本日ご案内するのは、となりまち「旭市」「熊野神社」で明明後日(しあさって)の3月20日(祝・火)に開催されます「熊野神社の神楽」です。
「熊野神社」は、「旭市清和乙」(下総国香取郡)にある「神社」で、旧「社格」は「郷社」です。
「熊野神社」の「御祭神」は、「速玉之男命(はやたまのおのかみ)」・「伊邪那美命(いざなみのみこと)」・「事解之男命(ことさかのおのみこと)」で、3神を祀っています。
「熊野神社」の「歴史」ですが、「海上町」の「熊野大神三川浦御幸図」によれば、大同元年(806年)「紀州」によれば、坐す「熊野大神」の「御神託」により「海上郡三川浦」に「神霊」を勧請したのが「熊野神社」の創祀とされ、天暦9年(955年)にも「御神託」があり「松沢荘」に遷座したといわれています。
古来より「松沢荘」の「総鎮守」として「万年大漁開運安産」の「大神」として「霊験」著しく氏子はもとより、「朝廷」、「武門」の「崇敬」篤く、「千葉常胤」は「神殿の造営」を「源頼朝」に請い、「源頼朝」は建久元年(1190年)「松沢荘」内の6ヶ村の地を寄進して「神領」とし、「正一位熊野大権現」の「神階」を授けられました。
なお「東京国立博物館」所蔵の福徳2年(1491年)の「鰐口銘」に「松沢大権現」とみえます。
その後、天正19年(1591年)には「徳川家康」より「朱印地」5石を寄進され、「東総屈指」の「社」であったそうです。
「熊野神社」は、明治6年(1873年)「郷社」に列し、昭和53年(1978年)「千葉県神社庁」より「規範神社」に指定されました。
「熊野神社」は、「国道126号線」「旭市」「袋西交差点」「香取市小見川」に向かう「県道28号線」沿いの入ったところにあります。
「熊野神社」境内はとても広く大きく、「社殿」は大きく堂々としています。
「熊野神社」境内入口には、「幹周り」3m、「樹高」30mの「旭市」の「指定天然記念物」になっている「大杉」があり、「神楽殿」があります。
また「熊野神社」境内の後ろには、「お酒」をかけてしみ込んだら「願い」(縁結び)が叶うという「女男石」があり、「旭市」の「市指定文化財」に指定されています。
「熊野神社の神楽」ですが、「岩戸神楽」、「太々神楽(太太神楽)」の「系統」の「神楽」で、「豊作」や「家内安全」を祈願する「伝統行事」です。
「熊野神社の神楽」の「起源」は定かではありませんが、「地域」では最も古い「歴史」があり、「熊野神社の神楽」は元禄年間に現在のようにまとめられたといわれています。
「熊野神社」「神楽殿」の前に「玉垣」で「斎場」が設けられ、正面に「大榊」、四方には「守神」(「玄武」・「青龍」・「朱雀」・「白虎」の「置物」)が配置されます。
「神楽」の「舞」は、「猿田彦」に始まり、「七五三切り」までの「十三座」(13演目)のほか、「稚児の舞」も加わり、最後に「拝殿」でひょうじょうがえし(素面)が行われます。
「恵比寿」や「稲荷の舞」では、「鯛」や「餅」などがたくさん投げられるそうです。
「熊野神社の神楽」はかつては「社家」によって演じられましたが、明治時代以降は氏子によって行われるようになりました。
現在は「保存会」を結成してその「伝承」につとめています。
「熊野神社の神楽」は従来、毎年3月21日・22日の2日間にわたり、「熊野神社の大御饌祭」、「太々講社祭」とともに行われていましたが、現在は「春分の日」(3月20日)に行われています。
また「仮面神」による「1人舞」を基本とし、「太々神楽(太太神楽)」の「古格」をよく保持するとともに独特の「郷土色」が加わったきわめて「地域な特色」をもつ「芸能」なのだそうです。
「熊野神社の神楽」は、昭和55年(1980年)に「千葉県」の「無形民俗文化財」に指定されています。
「東総屈指」の「古社」のひとつ「熊野神社」で行われる「熊野神社の神楽」を見に「旭市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「熊野神社の神楽」詳細
開催日時 3月20日(祝・火) 11時半頃〜17時半頃
開催会場 熊野神社 旭市清和乙715
問合わせ 旭市教育委員会生涯学習課 0479-55-5728
備考
「熊野神社」では、「正月」の「お目覚祭り」、「鎮火祭」、「神楽」を始め数ある「神事」の中、「熊野神社」がこの地に遷座した天暦9年が「卯年」であり「卯年」を記念して斉行される12年目毎の「三川浦」への「大神幸」は有名です。
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