本日ご紹介するのは、となりまち「旭市」「大原幽学記念館」で9月12日(土)〜2016年(平成28年)1月17日(日)の期間開催されます「平成27年度大原幽学記念館収蔵品展」です。
「大原幽学(オオハラユウガク)」は、江戸時代後期の「農政学者」、「農民指導者」で、「下総国」「香取郡」「長部(ナガベ)村」(後の千葉県香取郡干潟町、現在の旭市)を拠点に、天保9年(1838年)に「先祖株組合」という「農業協同組合」を、「世界」で初めて創設した「人物」です。
「大原幽学」ですが、寛政9年3月17日(1797年4月13日)生まれ、安政5年3月8日(1858年4月21日)に没しています。
「大原幽学」の「出自」は、あきらかではありませんが、「尾張藩」の「家臣」「大道寺直方」の「次男」として、生まれたとの「説」もあり、若き頃は「大道寺左門」(号は静香)と名乗っていたといわれています。
「大原幽学」の語るところによりますと、18歳のとき、故あって勘当され、「美濃」、「大和」、「京」、「大阪」を長く放浪していたといわれており、はじめは「武芸」、のち「知友」から「占い手法」を身に付け、「易占」、「観相」、「講説」などで流浪の生活を支えていたそうです。
その後「大原幽学」は、「神道」、「儒教」、「仏教」を一体とする「実践道徳」である「性学」(生理学、性理道ともいった)を開いたそうです。
「大原幽学」は、天保2年(1831年)「房総」を訪れ、「性学」を講ずるようになり、「門人」を各地に増やしていったそうです。
そして「大原幽学」は、天保6年(1835年)に「椿海」(2011年4月17日のブログ参照)の「干拓地」の「干潟八万石」にあった「長部村」に招かれ、「農村振興」に努力することになったそうです。
「大原幽学」は、「先祖株組合」の創設のほかに、「農業技術の指導」、「耕地整理」、「質素倹約の奨励」、「博打の禁止」、また「子供の教育・しつけ」のために「換え子制度の奨励」など、「農民生活」のあらゆる面を指導し、「改心楼」という「教導所」も建設されました。
嘉永元年(1852年)2月に、「長部村」の「領主」「清水氏」は、「長部村」の「復興」を賞賛し、領内の村々の模範とすべきことを触れています。
嘉永5年(1852年)、反感を持つ勢力が「改心楼」へ乱入したことをきっかけに村を越えた「農民」の行き来を怪しまれ、「勘定奉行」に取り調べられました。
そして、安政4年(1857年)に「押入百日」と、「改心楼の棄却」、「先祖株組合の解散」を言い渡されたそうです。
「大原幽学」は、5年に及ぶ「訴訟の疲労」と、「性学」を学んだはずの「村の荒廃」を嘆き、翌年「墓地」で切腹したそうです。
現在、「旭市」には「大原幽学旧宅」(国の指定史跡)(2011年4月8日のブログ参照)が残っており、「大原幽学」が切腹した場所には、「大原幽学」の「墓」が建立されています。
また「愛知県」「名古屋市」にも、「門人」が建てた「大原幽学の墓碑」があるそうです。
「大原幽学記念館」ですが、平成3年(1991年)に407点の「幽学関連資料」が、「国の重要文化財」に指定されたことを契機に、「干潟町」(当時)で「地域文化の発展」をはかるために「幽学関係の資料」、「郷土の歴史」・「民俗」に関する「資料」を公開するための「施設」として、「大原幽学遺跡史跡公園」(2011年2月6日のブログ参照)内に設立されました。
「大原幽学記念館」のある豊かな「緑」に囲まれた「大原幽学遺跡史跡公園」は、「歴史」と、「自然」に親しむ「レクリエーションの場」であるそうです。
「大原幽学記念館」は、平成8年(1996年)3月15日に開館して以来、「資料」の「収集」・「保存」・「調査研究」といった活動を中心に行っています。
「大原幽学記念館」「展示内容」ですが、1階は、「郷土展示室」、2階は「幽学展示室」となっており、1階「郷土展示室」では、「郷土の歴史」を紹介しており、「展示内容」ですが、「旭市」「干潟地区」を中心とした古代から現代までの「あゆみ」を多くの「資料」と、「映像」で通史展示により、構成されています。
「大原幽学記念館」では、特に江戸時代の「大規模新田開発」として有名な「椿海干拓」については、「特別コーナー」を設け、「マジックシアター」「干潟八万石物語」で分かりやすく、その「歴史」を辿ることができるそうです。
「大原幽学記念館」2階「幽学展示室」は、「国指定重要文化財」の407点の「資料」も、随時展示替えを行い、常時公開している「常設展示室」で、「展示内容」ですが、「大原幽学」の「遺品類」は、「著書」、「毛沢本」、「遺書」、「日記」、「書簡」、「遺品」、「蔵書」、「門人遺書遺品」などに分類され、「著書」には「大原幽学」の理想を述べた「微味幽玄考」、「発教録」などがあり、自刃前に書いた「遺書」は、特に重要なものとして有名です。
「幽学展示室」「所蔵」の「遺品」ですが、「大原幽学」の「着衣」、「袴」、「短刀」などのほか、「村人」に使わせた「寝具」、「食器」、「服飾品」があるそうです。
「大原幽学」「資料」の「経歴」、「概要」は、下記の通りです。
資料の経歴
大原幽学の性学活動を引き継いだ財団法人八石性理学会では、明治41年の設立以来、大原幽学の遺跡を管理・所有し、資料の保存に努めてきた。
昭和27年に、長部にある旧宅、墓地、耕地割が国指定の史跡となり、昭和32年には幽学没後百年祭の記念事業として、大原幽学遺品保存館がつくられ、一般にも資料が公開されるようになった。
しかし、これらの膨大な資料は昭和61年に八石性理学会から干潟町に寄贈され教育委員会で管理を行うようになる。
昭和63年および平成元年には本格的な資料調査が行われ、これを経て平成3年に大原幽学関係資料407点が重要文化財の指定を受ける。
指定されたのをきっかけに、新しく大原幽学記念館が建設され平成8年3月15日に開館、資料の保存と公開を行っている。
概要
大原幽学関係資料は文書類、書籍類、書画類、生活用品の大きく四つに分類される。
現存する幽学個人及び性学関連の資料は、おそらく八石性理学会が保存してきたものが量、質ともにその中心となるものである。
このうち重要文化財指定をうけたものは、幽学の自筆もの、幽学の生前、つまり自殺した安政5年(1872年)に幽学関係の資料を巻子に仕立てられていたり、内容に関係なく一つにまとめられたりしているものもある。
明治5年(1872年)に幽学関係の資料を巻子に仕立てたという記録が残っており、こうした処理が何度か行われたようである。
文化庁の作成した「大原幽学関係資料目録」によると指定資料の内訳は以下のようになっている。
一、 著述稿本類 25点
冊子5冊 巻子20巻
二、 性学指導并仕法関係文書、記録類279点
冊子168冊 折本1帖 巻子19巻 掛幅25幅
堅紙・切紙・読紙15通 絵図類(読紙)1鋪 短冊50枚
三、 日記 17点
冊子9冊 巻子8巻
四、 書状
冊子3冊 巻子48冊 掛幅1幅 堅紙・切紙・読紙2通32点
五、 遺品類 32点
各資料の内容
一、著述稿本類
微味幽玄考
性学の思想が書かれた「微味幽玄考」は幽学の主著である。
ただし自筆のもので完全に残ってるものはなく、すべて下書きのものである。
また「微味幽玄考」の前進である「性学微味」、その他の草稿の断簡も巻子に収められている。
冊子で残っているものは、自筆ではなく門人が書き写したものである。
二、性学教導并仕法関係文書、記録類
易占
幽学の自筆による易学・占関係の資料が収められている。
新井流易学を学んだ幽学は、皆伝書の類を残している。
「新井流易学皆伝秘書」や「易学記」などのほかにも「諸文書張込帳」といったかたちで何種類かの伝書、易占関係の資料がまとめられているものもある。
規矩
規矩とは幽学が道友に与えた性学の規範・目標が書かれた書・短文のことである。
幽学自身のことば、また中国の古典である易経・孝経・大学・中庸などからの引用もある。
「三幅対」は掛軸三本が一対になったもので、会合でかけられ使用されることもあった。
「規式解」は年中行事の解説である。
道友
幽学は門人たちのことを「道友」(ドウユウ)とよんだ。
ここには性学の門人名簿が収められている。
幽学の自筆のものはない。
この「門人名前取調帳」は裁判のときに奉行所に提出されたものの控えである。
神文
神文は道友が入門のさいに幽学に提出する誓約書のことである。
神文には決まった書式があり、もともとは一通ずつ独立したものだが、現在は冊子にまとめられている。
生前に出されたもの18冊、636人分が指定を受けている。
指導
性学の方法に関する文書が納められている。
「連中誓約之事」は前半に門人たちの誓いのことばと署名がつづられ、これに対する幽学の励ましの言葉が後半に続く。
「教道筋奉申上候書付」は関東取締出役の取調べの際に提出されたもので、幽学の指導方法が述べられている。
「景物」の添書の写しも残されている。
子供仕込
幽学は子どもの教育を重視した。
生前に行われた元服についての資料が中心である。
先祖株組合
長部村における先祖株組合関係の文書が納められている。
「為取替一礼」、「請取一礼」は組合発足当初の契約書類である。
「先祖株総締高取調帳」は裁判の取調べの際つくられたものである。
丹精
門人たちによる労働奉仕のことを丹精という。
労働にあたった人数の控えが記録されている。
叺
幽学の生活費に道友から差し出された叺米の控えである。
入用
財政・経理・資産についての文書が収められている。
「一件」とつくものは裁判に関係のあるもので、ここに収められた生前のものはすべて裁判関係の諸費用の記録である。
「一件中諸入用荒増」「一件入用荒増」は裁判の経費や江戸滞在費などの費用についてのものである。
高松家
高松家とは裁判中に幽学の兄と名乗り、身元引請人であった高松彦七郎家を指し、かつてそこで所蔵されていたものが八石におさめられ、裁判に関係したものが主な内容となっている。
また幽学と門人の討論集である「議論集」全3冊、幽学の言動を記録した「聞書集」全4冊が高松家で所蔵されていたため、ここに含まれている。
その他
三、日記
四、書状
五、遺品類
また「大原幽学記念館」では、「大原幽学」や、「郷土の歴史」にまつわる「テーマ」で、年1、2回「企画展」が開催されています。
「大原幽学遺跡史跡公園」内「大原幽学記念館」では、平成8年(1996年)の開館以来、「地域文化の発展」のために、「大原幽学」や、「郷土の歴史」、「民俗」に関する「資料」を収集しており、すべてを公開することは「展示スペース」や、「調査」、「整理」の都合から難しいのが現状ですが、そこで、新たに寄贈されたもの、購入したもの、修理を行ったものなど、これまで展示される機会の少なかったものを紹介するそうです。
「平成27年度大原幽学記念館収蔵品展」は、2015年(平成27年)9月12日(土)から2016年(平成28年)1月17日(日)の期間、「大原幽学記念館」「2階」「企画展示室」・「大原幽学展示室」、「常設展示室」の一部を「会場」に開催され、今回は、「大原幽学」の初めての「数学の地」である「信州」「小諸」の「門人宅」に伝わる「資料」を中心に、「自筆」の「書」や、「遺品」をはじめ、「門人たちの活動」の様子、「書物」などゆかりの品々のほか、「郷土のくらし」を伝える、懐かしい「資料」も合わせて展示するそうです。
「大原幽学」の「足跡」を今に残す「記念館」「大原幽学記念館」で開催される「展示会」「平成27年度大原幽学記念館収蔵品展」。
この機会に「旭市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「平成27年度大原幽学記念館収蔵品展」詳細
開催期間 9月12日(土)〜2016年1月17日(日)
開催会場 大原幽学記念館 旭市長部345-2
休館日 月曜日・祝日の翌日、年末年始(12月28日〜1月4日)
入館料 一般300円 小中学生 200円
問合わせ 大原幽学記念館 0479-68-4933
備考
「大原幽学記念館収蔵品展」ですが、数年ごとに「収蔵品展」を開催しているそうです。