本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子マリーナ海浜緑地公園」で10月13日(土)に開催されます「屏風ヶ浦(びょうぶがうら)銚子薪(たきぎ)能」です。
「屏風ヶ浦」(5月20日のブログ参照)は、「銚子市名洗町」から「旭市上永井」の「刑部岬(ぎょうぶみさき)」(5月26日のブログ参照)までの「海岸線」に連なる「断崖絶壁(だんがいぜっぺき)」、「海食崖」のことです。
「屏風ヶ浦」は、「水郷筑波国定公園」に属し、「イギリス」と「フランス」の間の「ドーバー海峡」にある「崖」に似ていることから、「東洋のドーバー」と呼ばれ、迫力ある「風景」は「ドラマ」・「CM」・「映画」・「プロモーションビデオ」などの「ロケ地」としても好まれています。
「屏風ヶ浦」は、高さ60mに及ぶ「岸壁」は、かつては「海底」であった「層」(「砂岩質」の「岩」の部分)の「上」に「関東ローム層」の「赤土」(「火山灰」が積もって「鉄分」が赤く酸化したもの)が堆積したものです。
崩落した「岩」を見ると、「貝殻」などの「化石」や、かつてそこで生活していた「生物」の「痕跡」が残っています。
崩落した「石」は「潮流」に乗って「九十九里浜」(5月11日のブログ参照)へと流れて行き、「海岸」に打ち上げられ、「九十九里」では「飯岡石」と呼ばれています。
「屏風ヶ浦」は、「砂岩質」の「土壌」が弱いことと、打ち寄せる「波」や「波」に伴う「風」の「強さ」もあって、「有史」以来数キロに渡って「岸壁」が削られており、鎌倉時代には「片岡常春」の「居城」であった「佐貫城」があったと言われていますが、「遺構」は既にはるか「沖」のようです。
また「銚子市」との「境界」付近にはかつて「通蓮洞」(6月3日のブログ参照)(「風蓮洞」との記述もあります)と呼ばれる「海岸侵食」によるものと思われる「洞窟」も存在していましたが、現在はほとんど埋没しています。
「屏風ヶ浦」では、「消波ブロック」の「設置」後、「陸地後退」は緩やかになりましたが、代わりに「九十九里浜」の「侵食」が「問題」となっています。
また「屏風ヶ浦」は「海辺」から「広範囲」にわたって「地層」の様子を観察できる場所は少ないため、非常に貴重な存在で、この度(たび)認定されました
「銚子ジオパーク」(9月25日のブログ参照)の「屏風ヶ浦ジオサイト」となっています。
「能」は、「日本の伝統芸能」である「能楽」の「一分野」で、江戸時代までは「猿楽」と呼ばれ、「狂言」とともに「能楽」と総称されるようになったのは、「明治維新」後のことだそうです。
「能」という「語」は、元々「固有名詞」ではなく「物真似」や「滑稽芸」でない「芸能」で「ストーリー」のあるもののことを指す「一般名詞」であり、「猿楽」以外にもこれが用いられていましたが、「猿楽」が盛んになるとともにほとんど「猿楽」の「能」の「略称」となりました。
そして1881年(明治14年)「能楽社」の「設立」を「機」に「猿楽」を「能楽」と「改称」したため「能楽」の「能」を指す「語」となったものであり、「能楽」のうち「超自然的」なものを「題材」とした「歌舞劇」のことで比較的高尚なものだそうです。
往々にして「能楽」と「能」を「同義」に用いたりする「向き」もありますが、誤りだそうです。
「能」の「主な曲目」ですが、「中世」に成立した「古典」の「曲目」のうち、現在でも頻繁(ひんぱん)に上演されているものは「現行曲」と呼ばれ、「流派」によって異なりますが、おおむね二百数十番が「現行曲」とされています。
しかし「歴史的」にはこれらの他にも2000番から3000番程度の「曲」が作成されています。
これら「廃曲」となった「曲」の中には、現代になって「再演」を試みられる(複曲)こともあるそうです。
また近代や現代においても新しい「曲」が書かれることがあり、これらは「新作能」と呼ばれます。
「能」の「曲目」ですが、「脇能物」(初番目物)、「二番目物」、「三番目物」、「四番目物」、「四・五番目物」、「五番目物」となっています。
「脇能物」(初番目物)は、「男神物」(高砂、養老など)、「女神物」(西王母など)、「老神物」(放生川、右近、老松など)、「異神物」(東方朔、源太夫、難波、道明寺など)、「荒神物」(江島、和布刈(めかり)、賀茂など)です。
「二番目物」は、「勇士物」(屋島、箙(えびら)、兼平など)、「公達物」(経正、知章、敦盛、生田敦盛など)、「老武者物」(実盛、頼政など)、「女武者物」(巴など)です。
「三番目物」は、「本髭物」(井筒、源氏供養、松風など)、「老女物」(檜垣、姨捨)、「美男物」(小塩、雲林院)、「精天仙物」(杜若、胡蝶、初雪など)、「老精物」(西行桜、遊行桜、花軍)、「現在鬘物」(祇王、籠祇王、熊野、大原御幸など)、「現在老女物」(関寺小町、鸚鵡(おうむ)小町、卒塔婆(そとば)小町)です。
「四番目物」は、「巫女・女神物」(巻絹、鱗形、室君、現在七面など)、「執心女物」(梅枝、砧(きぬた)、水無瀬など)、「執心男物」(恋松原、恋重荷、阿漕、善知鳥(うとう)、藤戸など)、「狂女物」(三井寺、隅田川など)、「男物狂物」(高野物狂、芦刈、弱法師など)、「芸尽物」(花月、自然居士など)、「唐物」(鶴亀、邯鄲(かんたん)、一角仙人、天鼓など)、「人情物」(鉢木(はちのき)、俊寛(しゅんかん)、景清など)、「侍物」(木曽、桜井、桜井駅、小督、安宅など)、「斬合物」(矢討曽我、大仏供養、忠信など)、「尉物」(蟻通、雨月、木賊、豊干、輪蔵)です。
「四・五番目物」は、「霊験物」(谷行、松山鏡、藍染川、鷺など)、「鬼女物」(葵上、道成寺、黒塚など)です。
「五番目物」は、「女菩薩物」(当麻、海人など)、「貴人物」(絃上、来殿、松山天狗など)、「猛将物」(草薙、碇潜、項羽、船弁慶など)、「天狗物」(善界、車僧、大会、第六天、葛城天狗など)、「鬼物」(昭君、鍾馗(しょうき)、野守、雷電など)、「竜神物」(愛宕空也、春日竜神)、「畜類物」(殺生石、鵺(ぬえ))、「打合物」(龍虎、舎利、飛雲)、「鬼退治物」(紅葉狩、羅生門、大江山、土蜘蛛など)、「本祝言物」(石橋、猩猩、大瓶猩猩)です。
「屏風ヶ浦銚子薪能」は、「景勝地」「屏風ヶ浦」を望む「ベストスポット」「銚子マリーナ海浜緑地公園」で夕方から行われる「薪能」です。
「屏風ヶ浦銚子薪能」では、「狂言」「棒縛り(ぼうしばり)」、「能」「船弁慶(ふなべんけい)」が行われます。
「狂言」「棒縛り」の「あらすじ」ですが、以下のようになっています。
「主人」はいつも「自分」が外出した後に、二人の「召し使い」「太郎冠者(たろうかじゃ)」・「次郎冠者(じろうかじゃ)」が「盗み酒」をする事に気づきます。
そこで「主人」は「一計」を案じ、「太郎冠者」が「棒術」を使うのを幸いに、上手くだまして「棒」に縛ってしまいます。
「次郎冠者」をも油断させて「後ろ手」に縛り、これで安心と出かけていきます。
残された「二人」は、縛られても「酒」が飲みたくなりあれこれと苦心しながら、「不自由」な「格好」のまま「大さかずき」に「酒」をくみ、「酒盛り」をしている内に、「主人」が帰ってきてしまいます。
「狂言」「棒縛り」ですが、「酒」を「題材」に「日本古来」の「武術」・「棒術」を記し、「主従」の「対立」を明るく描いています。
不自由な「姿」で「謡い舞う」ところがひとつの「趣向」で、「歌舞伎舞踏」にも移されて、「人気曲」になっています。
「能」「船弁慶」ですが、以下のような「あらすじ」になっています。
「平家追討」の「手柄」をたてた「源義経」でしたが、「兄」・「頼朝」との「不和」から「都落ち」を余儀なくされ、「鎌倉」から追われる「身」となります。
「義経」は、「武蔵坊弁慶」らわずかな「供」を連れて、「摂津」の「大物(だいもつ)の浦」へと向かい、その後「西国」への逃れようと出発します。
途中、「弁慶」は同行していた「静(しずか)」に、「女の身」で「困難」な「道のり」をこれ以上進むことは難しいので、「都」へ帰るようにさとします。
「静」は「別れ」の「宴の席」で、「舞」を舞い、「義経」との「再会」を願いながら「涙」にくれて見送ります。
「静」との「別れ」を惜しみ、「出発」をためらう「義経」に、「弁慶」は強引に「船出」を命じます。
「義経」一行の「船」が「海上」に出ると間もなく、静かな「海上」は俄(にわか)に「黒雲」がたちこめ、「暴風雨」となって荒れ狂い、滅亡した「平家」の「大将」「平知盛(たいらのとももり)」の「亡霊」が現れ、「長刀」を振りかざして「義経」に襲いかかってきます。
「弁慶」は、「数珠(じゅず)」で懸命に祈祷します。
その「祈り」の「力」により、「怨霊」は「沖」の「彼方」に消え、「白波」ばかりが残りました。
となっています。
「風光明媚」な「景勝地」「屏風ヶ浦」を望む「銚子マリーナ海浜緑地公園」行われる「イベント」「屏風ヶ浦銚子薪能」。
「能」「宝生流」「船弁慶」、「狂言」「大蔵流」「棒縛り」が行われるこの機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「屏風ヶ浦銚子薪能」詳細
開催日時 10月13日(土) 18時開演 (開場17時半)
開催会場 銚子マリーナ海浜緑地公園(名洗港海浜公園) 銚子市潮見町15番地
入場料 全席自由席3000円
問合わせ 銚子市観光協会 0479-22-1544
備考
「屏風ヶ浦銚子薪能」では、「未収学児童」の「入場」はご遠慮下さいとのことです。
また「屏風ヶ浦銚子薪能」では暖かい「服装」でお越し下さいと呼びかけています。
なお「雨天時」は「千葉科学大学マリーナキャンパス体育館」で行われるそうです。