本日二つ目にご案内するのは、地元「銚子市」の「銚子市観光協会」認定「銚子百選」の「庚申様(こうしんさま)」です。
「庚申信仰」は、江戸時代からの「民間信仰」で、「庚申塔」とは「庚申塚」ともいい、「中国」より伝来した「道教」に由来しているそうです。
「庚申塔」は「庚申信仰」に基づいて「庚申様」を信仰する人々が供養のために建てた「石塔」のことで、「庚申講」を3年18回続けた記念に建立されることが多いそうです。
「塚」の上に「石塔」を建てることから「庚申塚」、「塔」の建立に際して「供養」を伴ったことから「庚申供養塔」とも呼ばれています。
ちなみに「庚申講」(庚申待ち)とは、人間の体内にいるという「三尸虫(さんしちゅう)」という「虫」が、寝ている間に「天帝」にその人間の悪事を報告しに行くのを防ぐため、「庚申の日」に夜通し眠らないで「天帝」や「猿田彦」や「青面金剛」を祀って「宴会」などをする風習であるそうです。
「庚申の日」に「仏家」では「帝釈天(たいしゃくてん)」、「青面金剛(しょうめんこんごう)」を、「神道」では「猿田彦」を祀って徹夜で談笑しながら「夜」を過ごす行事を「庚申待ち」といい、「銚子市内」各所にその風習は残っているそうです。
「銚子市内」最古の「庚申塔」は、「白幡神社(しらはたじんじゃ)」(中央町)にあるようです。
「高神原町(たかがみはらまち)」の「都波岐神社(つばきじんじゃ)」前の「原の庚申様」には200基以上の「庚申塔」群があり、「銚子市内」では最多だそうです。
また「海上八幡宮」の「百庚申」や「清水町坂上」の「庚申様」もよく知られています。
「銚子市中央町」にある「庚申神社」(「白幡神社」内)の「庚申搭」には、「明和三年丙三月吉日」「奥州仙台石之巻船頭伝七 春日新艘十五人乗船中」との「銘文」が刻まれており、「仙台米」を「銚子」まで運んだ「船乗り達」が「航海安全」の「お礼」と「祈願」を込めて建立したことが伺えます。
「銚子市」各所で見られる「庚申様」また「庚申搭」。
今も残る「庚申搭群」や「庚申塚」は、昔から伝わる「庚申信仰」を今に伝えています。
備考
「銚子市」で一番古いといわれる「庚申搭」の裏側には、「荒野村(こうやむら)」(現在の「銚子市」中心部の一角)の「町割り」が1674年(延宝2年)に始まり、翌年の1675年(延宝3年)に決まった(終了した) と彫られていて、「銚子の歴史」を知る上での貴重な「金石文(きんせきぶん)」となっているそうです。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=886 |
|
地域情報::銚子 | 10:43 AM |