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「延方相撲」「鹿嶋吉田神社」(潮来市)
 本日二つ目にご案内するのは、近隣市「潮来市」「鹿嶋吉田神社」で明後日(あさって)の7月29日(日)に開催されます「延方相撲」です。

 「潮来市」は、「茨城県」の「南東部」に位置し、「水陸」両方の「交通の要衝」にありました。
 また周囲を「水」に囲まれた「水郷地帯」で、「交通の要衝」としての「地位」は、「交通機関」の「変遷」の中で失われましたが、現在では「水郷」を生かした「観光都市」として知られている。
 「潮来市」の「人口」は30558人(2010年国勢調査)、「面積」は71.41平方kmとなっています。

 古来、「国府」の「石岡」から「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)へ通じる「駅路」「板来の駅」を設けたのが始まりといい、「常陸風土記(ひたちのくにふどき)」(6月3日のブログ参照)にも「板来」の「名前」があるそうです。
 元禄年間、「水戸藩」「第2代藩主」の「徳川光圀」公が「鹿島の潮宮」にあやかって「潮来」にしたと伝えられています。
 江戸時代は、「水戸藩」の「飛び地」で、「水運の中継地」として栄え、特に「東北地方」からの「物資」の「中継」が盛んで、「仙台河岸跡」、「津軽屋敷跡」などが残っています。
 「潮来市」内の「中心部」を流れる「前川」沿いに「前川あやめ園」(5月13日のブログ参照)があります。
 「あやめ」が咲く毎年5月末から6月にかけては、「市内最大」の「イベント」「水郷潮来あやめまつり」(5月14日のブログ参照)が開催されています。
 「潮来市」には、「JR鹿島線」が「東西」に横断しているほか、「国道51号線」、「国道355号線」が交差し、また「東関東自動車道」の「終点」ともなっています。

 「鹿嶋吉田神社」は、「潮来市」にある「神社」で、「延方相撲」が行われていることで有名な「神社」です。
 「鹿嶋吉田神社」の「御祭神」は、「武甕槌命(たけみかずちのみこと)」と「日本武尊(やまとたけるのみこと)」を祀っています。
 「鹿嶋吉田神社」は、「延方村」と「島崎村」(現・「潮来市延方地区」)の「鎮守」で、また「鹿嶋吉田神社」は「参道」の「桜」が美しいことでも知られています。

 「延方相撲」の「はじまり」ですが、1672年、「外浪逆浦(そとなさかうら)」(2011年1月30日のブログ参照)の「三角州」を巡って長い間、「延方」と「下幡木」(神栖市)の「利権争い」が絶えないとき、「幕府」の「評定」により「延方有利」に解決した事から1673年、「感謝」を表す為に、「鹿嶋吉田神社」に「相撲」を奉納されるようになったそうです。

 「延方相撲」の「由来」は次の通りです。

 江戸時代初期「徳島」一帯(地区)では「漁場」をめぐる「紛争」や、また「農耕地」の「利権論争」、「耕作権」の「問題」など「紛争」が絶えませんでしたが、寛文12年(1672年)7月27日この「紛争」に対して「江戸幕府」より「御評定」があり
 「この地は水戸南領に属す。」
 という「採決」がありました。
 「村人」はこれを喜び合い寛文13年(1673年)「相撲祭」を「延方村鎮守」「鹿嶋吉田神社」に奉納して感謝したことにはじまり、「江戸勧進相撲」の「格式」をもって今日に伝えられています。

 「相撲祭」は、「祭礼」までの約1ヶ月前から種々の「行事」が始められ、「当番地区」においては6月の「見届け行事」に始まり、「神前会議」、「当番誥家開き」、「衣装揃え」、「地取り祭」まで「地区」総がかりで行われるそうです。
 「祭礼」の「当日」、早朝より「当番地区」から「神社」までは「宮行司」、「警護」、「世話人」、「総代」、「花相撲」と古式床しい「行列」によってくり出されます。
 「相撲」は「鹿嶋吉田神社」境内「本殿」前に築かれた「土俵」で、「二番勝負」「一番勝負」「新手二人がかり」「小三番」「大三番」など「古式」の「取り組み」48番が取り納められます。

 「延方相撲」「例祭当日」の「流れ」ですが、「当番地区」から「神社」への「古式」豊かな「行列」が繰り出され、「神事」のあと、3歳から7歳の「小児」による「花相撲」によって「奉納相撲」が開始、その後「古式」に則った「48番」が奉納となります。

 「江戸勧進相撲」の「格式」を持って現在に伝えられている「鹿嶋吉田神社」の「延方相撲」。
 この機会に「潮来市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「延岡相撲」「鹿嶋吉田神社」詳細

 開催日  7月29日(日)

 開催会場 鹿嶋吉田神社 潮来市新宮1885

 問合わせ 潮来市観光商工課 0299-63-1111

 備考
 「鹿嶋吉田神社」「延方相撲」は、昭和39年7月31日に「茨城県」の「県指定無形民俗文化財」に指定されています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1224 |
| 地域情報::鹿島 | 02:38 PM |
「麻賀多神社祭礼」(祇園祭)(成田市)
 本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「麻賀多(まかた)神社」で明後日(あさって)の7月29日(日)に開催されます「麻賀多神社祭礼」(祇園祭)です。

 「成田市」は、「面積」約214平方km、「人口」約12万人、「千葉県」の「北部中央」に位置する「中核都市」です。
 「北」はとうとうと流れる「坂東太郎」・「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)をへだてて「茨城県」と接し、「西」は「県立自然公園」に指定されている「印旛沼」、「東」は「香取市」と接しています。
 「成田市」の「西側」には「根木名川」、「東側」には「大須賀川」が流れ、それらを取り囲むように広大な「水田地帯」や「肥沃(ひよく)」な「北総台地」(下総台地)(7月10日のブログ参照)の「畑地帯」が広がっています。
 「北部」から「東部」にかけての「丘陵地」には「工業団地」や「ゴルフ場」が点在し、「南」には「日本の空の玄関口」「WORLD SKY GATE」・「成田国際空港」があります。
 また、「成田市」の「中心部」である「成田地区」は1000年以上の「歴史」がある「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)の「門前町」として栄え、毎年多くの「参拝客」でにぎわいます。
 「成田市内」にはほかにも数多くの「寺社」が点在しており、豊かな「水」と「緑」に囲まれ「伝統的」な「姿」と「国際的」な「姿」が融和した「都市」です。

 「麻賀多神社」は、「成田市台方」にある「神社」です。
 「麻賀多神社」は「式内社」で「旧社格」は「郷社」、「印旛郡市」にある18社ある「麻賀多十八社」の「惣社」です。
 「麻賀多神社」の「御祭神」は「和久産巣日神(ワクムスビノカミ)」と「稚日霊命(わかひるめのみこと)」(奥宮)です。
 ちなみに「麻賀多神社」の「御祭神」は、「五穀の神様」で「産業を司る神」として知られています。
 また「麻賀多神社」の「神社の社紋」が「麻の葉」であることから「安産」や「子供の守り神」でもあるそうです。

 「麻賀多神社」「本堂」の「奥」にある「大杉」は、「御神木」として樹齢1300年あまりと推定されており、「東日本一」の「大杉」といわれています。
 古来より「御神木」には「神霊」が宿るといわれ、「延命」・「長寿」の授かることでも有名で、昭和10年(1935年)に「千葉県」の「記念樹」第1号に指定されています。
 また、1944年(昭和19年)6月10日に「日月神示(ひつきしんじ)」が降ろされた場所としても知られています。

 「麻賀多神社」の「歴史」ですが、「社伝」によれば、「景行天皇」42年6月晦日、「東征」中の「日本建尊(ヤマトタケルノミコト)」が当地を訪れ、「杉」の「幹」に「鏡」を懸け
 「この鏡をインバノクニタマオキツキガミと崇めて祀れば、五穀豊穣になる」
 と言い、「伊勢の大神」を遥拝したのが、「麻賀多神社」の「起源」であるといわれています。

 「応神天皇」20年、「神八井耳命(かむやいみのみこと)」の「8世」の「子孫」である「印旛国造」・「伊都許利命」が現在の「成田市船形」に「社殿」を造営し、その「鏡」を「神体」として「稚日霊命」を祀りました。
 また、「伊都許利命」は「杉の木」の下から「7つの玉」を掘り出し、それを「神体」として「和久産巣日神」を併せ祀りました。
 この2神は「真賀多真(勾玉)の大神」と呼ばれたそうです。

 「推古天皇」16年、「伊都許利命」の「8世」の「子孫」の「広鋤手黒彦命」が、「神命」により現在の「成田市台方」に「和久産巣日神」を遷座し、それまでの「社殿」を「奥宮」としました。
 「延喜式神名帳」に記載の際、「真賀多真」が「三種の神器」のひとつと同名であるとして、「一字」取って「真賀多神社」と改称し、後に「一帯」が「麻の産地」であることから「麻賀多神社」に「社名」を改めたそうです。

 また「麻賀多神社」という「神社」は、「印旛郡市」に「台方」をはじめ、「成田市」に1社、「佐倉市」に11社、「酒々井町」2社、「富里市」2社、「八千代市」1社の計18社を数えます。
 全国的に見ても珍しい「名前」の「神社」で、「印旛沼」の「東側」から「南」にかけてにのみ存在する「神社」です。

 「麻賀多神社祭礼」(祇園祭)は、「麻賀多神社」「本殿」で行われる「例大祭」を皮切りに、「神官」・「榊(さかき)」・「神輿」・「太鼓」・「山車(だし)」などの「一行」が、「印旛沼畔」の「鳥居河岸」に向けて練り歩きます。

 また「鳥居側」「神楽舞台」では「ヒョットコ踊り」や「獅子舞」が披露されます。
 なお「麻賀多神社例祭」(祇園祭)は、平成19年より、7月最終「日曜日」開催にされています。

 「成田市台方」に鎮座する「由緒」ある「神社」で行われる「麻賀多神社例祭」(祇園祭)。
 この機会に「成田市」「麻賀多神社」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「麻賀多神社祭礼」(祇園祭)詳細

 開催日  7月29日(日)

 開催会場 麻賀多神社 成田市台方1

 問合わせ 麻賀多神社 0476-28-5736 (1日・15日の8時〜17時)

 備考
 「麻賀多神社祭礼」で披露される「獅子舞」は、「成田市」の「市指定無形文化財」に指定されています。
 また「社号」の「麻賀多」ですが、「麻の産地」・「麻縣」によるものという「説」、掘り出した「勾玉」を「霊代」としている「説」、「印旛沼」の「潟」から「真潟」という「説」、「豊城入彦命下毛野君弟真若君」から「真若田」という「説」、「御祭神」・「稚日霊命」から「真若」であるともいわれており、「諸説」あります。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1223 |
| 地域情報::成田 | 12:33 PM |

 
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