本日ご紹介するのは、近隣市「九十九里町」「旭市」「匝瑳市」「横芝光町」「山武市」「大網白里町」「東金市」「茂原市」「白子町」「長生村」「長南町」「睦沢町」「一宮町」に広がる「九十九里平野」です。
「九十九里平野」は、「千葉県」「中東部」「太平洋」に臨む広大な「海岸平野」で、「九十九里浜」(5月11日のブログ参照)の背後に広がる「平野」です。
「九十九里平野」は、「九十九里浜」とこれに並行する「下総台地」末端の「崖(がけ)」に挟まれた「平野」で、「九十九里浜平野」ともいわれています。
「九十九里平野」は、「南北」に約60km、「東西」に約10kmにわたる「海岸平野」で、「九十九里浜」の「海岸線」に沿って「南北」から「北東」に細長く伸びる「弧状」に曲がった細長い「長方形」をしています。
「北東端」は「旭市」(旧「海上郡飯岡町」)「刑部岬(ぎょうぶみさき)」(5月26日のブログ参照)付近から、「南端」は「いすみ市」(旧「夷隅郡岬町」)の「太東崎」付近で、「北側」は「下総台地」、「西側」は「房総丘陵」に接しています。
「九十九里平野」の「標高」は、「最高点」でも10m以下で、「海岸線」と平行していくつかの旧「砂丘列」が見られます。
(「九十九里平野」には、「海岸線」に並ぶ「砂丘列」は、十数列あるそうです。)
「九十九里平野」の「砂丘」の「間」には「低湿原」が点在しており、「下総台地」から流れ出る「小河川」は多いですが、いずれも「排水」が悪く、また「干害常襲地域」でもあって「水田農民」は苦しめられてきたそうです。
1951年(昭和26年)に「平野」「北部」に「大利根用水」が引かれ、1965年(昭和40年)には「九十九里平野」の「中南部」に「両総用水」が完成して、いずれも「利根川」の「水」が安定して供給されるようになり、現在「米どころ」にもなっています。
現在「平野」となっている部分は、「縄文海進」の後に「陸地」が「海側」に拡大し作られたものであり、中世以前には「玉の浦」と呼ばれていた「海」であったそうです。
そのため、現在でも「平野」に散財する「塩分濃度」が、「内陸」から「海岸」にかけて「勾配(こうばい)」を示すことが知られ、「地表面」には当時の「堆積物」の「痕跡」が見られます。
弥生時代から中世にかけて顕著な「海岸線」の後退があり、「水」に恵まれていた「中央部」から「北東部」側は早くから「稲作地帯」です。
なお「九十九里平野」の「北部」(「北東端」)には「椿海」(2011年4月17日のブログ参照)と呼ばれる「湖」がありましたが、江戸時代に「干拓」されて、「新田開発」が行われ、「干潟八万石」という「水田地帯」となりました。
現在、「九十九里平野」全域に「キュウリ」、「トマト」などの「園芸農業」が盛んであり、「北部」では「マキ」の「植木生産」や「養豚(ようとん)」に特色があります。
また「房総台地」との「境界」が「分水界」となる「南部」の地域では、「紀州漁民」の「入植」があり、「漁業」によって発展しました。
戦国時代(16世紀)の「末期」に「紀州」(現「和歌山県」)から伝えられた「地引網」は、広大な「砂丘」が広がる「地形」を生かして発展し、また「鰯漁」が盛んに行われ、「鰯」を干した「干鰯(ほしか)」は、「藍(あい)」などの「肥料」として多くの「需要」があり、「九十九里」を含めた「外房」は「全国的」な「干鰯」の「一大産地」となっていたそうです。
江戸時代の「最盛期」には、「海岸」近くに「地曳網」を入れる「納屋(なや)」が「砂浜」に建てられ、それが「集落」へと発展し、現在も「白子町」や「九十九里町」の「海岸」付近の「地名」などにその「名残」が残されています。
「九十九里平野」は、現在も「海岸」が後退し「平野」が拡大し続けていますが、その「拡大量」は低下しています。
この「低下」の「原因」は「堆積土砂」の「供給源」である「利根川」の「河川改修」の「結果」、流下する「土砂」が減少したことと、「海食崖」の「屏風ヶ浦(びょうぶがうら)」(5月20日のブログ参照)や「太東崎」での「人間」による「侵食防止策」の「影響」です。
「九十九里平野」の「気候」ですが、「冬」暖かく、「夏」涼しい、すごしやすい「気候」です。
また「植生」ですが、「九十九里平野」の「中央」に位置する「栗山川」(2月18日のブログ参照)中流域には縄文時代の「ラグーン」が「湖沼群」として残る地域があり「栗山川湿地」と呼ばれています。
ここは「絶滅」が危惧される貴重な「湿地植物」の「生育地域」でありますが、明治以降の「開発」により急速にその「面積」を減らしているそうです。
「山武市」と「東金市」の「境界」にある「成東・東金食虫植物群落」は、「絶滅」が危惧されている「食虫植物」などの「湿地植物」の「群落地帯」として、「天然記念物」に指定されています。
「九十九里平野」の「南端」に近い「茂原市」から「長生村」にかけての「地域」に、「植物学者」の「牧野富太郎」博士が
「まさに植物の宝庫である」
と絶賛した「茂原・八積湿原」がかつて存在していました。
「茂原・八積湿原」ですが、「千葉県」のほぼ中央部、「九十九里平野」の「南端」に近いこの地はかつて、「沼沢地」や「湿原」、「原野」や「山林」などが広がり、大変多様性のある「植物群落」でした。
特に、現在では「絶滅危惧種」にも指定されている「植物」が多数自生し、中でも「食虫植物」や「カヤツリグサ科植物」が豊富であったそうです。
かつての「海岸線」には「砂防」のため「松」が植えられていたので、各時代の「海岸線」にあたる「各地」に「松林」が残っており、現在の「海岸」には「海浜植物」が生育しています。
「九十九里平野」の「資源」ですが、「可採埋蔵量」が3750億立方mにも達する「日本最大」の「水溶性天然ガス田」でもある「南関東ガス田」の中にあり、「天然ガス」を産出しています。
また「水溶性天然ガス」は「岩石層」中の「鹹水(かんすい)」と呼ばれる「地層水」に「ガス」が溶けた状態で存在しているものでもありますが、「南関東ガス田」の「鹹水」には「海水」の約2000倍の「ヨウ素」が含まれ、「天然ガス」と同時に「ヨウ素」も産出されています。
なお「南関東ガス田」は「南関東」に広く分布しているものであり、1970年(昭和45年頃)までは「東京湾」岸でも「天然ガス」を採掘していました。
しかし「地盤沈下」を招き、その影響が深刻なため「東京湾」岸では「採掘業者」から「鉱区権」を「買い取り採掘」を停止しています。
「九十九里平野」でも「地盤沈下」の「影響」は避けられませんが、「自治体」と「採掘業者」との「協定」のもとで「採掘事業」を行っています。
また「市町村営」で「都市ガス」の「供給」を行っている「自治体」も多いそうです。
これから「海開き」が行われ、「海水浴客」で賑わう「九十九里浜」に沿って広がる「九十九里平野」。
夏のドライブにお出かけにしてみてはいかがでしょうか?
備考
「九十九里平野」にある「九十九里浜」に隣接した「山武市蓮沼」には「千葉県最大級」の「ブール」のある「人気スポット」「蓮沼ウォーターガーデン」(2010年8月5日のブログ参照)を含む「県立蓮沼海浜公園」(2011年7月23日・2012年3月20日のブログ参照)があります。
「夏期限定オープン」の「蓮沼ウォーターガーデン」は、来週末の7月14日(土)から9月9日(日)までオープンするそうですが、7月17日(火)〜7月20日(金)と9月3日(月)〜9月7日(金)まで休みとなるのでご注意下さい。
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地域情報::九十九里 | 07:15 PM |