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「猿田神社(さるだじんじゃ)」(銚子市)
 祝い月である11月。当館でも七五三の御祝いをされるお客様も見受けられる季節になりました。
 子供達の晴れの場であり、ご両親ご親族のお慶びもひとしおのようで、見ていて微笑ましいです。

 さて本日ご紹介するのは、今時分 七五三で賑わっております 地元 銚子市猿田町にある「猿田神社」です。

 古くより八方除け、交通安全、七五三のお祓い(おはらい)で信仰されている神社です。
 「猿田神社」では毎日午前8時より午後3時まで一日15回の御祈祷が斎行されています。

 「猿田神社」の御祭神は、「猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)」「天細女命(あめのうずめのみこと)」「菊理媛命(くくりひめのみこと)」。
 この三柱を主祭神としています。

 神代の時代、「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」が弟である「素戔鳴尊(すさのおのみこと)」の乱暴狼藉をお怒りになって、天の岩戸(あまのいわと)にお隠れになったため世の中からすべての光が消えました。
 困り果てた八百万(やおよろず)の神々が話し合って対策を練り、「天細女命」が岩戸の外で笛や太鼓に合わせ賑やかに舞い踊り、何事かと「天照大御神」が中から岩戸を少し開けて外の様子をうかがった際、力自慢の「猿田彦大神」が岩戸をこじ開けたという伝説があります。

 また、「天細女命」は後に「猿田彦大神」の妻となっています。
 「菊理媛命」は、日本の神々の創始者たる「伊邪那岐」(いざなぎ)・「伊邪那美」(いざなみ)の夫婦神が黄泉の争いをした際に仲裁をした神として伝えられています。

 「猿田神社」の社伝によれば、垂仁天皇25年11月25日の創建とされ、神功皇后の御世に「生田神社」の摂社になったとされます。
 康平年間(1058年〜1065年)に「源頼義」が神田に寄進し、鎌倉時代以降も武家の信仰が篤く源頼朝も寄進したと伝えられ、足利晴氏は金印を奉納をし当時のものという印が現存するそうです。

 永禄9年(1566年)海上氏と安房正木氏との合戦で社殿を焼失、元亀年間に再建するも天正元年(1573年)にふたたび焼失、翌天正2年に再建し、現本殿は延宝8年(1680年)に改築されたものである。なお、天正19年(1591年)には徳川家康も朱印地30石を寄進したようです。

 「猿田神社」は、JR総武本線「猿田駅」の西にある大きな杜(もり)の中に鎮座しています。
 この森は「猿田神社の杜」として県天然記念物にしていされています。
 また本社殿は千葉県指定重要有形民俗文化財になっています。
 本殿のつくりは三間社流造(さんけんしゃながれづくり)・檜皮葺屋根(ひわだぶきやね)。
 境内左脇には御神水が湧き出ており、その奥には重量180kgの力石があります。

 「猿田彦大神」を祀るところは多いが、「猿田彦神社」ではなく「猿田神社」の名は全国でもここだけだそうです。

 猿田神社
 銚子市猿田町1677
 0479-33-0362

 備考
 参道に先神橋というJR総武本線をまたぐ煉瓦(れんが)で出来た橋があります。これは、1897年(明治30年)総武鉄道が銚子まで開通したときに参道を分断してしまうことになったため鉄道会社により造られたそうです。

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| 地域情報::銚子 | 10:53 AM |

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