本日ご紹介するのは、近隣市「鹿嶋市」「卜伝にぎわい広場」で5月17日(土)に開催されます「門前三の市」です。
「鹿嶋市」は、「関東地方」「東部」、「茨城県」「東南部」に位置する「市」で、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)を擁する「文化都市」であるとともに、「鹿島臨海工業地帯」を擁する「工業都市」でもあります。
「鹿嶋市」の「人口」ですが、平成26年(2014年)5月1日現在、「総人口」66720人(世帯数・26648世帯)、「男」34320人、「女」32400人となっています。
「鹿嶋市」は、「茨城県」の「南東部」にあり、「首都」「東京」から80km圏に位置し、「鹿嶋市」の「東側」は「太平洋」「鹿島灘(かしまなだ)」(2012年6月16日のブログ参照)に面していることから「海岸」、「海水浴場」を持っています。
「鹿嶋市」の「西側」は「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)、「鰐川」に面し、「筑波山」を望むことができます。
「鹿嶋市」は、「茨城県」の「他」の「市町村」よりも「南東」に存在し、「JR総武本線」の「分岐線系統」である「JR鹿島線」や「東関東自動車道」(厳密には「潮来市内」)の「沿線」であること、「茨城県内」の「他」の「主要都市」への「交通網」が「未発達」であることなどから、「千葉県」「香取市」、「成田市」、「香取郡」「東庄町」、「銚子市」、さらには「千葉県」の「県庁所在地」「千葉市」などとの「関係」が深いそうです。
「鹿嶋市」は、「常陸国一宮」である「鹿島神宮」の「門前町」として栄えてきました。
「鹿嶋市」は現在「となりまち」「神栖市」とともに「重要港湾」である「鹿島港」を中心とした「鹿島臨海工業地帯」を形成し、「新日鐵住金」の「企業城下町」として「鉄鋼企業」を中心とした「工業都市」となっています。
また「鹿嶋市」は「Jリーグ」「鹿島アントラーズ」の「ホームタウン」(他に「潮来市」、「神栖市」、「鉾田市」、「行方市」)の「中心」であり、「サッカー」が定着しています。
「鹿嶋市」は、「市制施行」の際、「佐賀市」の「鹿島市」と重複(ちょうふく)しないように、「島」の「異体字」の「嶋」に変えて「鹿嶋」としたそうです。
「常陸国一宮」「鹿島神宮」は、「茨城県」「鹿嶋市」にある「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」の「息栖神社(いきすじんじゃ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。
「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)と「鹿島灘(かしまなだ)」(2012年6月16日のブログ参照)に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、「明治維新」前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られています。
「武甕槌大神」ですが、「古事記」では、「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」が「軻遇突智(かぐつち)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「御船祭」が特に「有名」で、今年(2014年)の9月1日(月)より「3日間」「御船祭」が行われます。
(「前日」8月31日(日)午後には「御座船清祓式」が執り行われます。)
「塚原卜伝(つかはらぼくでん)」(2011年11月29日のブログ参照)は、室町後期の「剣術家」で、「常陸国」(茨城県)「塚原」に生まれた「人物」です。
「塚原卜伝」は、「常陸」「鹿島神宮」の「祝部占部土佐守覚賢」の「次男」で、「幼名」を「朝孝」、のちに「卜伝」と号しています。
「卜伝」の「父」「土佐守」は「飯篠長威」に「天真正伝香取神道流」を習い「長子新左衛門」に継がせようとしましたが早世したため、「塚原卜伝」を「後継者」とし、長じてのち「下野」に「上泉信綱」を訪ね「弟子」となり「陰流」を究めていました。
「塚原卜伝」は、研鑽して「一流」の「達人」となり「諸国」を遍歴、「合戦」に臨み「当代」「無双の剣名」を挙げたそうです。
「鑓合九度、高名の首廿一、其内鑓下の首、或は崩際場中の首七度有て武辺誉の者也」(「甲陽軍鑑」)
とあり、その「秘伝奥義」は
「一つの位、一つの太刀、一つ太刀、如斯太刀一つを三段に見分候」(甲陽軍鑑)
といわれていました。
「塚原卜伝」の「弟子」ですが、「室町幕府」「将軍」「足利義輝」、「伊勢国司」「北畠具教」、「細川藤孝」、「松岡兵庫介」らといわれています。
「塚原卜伝」は「廻国修行」は前後3回におよび、「老躯」帰国するにおよび「家督」のこともあり、3子の「技量」を試すために「暖簾」の上に「木枕」を置きひとりずつ招いたそうです。
その際、「三男」は落下する「木枕」を瞬時に斬り、「次男」は飛び退いて「刀」に「手」をかけ、「嫡男」は「木枕」があるのを見て取り下ろし「座敷」に入ったそうです。
これを見て「塚原卜伝」は「嫡男」「彦四郎」の「不動心」を愛でて「家督」を譲ったそうです。
「塚原卜伝」ですが、「左太刀」の「片手打ち」の「名人」との「試合」に際し「左太刀」の「片手打ち」は「卑怯」と固辞すること10度、「試合」に入る「ひと太刀」に「頭」を打ち割ったそうです。
「塚原卜伝」のその「武略」と「凄絶(せいぜつ)」の「太刀」は
「第一に天の時、第二に地の利、天地を合せる太刀也、第三至極は一つ太刀」(甲陽軍鑑)
とあります。
「塚原卜伝」は、「近江」の「矢走」の「渡し舟」で「無法」の「荒武者」を「小島」に置き去りにした「話」が「武略」を物語り、「新当流」の「称」は「後人」の「作」とされ、「塚原卜伝」は元亀2年(1571年)に没したとする「説」もありますが、「不詳」とされています。
「鹿島神宮」は、「塚原卜伝」ゆかりの「地」として知られており、「鹿島神宮」の周辺には、現在でも「民家」として使われている「塚原卜伝の生家」や、「塚原卜伝生誕500年」を記念して建てられた「銅像」、また「鹿島神宮」から「車」で15分程度のところに「塚原卜伝の墓」があり、そこには今でも「花」が手向けられているそうです。
「鹿嶋市」では、「鹿島神宮」ゆかりの「剣聖」「塚原卜伝」を「モデル」にした「キャラクター」の「ぼくでん」くんを「PRマスコットキャラクター」として制作されています。
「ぼくでん」くんは、「剣聖・塚原卜伝」を「NHK大河ドラマ誘致」に向けてPRするために制作された「卜伝キャンペーン」「キャラクター」だったそうで、現在は「鹿嶋市」の「PR」をされています。
ちなみに「NHK」では、「BS時代劇」として「半沢直樹」でお馴染みの「俳優」「境雅人」さん「主演」で「テレビドラマ」「塚原卜伝」を「制作」「放映」されています。
「鹿嶋市」では、「鹿島神宮」の「門前」の「にぎわい」を創出しようと、「市民有志」の「皆さん」が立ち上がり、「市営」の「卜伝にぎわい広場」を「会場」に「毎月」「開催」の「イベント」として「門前三の市」を行うそうです。
「イベント名」「門前三の市」ですが、「第3土曜日」「開催」の「三(さん)」や、「鹿島神宮」の「参道」の「参(さん)」のほか、「野菜販売」、「雑貨販売」、「音楽演奏」の「内容」の「3本柱」の「三(さん)」にちなんで「ネーミング」されたそうです。
なお「門前三の市」の「趣旨」ですが、下記の通りとなっています。
三の市とは、毎月第3土曜日を定例として、野菜、手作り、音楽の3つの集いを鹿島神宮への参(さん)道で行うことにより、市民や観光の方々が楽しめる場を提供するとともに、市に参加する人どうしのつながりを育てていくことに貢献したい。
(鹿島神宮門前町賑わいづくり支援センターより抜粋)
「門前三の市」ですが、上記のように「参加者」「手作り」の「野菜」や「雑貨」の「販売」、「音楽演奏」が行われるそうです。
「門前三の市」は、「今回」が「初回」で、「出店者」、「出演者」など約80人が参加予定となっており、昨年(2013年)に完成した「卜伝にぎわい広場」に「テント」が並び、「トマト」や「ソラマメ」など「手作り野菜」、「手作り」の「ニット衣類」、「グラスアート作品」、「ミニ盆栽」などの「販売」、また「三鹿子供芸座連」の「祭りばやし」や、「琉球太鼓」などの「演奏」が行われるそうです。
「鹿島神宮」前「大町通り」に完成した「卜伝にぎわい広場」で開催される「」「にぎわい創出イベント」「門前三の市」。
この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「門前三の市」詳細
開催日時 5月17日(土) 8時〜15時
開催会場 卜伝にぎわい広場 鹿島神宮門前 茨城県鹿嶋市宮中1-2486
問合わせ ミニ博物館ココシカ 0299-94-8168
備考
「門前三の市」ですが、今後も「毎月」「第3土曜日」に開催する予定となっているそうです。