」に伝わる「神楽」で、「山倉大神」で奉納される「伝統芸能」・「奉納神楽」です。
 「山倉大神」の「神楽」の「はじまり」は、定かではありませんが、明治の中期から「村」をあげて、「天下泰平」、「万民法楽」、「五穀豊穣」を願って、「白川流十二座神楽(シラカワリュウジュウニザガクラ)」を奉納し、現在に至っています。

 「山倉の白川流十二座神楽(ヤマクラノシラカワリュウジュウニザガクラ)」ですが、現在、昭和42年(1967年)に結成されました「山倉芸能保存会」の「皆さん」により、受け継がれています。
 「山倉の白川流十二座神楽(ヤマクラノシラカワリュウジュウニザガクラ)」は、長い間、4月3日に奉納されていましたが、「今」は、「4月第1日曜日」に奉納されています。

 「山倉の白川流十二座神楽(ヤマクラノシラカワリュウジュウニザガクラ)」の「演目」ですが、下記の通りとなっています。

 1 猿田彦

 2 稚児(幣束)舞

 3 天鈿女之命

 4 手力男之命

 5 八幡

 6 三宝荒神

 7 稚児(扇)舞

 8 恵比寿・火男

 9 田神(稲荷)

10 保食之命

11 種播

12 〆切(須佐男之尊)

 (もとは「乙女」と「榊葉」の「演目」を加えた「十二座」で構成)

 「神楽」「白川流」については、「第65代花山天皇」の「王子」・「清仁親王」の「王子」「延信王」が、「神祇伯」(「大宝令」に制定された「神祇」の「祭祀」を司り、「諸国」の「官社」を総管した「神祇官」の「長官」)に任じられ、「明治維新」まで、その「後胤」が、世襲してきた「白川家」に伝わる「神道」の「流れ」と考えられています。
 大正10年(1921年)3月30日発行の「香取郡誌」によりますと、大正2年(1913年)に「白川家」の「末裔」「白川子爵」が「参詣」し、枯れた「龍燈松」の「側」に「小株」を「手植え」したと書かれています。

 「由緒」ある「山倉」の「古社」「山倉大神(ヤマクラタイジン)」に伝わる「奉納神楽」「山倉の白川流十二座神楽(ヤマクラノシラカワリュウジュウニザガクラ)」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「山倉の白川流十二座神楽(ヤマクラノシラカワリュウジュウニザガクラ)」詳細

 開催日時 4月2日(日) 13時〜17時頃

 開催会場 山倉大神 香取市山倉2347-1

 問合わせ 香取市生涯学習課 0478-50-1224

 備考
 「山倉の白川流十二座神楽(ヤマクラノシラカワリュウジュウニザガクラ)」の現在、演じられている「舞」の「原型」を確立され、「指導」されたのは、「菅谷新之助」氏なのだそうです。
 「山倉の白川流十二座神楽(ヤマクラノシラカワリュウジュウニザガクラ)」ですが、「香取市」の「市指定無形民俗文化財」にも指定されています。

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| 地域情報::香取 | 05:25 PM |

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