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「国木田独歩(くにきだどっぽ)」(銚子市)
 本日ご紹介するのは、地元「銚子市」にゆかりのある人物「国木田独歩(くにきだどっぽ)」です。

 「国木田独歩」は、1871年8月30日(明治4年7月15日)に千葉県銚子市に生まれた「小説家」「詩人」「ジャーナリスト」「編集者」です。
 「国木田独歩」は「銚子」で「龍野藩士」「国木田専八」の子供として生まれました。
 幼少期を「銚子」で過ごし、その後5歳から16歳まで「山口」「萩」「広島」「岩国」などに移り住んだそうです。

 少年期に、「山口」での学生時代を過ごし、その後上京し「東京専門学校」(現在の「早稲田大学」)に入学、文学の道を志し処女作である「アンビシヨン(野望論)」を「女学雑誌」に発表、「青年思海」など雑誌に寄稿するようになります。
 しかし「国木田独歩」は「東京専門学校」で、「同盟休校」を行い、まもなくして退学してしまいます。

 退学後、家族が移り住んでいた「山口」で過ごし、家庭教師や教鞭を執ったりしていました。
 その後「柳井」に居住、「大分県佐伯」にて「英語」と「数学」の教師として赴任し、2年間教鞭を執ります。

 その後退職すると「青年文学」に参加、「民友社」に入り「国民新聞」の「記者」になります。
 その後「渋谷村」(現東京都渋谷区)に住み作家活動を再開し、「田山花袋」、「柳田国男」らと知り合い「独歩吟」を「国民之友」に発表し、その後「小説家」・「編集者」として活躍。

 「二葉亭四迷」の訳「あひびき」に影響され、「今の武蔵野」(後に「武蔵野」に改題)、「初恋」など発表し、次第に小説に専心。
 (その時期に初の作品集「武蔵野」を刊行しています。)
 「武蔵野」「牛肉と馬鈴薯」などの「浪漫的」な作品の後、「春の鳥」「竹の木戸」などで「自然主義文学」の先駆とされました。

 また「国木田独歩」は現在も続いている雑誌「婦人画報」の創刊者であり、「編集者」としての手腕も評価されています。
 「夏目漱石」は、その短編「巡査」を絶賛した他、「芥川龍之介」も「国木田独歩」の作品を高く評価していたそうです。

 上記のような多才な「国木田独歩」ですが、実は「銚子沖」で難破した「播州竜野藩」の「竜野丸」(「神龍丸」とも言われている)に乗船していた「国木田専八」と「銚子市」に暮らしていた「淡路まん」との子供と言われています。

 「国木田独歩」は1908年6月23日に満36歳に死去していますが、死の直前に「詩」を書き残していて、その「詩」の一節は故郷「銚子」を偲んで詠んだとされています。

 「夏の海は高く 冬の海は低し。土用七月の波、これを犬吠岬に見る。その壮観未だ忘るる能わず」

 この一文は平成20年の「国木田独歩百年忌」に「JR銚子駅」前に「記念碑」として建立されています。

 また「海鹿島町(あしかじまちょう)」にも「独歩吟」の一節

 「なつかしき わが故郷は 何処ぞや 彼処にわれは 山林の児なりき」

 という「碑文」があります。
 (1952年7月15日に「市民有志」の手によって建立)

 ちなみに「海鹿島町」にある「国木田独歩」の「碑文」は「銚子市観光協会」選定「銚子百選」に選ばれています。

 明治を代表する小説家「国木田独歩」。
 生誕の地「銚子」には、独歩の功績を讃えた「文学碑」が遺(のこ)されています。

 備考
 「国木田独歩」の葬儀は、当時の独歩の名声を反映し、文壇関係者が多数出席し、当時の「総理大臣」の「西園寺公望」も代理人を送るほどの、壮大なものだったそうです。

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| 地域情報::銚子 | 10:00 AM |

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