本日二つ目にご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で明日、4月7日(土)・8日(日)に開催されます「香取神宮御田植祭(かとりじんぐうおたうえさい)」です。
「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「北総地域」はもとより「関東地方」を代表するパワースポットで、日本全国に約400社ある「香取神社」の「総本社」です。
「香取神宮」の「御祭神」は「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」で、「日本書紀」「神代紀一書」において「葦原中国」の平定に先立って、「天の悪神」「天津甕星(あまつみかぼし)」(別名「星神香香背男(ほしのかかぜお)」)を誅する「斎主神」のひとりとされています。
(「経津主大神」は、「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌命(たけみかづちのみこと)」と共に「日本国」を平定しました。)
「香取神宮」の「創建」は、紀元前643年と伝えられています。
「常陸国風土記」によると、「神代」の時代に「肥後国造」の「一族」だった「多氏」が「上総国」に上陸し、開拓を行いながら「常陸国」に勢力を伸ばしたそうです。
この際に「出雲国」の「柘植氏族」によって「農耕神」として祀られたのが、「香取神宮」の「起源」とされています。
また「香取神宮」は、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)と共に「蝦夷(えぞ)」に対する「大和朝廷」の「前線基地」であり、重要視されていたといわれています。
「平安時代」に「神宮」の「称号」で呼ばれていたのは、「延喜式神名帳」によりますと「伊勢神宮」・「鹿島神宮」・「香取神宮」の「三社」だけであったそうです。
また「香取神宮」は「鹿島神宮」・「息栖神社(いきすじんじゃ)」(2010年11月7日のブログ参照)の「三社」を合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)といわれています。
江戸時代から「東国三社参り」(三社を詣でること)が盛んに行われ、「お伊勢参りのみそぎの三社参り」と呼ばれ、大変人気のあった「旅」であったそうです。
(現在でいうパワースポットめぐりと思われます。)
「香取神宮」「本殿」から「鹿島神宮」「本殿」は約13キロメートル、ほぼ正確な「北東」(ずれは15分未満)にあり、「息栖神社」「本殿」は約8キロメートル、ほぼ正確な「東」(ずれは10分未満、「緯度」の違いは1秒未満)にあるそうです。
「香取神宮御田植祭」は、「香取神宮」で催されます「御田植祭」です。
「香取神宮御田植祭」は、4月の第1土曜と日曜に行われ、1日目の「耕田式」と2日目の「田植式」からなる「伝統」の「神事」です。
その年の「五穀豊穣」を祈る「御田植祭」は通称「かとりまち」ともいわれています。
「史料」によれば、「香取神宮御田植祭」は、明徳2年(1391年)には既に行われていた記載されており、それ以前より行われていたといわれています。
「御田植祭(おたうえまつり)」は、「寺社」や「皇室」の「領田」で行われる「行事」であり、「稲作」の「成功」をあらかじめ祝う「予祝」の「神事」及び「芸能」です。
「新春」の「予祝行事」として行われるものと、「田植え」の「時期」に行われる場合とがありますが、どちらも「農作業」の行程を模擬的に演じ「豊作」を祈念するものです。
「日本人」と「稲作」との長く深い係わりを示すものとして、「日本全国」にこの種の「行事」が伝承され、それを行うための「組織」も「地域」によって異なりますが、「収穫」までの全生産過程を演じる例は少なく、「田植」で終わるいわゆる「御田植祭」が多いといわれています。
苦しい「田植え」の作業を楽しくしようとする方法として「田植歌」を歌いながら「田植え」をするという「風習」があり、「田の神」を祀って「豊穣」を願う「農耕儀礼」と結びつき「祭礼」となったのが「起源」であるとされますが、歴史的には「権門」による「勧農」があり、その模倣や展開の結果として多くの地域で行われるようになったともいわれています。
このようなことから、地域を代表する古くからの「寺社」の「年中行事」として伝えられている場合が多く、いずれも「農作業」の行程を模擬的に演ずることが中心ではありますが、それぞれの地域ごとにさまざまな「芸能」の要素が伝えられ、特徴ある「行事」が伝承されています。
「香取神宮御田植祭」の初日(4月7日)の「耕田式」ですが、「苗長」を先頭に、「牛方」が「五色絹」に彩られた「牛の耕機」をつけて牽き、その後ろから、「緋の袴」をつけ「鎌」を手にした「少女」、「直垂(ひたたれ)」を着け「鋤(すき)」を手にした「男」、同じく「鍬(くわ)」を持った「男」、そして「白衣緋袴」に模様の入った「襷(たすき)」をかけ「背」に「花笠」を背負った「田舞」の「少女」8人、「華傘」をさしかけれた「肩車」された「早乙女」役の「稚児」8人が、庭上に入ります。
「鎌入れ」の「所作」、「鋤入れ」・「鍬入れ」の「所作」に続き、「牛」により「代掻き」が行われ、「少女」8人が「苗長」から受け取った「早苗」を「手」に「田舞」をし、「年配者」の「早乙女手代」による「田植え」の「所作」をもって「耕田式」は終わります。
「香取神宮御田植祭」2日目(4月8日)には、「田植式」が行われます。
前日(4月7日)の「耕田式」と同様、「香取神宮」「拝殿」前にて「露払」・「鍬取」・「老姥」や「華傘」の「稚児」が庭上へ進み、「少女」の「田舞」の後、「田植え歌」によって「早乙女手代」が「田植え」の「所作」を行うそうです。
「香取神宮」「拝殿」前の「神事」が終わると「参道」から「斎田」へと向かい、「献餞」、「祝詞奏上(のりとそうじょう)」などの「神事」が執り行われた後、「早乙女手代」が「田植え歌」を唄いながら「斎田」の「田植え」をするそうです。
「田植式」は、昔からの「稲作風景」をほのぼのと今に伝えるものなのだそうです。
なお、「香取神宮御田植祭」が開催されるこの時期は例年「桜」の「開花時期」であるため、「香取神宮」境内には「桜」が咲き誇り、「祭り」に一層の彩りを添えています。
また「佐原の桜まつり」(3月25日のブログ参照)期間中なので、「香取神宮」では「夜」になると、ライトアップされた境内や「桜の参道」が幻想的な雰囲気を醸し出しているようです。
「香取神宮」の「春」の「神事」「香取神宮御田植祭」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「香取神宮御田植祭」詳細
開催日時 4月7日(土)・8日(日) 13時
開催会場 香取神宮 香取市香取1697
問合わせ 香取神宮 0478-57-3211
備考
「香取神宮」は、中世においては、「香取海」での「浦・海夫・関」の「支配権」を握っていたと伝えられています。
「香取神宮御田植祭」は、「大阪」「住吉大社」、「三重」「伊勢神宮」とならび「日本三大御田植祭」のひとつに数えられています。
写メは昨年(2011年)4月に撮影したものです。
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地域情報::香取 | 01:36 PM |