本日ご紹介するのは、近隣市「芝山町」「芝山町立芝山古墳・はにわ博物館」で開催中(2011年11月12日(土)〜2012年2月5日)の企画展「芝山の人物展 桜井静と木内重四郎」です。
「千葉県」は「古墳」がとても多く、その数は12000基以上も存在するそうです。
その中でも「芝山町立芝山古墳・はにわ博物館」のある「芝山町」一帯は「遺跡の宝庫」であり、かつて「武射(むさ)の国」の中心地のひとつとして、500基を越す「古墳」がつくられていました。
「芝山町立芝山古墳・はにわ博物館」は、「芝山公園」の一角にある「博物館」で、「古墳時代」というひとつの時代にだけしぼった展示をしており、「房総の古墳と埴輪」について研究し、展示する「専門館・地域博物館」を目指しているそうです。
「芝山町立芝山古墳・はにわ博物館」の「展示コンセプト」は「わかりやすく、かつ楽しく、現代からみた古墳時代を」なのだそうです。
また「キャッチコピー」は、「つなぐ〜命の連鎖〜」です。
「展示手法」の売りは、「展示品」の説明を小学校3〜4年生くらいを対象とした、「マンガ」による解説でわかりやすくしたそうです。
(ただし、解説原稿は今までの「博物館学」どおり、5〜6年生くらいを念頭にかかれています)
「芝山町立芝山古墳・はにわ博物館」の「展示内容」は、「千葉県内」から出土した「埴輪」や「土器」などの「考古遺物」のほか、復元された「住居」などが展示されており、「古墳時代」の文化や人々の生活の様子をうかがい知ることが出来ます。
また予約すれば、「埴輪づくり」や「縄文式土器づくり」、「木のネンド細工」などが出来るそうです。
今回の企画展は、「芝山町史企画展」として11月12日(土)〜来年の2月5日(日)の期間に「芝山の人物展」「桜井静と木内重四郎」を取り上げています。
「芝山町立芝山古墳・はにわ博物館」では、今回の開催の趣旨として以下の内容をあげています。
「芝山町」では、「町史編さん事業」をとおして、多くの資料を収集・調査し「博物館」ではその業務を担ってきました。
本企画では、その成果を紹介するものとして、「自由民権家」としていち早く「国会」開設を訴え「衆議院議員」を務めた「桜井静」、「官僚」として「要職」を歴任し「京都府知事」や「貴族院議員」を務めた「木内重四郎」の関係資料を紹介し、その足跡をたどります。
2人とも「芝山」出身で、「民」と「官」という対照的な立場から、近代の「国づくり」に関わりました。
ふるさとの人物を通して、「明治・大正時代」の政治や社会について考える機会となれば幸いです。
「桜井静」氏は、明治時代の「政治家」(1857年〜1905年)です。
安政7年10月生まれ、旧「下総(しもうさ)香取郡東条村」(現「多古町」)出身、「旧姓」は「吉川」で、「武射郡小池村」(現「芝山町」)の「桜井吉造」の「婿養子」となります。
明治12年、「国会」開設を求める「国会開設懇請協議案」を発表し「各府県会」に送付、「自由民権家」として活躍しました。
明治14年「総房共立新聞」を創刊。
明治23年の「第1回衆議院議員選挙」で落選。
「北海道」へ渡り「造林・開墾事業」に従事し、「桜井農場」を経営。
ついで「大連」で「桜井組」を経営。
その後、「千葉県会議員」をへて、明治35年、46歳で「衆議院議員」に当選し、翌年(明治36年)の「総選挙」で再選。
(当選2回、憲政本党)
明治37年の「総選挙」では「落選」した後、「満州」で「開拓事業」を行うが、明治38年8月25日に「大連」にて49歳で死去しています。
「桜井静」氏は、「憤起慷概」の「民権派」として知られています。
「木内重四郎」は、慶応元年12月10日(1866年1月26日)生まれの「戦前日本」の「官僚・政治家」です。
「千葉県山武郡」出身で、「千葉中学」、「一高」を経て、1888年(明治21年)に「東京帝国大学(現「東京大学」)法科大学」「政治学科」を「首席」卒業後、「官界」に入ります。
「貴族院書記官」、「法制局参事官試補」、「農商務省商工局長」を歴任し、明治38年、「伊藤博文」とともに「韓国」に渡り、「統監府農商工部総長」、「朝鮮総督府農商工部長官」等を歴任した後、勅選の「貴族院議員」となり、1916年(大正5年)官選の「京都府知事」に就任しました。
「木内重四郎」の妻「磯路」夫人は、「岩崎弥太郎」「喜勢」夫妻の「次女」で、「義父・弥太郎」は「三菱財閥」の創始者です。
「重四郎・磯路」夫妻は三男次女をもうけた。
「長男・良胤」は「外交官」で、「次男・信胤」は「経済評論家」として知られています。
「長女・美艸子」は最後の「土佐藩主」「山内豊範」の四男で「海軍少将」を務めた「山内豊中」に嫁ぎました。
「次女・登喜子」は「渋沢栄一」の嫡孫で「日本銀行総裁」や「大蔵大臣」を務めた「渋沢敬三」と結婚しました。
「良胤」の「長男」(重四郎の孫)「昭胤」も「外交官」で、「民主党」所属の「衆議院議員」「木内孝胤」氏は「重四郎」の「曽孫(昭胤の次男)」にあたるそうです。
なお「良胤」の「妻・淑子」は「宮内官僚・関屋貞三郎」の「長女」で、「信胤」の「妻」「多代」は「福澤諭吉」の「孫娘」だそうです。
「木内重四郎」の義兄である「加藤高明」(「加藤」夫人・春路の「岩崎弥太郎」の長女)が、「憲政会」の「総裁」を務めたことから、「木内」氏も「憲政会」に所属していました。
晩年は「千葉県市川市真間(まま)」の別邸で過ごし大正14年に61歳の生涯を閉じました。
「芝山町立芝山古墳・はにわ博物館」の企画展「芝山の人物展 桜井静と木内重四郎」の「構成」と「展示作品」ですが、「桜井静」の「展示」として、1.出生と養父桜井吉造、2.桜井静と自由民権運動、3.衆議院議員への道のり、4.衆議院議員としての桜井静、5.満州での最後、「木内重四郎」の「展示」として、1.出生と学生時代、2.官僚から貴族院議員へ、3.京都府知事としての木内重四郎、4.晩年と家族、5.国府台の木内邸が展示されています。
「芝山」にゆかりのある二人の偉人の足跡に触れに「芝山町立芝山古墳・はにわ博物館」の企画展に訪れてみてはいかがでしょうか?
「芝山町立芝山古墳・はにわ博物館」詳細
所在地 山武郡芝山町芝山438-1
開館時間 9時〜16時
休館日 月曜(祝日の場合は翌日) 祝日の翌日 年末年始
料金 大人 200円 小中生 100円
問合わせ 0479-77-1828
「芝山の人物展 桜井静と木内重四郎」
開催期間 2011年11月12日(土)〜2012年2月5日(日)
備考
「芝山町立芝山古墳・はにわ博物館」の企画展に展示されています「木内重四郎」が晩年を過ごした「別邸」は、1890年代から1910年代の「近代建築様式」(和洋折衷様式)として価値が高く、1999年に取り壊されましたが、2004年に「洋館部分」が復元され、「木内ギャラリー」として公開されています。
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地域情報::成田 | 08:16 AM |