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「小野川」(香取市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「重要伝統的建造物群保存地区」である「佐原の町並み」沿いに流れる「河川」「小野川」です。

 「香取市」は、「千葉県」「北東部」の「都市」で、2006年3月27日に、「佐原市」と「香取郡小見川町」、「山田町」、「栗源町」が合併して成立しました。
 「香取市」は、「水郷」と呼ばれる「国道51号線」沿線の「利根川」付近の「都市」のひとつであり、「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)の「門前町」として有名です。
 「香取神宮」は「武神」「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」を祀っていることで有名な「神社」であり、このために「近隣」では「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)を擁する「鹿嶋市」との「関係」が深いそうです。
 なお、「かとり」という「地名」の「語源」については、「梶取」、「神鳥」、「鹿取」など「諸説」あり、はっきりしませんが、「香取」という「表記」は「日本最古」の「和歌集」「万葉集」(2436番)に見られます。
 「香取市」は、「南西」に「県庁所在地」「千葉市」(50km)や「東京」(90km)と、「北東」の「鹿嶋」や「茨城県」「県庁所在地」「水戸」(75km)へは、「香取市内」を縦断する「国道51号線」や、「JR成田線」(東京方面)、「JR鹿島線」・「大洗鹿島線」(水戸方面)で向かうこととなります。
 「香取市」「佐原地区」では、「小野川」「香取街道」周辺に広がる「小江戸」とも称される「古い町並み」「佐原の町並み」を「観光資源」として活かす「取り組み」がなされています。

 「佐原の町並み」は、「香取市佐原」の「市街地」にある「歴史的」な「建造物」が残る「町並み」で、「商家町」の「歴史的景観」を残す「町並み」は「重要伝統的建造物群保存地区」として「関東地区」で最初に選定されています。
 「佐原の町並み」の「形成」ですが、「小野川」沿いの「商業都市」としての「町並み」は、遅くとも「南北朝時代」に作られたとされ、はじめは「小野川」の「東側」が中心でありましたが、「江戸時代」に入る頃には「西側」まで「範囲」が拡大しました。
 そしてこの時期から、「東側」を「本宿」、「西側」を「新宿」と呼ぶようになりました。

 「利根川東遷事業」が完了し、「小野川」が「利根川」と繋がると、「東北地方」などから「物資」が「利根川」を経由して「江戸」へ至る「ルート」が確立されたため、「佐原」はその「舟運」の「拠点」となり、「新宿」では「定期市」(六斎市)が開かれ賑わったそうです。
 さらに、「佐原の町並み」では「醤油」や「酒」の「醸造業」が盛んとなり、江戸中期には35軒もの「造り酒屋」が存在し、「関東灘」とも呼ばれたそうです。
 「佐原」は「香取街道」のほか「銚子方面」、「成田方面」への「街道」も通じ、「陸上交通」の「要衝」でもありました。
 江戸時代後期の1838年には、「人口」が5347人を数え、この江戸後期から明治時代にかけてが、「佐原」の最も栄えた時代で、その「繁栄」の「様子」は、1855年の「利根川図誌」にも取り上げられています。
 「利根川図誌」によりますと、「小野川」を利用する「商人」や「旅人」は「両岸」の狭いことをうら、み、往来する「舟」や「人」は「昼夜」止むことがなかったそうです。

 また、「他の地方」から「佐原」に「店」を出す「商人」もあり、「京都」の「2代目」「杉本新右衛門」は、1786年「佐原」に「呉服屋」「奈良屋」を出店し、「佐原」を代表する「商店」となったそうです。
 ちなみに「佐原」で成功した「奈良屋」はその後「千葉」にも「支店」を出しており、「千葉」の「支店」は、現在の「千葉三越」だそうで、「奈良屋」は「佐倉」にも出店しています。
 こういった「経済的」な「繁栄」は「文化」にも「影響」を与え、「楫取魚彦(かとりなひこ)」、「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)を輩出することとなったそうです。

 1898年「佐原」に「鉄道」が開通すると、「東京」までの「物資」の「輸送」としての「舟運」は「下火」になりますが、代わりに周辺の「鉄道」が通じていない「農村」から「米」などの「物資」を「佐原駅」まで「舟」で運搬し、それを「鉄道」で「他地域」に運ぶという「ルート」が確立したため、その後も「繁栄」は続いたそうです。
 1920年の「国勢調査」では、「佐原の人口」は15299人で、これは「千葉県内」では「千葉」、「銚子」に次ぐ「数字」であったようです。

 「小野川」は、「香取市」を流れる「一級河川」で「利根川水系」「利根川」の「支流」です。
 「小野川」は、「香取市織幡」付近に「源」を発し「北西」へ流れ、「香取市牧野」で「香西川」を合わせ、「佐原市街地」を北上し、「香取市佐原」に合流しています。
 「佐原市街地」では、「大雨時」にたびたび「冠水」し「被害」をもたらしたことから、「小野川放水路」が「市街地」を迂回(うかい)するように造られています。
 「小野川」「下流部」の「忠敬橋」付近の「佐原の町並み」には、「伝統的建造物」が多少残り、「河岸(かし)」の「歴史的景観」が残ることから「香取市佐原伝統的建造物保存地区」の「名称」で「重要伝統的建造物群保存地区」として指定されており、「小野川」の「流れ」と「歴史的」な「町並み」の「風情」が「観光客」を集めています。
 「小野川」は「香取市佐原」の「市街地」を二分して流れ、その「右岸」(東)を「本宿」、「東岸」(西)を「新宿」と呼び、「祭礼行事」(佐原の大祭)(2011年7月13日・7月11日・10月3日・2012年7月9日・)は、別々に行われるなど、「」市街地内の「地区」区分上大きな「役割」があります。

 「利根川」の「支流」である「小野川」は、「江戸期」より「水運の集散地」として「佐原の町」を発展させました。
 「農業用水」としても古くから利用され、「香取市牧野地先」に「堰」を造り、「樋橋(とよはし)」(2月13日のブログ参照)を介して市内「関戸方面」や「本宿耕地方面」に「水」を引いていました。
 1951年(昭和26年)に「国鉄」「佐原駅」「北側」に「小野川」から「掘り込み式」の「佐原港」が完成しましたが、「船」の「需要」がなくなったため、1970年(昭和45年)に埋め立てられました。
 2004年(平成16年)には「市街地」の「洪水」を解消するため「香取市牧野地先」から「本宿耕地地先」「利根川」までを流す「小野川放水路」が完成したそうです。

 「小野川」は、「一級河川」「利根川水系」で、「延長」(指定区間長)5.8km、「水源の標高」25m、「流域面積」36平方km、「水源」は「下総台地」(7月10日のブログ参照)です。
 「小野川」の「支流」ですが、「香西川」、「十間川」となっており、「橋梁」ですが、「下小野第一高架橋」(東関東自動車道)、「新堤橋(にいつつみばし)」、「小川須橋(こがすばし)」、「堀戸橋(ほっとばし)」、「新部橋(にっぺばし)」、「ふれあい橋」、「牧野橋」(千葉県道16号佐原八日市場線)、「佐香江橋(さかえばし)」、「学校橋」、「樋橋」(別名「ジャージャー橋」)、「忠敬橋(ちゅうけいばし)」(千葉県道55号佐原山田線)、「共栄橋」、「中橋」、「開運橋」、「小野川橋りょう」(JR成田線)、「小鮒橋」、「新橋」、「万代橋(よろずばし)」、「北賑橋」(国道356号線)、「小野川水門橋」(千葉県道404号線銚子小見川佐原自転車道線)となっています。

 現在でも「川沿い」の「土蔵造り」や「石垣」に往時を偲べる「町並み」が残る「佐原の町並み」を昔から見続けてきた「河川」「小野川」。
 「小野川」べりの「散策」を楽しみに「香取市佐原」にお出かけしてみてはいかがでしょうか?

 「小野川」詳細

 所在地  香取市佐原イ地先

 問合わせ 香取市商工観光課 0478-50-1212

 備考
 「小野川」にかかる「橋梁」「樋橋」(ジャージャー橋)は、「日本の音風景100選」に選ばれています。
 また「先代」「小野川橋」は、1924年(大正13年)に竣工した「日本」で「初」の「跳ね開式橋梁」であったそうです。













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