本日二つ目にお知らせするのは、「匝瑳市」「駒まね」に纏(まつ)わる伝説についてです。
7月25日(月)に行われる「匝瑳市」の伝統行事「駒まね」。
「駒まね」に纏わる伝説(昔話)が2つあるので、お知らせします。
「駒まね」(駒まねき) (中央地区東本町)
ずうーと昔の神々の時代のことだがな、このあたりは、低い土地には葦(あし)、小高い大地には竹が、びっしりと生えておったそうだ。
ここをおとおりになったある「神」が、
「この土地は、なかなかよく肥えている。畑にすると作物が、たくさんとれる」
と、お考えになって、大ぜいの神々を呼び集めて知恵を出し合ったそうだ。
「石おので、なぎ倒してひらいたらどうかな」
「いや、みんなで踏みつぶしてはいかがか」
「それよりも、火を放って焼きはらったらどうかのう」
いろいろの考えが出されたが、四方から火を放って、焼き畑とすることに決まったそうだ。
神々は、たいまつをもって、野原の四方にちり、火をつけた。
バーン、バーン、ボーン、ボーン
ボー、ボー、ゴー、ゴー
とたちまち火の手は、燃え上がり、そのいきおいは、すさまじかった。
突然、その時、
「ヒ、ヒ、ヒーン、ヒ、ヒ、ヒーン」
「駒」のけわしい、嘶(いなな)きが聞こえてきた。
神々は、びっくりして、その声のする方に目をやると、白馬が、たて髪をふりみだし、前足を高くふり上げて、飛び上がった。
「あ、神馬だ」
「われわれの大親の神の使いの馬だ」
「何とか、助けねばなるまい」
だが、燃えさかる火のいきおいに、さすがの神々も、近寄ることができなかったそうだ。
一夜が過ぎて、燃え残りの草木がくすぶる野原に目をやった神々は、そこに、きのうの白馬の焼けただれた姿を見つけた。
神々は、そのちに神馬を埋めて塚をきずいたそうだ。
この地は、作物が良くできたので、人々が集まり、村が栄え、月の八日には、近くの村々から、米だの麦だの、野菜だの魚だの綿だのを持ちよってとりかえ合う「市(いち)」が開かれるようになったそうだ。
それで、「八日市場」という地名がつけられた。
ところがな、いつのことだか、この地に「はやり病(やまい)」やら、火事やら、害虫による不作やらの不幸が続いて、ずい分とにぎやかだった村もさびれる一方になってしまった。
そこで村人たちは寄り合って話し合った。
その時、村一番の年寄りじい様が、こんなことをいったそうだ。
「わしが、まだ子どもの頃に、八十ばあさんから聞いた話だがな、「この土地には、火で焼かれた「神」の使いの神馬のたたりが、しみついている」ってことだ。
だからな、神馬(じんば)のたたりをはらうことがいいっぺよ」
そこで、村人たちは、青竹を切ってきて、四隅(よすみ)に立て、注連縄(しめなわ)を張った。
火で焼かれた白馬のまねをみんなでして、神馬を招いて、お祭りをして、たたりを許してもらうとお祈りをしたそうだ。
するとな、ふしぎなことに、だんだんと村は栄えるようになった。
それで、毎年旧の六月十二日はよ、駒まねきのお祭りをすることにしたそうだ。
それが、「駒まねき」のおこりだそうだ。
(了)
もうひとつは下記の通りです。
「駒まね」(駒の真似)
戦国時代も、やっと終わりに近づいた天正十五年(1587年)紀伊の商人、岡田屋惣兵衛が、海を渡ってこの地にやって来た。
その頃、この地方は、紀州と非常に縁が深く、産業も、村々も、みんな紀州の人々によって拓かれた。
八日市場(福岡)は、南条の荘、福岡郷と言われて、今の福岡台に村を拓いていた。
横須賀のあたりには、大きな沼があり、まだまだ寂しい村であった。
それに比べて、海辺街道は、魚がたくさん取れるので、大そうな賑わいようであったそうだ。
毎年六月十二日に行われる野手の八坂神社のお祭りには、近くの村人たちも、おおぜい集まって来た。
商売上手な惣兵衛どんは、このお祭りに目をつけ、市(いち)を開くことを思い立ち、月岡玄蕃(つきおかげんば)という武士にお願いしたところ、
「六月十二日から八日間だけ。
但し、八坂神社の周囲をけがさぬこと」
という条件で、許しがでた。
そこで惣兵衛どんは、場所選びにずいぶん頭をひねったそうだ。
よくよく考えた末、海辺の人々も、集まりやすい大塚下(東本町八重垣神社の境内)に決めた。
そこいらは、荒れるにまかせた砂洲(さす)で、葦竹(あしだけ)のうっそうと茂るところであった。
惣兵衛どんは、葦竹を切り拓き、青屋の祠(ほこら)をつくった。
その前の広場に、四隅に生竹の柱を立て、注連縄(しめなわ)を張りめぐらして、商売の神様を祀(まつ)った。
「注連縄を張ったところで、若竹を燃やし、きよめをして、神様を迎える」
とは言っても、商売上手な惣兵衛どんのこと、めずらしい行事をやれば、人集めになるだろうと考えていた。
また、使いの者をまわりの村々に走らせて、神事や市のことをふれてまわったのである。
「六月十二日の夕方からは、火を梵(た)きあげて村の幸せ(家内安全、五穀豊穣、商売繁盛)を祈った。」
「リン、リン、リン」
「駒が帰って来たぞー」
鈴をつけ、村々にふれて歩いた駒が神社の前に集まるとき、お祭りも最高潮に達するのだ。
みんなが、若竹を持って集まり、火の中に投げ入れる。
飛び散る火の粉、いよいよ燃えさかる火、・・・・・・・大変な騒ぎである。
市も、たいそうな賑わいようで、年寄りも、若衆も、子供も、みんな思い思いの売り買いをして家路(いえじ)へ向かうのである。
(了)
以上が「匝瑳市」に纏わる伝説についてです。
備考
「匝瑳市」は、2006年1月23日に「八日市場市」と「匝瑳郡野栄町」が合併した「市(し)」です。
かつて毎月八日に「市(いち)」が開かれ、市場町と発展し、「八日市場」の名は、これにちなんでいるそうです。
また、「匝瑳市」に改称後もかつてのイ〜ホの前に現在でも「八日市場」の名がついています。
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