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「金原の大篝(オオカガリ)」(匝瑳市)
 本日ご案内するのは、近隣市「匝瑳市」「三社神社」で1月11日(祝・月)に開催されます「金原の大篝(オオカガリ)」です。

 「匝瑳市」は、「千葉県」の「北東部」に位置し、「首都・東京」から70km圏、「世界の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)からは「車」で30分の「距離」にあり、「匝瑳市の中心部」を「JR総武本線」と「国道126号線」が「東西」に走り、「成田方面」とは「国道296号線」で結ばれています。
 「匝瑳市」の「面積」は101.78平方kmで、「匝瑳市」の「市役所本庁」は「旧・八日市場市役所」を使用し、「匝瑳市」の「市区域」のうち、「旧・八日市場市」は「植木(苗木)の産地」として有名であり、「匝瑳市」は「植木の栽培面積」が「日本一」となっており、「匝瑳市」は、「日本有数の植木のまち」(2011年9月30日のブログ参照)として知られています。

 「匝瑳市の北部」は「谷津田」が入り組んだ「複雑」な「地形」の「台地部」となっており、一方「匝瑳市の南部」は「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)に面する「平坦な地形」となっています。
 「匝瑳市」に隣接する「自治体」ですが、「旭市」(旭地区、干潟地区)、「香取市」(山田地区)、「香取郡」「多古町」、「山武郡」「横芝光町」(光地区)となっています。
 「匝瑳市」の「気候」は「海洋性」の「温暖な気候」で、「年間平均気温」は15度、「東京」周辺と比べると、夏涼しく冬暖かい、とても過ごしやすい「土地柄」で、「冬」でもほとんど「降雪」は見られません。

 「匝瑳市」は、2006年(平成18年)1月23日、「八日市場市」と「野栄町」が合併して誕生しました。
 「匝瑳市」「合併」の「発足時」の「人口」ですが、約4万2000人で、「市名」の「由来」ですが、「旧・八日市場市」と「旧・野栄町」が「匝瑳郡」に属していたことから決定されたそうです。
 ちなみに現在の「匝瑳市」の「人口」ですが、38197人となっており、「男性」18838人、「女性」19357人、「世帯数」14461世帯となっています。
 (平成27年(2015年)12月31日現在)
 この度(タビ)「匝瑳市」では、「平成28年匝瑳市成人式」を1月10日(日)に「市民ふれあいセンター」平成7年(1995年)4月2日から平成8年(1996年)4月1日までに生まれた「匝瑳市在住者」及び、「出身者」となっており、「平成28年匝瑳市成人式」ですが、上述のように1月10日(日)10時30分から「開式」(受付は9時30分から)されるそうです。

 なお「匝瑳市」の「市名」ですが、「竹内正浩」氏の「日本の珍地名」(文春新書)で「難読・誤読地名番付」の「東の横綱」と紹介されています。

 「匝瑳市」の「気候」ですが、1年を通して良好なため、上記のように「温暖な気候」を活かした「農業」が、「匝瑳市」の主(オモ)だった「産業」となっており、「県内屈指」の「米どころ」「水稲」をはじめ、1年を通し出荷され「高品質」を維持している「トマト」、「栽培」の歴史が長い「イチゴ」などの「施設栽培」の「野菜」や「果物」、「ネギ」などの「露地野菜」も盛んに生産されています。
 また「匝瑳市」は、「千葉県唯一」の「赤ピーマン」(2011年6月27日のブログ参照)の「産地」として知られており、「露地物」の「茄子(ナス)」や、「周囲」約30cm・「長さ」1mの「日本一」の「大きさ」を誇る「特大ゴボウ」「大浦ごぼう」(2011年1月10日のブログ参照)、「肉質」の良い「黒毛和牛」と「発育」の良い「乳用牛」をかけ合わせ誕生し、柔らかい「肉質」が「ステーキ」や「すき焼き」にぴったりな「ブランド牛」「若潮牛(ワカシオギュウ)」などが作られています。

 「三社神社」ですが、「匝瑳市」「飯倉」に鎮座する「神社」で、「三社神社」の「御祭神」ですが、「伊弉諾尊(イザナミノミコト)」、「事解男命(コトサカノオノミコト)」、「速玉男命(ハヤタマオノミコト)」を祀っています。
 「三社神社」は、「JR総武本線」「飯倉駅」「下車」、「飯倉台」の「住宅地」を通り抜け約10分ほど歩くと、「山の端」に「神社」の「鳥居」が見られるそうです。
 「三社神社」ですが、「石段」を上り詰めると、深い「木々」に囲まれたところに「社殿」が建っており、「拝殿」、「本殿」があり、「三社神社」「本殿」には、細かい「彫り物」が施されているそうです。
 「三社神社」の「由緒」ですが、下記の通りとなっています。

 この地、匝瑳庄は熊野神宮領であった。
 詳らかではないが、南紀熊野より飯倉西之内の地に勧請し、飯倉郷の鎮守にして、当時十八ヶ村の鎮守として崇敬され、元禄五年壬申の年に再営されたものとされています。
 (「御祭神」、「由緒」ともに「匝瑳郡誌」参照)

 上述のように「金原」には、「鎮守」として「三社神社」が祀られており、江戸時代には「金原」、「安久山」、「片子」、「大堀」の4か村の「村びと」の「信仰」があったそうです。
 「三社神社」の「石灯籠」には、1805年(文化2年)に「同村」の「佐藤四良兵衛」と、4か村の「男女」の「寄付」で、立てられたことが刻まれており、明治時代になり、「三社神社」は、「金原村」だけの「鎮守」となったそうです。

 「金原の大篝(オオカガリ)」ですが、「金原の御奉謝(カナバラノオビシャ)」ともいわれる「三社神社」で、毎年「成人の日」の「未明」に行われている「大篝(オオカガリ)」と、「御的神事」です。
 「金原の大篝(オオカガリ)」は、「成人の日」の「前日」の「午後」から「当番」の「人々」の「手」で準備され、「松薪」や、「青竹」などが、「円錐形(エンスイケイ)」に、「大人」の「背丈」よりも高く「山」のように積み上げられます。
 「金原の大篝(オオカガリ)」では、「三社神社」「社殿」で、「儀式」を行った後、「大篝(オオカガリ)」(高さ約6m、周囲15m)に「火」が入り、「火」が入ると「参拝」の「人」も集まり、「篝火(カガリビ)」を囲み、「御神酒(オミキ)」が振る舞われるそうです。
 「金原の大篝(オオカガリ)」の「大篝(オオカガリ)」ですが、赤々と燃え上がり、時折「青竹」が勢いよくはじけ、まさに「悪疫」を払う、文字通り「炎の神事」となっています。
 また「三社神社」「拝殿」の「周り」には、「弓」と、「的」があり、「大篝(オオカガリ)」に「火」を入れた後、「七五三」の「男子」(子どもたち)が「射手」となり、「矢」を射ることから、「金原の御奉謝」とも呼ばれています。
 なお「金原の大篝(オオカガリ)」の「炎」にあたると、「風邪」を引かないといわれています。

 「飯倉郷十八ヶ村」の「鎮守」「三社神社」で開催される「成人」を祝い「悪疫」を払う「炎の神事」「金原の大篝(オオカガリ)」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「金原の大篝(オオカガリ)」詳細

 開催日時 1月11日(祝・月) 6時頃〜

 開催会場 三社神社 匝瑳市金原275

 問合わせ 匝瑳市産業振興課 0479-73-0089

 備考
 昭和50年代前半に、「旧・八日市場市域」を調査したところ、1月から2月にかけて、2、3の「集落」を除き、ほとんどが「大字」(集落)「単位」で、「オビシャ」や、「セイレン」が行われていたそうです。
 「旧・八日市場市」では、「行事」の「由来」や、「」内容 を記した「記録」も探したそうですが、わずかしか見つからず、その中に、江戸時代の「金原村」(飯高地区)での「御奉謝(オビシャ)」があったそうです。
 「金原村」には「日蓮宗」・「妙大寺」があり、「同寺」で3つの「御奉謝(オビシャ)」が行われていたそうです。
 1月13日は、「本尊」・「三宝様(サンポウサマ)」の「御奉謝(オビシャ)」で、この時に集金した「お金」は、「村内」の「橋」の「掛け替え費用」などに充てていたそうです。
 1月28日は、「鬼子母神(キシモジン)」の「オビシャ」があったそうで、1751年(寛延4年)頃から始められたと記され、明治の「記録」にも「お堂」が存在し、「鬼子母神」が「安産信仰」されたことから、おそらく「女オビシャ」であったと推測されています。
 2月8日は、「妙大寺」の「お曽師(ソシ)様」(日蓮)の「オビシャ」で、1852年(嘉永5年)に「村役人」に願い出て始まったとされています。

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| 地域情報::匝瑳 | 10:41 AM |

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