本日二つ目にご紹介するのは、地元銚子市にゆかりのある「竹久夢二」「宵待草」です。
「竹久夢二」は、日本の画家・詩人。
本名は「竹久茂次郎」。
数多くの「美人画」を残しており、その作品は「夢二式美人」と呼ばれ、「大正浪漫」を代表する画家です。
また、児童雑誌や詩文の挿絵も多く手がけられました。
文筆の分野でも、詩、歌謡、童話など創作していて、なかでも、詩の「宵待草」には曲がつけられて大衆歌としてうけ、全国的な愛唱曲となったそうです。
また多くの書籍の「装幀」、「広告宣伝物」、「日用雑貨」のほか、「浴衣」などのデザインも手がけており、日本の近代グラフィック・デザインの草分けのひとりとも言えます。
「竹久夢二」は明治43年(1910年) 、27歳の夏に銚子の「海鹿島(あしかじま)」に滞在し、「宵待草」のモデルとなる女性「長谷川カタ」に出会ったそうです。
「宵待草」とは、銚子の海岸に群生して夕方になると黄色い花を咲かせる「マツヨイグサ」のことです。
「待てど くらせど 来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬそうな」とは、「竹久夢二」の作詞による「宵待草」の一節です。
「宵待草」の物語を詳しく紹介すると、「竹久夢二」27歳の夏に、離婚した「岸たまき」と2歳の息子を伴い、房総方面に避暑旅行で訪れます。
銚子から犬吠埼に向かい、「海鹿島」に滞在したそうです。
(太平洋に向かう見晴らしの良さで、明治から多くの文人が訪れたそうです。)
そこで、たまたま当地に来ていた女性、秋田出身の「長谷川カタ」(当時19歳)に出会います。
彼女は、「成田」の高等女学校の教師である姉のところに身を寄せていたが、「長谷川一家」も秋田から海鹿島の隣家に転居していて、夏休みに家族を訪ねに来て、そこで「竹久夢二」と出会ってしまいます。
親しく話すうち彼女に心を惹かれ、「竹久夢二」は呼び出してつかの間の逢瀬を持ってしまいます。
しかし結ばれることのないまま、「竹久夢二」は家族を連れて帰京します。
「長谷川カタ」も夏休みが終わると「成田」へ戻りますが、父親は娘の身を案じ結婚を急がせたそうです。
翌年、再びこの地を訪れた「竹久夢二」は彼女が嫁いだことを知り、自らの失恋を悟ります。
この海辺でいくら待っても現れることのない女性を想い、悲しみにふけったと言われています。
宵を待って小さな花を咲かせる「マツヨイグサ」にこと寄せ、実らぬ恋を憂(うれ)う気持ちがこの詩を着想させたようです。
現在、ゆかりの地である銚子市の「海鹿島」の海を見下ろす場所には、「竹久夢二」の「肖像」と「宵待草」の一節が刻まれた「文学碑」(1971年建立)が建っています。
海鹿島海岸にひっそりと咲く「宵待草」に、わが身の悲恋をうたった「竹久夢二」。
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地域情報::銚子 | 10:09 AM |