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「かげきよの松」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「かげきよの松」です。

 「かげきよの松」の「かげきよ」とは「平景清」のことで、平安時代の武士で、「藤原忠清」の子供です。
 「平家」に仕えて戦い、都落ちに従ったため俗に「平景清」と呼ばれていますが、「藤原秀郷」の子孫「伊勢藤原氏」(伊藤氏)で、「伊藤景清」とも言います。 (「藤原景清」とも言われています)
 「平景清」は、通称「上総七郎」(上総介忠清の七男のため)と呼ばれ、「信濃守」「兵衛慰」で、「悪七兵衛」の異名を持つほど勇猛であったそうです。
 「悪七兵衛」のエピソードとしては、平安末期における「治承・寿永の乱」(源平合戦)において活躍し、「平家物語」巻十一「弓流」で、「源氏方」の「美尾屋十郎」の「錣(てつ)」を素手で引きちぎったという「錣引き」が有名です。
 「壇之浦の合戦」で敗れた後に捕われましたが、「源氏」の総大将「源頼朝」の特別な計らいで、僧として「日向」(現在の「宮崎県」)に流されたとされています。
 (これには諸説あり、「平景清」は捕まらず、日向に隠れていたという説もあり)

 「平景清」には、以下のような「逸話」が残されています。

 「平景清」には「人丸」と言う娘がおりました。
 「源平合戦」に敗れ、日向にいる「平景清」のところに「人丸」が尋ねていきますと「景清」は「十一面観音像」を「人丸」に手渡したそうです。
 「人丸」は「日向」から「鹿嶋」まで長い旅路をへて、1189年に「鹿嶋市」北部の「棚木地区」の集落に「平景清」から預かった「十一面観音」を安置し「大福寺」を創建したとされています。
 「人丸」は、「大福寺」にて合戦の戦死者を弔い、女人救済に努めたといわれています。
 そして現在、「大福寺」境内には、「人丸」の墓「妙庫塚」が残されています。

 「大福寺」ですが、「真言宗豊山派」の寺院で、山号は「補陀洛山」。
 「大福寺」は「寄木造り」で、「本堂」に祀られている金色まばゆい「十一面観音像」は1977年に「茨城県指定文化財」となっています。
 「十一面観音像」は、表面に金箔が施してあり、頭に「慈悲面」、「忿怒面」などの「十一面」を持っています。

 「人丸」ゆかりの「大福寺」近くには、「景清の松」が残っています。
 別名「棚木の一本松」とも呼ばれ、「人丸」が「松」の大木に小枝で「棚」を作って「観音」を安置したと伝えられています。
 この事が「棚木」という「地名」の由来になっているそうです。
 しかし、「かげきよの松」は1972年来襲した台風で倒れ、枯れてしまったそうです。
 現在、「かげきよの松」と言われている「松」は二代目だそうです。

 「鹿嶋」「棚木地区」に伝わる「逸話」「人丸と景清」。
 「平家」ゆかりの「大福寺」と「かげきよの松」のある「鹿嶋市」にお出かけしてみてはいかがでしょうか?

 「かげきよの松」「大福寺」詳細

 所在地  茨城県鹿嶋市棚木371

 問合わせ 0299-69-2165

 備考
 「景清」と「人丸」伝説は「宮崎県」にも残されていて、「宮崎県」公式ホームページ「ひむか神話街道」に詳しく載っているそうです。
 また、1986年にゲームメーカー「ナムコ」が「平景清」を主人公にした「源平討魔伝」というアーケードゲームを開発しています。
 ゲームの内容は「壇ノ浦」で討ち死にした後、地獄から蘇った「平景清」を操作し、「三種の神器」を集め「鎌倉」にいる「源頼朝」を倒すのが目的で、当時の人気ゲームのひとつでした。

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| 地域情報::鹿島 | 10:00 AM |

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