本日二つ目にご案内するのは、ひとつ目のブログでアップした「臥龍の藤」「妙福寺」の「縁起」についてです。
「JR銚子駅」から程近く「ヤマサ醤油工場」の向かいに「皇室」、「幕府」との厚い信頼を結んでこられた「妙福寺」があります。 「妙福寺」は「日蓮宗」の寺院で、境内に「妙見菩薩」を祀る「妙見宮」があることから町名である「妙見町」の由来になっています。
そんなことから「妙福寺」は、市内では「妙見様」と呼ばれています。
「妙福寺」の「縁起」についてですが、正和3年(1314年)に、「日蓮大聖人」の直弟中老「日高上人」を開基として、八日市場市(現・匝瑳市)山崎地区に「大本山中山法華経寺三世」「浄行院日佑聖人」によって開創されたそうです。
開創当初は「般若寺」と呼ばれ、「真言宗」に属していましたが、当時の住職「円学」が別の信仰へと改宗し、1300年代に現在の地に移転して「海上山妙福寺」となったそうです。
(その際「円学」は「日正」の名を与えられました)
現在の「海上山 妙福寺」の姿が完成したのは、「第25世 紫雲院日逢上人」から「第27世 開示院日邵上人」の間、約33年の歳月が費やされたそうです。
そして「中御門帝」の時、勅願の寺跡として「表高十万石」を与えられました。
正面にある升形の「石垣表門」は、その寺格を表したものなのだそうです。
「妙福寺」内「妙見宮」「本殿」には、「聖徳太子」の「御作」「本町北辰尊像造立」の「濫觴(らんしょう)」(初めての作)と伝えられる「北辰妙見大菩薩像」が祀られています。
この「尊像」は、千葉県にゆかりの深い「源満仲」公が深く尊信したもので、代々「源家」に伝えられてきたものだそうです。
「尊像」は、「右大将」「源頼朝」公、後に「豊臣秀吉」公も尊崇するようになったそうです。
「加藤清正」公が「三韓征伐」に出発するとき、「清正」公に授けられましたが、「帰朝」のあとは「大阪城」中に奉祀しました。
江戸時代に入り、「江戸城」中から、さらに「多古城主」「松平家」に伝わり、正徳5年になって「平山久甫」氏をはじめ「幕府」及び「松平家」などが発起人となり、「東海鎮護」の「妙見大士」として「妙見宮」に祀られるようになったそうです。
以来、「天下泰平」、「開運勝利」、「福利増進」、「除災得幸」などの願いが成就するといわれ、今でも「銚子の妙見様」として、尊信敬持する人があとをたたないそうです。
「妙福寺」では、この度(たび)「妙見宮千部会大祭」を開催。
5月7日(土)・8日(日)10時から終日、「妙見宮」の「御宝」前にて「一千部」の「御経」を捧げ、「国家」も、「各家」も安泰であるようにお祈りする、1年に1度の「妙見宮」の「大祭」なのだそうです。 「妙見宮千部会大祭」では、「妙福寺」名物「臥龍の藤」を愛でながら参拝出来るそうです。
銚子の歴史ある寺社「妙福寺」。
「藤」の季節に行われる「大祭」を拝観してみませんか?
「妙福寺」詳細
所在地 銚子市妙見町1465
問合わせ 0479-22-0650
備考
「妙福寺」のゴールデンウィーク中の行事ですが、4月29日(祝・金)に「大震災復興チャリティー胡弓ライブコンサート」を開催。
また、5月1日(日)に「千葉科学大学茶道部」による「野点(のだて)」が行われるそうです。
(雨天時は中止です。)
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地域情報::銚子 | 09:48 AM |