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「菅原大神春の例祭」(銚子市)
 本日ご案内するのは、地元「銚子市」「菅原大神」で2月25日(木)に開催されます「菅原大神春の例祭」です。

 「菅原道真(スガワラノミチザネ)」公は、「日本」の平安時代に活躍された「貴族」、「学者」、「漢詩人」、「政治家」で、「参議」・「菅原是善(スガワラコレヨシ)」公の「三男」として生まれ、「官位」は「従二位」・「右大臣」、「贈正一位」「太政大臣」に就かれていた「人物」です。
 「菅原道真」公の「菅原家」は、「天穂日命(アメノホヒノミコト)」に「起源」をもち、「曾祖父」「菅原古人」公の時代に、「学問」をもって「朝廷」に仕える「家柄」となっていたそうです。
 「菅原道真」公の「祖父」「菅原清公(スガワラノキヨキミ/キヨトモ)」公と「父」「菅原是善」公は、ともに「大学頭」・「文章博士」に任ぜられ「侍読」も務めた「学者」の「家系」であり、当時は「中流」の「貴族」であったそうで、「母方」の「伴氏」ですが、「大伴旅人(オオトモノタビト)」公、「大伴家持(オオトモノヤカモチ)」公ら「高名」な「歌人」を輩出しています。
 「菅原道真」公の「正室」は「島田宣来子」(「島田忠臣」の「娘」)、「子」は「長男」・「高視」や「五男」・「淳茂」をはじめ「男女」多数で、「子孫」もまた「学者」の「家」として長く続き、特に「高視」の「子孫」は「中央貴族」として残り、「高辻家」・「唐橋家」をはじめ「6家」の「堂上家」(半家)を輩出しました。
 「菅原高視」の「曾孫」・「道真五世」の「孫」が「孝標」で、その「娘」「菅原孝標女(スガワラノタカスエノムスメ)」(「更級日記」の作者)は「菅原道真」公の「六世」の「孫」に当たるそうです。
 上記のように「菅原道真」公の「祖父」「清公」公は「私塾」を設け、「同所」からは「朝廷」の「要職」に「数々」の「官人」を輩出し、「菅原家」は「一大学閥」となっていったそうです。

 「菅原道真」公は、類(タグ)いまれなる「才能」の「持ち主」であり、「人々」から厚い「信頼」を得ており、その「ご生涯」は、「政略」による「左遷(サセン)」など波瀾万丈(ハランバンジョウ)のものでした。
 「菅原道真」公は、「幼少の頃」より「学問」の「才能」を発揮され、わずか 5歳で「和歌」を詠まれるなど、「神童」と称されていました。
 「菅原道真」公が「幼少期」につくったとされる「漢詩」は、下記の通りです。

 月夜見梅花

 月耀如晴雪 梅花似照星
 可憐金鏡転 庭上玉房馨

 月の輝きは晴れたる雪の如し
 梅花は照れる星に似たり
 憐れむべし 金鏡転じ
 庭上の玉房の馨れることを

 今夜の月の光は、雪にお日さまが当たった時のように明るく、
 その中で梅の花は、きらきらと輝く星のようだ。
 なんて素晴らしいのだろう。
 空には月が輝き、この庭では梅の花のよい香りが満ちているのは。

 「菅原道真」公は、さらに「勉学」に励み、「学者」としての「最高位」であった「文章博士(モンジョウハカセ)」となり、「栄進」を続けられ、「青年期」は「学問」だけではなく、「弓」にて百発百中(ヒャッパツヒャクチュウ)の「腕前」を披露されるなど、「文武両道」に傑出した「人物」として、その名を馳せていました。
 「菅原道真」公が「京都」から「讃岐国」の「長官」として赴任された際、疲弊していた「国」を建て直すなど「善政」を行い、住民に大変慕われました。
 その「実績」が「宇多天皇」に認められ、「菅原道真」公は、「京都」に戻り、厚い「信任」を受け、ますます「政治」の「中心」でご活躍されました。
 「菅原道真」公は、寛平6年(894年)、「唐」(当時の中国)の「国情不安」と「衰退」を「理由」に「遣唐使(ケントウシ)停止」を建議され、後の「国風文化」の「開花」に大きな「影響」を与えました。
 その後「菅原道真」公は、「右大臣」に任じられ、「国家」の発展に尽くされていましたが、「左大臣」「藤原時平」の「政略」により、身に覚えのない「罪」によって「大宰府(ダザイフ)」に突如「左遷(サセン)」されることとなってしまいました。

 「菅原道真」公は、「ご家族」とも十分な「別れ」も許されないまま「京都」を離れる際、「ご自宅」の「梅の木」に「別れの歌」を詠まれたそうです。
 「京都」を離れる際に、「菅原道真」公が詠まれた「和歌」は、下記の通りです。

 東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花
 あるじなしとて 春な忘れそ

 春風が吹いたら、香りをその風に託して大宰府まで送り届けてくれ、梅の花よ。
 主人である私がいないからといって、春を忘れてはならないぞ。

 「菅原道真」公は、「大宰府」では、「衣食」もままならぬ、厳しい「生活」を強いられながらも、「皇室」の「ご安泰」と「国家」の「平安」、また「ご自身」の「潔白」をひたすら「天」にお祈りされ、「誠」を尽くされました。
 「菅原道真」公は、延喜3年(903年)2月25日、その清らかな「ご生涯」を閉じられました。
 「菅原道真」公の「死後」、「天変地異(テンペンチイ)」が多発したことから、「朝廷」に「祟り」をなしたとされ、「天満天神」として「信仰」の「対象」となったそうです。
 「菅原道真」公の「死後」、「朝廷」でも「無実」が証明され、「人」から「神様」の「御位」に昇られた「菅原道真」公は、「太宰府天満宮」に「永遠」に静まり、「学問の神様」・「至誠の神様」として、現在に至るまで永く「人々」の「信仰」を集めており、一般に今日(コンニチ)の「天神さま」の「ご利益」とされているのは、「受験合格」、「詩歌・文筆・芸能上達」、「農業守護」、「商売繁盛」、「病気平癒」といったものだそうです。

 「菅原道真」公は、「福岡県」「福岡市」「中央区」「天神」に鎮座する「水鏡天満宮」(水鏡神社)の「御祭神」として祀られており、「水鏡天満宮」(水鏡神社)には、下記の「由来」が伝えられています。

 この神社は一名水鏡天満宮という。
 社伝によると延喜元年(901年)菅原道真公が太宰権帥に左遷されて博多に上陸の時、四十川(現在の中央区今泉)の清流を水鏡として姿をうつされたので後世その地に社殿を建てて水鏡天神(スイキョウノテンジン)、又容見天神(スガタミテンジン)といった。
 慶長17年(1612年)初代藩主黒田長政が現在の地に移築遷座し、寛永18年(1641年)二代藩主黒田忠之が社殿を再建した現在福岡市の中心「天神」の地名は当社に由来す。
 社宝として、水鏡天神縁起、(大鳥居信祐筆)、鏡天神縁起、渡唐天神像、その他がある。
 尚当宮正面鳥居扁額は、元総理大臣広田弘毅が小学生の時揮毫したものである。
 (鳥居扁額ですが、「北側」は黒田家13代目で貴族院副議長にもなった黒田長成揮毫のもので、南側が昭和の首相広田弘毅の小学生の時の揮毫といわれています。)

 現在の「水鏡天満宮」は、上述のように、当初建設された「場所」から移転されていますが、それは戦国時代に「福岡藩」の「初代藩主」となった「黒田長政」が「水鏡天満宮」を「福岡城」の「鬼門」にあたる「場所」、「東の鎮守」の「思い」を込めて移したためだそうで、そのまま現在の地に鎮座しています。
 また、「水鏡天満宮」(水鏡神社)(水鏡天神)(容見天神)ですが、「菅原道真」公が「博多」に上陸された際、近くの「川」(現在の薬院新川)に「自分」の「姿」を映し、やつれた「姿」を嘆き悲しんだことにちなんで建立されたそうです。
 なお「菅原道真」公を祀る「天神信仰」の「神社」は「全国」に約10400社にのぼり、その「総本宮」ともいえる「北野天満宮」(京都)と、「太宰府天満宮」(福岡)をはじめ、「各地」の「天神社」・「天満宮」では、毎月、「命日」の25日前後に「天神祭」が行われており、なかでも「大阪天満宮」で行われる「天神祭」(7月25日)は、「全国」でも有数の盛大な「夏祭り」として有名です。

 「菅原大神」ですが、「銚子市」「桜井町」に鎮座する「桜井里」の「鎮守」で、1131年(天承元年)11月の「創建」とされ、現在の「菅原大神」「社殿」ですが、1987年(昭和62年)に建立されており、「菅原大神」の「敷地」187坪の「境内」には「萱葺流造」の「本殿」が建っています。
 「菅原大神」は、「菅原大神」という「名」の通り、「菅原道真」公を祀る「神社」で、「菅原道真」公は、上記のように「学問の神様」・「至誠の神様」として、現在に至るまで永く「人々」の「信仰」を集め、「地元」では「天神さま」と呼ばれ、「菅原大神」は「子授け」の「ご利益」があることでも「全国的」に知られています。

 「銚子市」の「西部」、となりまち「東庄町」(2012年4月15日のブログ参照)に程近い「市内」「桜井町」に鎮座している「菅原大神」は、「古来」より「桜井の鎮守」として「遠近」の「信仰」があつく、「別名」「子宝神社」とも呼ばれています。
 「菅原大神」では、毎年「春」の2月25日(2015年2月23日・2014年2月23日・2013年2月19日・2012年2月20日・2011年2月21日のブログ参照)、「秋」の11月25日(2015年11月24日・2014年11月25日・2013年11月24日・2012年11月24日・2011年11月23日・2010年11月22日のブログ参照)に、「例祭」が行われ、「菅原大神」の「例祭」には、多くの「参拝客」で賑わいます。
 「菅原大神」の「春」、「秋」の「例祭」が賑わう「理由」ですが、「子宝」に恵まれない「婦人」が、「菅原大神」に奉納されている「子宝石」(子産石)を「お腹」に当て祈念し抱くと「子宝」に恵まれる(授かる)といわれている「伝承」(いい伝え)によるものです。
 「菅原大神」には、「大小」90個の「子宝石」(子産石)と呼ばれる「丸い石」が「社(ヤシロ)」に奉納されており、この「石」を抱くと「子宝」に恵まれると伝えられていることから、上記のように「菅原大神春の例祭」、「菅原大神秋の例祭」には「子宝祈願」にお越しになる方や、「子宝」に恵まれた方の「お礼参り」にお越しになる方で賑わうそうです。

 今年(2016年・平成28年)の「菅原大神春の例祭」ですが、2月25日(木)8時00分から「受付」を行い、「式」が始まる前に、「記帳」と「玉串料」(祈願料)3000円からを納め、11時00分頃から「例祭」(御祈願開始)が行われるそうです。
 「菅原大神春の例祭」の「祈願」の「種類」ですが、「授子祈願」、「安産祈願」、「お礼参り」となっており、「御祈願」の「順番」ですが、1「御礼参り」・「安産祈願」、2「授子祈願」となっています。
 「菅原大神春の例祭」では、上記のように「子宝祈願」が行われ、「神主」による「祈祷」、「詔(ミコトノリ)」と「神主」の「話」が終わると、「順」に、「菅原大神」「神殿」の「前」に出て、「榊(サカキ)」を奉納し、参拝します。
 その後、「菅原大神春の例祭」では、「子宝石」(子産石)を抱き、「子宝石」(子産石)を「お腹」に当てて「子宝」を祈願するそうです。

 そもそも「菅原大神」の「子宝石」(子産石)は、昔「菅原大神」から離れたところにあった「お産の神様」である「玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)」を祀った「御産宮(ゴサンノミヤ)」という「神社」に納められていたものだったそうです。
 それが、何らかの「事情」により「菅原大神」に移されたそうで、以来「菅原大神」は「子授けのご利益」を得たいと願う「人々」が参拝するようになっていったそうです。
 (御産宮社殿損壊の際、子宝石を菅原大神に移したとの「説」あり)

 「桜井の鎮守」「菅原大神」で開催される「子授けのご利益」を祈念・感謝する「春」の「神事」「菅原大神春の例祭」。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「菅原大神春の例祭」詳細

 開催日時 2月25日(木) 8時〜

 開催会場 菅原大神 銚子市桜井町60

 玉串料  3000円〜 (祈願料)

 問合わせ 銚子市観光商工課 0479-24-8707

 備考
 「菅原大神」の「子宝石」(子産石)ですが、昭和60年上半期(1985年4月から10月5日)に放映されました「NHK朝の連続テレビ小説」「第34作」「澪つくし」で「主人公」「古川かをる」(「沢口靖子」さん)が「子宝石」(子産石)を抱き、「子授け」の「ご利益」を祈る「シーン」が放映されたことで、その名が「全国的」に広まったそうです。
 「菅原大神春の例祭」「当日」は、「休憩所」が用意され、「休憩所」ですが、「桜井町青年館」(「菅原大神」から徒歩1〜2分)となっています。
 「桜井町青年館」(銚子市桜井町40-1)ですが、「ご自由」に利用できるそうですが、「席」に限りがあるそうですので、ご注意下さい。

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| 地域情報::銚子 | 10:32 AM |
「夕陽・夜景鑑賞会」(旭市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「旭市」「飯岡刑部岬展望館〜光と風〜」で2月21日(日)に開催されます「夕陽・夜景鑑賞会」です。

 「旭市」は、「千葉県」の「北東部」に位置し、「県庁所在地」「千葉市」から50km圏、また「東京都心」から80km圏に位置している「市」で、「人口」は約7万人の「自治体」です。
 (2016年(平成28年)2月1日現在、「旭市」の「人口」67606人、「男」33208人、「女」34398人、「世帯数」25523世帯)
 「旭市」の「南部」は美しい「弓状」の「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)に面し、「旭市」の「北部」には「干潟八万石」といわれる「房総半島」「屈指」の「穀倉地帯」と、なだらかな「丘陵地帯」である「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)が広がっています。
 「旭市」ですが、「旭市」、「香取郡」「干潟町」、「海上郡」「海上町」、「海上郡」「飯岡町」が、2005年(平成17年)7月1日に対等合併し、「新・旭市」としてスタートしています。
 「旭市」の「中央部」を「東西」に、「JR総武本線」と「国道126号線」が通り、「周辺」は「市街地」として発展しています。

 「旭市」の「大きさ」ですが、「東西」に約17.7km、「南北」に約13.5km、「面積」は129.91平方km、「標高」は、「海抜」68.4m(飯岡「刑部岬(ギョウブミサキ)」(2012年5月26日のブログ参照)付近)以下、「旭市内」の「全域」に及ぶ「平野部」は「海抜」3〜10mと「平坦」です。
 「旭市」「南部」「太平洋」に面する「海岸」「九十九里浜」は、「遠浅」の「砂浜」で、「夏」の「海水浴場」だけではなく、1年を通し、「海釣り」や「サーフイン」(サーフスポット)として賑わっています。
 なお「旭市」の「九十九里浜」ですが、「日本の白砂青松100選」、「日本の渚百選」に選定されています。

 「旭市」は「通年」として「温暖」な「気候」(平均気温は15℃)で、「冬」暖かく、「夏」涼しい「環境」を活かし、「農業」が盛んに営まれており、「干潟八万石」の「肥沃(ヒヨク)」な「水田」で採れる「水稲」はもとより、「施設園芸」による「キュウリ」・「トマト」などの「野菜づくり」、「カーネーション」、「ガーベラ」などの「花卉栽培」などが行われています。
 また、「旭市」「飯岡漁港」での「水産業漁獲量」も「県内2位」となっており、「旭市」「飯岡」の「伝統加工品」の「丸干しいわし」は「日本一」の「生産量」を誇り、近年「健康食品」としても「注目」を集めています。
 「旭市」は、「特産」の「貴味メロン」、「梨」、「いちご」(2011年12月14日・2010年12月10日のブログ参照)の「観光農園」、「畜産業」もあり、「農産物」から「畜産物」・「水産物」までなんでもそろう「食料のまち」で、「旭市」は「千葉県内屈指」の「食料供給基地」となっています。

 「旭市」は、「多彩」な「レジャー」が楽しめる「まち」として知られており、「旭市」では、「海水浴」、「サーフィン」、「パークゴルフ」、「キャンプ」、「釣り」などが楽しめます。
 「旭市」の「主」な「レジャースポット」は、下記の通りです。

 「海水浴」「サーフィン」「スポット」

 矢指ヶ浦海水浴場(ヤサシガウラカイスイヨクジョウ)(2014年7月14日・2013年7月12日・2012年7月17日のブログ参照)

 飯岡海水浴場(2014年7月14日・2013年7月12日・2012年7月17日のブログ参照)

 「パークゴルフ」

 あさひパークゴルフ
 旭市中谷里8340番地53
 0479-62-8989

 「キャンプ」

 海上キャンプ場
 旭市岩井1000
 0479-55-5250

 「釣り」「スポット」

 長熊釣堀センター(2012年5月4日のブログ参照)
 旭市萬力3566-1
 0479-68-4602

 袋の溜池(袋東公園)
 旭市鎌数4013
 0479-62-7537(旭市観光協会)

 「海釣り」「スポット」

 飯岡漁港(2012年6月6日のブログ参照)の釣り船

 飯岡地先海岸部全域(投げ釣り)

 「旭市」「飯岡地区」(旭市上永井)にある「刑部岬」は、「銚子市」(2010年9月20日のブログ参照)の「景勝地」「犬岩」から続く切り立った「断崖」「屏風ヶ浦(ビョウブガウラ)」(2012年5月20日のブログ参照)の「南端」(西端)に位置し、「九十九里浜」との「境」となっている「高さ」約60m(65m)の「断崖(ダンガイ)」の「岬」で、「飯岡灯台」が設置されています。
 「刑部岬」ですが、「岬」からの「眺め」は素晴らしく、「眼下」には「飯岡漁港」(2012年6月6日のブログ参照)から「西方」には「九十九里浜」が「弧(コ)」を描いて果てしなく続き、「東」には「東洋のドーバー」と称される「屏風ヶ浦」の「景観」を一望することができます。
 「刑部岬」の「下」にある「飯岡漁港」から「九十九里浜」が「弓状」に連なっており、「九十九里浜」ですが、「旭市」の「飯岡海水浴場」(2014年7月14日・2013年7月12日・2012年7月17日のブログ参照)から「いすみ市」にある「太東崎」まで66kmの「砂浜」が続いています。
 「刑部岬」の「岬」の「周辺」ですが、「上永井公園」として整備されており、「飯岡灯台」や、「飯岡刑部岬展望台〜光と風〜」などがあり、「冬場」は「天気」が良ければ「富士山」が見え、2月25日、26日頃には「条件」が良ければ、「ダイヤモンド富士」が見えると言われています。
 ちなみに「ダイヤモンド富士」ですが、「富士山」の「山頂部」と、「太陽」が重なる「大気光学現象」であり、「月」が「富士山」と重なる「パール富士」とは「対(ツイ)」にして扱われています。
 「ダイヤモンド富士」の「概要」ですが、「皆既日食」の際の「ダイヤモンドリング」になぞられ、「太陽」が「ダイヤモンド」のように美しく見えるため、こう呼ばれています。
 「ダイヤモンド富士」ですが、いつどこでも見られるわけではなく、「富士山頂」から「西側」の「南北」35度以内の「範囲」では「日の出」の時(昇るダイヤモンド)、「東側」の「南北」35度以内の「範囲」では「日没時」(沈むダイヤモンド)に年2回、「気象」などの「条件」がそろった時にだけ、見られる「光景」であり、「陸上」で、この「光景」が見られる「北限」は、「富士山」から「北東」に約191km離れた「茨城県」「鉾田市」の「海岸付近」だそうです。
 「山梨県」「山中湖」や、「静岡県」「田貫湖」では、「ダイヤモンド富士」で見られる「時期」には、多くの「カメラマン」かその「光景」を撮影しており、「東京都心」から近く、数多くの「登山者」が訪れる「高尾山」でも、「冬至」前後の「数日間」、美しい「ダイヤモンド富士」を見ることができるそうです。
 なお、「湖面」などに「ダイヤモンド富士」が映って、2つ見える場合は「ダブルダイヤ」と呼ばれているそうです。

 「刑部岬」では、上記のように「太平洋」と、「九十九里浜」が一望できる「雄大」な「眺望」が素晴らしく、「朝夕」の「陽光」の「差し方」で、その「表情」は「様々」に変わり、1日中見ていても飽きがこないそうで、「空気」の澄む「冬」には「天気」に恵まれると、「房総半島」越しに「富士山」が見え、「筑波山」越しに「日光」の「山々」の「山頂」の「雪」を確認することもできるそうです。
 「刑部岬」からの「景観」ですが、「日本の朝日百選」、「日本の夕陽百選」、「日本夜景遺産」、「日本の夜景100選」、「関東の富士見百景」、「ちば眺望100景」等に選ばれているそうです。

 「飯岡刑部岬展望館〜光と風〜」ですが、「千葉県九十九里自然公園」の「北部」に位置する「旭市」「飯岡地区」「上永井公園」「地内」の「屏風ヶ浦」の「西端」に位置する「高さ」約60m(65m)の「断崖絶壁」の「場所」に位置する「旭市」の「公共施設」、「展望館」です。
 「飯岡刑部岬展望館〜光と風〜」ですが、「自然」とふれあう「活動の場」として設計された「公共施設」で、「飯岡刑部岬展望館〜光と風〜」が一般公開されたのは、平成13年(2001年)3月16日となっています。
 「飯岡刑部岬展望館〜光と風〜」の「建物」ですが、「鉄筋コンクリート一部鉄骨造」「3階建て」となっており、「建築面積」436平方m、「延床面積」808平方mとなっており、「建設事業費」ですが、3億1千5百万円であったそうです。
 「飯岡刑部岬展望館〜光と風〜」の「主」な「設備」は、下記の通りです。

 「飯岡刑部岬展望館〜光と風〜」詳細

 ・多目的室 (1階)

 自然環境学習や講習会等多目的に利用可能。

 ・パノラマ展示室 (2階)

 周辺の自然がわかる資料や写真等を展示。

 ・光と風のデッキ (3階)

 24時間利用できる半屋外展望スペース。

 ・屋外展望台

 360度展望できるパノラマ展望台

 「飯岡刑部岬展望館〜光と風〜」の「施設」の「名称」ですが、「千葉県内」をはじめ広く公募し、その中から「最優秀作品」として「銚子市」在住(当時)の「木村里子」さんがつけた「名称」が採用されました。
 この「名称」は、「施設」の「内容」や、「所在地」が「利用者」にとってわかりやすく、また「朝日」から「夕陽」までの「太陽」がおりなす「景観」や、「四季折々」に肌に感じられる「風」をイメージさせるものとなっています。

 「飯岡刑部岬展望館〜光と風〜」に登りますと「周囲」360度、「視界」をさえぎるものがないため、上記のように大きな「弧」を描く「水平線」、「風車」で回る「緑」の「大地」、そして「関東の富士見百景」に選ばれた「富士山」と、「九十九里海岸」の「眺望」が楽しめます。
 「飯岡刑部岬展望館〜光と風〜」から「富士山」までの「直線距離」で190kmで、「空気」が澄んで見通しのきく「秋」から「冬」にかけた「時季」、「北西」からの乾燥した「季節風」が「湿気」や、「霧」を吹き払うと、「九十九里海岸」の向こうに「富士山」がその姿を現し、同じ頃、「北西」の「方角」には「筑波山」が、その後ろには「雪」を冠った「男体山」がうっすらと見えるそうです。
 「飯岡刑部岬展望館〜光と風〜」では、例年11月終わり頃に吹く「木枯らし一号」が「富士見百景」の「幕開け」となり、12月は平均して8日程度、1月、2月はもう少し見える「頻度」は増え、「陽射し」が「西」に傾き、「水平線」に「房総半島」の「影」が低く延びる頃には、「光芒」を「背」にシルエットが浮かび上がり、「日本夕陽百選」にも選ばれた「夕陽」と、「富士山」の「競演」が見られるそうです。
 上述の「日本夕陽百選」に選ばれている「刑部岬」は、「夕陽」と、「富士山」の「シルエット」を眺める「絶好」の「ビューポイント」となっていることから、2月から1ヶ月間、「飯岡刑部岬展望館〜光と風〜」「2階パノラマ展望室」の「閉館時間」(閉館日を除く)を毎夕方、1時間遅らせて18時00分としています。

 「夕陽・夜景観賞会」ですが、2月21日(日)10時00分から18時00分まで「飯岡刑部岬展望館〜光と風〜」を「会場」に行われる「夕陽・夜景鑑賞イベント」です。
 「夕陽・夜景観賞会」ですが、「刑部岬」に建つ「飯岡刑部岬展望館〜光と風〜」で、「夕陽・夜景鑑賞」を行い、「旭市観光ボランティア会」の「方々」による「撮影アドバイス」を行うそうです。
 その他「夕陽・夜景観賞会」では、「時間内」に、「旭市観光写真ボランティア会」で製作した「旭市の四季DVD」「飯岡津波CD」の紹介や、「旭市内」で活躍している「フォト&ムービークラブ」による「地域紹介ビデオ」等の「上映会」、作って遊ぶ「糸電話体験コーナー」・「旭市の農産物等特産品紹介コーナー」を予定しているそうです。
 「ビデオ上映会」・「旭市特産品紹介」・「体験コーナー」ですが、10時00分開始となっています。

 「風光明媚」な「景観」が望める「ビュースポット」「飯岡刑部岬展望館〜光と風〜」で開催される「夕陽・夜景鑑賞イベント」「夕陽・夜景鑑賞会」。
 この機会に「旭市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「夕陽・夜景鑑賞会」詳細

 開催日時 2月21日(日) 10時〜18時

 開催会場 飯岡刑部岬展望館〜光と風〜 旭市上永井1309-1

 開館時間 9時〜16時半 (2月のみ〜18時)

 問合わせ 飯岡観光写真ボランティア会 石井さん 0479-55-5206

 備考
 「飯岡刑部岬展望館〜光と風〜」の「光と風のデッキ」・「1階トイレ」ですが、「終日」の「利用」が可能となっています。
 「夕陽・夜景観賞会」ですが、「当日」の「気象条件」により「富士山」がご覧いただけない場合もあります。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2927 |
| 地域情報::旭 | 10:16 AM |
全客室・全フロアでFree Wi-Fi がご利用いただけます。
2016年2月より、ロビー、宴会場、レストラン、客室にてFree-wifiがお楽しみいただけるようになりました。


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| お知らせ | 07:39 PM |
「平成28年成田の梅まつり」(成田市)
 本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「成田山公園」で2月20日(土)〜3月6日(日)の期間開催されます「平成28年成田の梅まつり」です。

 「成田のお不動さま」の「愛称」で親しまれている「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)は、「真言宗智山派」の「大本山」で、「関東三不動」のひとつです。
 「成田山新勝寺」ですが、天慶3年(940年)「寛朝大僧正(カンチョウダイソウジョウ)」によって「開基」され、以来一千年余りもの「歴史」を持つ「全国有数」の「霊場」です。

 「成田山新勝寺」の「御本尊」である「真言宗」の「開祖」「弘法大師」「空海」が、自ら「一刀三礼」(ひと掘りごとに三度礼拝する)の「祈り」をこめて「敬刻開眼」された「御尊像」なのだそうです。
 「成田山新勝寺」では、この「霊験」あらたかな「御本尊」「不動明王」の「御加護」で、千年以上もの間、「御護摩」の「火」を絶やすことなく、「皆様」の「祈り」が一体となり、「清浄」な「願い」となって現れるそうです。
 「成田山新勝寺」は、「開山1080年」を間近に控えた現在も、「成田のお不動さま」として数多くの「人々」の「信仰」を集めています。

 「成田山表参道」の「信徒会館」前から「成田山」「総門」を入ると「成田山新勝寺」「境内」です。
 「成田山表参道」「右側」に「土産物店」が「軒」を連ねる「広場」「堂庭」があり、「客殿」の「成田山」「光輪閣」を「左」に見て、「石段」を登ると「大提灯」が下がる「仁王門」(重要文化財)をくぐります。
 さらに「石段」を登り切ると、「左右」に「翼殿」を持つ「重層入母屋造り」の「成田山」「大本堂」の「雄姿」が「視界」に入ってきます。
 「成田山」「大本堂」には「弘法大師」が彫ったといわれる「御本尊」「不動明王」がまつられており、その「内陣」は広く、「畳」296畳分もあるそうで、「内陣」「中央」に焚かれている「御護摩」の「香煙」は、「開山」以来1日も絶えたことがないといわれています。
 「成田山」「大本堂」「右手」には、「三重塔」(重要文化財)と、「一切経堂」、「鐘楼」があります。

 「成田山新勝寺」「大本堂」前「広場」「左手」には、「釈迦堂」(重要文化財)が鎮座しています。
 「釈迦堂」は、安政5年(1858年)に建立された前の「本堂」で、「釈迦堂」には、「仏教」を開いた「釈迦如来」が祀られています。
 「釈迦堂」の「堂」の周囲には、「二十四孝」の「彫刻」などが施され、江戸時代末期の「特色」を示しているそうです。

 「成田山新勝寺」「大本堂」「左手」から順次、「成田山平和の大塔」(2012年5月7日のブログ参照)への「道」を巡っていくと、「石段」を上り「正面」に「光明堂」(重要文化財)、「左手」には「額」や、「絵馬」が並ぶ「額堂」(重要文化財)が建っています。
 「入母屋造り」の「額堂」の「軒下」には、「成田山新勝寺」に奉納された「額」や、「絵馬」が掲げられています。
 「大日如来」をまつる「光明堂」(重要文化財)は、「釈迦堂」の前の「成田山新勝寺」の「本堂」で、元禄14年(1701年)に建立された「貴重」な「建物」で、毎年5月に「光明堂」の前で、「薪能」(2015年5月15日・2014年5月13日・2013年5月13日・2012年5月12日・2011年5月12日のブログ参照)が催されています。
 「光明堂」の「裏手」の「道」をたどっていくと、「圧倒的」な「迫力」をもって「塔」こそ昭和59年(1984年)に完成した「成田山平和の大塔」で、見るものを「圧倒」する「威容」な「成田山平和の大塔」は、「成田山新勝寺」の「真言密教」の「教え」の「根本」である「相互礼拝」・「相互供養」の「曼陀羅世界」を表しています。

 「成田山新勝寺」「光明堂」の「右手」には「清滝権現」の「社殿」が、「光明堂」「裏」には「奥の院」があります。
 「清滝権現」の「社殿」「右手」から鬱蒼(ウッソウ)と茂る「林」の中へ「石段」を降りていくと、「雄飛の滝」が「岩」をうち、「渓谷美」が展開し、ここから「先」が「成田山公園」(2010年11月12日のブログ参照)となっています。

 「成田山公園」は、「広さ」165000平方mという「広大」な「敷地」を有し、「広さ」で例えると「東京ドーム」3個分も入ってしまう「広さ」なのだそうです。
 「成田山公園」では、「森林浴」を楽しみながら、「木々の間」から差し込む「陽の光」に照らされて、「新緑」、「蝉時雨(セミシグレ)」、「紅葉」、「雪景色」といった「四季」の「表情」を感じとることができる「公園」となっており、近年は「健康志向」の「ライフスタイル」が流行していることから、「成田山公園」で「ウォーキング」(散策)される「方」も多く見られます。

 「成田山公園」は、上記のように「草木」や、「自然」にあふれ、「仏教」の生きとし生けるもの「すべて」の「生命」を尊ぶという「思想」が組み入れられており、「園内」「竜智の池」などの3つの「池」は「放生(ホウジョウ)の場」を表し、「公園全体」を見れば、「不殺生(フセッショウ)」を象徴する尊い「生命」をはぐくむ「場」となっています。
 「成田山新勝寺」「境内」にある「光明堂」近くの「階段」を下りていくと、上記のように「木立」の中から「光」が差し込んでいる「雄飛の滝」が「巨大」な「岩山」の中から「顔」を見せ、「雄飛の滝」の「水」は、「竜智」、「竜樹」、「文殊」と名付けられた3つの「池」への「水源」となっており、「竜智の池」の中にある「浮御堂」の周りには数多くの「鯉」が泳いでいます。

 「成田山公園」「園内」「各所」には、「松尾芭蕉」や、「高浜虚子」など「著名」な「文人達」の「句碑」が建っており、当時の「成田」でも「俳句」や、「歌」をたしなんでいた「人々」が多くいたという「事」が物語っており、「公園」の「自然」の中にも「様々」な「先人」の「知識」や、「足跡」が残されています。
 また「成田山公園」「園内」には、「成田山書道美術館」(2011年6月5日のブログ参照)があり、「成田山公園」に隣接して「成田山霊光館」、「成田山仏教図書館」などがあり、「成田山書道美術館」の「傍ら」には「水琴窟(スイキンクツ)」と呼ばれる「不思議」な「音」が聞こえる「場所」があり、「水琴窟」からは「水滴」が「大瓶」の中に落ちて、反響する「音」が「耳」を傾けると「名琴」のように、澄んだ「音」が聞こえてくるそうです。

 上記のように「成田山新勝寺」「大本堂」の「奥」に広がる「風光明媚」な「成田山公園」では、「四季折々」の「草花」や、「風景」を楽しむことができ、「成田山公園」には、「平均樹齢」50年を越える約500本の「紅梅」や、「白梅」が植えられています。
 「成田山公園」の「梅」は、例年2月中旬から3月中旬にかけて咲き、「成田山公園」は「梅の香り」でいっぱいになります。
 「成田の梅まつり」(2015年2月17日・2014年2月16日・2013年2月11日・2012年2月9日・2011年2月10日のブログ参照)は、「成田山公園」を「会場」に行われている「催し」で、「成田」の「新春恒例行事」として、「園内」の「梅」が色づく2月から3月にかけて行われています。
 「成田の梅まつり」は、毎年約1ヶ月間にわたり開催され、「期間中」の「週末」を「中心」に「様々」な「イベント」を開催、訪れる「方」に「おもてなし」を行っています。

 「平成28年成田の梅まつり」ですが、2月20日(土)から3月6日(日)の「期間」に「成田山公園」を「会場」に行われ、「期間中」の「各」「土・日曜」に「イベント」を開催するそうです。
 「平成28年成田の梅まつり」「期間中」の「イベント」ですが、「観梅の演奏会」、「甘酒進上」、「表千家観梅の野点」、「観梅の投句コンテスト」、「氷の彫刻展」、「草木染」「華の集い展」となっています。

 「観梅の演奏会」は、「成田山公園」の「梅」を愛でながら「伝統音楽」を楽しむ「催し」で、毎回「大勢」の「お客様」が「春」を奏でる「音色」に「耳」を傾け、「好評」を得ている「催し」です。
 「観梅の演奏会」「演奏会場」は、「成田山公園」内の「西洋庭園」で、「伝統音楽」の「演奏会」を行います。
 「観梅の演奏会」は、11時00分からと、13時30分からの1日2回行われ、「開催日」、「演奏会出演者」は、下記の通りです。

  開催日  演奏会出演者

 2月20日(土) 二胡 (ワン・シャオフォン)

 2月21日(日) 箏 (清翔会)・尺八 (竹樹会)

 2月27日(土) 津軽三味線 (通若会社中)

 2月28日(日) 津軽三味線 (佐藤通弘・通芳)

  3月5日(土) 箏 (清翔会)・尺八 (竹樹会)

  3月6日(日) 二胡 (ワン・シャオフォン)

 「甘酒進上」ですが、「米麹」を使って、その場で、手作りした「甘酒」を「無料」で配る「おもてなし」で、ほんのりした「甘さ」は、「公園散策」で冷えた「指先」や、「体」を「芯」から温めてくれます。
 「甘酒進上」は、「期間中」の「各」「土・日曜」の10時00分から15時00分まで「成田山公園」「園内」「西洋庭園」でふるまわれます。

 「表千家観梅の野点」は、「表千家成田市茶道会」の「協力」により、「無料」で行われる「催し」で、「期間中」の「各」「土・日曜」に開催され、「会場」は、「文殊の池」上「梅林」、10時00分から15時00分(受付終了は14時30分)まで行われます。
 「表千家観梅の野点」「先生」の「スケジュール」は、下記の通りです。

 2月20日(土) 行方棟岑 先生

 2月21日(日) 八尾宗保 先生

 2月27日(土) 矢沢宗文 先生

 2月28日(日) 成田市茶道会有志

  3月5日(土) 阿地宗玲 先生

  3月6日(日) 大塚宗裕 先生

 となっており、「表千家観梅の野点」では、初めて「お茶」を召し上がる「方」でも「気軽」に参加できるそうです。

 「観梅の投句コンテスト」は、「成田の梅まつり」「恒例」の「投句コンテスト」で、「兼題」は「梅」となっており、1人2句以内「未発表」の「作品」に限り「応募・受付」しています。
 「観梅の投句コンテスト」の「投函箱設置場所」ですが、「成田山公園」「西洋庭園」及び「宗吾霊堂」(2010年12月23日のブログ参照)「大本堂」前に設置されるそうです。
 「観梅の投句コンテスト」の「賞」ですが、「秀句」9句、「入選」20句となっており、「秀句」9句は、下記の「賞」となっています。

 成田山新勝寺貫主賞

 成田市長賞

 成田市議会議長賞

 京成電鉄株式会社賞

 JR成田駅賞

 宗吾霊堂賞

 三橋鷹女賞

 成田商工会議所賞

 一般社団法人成田市観光協会賞

 「氷の彫刻展」は、「期間中」の3月6日(日)に「成田山新勝寺」「大本堂」前「広場」周辺で開催される「イベント」で、「氷の彫刻展」では、四角い「氷柱」を「職人たち」の「手」により、「様々」な「形」に作り上げていく「様子」を「目の前」で見られ、「冬」ならではの「氷の芸術品」が並ぶ様は「圧巻」だそうです。
 「氷の彫刻展」「スケジュール」は、下記の通りです。

 10時15分 開会式
 (大本堂正面階段踊り場/雨天時・大本堂第一講堂)

 10時30分 競技開始

 12時30分 競技終了・審査

 13時   特別大護摩参詣「成功成就」

 14時15分 表彰式

 「草木染」「華の集い展」は、2月28日(日)から3月6日(日)に「成田観光館」で行われる「展示会」で、「自然」の「草花」を「染料」として、「スカーフ」や、「タペストリー」等の「大小」「様々」な「布地」に染め込んだ「作品」が展示されます。

 「四季折々」の「表情」を見せる「風光明媚」な「庭園」が美しい「成田山公園」で開催される「新春恒例」の「催し」「平成28年成田の梅まつり」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「平成28年成田の梅まつり」詳細

 開催期間 2月20日(土)〜3月6日(日)

 開催時間 10時〜15時

 開催会場 成田山公園 成田市成田1

 問合わせ 成田市観光協会 0476-22-2102

 備考
 「平成28年成田の梅まつり」でふるまわれる「甘酒」ですが、弘化4年(1847年)頃「創業」の「糀店」の「麹」を指定しており、「天然」の「甘味」が利いた「糀」の「甘酒」となっています。
 なお「甘酒進上」ですが、「雨天」の場合、「中止」だそうです。

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| 地域情報::成田 | 10:38 AM |
「リアル宝探し」(旭市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「旭市」「飯岡漁港」、「いいおかみなと公園」周辺で2月21日(日)に開催されます「リアル宝探し」です。

 「飯岡漁港」(2012年6月6日のブログ参照)は、「旭市」「下永井」にある「第1種漁港」です。
 「第1種漁港」ですが、「漁港漁場整備法」によりますと、「漁港」は「天然または人工の漁業根拠地となる水域及び陸域並びに施設の総合体」と定義されたうえで、種類に応じて「市町村長」、「都道府県知事」または「農林水産大臣」が「名称」及び「区域」を定めて指定され、「第1種漁港」は「利用範囲」が「地元」の「漁船」を「主」とするものだそうです。
 ちなみに「第2種漁港」は、「利用範囲」が「第1種」より広く、「第3種」に属さないもの、「第3種漁港」は、「利用範囲」が「全国的」なもの、「第4種漁港」は「離島」その他「辺地」にあって「漁場」の「開発」、または避難上、必要とされるもの、「特定第3種漁港」は、「第3種」のうち振興上、特に重要な「漁港」とされています。
 ちなみに、「銚子漁港」(2012年1月24日のブログ参照)ですが、「特定第3種漁港」に1951年(昭和26年)7月10日に指定されています。

 「飯岡漁港」「東側」には、「屏風ヶ浦(ビョウブガウラ)」(2012年5月20日のブログ参照)と呼ばれる「海食崖」があり、「高さ」35m〜60mの「断崖」が約10kmにわたって連なっています。
 「飯岡漁港」「西側」は「刑部岬(ギョウブミサキ)」(2012年5月26日のブログ参照)を「境」として、「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)の「砂浜」が続いています。
 「飯岡漁港」は、1953年(昭和28年)6月27日に「第1種漁港」に指定されており、「主」な「魚種」ですが、「イワシ」(2012年5月17日のブログ参照)、「シラス」、「シラウオ」となっています。
 「飯岡漁港」の「漁獲量」ですが、「千葉県内」で2位となっています。

 「飯岡漁港」は、「沖合・沿岸漁業」の「根拠地港」として成り立ち、「水揚げ」の90%を占める「昔」からの「代表的漁獲物」である「イワシ」を獲る「まき網漁業」(揚操網)を「中心」に、「シラウオ」・「シラス」を獲る「船びき網漁業」、「ヒラメ」や、「イセエビ」などの「高級魚」を獲る「固定式さし網漁業」、「ハマグリ」や、「赤貝」(サトウガイ)を獲る「貝巻き網」などの「漁業」が営まれており、平成20年(2008年)には約3万9千t(トン)が水揚げされ、「県下」では「水産漁獲量」において、上述のように「銚子漁港」に次ぐ「県下第2位」の「地位」を「不動」のものとしています。
 「飯岡地区」の「伝統工芸品」である「丸干しいわし」ですが、「日本一」の「生産量」を誇り、近年「健康食品」としても「注目」を集めており、また「旭市」が「北限」の「九十九里地域」の「広大」な「砂丘域」である「九十九里浜」では、「蛤(ハマグリ)」や、「サトウガイ」(赤貝)などの「採貝漁業」が営まれており、「千葉県」が創設している「千葉のさかな」「認定制度」「千葉ブランド水産物」(2011年2月14日のブログ参照)に2012年(平成24年)11月14日に認定された「九十九里地はまぐり」(2012年12月17日のブログ参照)が新しい「特産品」となっています。
 ちなみに「旧・飯岡町」の「漁業」の近年の「沿革」ですが、昭和33年(1958年)「飯岡町漁業協同組合」設立、昭和45年(1970年)に、「飯岡町漁協」、「海上郡漁協」、「豊富漁協」、「匝瑳郡漁協」(飯岡町、旭市、野栄町、八日市場市、光町(当時))にまたがる「広域合併」を行い「海匝漁協」が設立され、合併に並行して「漁港」の「整備」も進み、昭和57年(1982年)2月に「飯岡漁港」が正式に開港し、「盛大」に「開港式」が執り行われたそうです。

 「いいおかみなと公園」は、「旭市」「下永井」にある「公園」です。
 「いいおかみなと公園」ですが、「旧・海上郡飯岡町」の「公園」でしたが、「市町村合併」に伴い、現在「旭市」の「公園」となっています。
 「いいおかみなと公園」ですが、「九十九里浜」の「最北端」、「第1種漁港」「飯岡漁港」の「となり」に位置し、「遊具」と、「芝生広場」などを備えた「公園」となっています。
 「いいおかみなと公園」には、広い「駐車場」が完備され、上述のように「公園内」には「船」の「形」をした「大型複合遊具」や、「色々」な「遊具」があったり、休憩出来る「屋根付き」の「テーブル」もあり、「海」を見ながら「潮風」を感じることができ、「公園内」で「お弁当」、「軽食」など「食事」を楽しむ「方」も多く見受けられます。
 「いいおかみなと公園」からは、「九十九里海岸」が一望でき、また「屏風ヶ浦」の「最南端」に位置する「刑部岬」の「断崖絶壁(ダンガイゼッペキ)」を望め、「刑部岬」上に「飯岡灯台」、「飯岡刑部岬展望館〜光と風〜」(2014年2月18日のブログ参照)を見ることができ、「公園」周辺では、「海釣り」(ファミリーフィッシング)を楽しむ「方」も多く訪れ、「ファミリー」で1日楽しめる「公園」となっています。

 「リアル宝探し」ですが、「旭市観光物産協会」「飯岡支部」「主催」、「旭市」「後援」、「道の駅季楽里あさひ」「協賛」、「リアル宝探しタカラッシュ」「企画」・「監修」で行われる「リアル宝探しイベント」です。
 「リアル宝探しイベント」とは、「宝探し」「タカラッシュ!」が企画する「観光地」や、「テーマパーク」、「ショッピングモール」などの「店舗」で選べる「参加型」の「謎解きイベント」です。
 「リアル宝探しイベント」「参加者」は「参加キット」(宝の地図)を入手し、描かれた「謎」を解き明かし、隠された「手がかり」をみつけながら、「最終的」に「宝物」を発見します。
 「リアル宝探しイベント」では、「宝物検索」の間に触れる「観光地」や、「名所」、「隠れスポット」、「お土産屋さん」の「店主」との「会話」など、「自分だけ」の「発見」を楽しみながら、参加いただけるそうです。
 「リアル宝探し」ですが、2月21日(日)に行われる「イベント」で、「発見報告時間」ですが、10時00分から13時00分となっており、13時00分から「賞品」の「抽選会」を行うことになっています。
 「リアル宝探し」「発見報告所」ですが、「いいおかみなと公園」となっており、「参加費」は「無料」、どなたでも参加できる「イベント」となっています。
 「リアル宝探し」「参加チラシ」の「配布」ですが、「先着」2000名様となっているそうです。
 「リアル宝探し」「宝箱」「発見者」の中から抽選で、素敵な「賞品」が当たり、さらに「発見者賞」として「タカラッシュ!カード」をプレゼントするそうです。
 「リアル宝探し」「賞品」は、下記の通りです。

 A賞 Newニンテンドー3DSLL 1名様

 B賞 いちご(1パック3000円相当) 3名様

 C賞 しぐれ揚(1箱) 5名様

 発見者賞 先着400名様 旭市貴味メロンの四角いメロンパン
      先着2000名様 タカラッシュ!カード

 「タカラッシュ!カード」とは、「タカラッシュ!」が企画・監修する「宝探しイベント」で貰える「カード」です。
 「タカラッシュ!カード」「サイト」の「マイページ」で「カード」に記載された「宝物ID」を登録すると、「マイページ上」で「宝物アイテム」をコレクションすることができるそうです。

 「リアル宝探し」の「参加方法」は、下記の通りです。

 ステップ1 宝の地図を手に入れ、謎を解こう!

 宝の地図を手に入れ、宝の地図に記載された3つの謎を解読しよう!
 解読すると、捜索範囲のどこかに隠された3つの宝物のありかが分かるよ。

 ※宝の地図は「タカラッシュ!」「リアル宝探し」「サイト」からダウンロード可能で、「宝の地図」の「主」な「配布場所」は「いいおかみなと公園」ほかで配布されるそうです。

 ステップ2 宝箱を探そう!

 宝の地図に記載された3つの謎(暗号)を解くと、検索範囲内のどこかに隠されている3つの宝箱のありかが分かります。

 ステップ3 3つの宝箱を発見!

 みごと宝箱を発見したら、そこに書かれた発見を証明する「キーワード」を宝の地図にあるキーワード記入欄にメモしてください。

 ステップ4 発見報告をしよう!

 3つの宝箱を全て見つけたら発見報告所で「キーワード」を報告してください。

 ステップ5 プレゼントをもらおう!

 「キーワード」が正解なら、発見者賞(先着400名様に「旭市貴味メロンの四角いメロンパン」、先着2000名様に「タカラッシュ!カード」)をプレゼント!
 さらに、抽選で豪華賞品が当たるチャンス!

 となっています。
 (「リアル宝探し」の「捜索範囲」は「リアル宝探し」「HP」の「捜索範囲」を参照下さい。)

 「第1種漁港」「飯岡漁港」周辺、「ファミリー」に「人気」の「公園」「いいおかみなと公園」周辺で開催される「謎解き宝探しイベント」「リアル宝探し」。
 この機会に「旭市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「リアル宝探し」詳細

 開催日時 2月21日(日) 10時〜13時

 開催会場 飯岡漁港 旭市下永井
      いいおかみなと公園 旭市下永井814

 問合わせ 旭市観光物産協会飯岡支部 0479-62-5338

 備考
 「リアル宝探し」ですが、「荒天」の場合は、「中止」となっています。

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| 地域情報::旭 | 10:16 AM |
「浄国寺お宝めぐり」(銚子市)
 本日ご案内するのは、地元「銚子市」「浄国寺」で2月16日(火)で開催されます「浄国寺お宝めぐり」です。

 「浄国寺」(2010年11月23日のブログ参照)ですが、「銚子市」「春日町」にある「一立山 無衰院 浄国寺」という「浄土宗」の「寺院」で、「浄国寺」の「御本尊」ですが、「阿弥陀如来」で、「浄国寺」の「創建」ですが、建長7年(1255年)「記主禅師」「浄土宗第三祖良忠上人」(然阿良忠(ネンナリョウチュウ)上人)が開山したと伝えられています。
 「浄土宗」「所蔵」「海上郡浄国寺事実」(1728年)によると、「浄国寺」の「開基事実」を尋ねても定かではなく、「開創時」の「資料」の無いことを嘆いており、「中興」・「啅助上人」は、この「地」が、「良忠上人」「縁故の地」であるとして「庵」を結んだとあり、その後、寛文元年(1661年)「顕誉智典上人」が「庵」を訪ね、現在の「地」に「一寺」を建立することを願い、「深川霊厳寺」の「末寺」となり、「立山無衰院浄国寺」と号したとあるそうです。

 この「寺号」に関して、「浄国寺」「所蔵」の「称讃寺規式条々」(「海上氏」「菩提寺」の「寺内法度」)「裏書」には、「海上氏」が滅び、「称讃寺」も衰退してしまい、現在の「地」に再建しましたが、「東照山称賛寺」の「寺号」が「徳川家」に憚(ハバカ)られるので、「熊野権現」の「夢告」に従い、「今」の「山号」・「寺号」を決めたと記されており、「寺内法度」である「規式条々」正和元年(1312年)の他、「海上氏」「当主」の「烏帽子(エボシ)」、「海上胤秀」・「内室妙考」・「蔵人親子の像」が伝わっているそうです。
 (「三像」は「戦災」で「焼失」)

 「浄国寺」「境内」の「概観」等ですが、その後、延宝から正徳年間に出来上がったもので、「深川霊厳寺志」には

 「開山記主禅師東関開創四八字随一云々」

 とあり、江戸期には「銚子」の「隆盛」と共に発展しましたが、享保8年(1723年)と、「太平洋戦争」で、「諸堂」「字」を焼失し、現在の「浄国寺」「本堂」ですが、昭和37年(1962年)に再建、「浄国寺」「山門」ですが、平成15年(2003年)に再建されています。
 現在の「浄国寺」ですが、「千葉県下」「浄土宗」「寺院」「筆頭」の「別格寺院」となっています。

 「浄国寺」の「西北」には、「望西台」と呼ばれる「高台」があり、明和年間(1764年〜1771年)には、この「台」にあった「日観亭」という「庵」で、「望西八景」の「歌会」が行われ、文化・文政年間(1804年〜1818年・1818年〜1830年)には、多くの「文人」・「墨客」が訪れており、「夏目成美」の「序」で始まる「墨画帖」には、「小林一茶」・「渡辺華山」など、多くの「文人」・「墨客」の「筆」が、「浄国寺」に残されているそうです。
 尚、「望西台」ですが、「浄国寺」「墓地」の一番「西側」にあり、かつては、「眼下」に「銚子」の「市街地」や、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)、「波崎方面」が望めたようで、ここで詠まれた「句」が、「浄国寺」に残っているそうです。
 しかし現在は、「浄国寺」「崖下」近くに「住宅」や、「アパート」が建ち、「往時」の「面影」が薄らいでいるそうですが、平成17年(2005年)7月、「浄国寺」・「檀徒総代」・「鴎俳句会(カモメハイクカイ)」などの「手」によって、「浄国寺」「所蔵」の「墨画帖(ボクガチョウ)」に書かれている

 この台の清風ただちに心涼しく 西方仏土(サイホウブッド)もかくやあらんと

 ほととぎす 爰(ココ)をさること 遠からず 一茶坊

 と刻んだ「句碑」が建立されています。
 また「浄国寺」「境内」には、これら「文人」・「墨客」の「招聘」に尽力した「行方屋」・「桂丸」(大里家)の建立した「芭蕉句碑」(松尾芭蕉)、近年、上述の「浄国寺」に建てられた「一茶句碑」などがあります。
 また「浄国寺」には、

 古池や 蛙(カワズ)飛び込む 水の音

 等の「俳句」を残した江戸時代の「俳人」「松尾芭蕉」の「碑文」

 枯枝に からすのとまりけり 秋の暮 はせお

 という「句碑」が、「浄国寺」「本堂」「左側」の「熊野大権現」の「そば」にあります。
 この「句」は、

 つるべ落としの秋の陽が西山に傾く頃、ふと見上げた大木の枝に葉が一枚もなく、1羽のカラスがとまっているのがなんともいえず淋しい

 という「意味」なのだそうで、この「碑」は「高さ」1m25cmの「自然石」で、「桂丸(カツラマル)」(「銚子」の「俳人」、「大里庄治郎家」「六代目」で、「名」を「富文」という)と、「野崎小平次(ノザキコヘイジ)」によって、弘化2年(1845年)に建立されたそうです。
 「松尾芭蕉」の「句碑」の「説明板」には、下記の「文言」が記されています。

 広大な浄国寺境内の夕暮れには、今でもこうした情景に出会いそうです。
 芭蕉がこの寺を訪ねた記録はありませんが、檀家の行方屋庄次郎(俳号桂丸)が、句碑の片隅に「あきの夕(ユウ) 誰(タ)が身のうへぞ 鐘が鳴る」の句が添えてあります。
 地元の豪商大里庄次郎と野崎小平次が、俳聖(ハイセイ)芭蕉を追慕して弘化2年に建てました。

 〜原文まま表記〜

 ちなみに「大里庄治郎家」(行方屋(ナメガタヤ))ですが、「茨城県」「行方市」の「出身」で、「行方屋」は「銚子」で「御穀宿」(東北諸藩廻米問屋)として「銚子湊」の「繁栄」を支えたそうです。
 また「大里庄治郎家」は、「銚子」を代表する「旧家」で、「銚子市長」や、「銚子市議会議長」、「銚子商工会議所会頭」などを「代々」務めた「家柄」なのだそうです。

 「浄国寺」には、その他「墓地内」に「詩人」・「宮崎丈二の墓」があり、「江戸相撲」の「長老」であった「初代 千賀ノ浦 関」の「墓」、「酒仏」とも呼ばれ、「酒」に関する「祈願」・「願掛け」をする「酒徳利」・「猪口」・「御膳」の「形」をした「お墓」(「鈴木玄庵」という「医師」の「墓」、「師」の「人徳」を慕う「人々」が没後、建立し、礼拝、祈願をするようになった)などがあります。

 「浄国寺」「年中行事」は、下記の通りです。

 1月1日 修正会(シュショウエ)

 3月8日(旧暦) 徳本上人奉賛大施餓会(トクホンショウニンホウサンオオセガキエ)
 併修、外川・阿姫(おさつ)供養 (外川漁港・高神)

 3月 春季彼岸会(シュンキヒガンエ)

 4月8日 釈尊降誕会(シャクソンコウタンエ)

 7月 お盆・棚行(タナギョウ) (東京近郊)

 8月1日〜7日 新盆七日法要

 8月13日〜15日 お盆・棚行

 8月16日 施餓鬼会

 8月24日 地蔵盆

 8月24日 川口千人塚施餓鬼会

 9月 秋季彼岸会

 10月第3土曜日 十夜法要・書道展

 12月31日 除夜の鐘

 「浄国寺」では、平成23年(2011年)11月に、「東日本大震災」と、「福島第1原発事故」で、「避難生活」を余儀なくされていた「福島県」「相馬市」の「小学生」を「銚子」に招いた「子ども寺子屋イン銚子」(2011年11月24日のブログ参照)を開催しました。
 「子ども寺子屋イン銚子」では、「相馬市」の「小学生」が、「銚子」の「小学生」が交流し、「地球の丸く見える丘展望館」(2010年8月30日のブログ参照)や、「犬吠埼」(2012年4月16日のブログ参照)、「犬吠埼灯台」(2011年1月1日のブログ参照)を観光したほか、「銚子駅前イルミネーション事業」「LIGHTING CEREMONY(点灯式)」(2011年11月23日のブログ参照)に参加、「浄国寺」にて「チャリティ・コンサート」に参加されています。

 「浄国寺」「境内」には、「樹齢」100年にも及ぶ「雌雄一対」の「大銀杏」や、「松」、「梅」などの「古木」があり、「梅」の「開花時期」には、多くの「人々」が訪れます。
 「浄国寺」の「庭」は、「銚子」の「おすすめスポット」のひとつで、中でも「樹齢」300年以上になる「梅の木」が有名です。
 「浄国寺」の「梅」(2011年2月4日のブログ参照)ですが、「銚子地方」の「梅」の「標本木」(標準木)であり、「銚子」の「春の訪れ」を知らせる「木」として、知られています。

 「由緒」ある「寺社」「浄国寺」では、2月16日(火)10時00分から15時00分まで「浄国寺お宝めぐり」を開催するそうです。
 「浄国寺お宝めぐり」ですが、通常「一般公開」されていない「小林一茶」、「渡辺崋山」の「直筆」の「書」や、「徳本上人請待記」、「釈迦涅槃御掛軸」、「地獄図御掛軸」など、「浄国寺」「所蔵」の「宝物」が「年」に一度、「開催当日」に限り「特別公開」されるそうです。
 なお「浄国寺お宝めぐり」ですが、「無料」で「参加」できるそうです。

 「銚子」の「名刹」「浄国寺」で開催される「寺宝」を公開する「年」に一度の「特別公開」「浄国寺お宝めぐり」。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「浄国寺お宝めぐり」詳細

 開催日時 2月16日(火) 10時〜15時

 開催会場 浄国寺 銚子市春日町23

 問合わせ 銚子市観光商工課 0479-24-8707

 備考
 「浄国寺お宝めぐり」が行われる「浄国寺」では、「境内」の「梅」の「花」が咲き誇っているそうです。
 「銚子地方気象台」(2011年1月5日のブログ参照)では、1月16日(土)に「職員」が、「浄国寺」「境内」にある「樹齢」300年以上にある「銚子地方」の「標本木」(標準木)の「開花」を確認したそうです。
 「浄国寺」の「梅」の「開花」ですが、昨年(2015年)より20日早く、平年と比べると4日早い「開花」であったそうです。
 2月8日(月)時点で、「浄国寺」の「梅」は、間もなく「満開」といった感じであったそうで、「浄国寺」「境内」は、「開花」した「梅の花」が仄(ホノ)かに香り、「銚子」の「新春」を愛(メ)でているような感じであったそうです。
 なお、今年(2016年・平成28年)の「浄国寺」の「梅」の「様子」ですが、「(一社)銚子市観光協会」「HP」の「銚子市観光アテンダント」(2011年11月29日のブログ参照)の「銚子市観光アテンダントブログ」にて確認できます。

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「第四回寺宝展」「蔵出し」(銚子市)
 本日ご案内するのは、地元「銚子市」「飯沼山圓(円)福寺」、「飯沼観音」で2月13日(土)・14日(日)に開催されます「第四回寺宝展」「蔵出し」です。

 「円福寺」(圓福寺)(2012年2月19日のブログ参照)こと「飯沼山圓(円)福寺」は、「銚子市」(2010年9月20日のブログ参照)「馬場町」に鎮座する「真言宗」の「寺院」で、「山号」は「飯沼山」、「御本尊」は「十一面観世音菩薩」です。
 「飯沼の観音さま」「銚子の観音さま」として知られる「飯沼山圓(円)福寺」は、「日本一」の「流域面積」を誇る「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「河口」、「日本一の水揚げ量」を誇る「銚子漁港」(2012年1月24日のブログ参照)(第1卸売市場)(2010年12月18日のブログ参照)の近くにあり、「銚子市」の「中心」に位置していたことから、「市街」は、その「門前町」として発展してきました。
 「飯沼観音」(2010年11月24日のブログ参照)の「門前」「西側」は、「銚子銀座通り」(ココロード銚子)(2011年10月1日のブログ参照)となっており、「門前」「東側」には「島田総合病院」や「今川焼」の「さのや」(2010年12月16日のブログ参照)があります。

 「飯沼山圓福寺」(円福寺)ですが、「寺伝」によりますと、724年(神亀元年)「漁師」が「海」で、「十一面観世音菩薩」を「網」ですくい上げ、その後弘仁年間(810年〜824年)、この地を訪れた「弘法大師」「空海」が開眼したとされています。
 「飯沼山観世音縁起絵巻」によりますと

 神亀元年(七二四)毎夜、海上に光を放つものがあり、海人が怪しんでいたところ、ある漁夫に観音さまの夢告があり、世間の衆生を救いたいので汝の網によって出現したいとのこと。
 そこで網を投じたところ、御丈二尺余の十一面観音像が瑪瑙石(メノウイシ)を脇ばんで出現なされたとある。
 その時に天から降米の奇瑞があったので「飯沼」という地名がある由。

 「坂東霊場記」はこのことを

 「石の如く罪重くして苦海に沈む衆生をもらさず浄土の岸へ救い上げんとの救世の悲願を示し玉ふ」

 と綴っており、そして「お像」を感得した「漁夫」は出家して「観音さま」に仕え、「おこり除けの法師」として「諸人」を救ったと伝えています。
 「飯沼山圓福寺」(円福寺)には、のちに「弘法大師」が来られ、「御本尊」の「蓮座」を造られ、「開眼の秘法」を修ぜられたといわれています。
 その時、この地の「海上長者」は「大師」の「高徳」を敬慕して、深くこの「御本尊」さまに帰依(キエ)し、「財宝」を傾けて「壮麗」なる「堂舎」を建立したとされています。

 「飯沼山圓福寺」(円福寺)ですが、上記のように鎌倉時代以降、この地を治めた「海上氏」の「帰依」を受け、「寺運」は興隆したそうです。
 「飯沼山圓福寺」(円福寺)には、鎌倉時代から足利時代にかけての「古文書」が多いそうですが、そのほとんどが「海上氏」「関係」のものなのだそうです。
 「海上氏」ですが、「千葉氏」「第五世」の「千葉常胤」な「六男」の「胤頼」が、この地にあって「東氏」を称し、その「孫」の「胤方」が「海上の庄」を与えられて「海上氏」を名乗ったそうです。
 「胤方」の「次男」「盛胤」が正安元年以前に、それまで兼ねていた「飯沼寺」「別当職」を「弟」の「長胤」にゆずり、その「子孫」が「代々」「寺」を継いだそうです。
 康安三年に「宗快」が「円福寺」の「住持」、のちの「上超」・「弘恵」もいずれも「海上氏」「出身」であるそうです。
 「観音堂」も天正六年(一五七八)「海上氏」によって「方八間」のものが建立され、また「円福寺」「十ヶ坊」の「存在」は、足利時代からこの「寺」が「海上氏」「保護」のもとに「学山」であったことを語るものといわれています。
 なお「銚子市史」に

 「飯沼観音が、その撰(坂東札所としての指定)に入った理由は、鎌倉幕府に重きをなした東氏・海上氏の指示するところたるに依るのみならず、その推挙があったためかと思考される」

 と記しているほどに「海上氏」との「因縁」は深いそうです。

 「飯沼山圓福寺」(円福寺)ですが、江戸時代には「十間四面」の「大本堂」が造営され、この「お堂」が戦災前まで「広壮」な「姿」を見せていたのは「人」のよく知るところなのだそうです。
 天正19年、「徳川家康」に「朱印」を賜り、「諸堂」を整備、「飯沼山圓福寺」(円福寺)「五千六百余坪」の「境内」には「仁王門」・「鐘楼」・「薬師堂」・「大師堂」があり、安政2年(1855年)刊の「利根川図志」では

 「境内に見せ物 軽わざしばい、其外茶見世多く至って賑はし」

 と、その「盛況」を写しており、それは遠くはるばる「江戸」から詣で来る「膳男膳女」、それに特に「航海」、「漁師」の「人たち」の「熱心」な「参詣者」をはじめ、「巡礼者」による「賑わい」であったそうで、「飯沼山圓福寺」(円福寺)は「隆盛」を極めていたそうです。
 その当時「飯沼山圓福寺」(円福寺)ですが、現在の「本坊」と、「観音堂」とは「地続き」であったそうで、「今」は「仁王門」の「道」を「右」へ、「大通り」を横切って200mほど行くことになり、「納経」は、この「本坊」で受けつけており、「飯沼山圓福寺」(円福寺)「本坊」には「円福寺古記録」など「古文書」をはじめ、「江戸」の「俳人」・「古帳庵」の「句碑」、「天保水滸伝」で知られる「侠客」「銚子の五郎蔵」の「墓」などがあるそうです。
 しかし、1945年(昭和20年)「銚子大空襲」があり、「多宝塔」以下「観音堂」、「仁王門」、「鐘楼」、「太子堂」、「馬頭観音堂」、「二十三夜堂」、「茶枳尼天堂」、「龍蔵大権現堂」など「諸堂」を焼失したそうです。
 その後、「銚子のシンボル」である「観音堂」の「再建」は、昭和46年(1971年)に「衆庶」の「信助」により「見事」に完了。
 「飯沼観音」の「境内」の「大仏」は「銚子」「近在」の「人たち」(衆庶)の「喜捨」(信助)で、正徳4年(1714年)に鋳造され、平成20年(2008年)「五重塔」(形式「三間五重塔婆」「総高」33.5m)の「完成」に伴い、現在の「場所」に移っています。

 「飯沼観音」ですが、「一般」に「観音さま」の「呼び名」で親しまれており、「飯沼観音」「境内」には、上記のように「江戸」の「豪商」・「古帳庵」の「句碑」などがあり、「日本」における「河川測量」の「原点」である「飯沼水準原標石(イイヌマスイジュンゲンショウセキ)」が存在し、「文化財」としても、「歴史的」、「学術的」にも「価値」があるそうです。
 1872年(明治5年)12月「オランダ人」「リンド」により「水準原標石(スイジュンゲンショウセキ)」(2011年2月21日のブログ参照)が設置され、これを「起点」として「日本水位尺」が定められたそうです。
 「水準原標」とは、「水準測量」(「高さ」を測る「測量」)を行う「時」の「原点」となる「点」のことだそうです。
 また「飯沼観音」は、「坂東三十三観音霊場(バンドウサンジュウサンカンノンレイジョウ)」(2010年10月13日のブログ参照)の「二十七番札所」として「信仰」を集めています。
 なお、「飯沼山圓(円)福寺」、「飯沼観音」ですが、「日本百観音」、「西国三十三所」、「坂東三十三所」、「秩父三十四所」となっています。

 この度(タビ)「飯沼山圓(円)福寺」、「飯沼観音」では、2月13日(土)・14日(日)9時00分から16時00分までの「2日間」、「第四回寺宝展」「蔵出し」を開催するそうです。
 「第四回寺宝展」「蔵出し」ですが、「由緒」ある「飯沼山圓(円)福寺」、「飯沼観音」に所蔵されている「寺宝」の「一部」を「拝観無料」で公開している「人気」の「催し」で、毎回「大勢」の「観光客」、「歴史ファン」、「マニア」の「方々」で賑わっています。
 「第四回寺宝展」「蔵出し」では、「貴重本」350冊以上の「本」を「銚子市内高校生」の「協力」により「蔵出し」をし、その中の「嵯峨本」、「西鶴本」、「浄瑠璃本」、「奈良絵本」、「漢籍」や、「仏書」など「レア本」を、「慶應義塾大学附属研究所」「斯道文庫」「佐々木孝浩」「教授」による「解説」、また「日本最大級」の「刺繍」「釈迦涅槃図」を開帳するそうです。
 「日本最大級」の「刺繍」「釈迦涅槃図」「開帳」ですが、毎年2月15日の「釈迦」の「命日」に「飯沼山圓(円)福寺」「涅槃堂」で「千葉県」の「県指定有形文化財」に指定されている「釈迦涅槃図」の「開帳」で、「銚子ボランティアガイド観光船頭会」による「案内解説」が行われるそうです。
 「第四回寺宝展」「蔵出し」の「圓福寺お宝めぐり」ですが、下記の通りとなっています。

 1 釈迦涅槃図 「県指定有形文化財」 (圓福寺涅槃殿)

 2 梵鐘 「県指定有形文化財」 (圓福寺本堂内)

 3 北斎二世の絵馬 (圓福寺本堂内)

 4 大銅壺 (圓福寺本堂内)

 5 龍-伝水戸光圀公筆- (圓福寺本堂内)

 6 古帳庵句碑 (圓福寺境内)

 7 龍神-船首像- (圓福寺境内)

 8 飯沼水準原標石 「土木学会選奨土木遺産」 (飯沼観音境内)

 また、「第四回寺宝展」「蔵出し」の翌日2月15日(月)に「飯沼山圓(円)福寺」「涅槃殿」にて、「千葉県」の「県指定有形文化財」の「釈迦涅槃図」が開帳される「法会」「釈迦涅槃会」が催行されます。
 「法会」「釈迦涅槃会」ですが、10時00分から催行され、「千葉」の「文化財」である「日本最大級」の「刺繍釈迦涅槃図」を、2月15日の「お釈迦様」の「命日」に開帳されるそうです。
 また「法会」「釈迦涅槃会」「当日」2月15日(月)9時00分から16時00分まで「銚子ボランティアガイド観光船頭会」による「案内解説」も行われるそうです。

 「由緒」ある「ちょうしのかんのんさま」「飯沼山圓(円)福寺」、「飯沼観音」で開催される「貴重」な「品々」を拝観できる「催し」「第四回寺宝展」「蔵出し」。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第四回寺宝展」「蔵出し」詳細

 開催日時 2月13日(土)・14日(日) 9時〜16時

 開催会場 飯沼山圓(円)福寺 銚子市馬場町292
      飯沼観音 銚子市馬場町1-1

 問合わせ 飯沼山圓(円)福寺 0479-22-1741

 備考
 「第四回寺宝展」「蔵出し」の「会場」「飯沼観音」には、「駐車場」が完備されており、「普通自動車」100台、「大型バス」10台「駐車可能」となっています。

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| 地域情報::銚子 | 10:31 AM |
「亀崎の如意輪参り」(匝瑳市)
 本日ご案内するのは、近隣市「匝瑳市」「稲生神社」、「子安神社」(子安社)で2月14日(日)に開催されます「亀崎の如意輪参り」です。

 「稲生神社」は、「匝瑳市」「亀崎」に鎮座する「神社」で、毎年2月中旬の「日曜日」に「稲生神社」「境内」に祀られている「子安神社」(子安社)で、「女性だけ」の「仏教行事」「如意輪参り」(2014年2月11日・2013年2月15日・2012年2月16日・2011年2月12日のブログ参照)が行われていることで知られています。
 「稲生神社」は、「国道296号線」が、「県道109号線」が交差する「交差点」から、「国道296号線」を「南東」へ1.4km進み「右折」し、「道なり」に300m進んだ「右側」に鎮座しています。

 「如意輪参り」は、「稲生神社」「隣」の「亀崎コミュニティーセンター」「横」の「養淨(寿)寺」から、「稲生神社」までを「万燈」を「先頭」に踊りながら練り歩き、更に「稲生神社」「境内」の中で踊るそうです。
 「如意輪参り」ですが、「如意輪観音」の「子安信仰」に基づく「安産祈願」の「行事」で、「地元」の「人々」によりますと、400年の「歴史」があるそうです。
 「亀崎の如意輪参り」は、上記のように江戸時代から続く「安産祈願」の「行事」で、「女人講」の「子安信仰」から始まったと伝えられ、「稲生神社」「境内」に祀られている「子安さま」を踊りながら詣でるそうです。

 「亀崎の如意輪参り」「当日」の「流れ」ですが、「如意輪参り」「出発」前「養淨(寿)寺」(亀崎コミュニティーセンター)に、昼過ぎに、艶(アデ)やかに着飾った「着物」にお揃いの「襷(タスキ)」をかけた「踊り手」の「女衆」と、「囃子方」をつとめる「男衆」が集まります。
 そして「養淨(寿)寺」を出た「女人講」は、400mほど離れた「稲生神社」まで、短い「道中」を「大杉囃子」などを踊りながら歩き、その際「大榊」を「先頭」に、「花万燈」、「踊り」の「行列」が続くそうです。
 「女人講」ですが、現在「亀崎の如意輪参り保存会」の「皆さん」が継承しており、「亀崎の如意輪参り」ですが、「匝瑳市」の「市指定無形民俗文化財」に指定されています。

 「稲生神社」「境内」の小さな「子安社」(子安神社)には、「三種」の「軸物」「木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)」、「子安観音」、「如意輪観音」を吊るして飾り、「御神酒(オミキ)」と、「おにぎり」が供えられて、「稲生神社」に到着後「女人講」は、「習わし」により「稲生神社」「境内」の「子安社」(子安神社)を「時計回り」に3周しながら、「大杉囃子」に合わせて踊るそうです。

 「大杉囃子」が踊り終わると、次に「奉納踊り」として「いそべ」、「松かざり」、「大漁節」の「3曲」を「稲生神社」「社殿」前で「男衆」が演奏し、「女人講」「全員」が「お囃子」に合わせて「子安社」(子安神社)の前に並んで「踊り」を奉納します。
 「踊り」「奉納」後、「女性たち」が「安産祈願」の「御神酒」をいただき、「供え物」の「おにぎり」を「参詣者」に配って終了となります。

 「豊栄地区」「亀崎」に鎮座する「稲生神社」、「子安社」(子安神社)で行われる江戸時代より伝わる「伝統行事」「亀崎の如意輪参り」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「亀崎の如意輪参り」詳細

 開催日時 2月14日(日) 12時〜

 開催会場 稲生神社 匝瑳市亀崎130

 問合わせ 匝瑳市産業振興課 0479-73-0089

 備考
 「如意輪観音」の「姿」は、「観音菩薩」が「如意宝珠」の「三昧(サンマイ)」(「精神」を集中して「心」を乱さない状態)に入った「姿」ともいわれ、その「柔和(ニュウワ)」な「姿」から「女性」の「徳」を表現し、「如意輪観音」を祀る「女人信仰」の「十九夜講」(「女性」は「お産」や、「月経」で穢(ケガ)れた「身」であるので「死後」は「血の池地獄」に落ちるとされ、救済されるには「女人講」に集まって「如意輪観音菩薩」に祈るようにと「各宗派」が説いていたとされる。)が江戸時代後期に「安産」や、「子育て」の「子安信仰」に変化していったそうです。
 ちなみに「三昧」(サマーディの音写)とは、「仏教」における「禅定(ゼンジョウ)」、「ヒンドゥー教」における「瞑想(メイソウ)」において、「精神集中」が深まりきった「状態」のことで、「サマーディ」の「他」の「漢字」で「音写」に、「三摩堤」、「三摩地」などもあり、一般に「9段階」の「到達点」があるとされています。
 「千葉県」「北部」には、「子安塔」が多く見られ、「女人講」も盛んであったといわれています。

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| 地域情報::匝瑳 | 11:20 AM |
「ありがとう外川駅」「誕生式」(銚子市)
 本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子電鉄」「外川駅」で2月11日(祝・木)に開催されます「ありがとう外川駅」「誕生式」です。

 「銚子電気鉄道株式会社」(2012年2月11日のブログ参照)は、「銚子市」(2010年9月20日のブログ参照)に「鉄道路線」を有する「鉄道会社」で、「銚子電鉄」あるいは、「銚電」と「略称」されています。
 「銚子電鉄」は、「全長」6.4kmの「銚子駅」(2011年5月7日のブログ参照)から「外川駅(トカワエキ)」(2011年7月7日のブログ参照)までの「10駅」を約20分で結ぶ「地元客」、「観光客」の「皆さん」に「人気」のある「ローカル鉄道」です。
 「銚子電気鉄道株式会社」の「路線」の「延長」(距離)ですが、「芝山鉄道」(千葉県・2.2km)、「紀州鉄道」(和歌山県・2.7km)、「岡山電気軌道」(岡山県・4.7km)、「水間鉄道」(大阪府・5.5km)、「流鉄」(千葉県・5.7km)に次いで、「全国」で「6番目」に短い「鉄道」なのだそうです。

 「銚子電気鉄道株式会社」ですが、1913年(大正2年)に、現在の「銚子電気鉄道」にあたる「銚子」から「犬吠」間の「鉄道路線」を開業したものの、「利用不振」から1917年(大正6年)に「路線」を廃止して解散した「銚子遊覧鉄道」の「関係者」が、再び「路線」を復活させるために「銚子電鉄」を設立したそうです。
 その後、「銚子電鉄」は、1922年(大正12年)7月5日に「銚子」から「外川」間を開業、1948年(昭和23年)8月20日に「銚子電気鉄道」に「社名変更」しており、「銚子電鉄」は、2012年(平成24年)に「開業」90周年を迎えています。

 当ブログでは、「銚子電気鉄道株式会社」「各駅」の「見どころ」や、「おすすめスポット」を、「銚子電鉄」「各駅見処紹介」と題し、「東日本旅客鉄道」(JR東日本)・「銚子電気鉄道」(銚子電鉄)の「共同使用駅」「銚子駅」(JR東日本・管理)から、「仲ノ町駅(ナカノチョウエキ)」(2011年5月11日のブログ参照)、「観音駅」(2011年5月14日のブログ参照)、「本銚子駅(モトチョウシエキ)」(2011年5月16日のブログ参照)、「笠上黒生駅(カサガミクロハエエキ)」(2011年5月20日のブログ参照)、「西海鹿島駅(ニシアシカジマエキ)」(2011年5月26日のブログ参照)、「海鹿島駅(アシカジマエキ)」(2011年5月28日のブログ参照)、「君ヶ浜駅(キミガハマエキ)」(2011年5月31日のブログ参照)
、「犬吠駅(イヌボウエキ)」(2011年6月21日のブログ参照)、「外川駅」の「順」に、「銚子電気鉄道株式会社」の「各10駅」を紹介し、「銚子電鉄」「各駅」の「特徴」、「歴史」、「周辺見処紹介」をアップしています。
 ちなみに「銚子電鉄」の「起点」は、上述のように「銚子駅」で、「終点」は「外川駅」、「駅数」10駅(起終点駅含む)、「複線区間」なしの「全線単線」で、「最高速度」40km/hの「鉄道」です。

 「外川駅」は、「銚子」の「漁業」(2012年1月24日のブログ参照)「発祥」の「地」である「外川漁港」(2013年1月4日のブログ参照)を有し、「漁村」でもある「銚子市」「東南部」「外川町2丁目」(「外川町」の「北部」)にある「銚子電気鉄道株式会社」の「駅」(終点)です。
 「外川駅」ですが、「単式ホーム」1面1線と、「機回し線」(留置線)1線を有する「地上駅」で、修復を繰り返しながらも「銚子電鉄」「開業時」より建つ「平屋」の「木造駅舎」を有しています。
 「外川駅」「駅舎内」の「待合室」には、「木製」の「ベンチ」が並び、「夜」は「白熱電球」が点灯しています。
 「外川駅」は、「駅員配置駅」でもあり、「硬券入場券」・「乗車券」、「各種鉄道グッズ」の「展示」および「発売」をしています。
 「外川駅」周辺には、「外川集落」の「案内」などが提示され、「駅舎内」「ベンチ」には「地元住民」「手作り」の「座布団」が置かれています。

 「外川駅」が位置する「外川町」は、上述のように「銚子市」「東南部」の「まち」で、「外川」(2010年12月13日のブログ参照)ですが、江戸時代初期に「崎山治郎右衛門」によって、「外川漁港」とともに同時に開かれた「まち」で、緩い「斜面」に「碁盤(ゴバン)」の「目状」に整った「区割り」がされています。
 また「坂のまち」として知られている「外川」は、「まち」の「特色」をなす「大小」8つの「坂道」に、「通り名」を記した「プレート」が埋め込まれており、「坂」の多い「外川のまちあるき・坂あるき」が楽しめるようになっています。
 「坂道」8つの「通り名」は、下記の通りです。

 王路
 阿波通り
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 「外川のまちあるき・坂あるき」の「発着点」である「銚子電鉄」の「外川駅」は、2007年(平成19年)4月に、「日経新聞」から発表された「訪ねる価値のある駅ベスト10」で「見事」10位に輝いています。
 ちなみに「外川漁港」は、「銚子市」「外川町」にある「第2種漁港」で、「銚子市」の「南部」に位置し、「外川漁港」「背後」には「台地」があり、「外川漁港」周辺「集落」は「斜面」と、「低地」にあり、「水郷筑波国定公園」(2012年8月3日のブログ参照)の「区域内」にあります。
 「外川漁港」周辺ですが、「東側」は「犬吠埼」(2012年4月16日のブログ参照)、「南側」は「屏風ヶ浦(ビョウブガウラ)」(2012年5月20日のブログ参照)から「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)に続いています。
 「外川漁港」の「沿革」ですが、1658年(万治元年)「紀州」「有田郡」「広村」出身の「崎山治郎右衛門」氏によって、「本浦」「築港」。
 その後、「外川漁港」は、1661年(寛文元年)に「新浦」の「竣工」、その後「外川漁港」は、1952年(昭和27年)2月29日に、「第2種漁港」に指定されています。
 「外川漁港」で「水揚げ」される「主(オモ)」な「魚種」ですが、「金目鯛(キンメダイ)」(2011年2月14日・2010年11月17日のブログ参照)、「アカムツ」、「クロムツ」となっています。

 「銚子電気鉄道株式会社」は、昨年(2015年)「駅名」の「ネーミングライツ」(命名権)の「販売」を行う「事業」「駅名愛称ネーミングライツ事業」を実施し、「県内外」から「遊技業者」や、「土木工事会社」、「IT企業」など「6社」が応募し、2015年(平成27年)12月から「7駅」に「愛称」が付けられました。
 昨年12月時点の「駅名愛称ネーミングライツ事業」で決まった「駅」の「愛称」は、下記の通りです。

 仲ノ町駅 カクタ パールショップともえ

 観音駅 藤工務所 藤工務所

 笠上黒生駅 メソケアプラス 髪毛黒生

 西海鹿島駅 根本商店 三ツ星お米マイスター根本商店

 海鹿島駅 藤工務所 藤工務所 文芸の里

 君ヶ浜駅 MIST solution ミストソリューション

 犬吠駅 沖縄ツーリスト One Two Smile OTS 犬吠埼温泉

 「銚子電気鉄道株式会社」「駅名愛称ネーミングライツ事業」の「契約」は1年更新となっており、「初年度」は830万円の「増収」となったそうです。
 ちなみに「銚子電気鉄道株式会社」「駅名愛称ネーミングライツ事業」の「命名権」ですが、「銚子駅」を除く、「仲ノ町駅」から「外川駅」までの「9駅」を80万円〜200万円で「募集」しており、「本銚子駅」と、「外川駅」の「2駅」は、引き続き「スポンサー」を探しており(2015年12月時点)、「命名権販売」(ネーミングライツ)の「収入」は「安全」な「運行確保」のための「車両維持費」などに充てられるそうです。
 「銚子電気鉄道株式会社」「駅名愛称ネーミングライツ事業」ですが、上記のように「笠上黒生駅」の「愛称」が、「ヘアケア商品」を扱う「都内」の「企業」より「髪毛(カミノケ)黒生」になるなど「ユーモア」あふれる「命名」もあり、「銚子電鉄」「名物」の「ぬれ煎餅(センベイ)」(2011年9月9日のブログ参照)の「生地」を納入する「地元」「銚子市」の「老舗米穀販売店」「根本商店」は、「西海鹿島駅」の「愛称」「三ツ星お米マイスター根本商店」の「命名権」を取得、「君ヶ浜駅」の「愛称」「ミストソリューション」は、「地名」「君ヶ浜」の素とされている「霧の浜」から転じたとされることより「命名」され、「犬吠埼灯台」(2011年1月1日のブログ参照)に近い「犬吠駅」の「命名権」を購入した「沖縄ツーリスト」(那覇市)は、「知名度」が低い「一帯」の「温泉」をPRしようと「One Two Smile OTS 犬吠埼温泉」としたそうです。
 なお「ヘアケア商品」を製造する「都内」の「企業」「メソケアプラス」が命名した「髪毛黒生」「笠上黒生駅」では、「髪毛黒生」にちなみ「毛髪(モウハツ)」に良いとされる「昆布」を使った「記念入場券」(150円)を作り、「笠上黒生駅」にて「限定」100枚販売していたそうです。
 また「銚子電気鉄道株式会社」では、新しい「駅名看板」を設置し、「銚子電鉄」「車内」での「新・駅名」の「車内放送」を開始しているそうです。
 なお今年(2016年)に入り「銚子市」に「しょうゆ製造工場」がある「ヒゲタ醤油」(東京都・中央区)(2011年9月10日・2010年12月20日のブログ参照)が、「銚子電気鉄道株式会社」が販売する「駅名愛称ネーミングライツ事業」「命名権」(ネーミングライツ)を購入し、「本銚子駅」の「愛称」を「ヒゲタ400年玄蕃(ゲンバ)の里」と命名したそうです。

 この度(タビ)「銚子電気鉄道株式会社」では、昨年(2015年)から「同社」が募集していた「駅名愛称ネーミングライツ事業」で、「銚子電鉄」「終点」「外川駅」の「命名権」(ネーミングライツ)を「松戸市」の「早稲田ハウス(株)」(代表取締役・金光容徳氏)が取得され、2月11日(祝・木)より「銚子電鉄」「外川駅」の「愛称」を「ありがとう外川駅」とすることになったそうです。
 「銚子電気鉄道株式会社」では、「ありがとう外川駅」「誕生」を祝って、2月11日(祝・木)9時00分より「銚子電鉄」「外川駅」を「会場」に、「ありがとう外川駅」「誕生式」を行うそうです。
 「ありがとう外川駅」「誕生式」ですが、「外川駅」を「ありがとう」を発信していく「拠点」として、そして今後「銚子」の「観光」に貢献できるよう育てていくため、「市内観光事業者」の「皆さん」や、「地域」の「方々」に「お披露目」をする「機会」とするそうです。
 「ありがとう外川駅」「誕生式」では、「式典」が催行され、「式典」は、下記の「スケジュール」で行われます。

 ありがとう外川駅誕生式

 開催日時 2月11日(祝・木) 9時00分〜9時30分

 開催場所 銚子電鉄外川駅

 スケジュール

 9時00分 銚子電気鉄道株式会社 代表取締役 竹本勝紀 挨拶
      早稲田ハウス(株) 代表取締役 金光容徳氏 挨拶

 9時10分 ホーム看板オブジェ除幕式
      ありがとう絵本プレゼンテーション 絵本セラピスト協会 代表 岡田達信氏

 「ありがとう外川駅」「誕生式」「当日」ですが、「ありがとうの駅誕生記念 弧廻手形」の「販売」(限定100枚)と、「ありがとうヘッドマーク」を取り付けた「車両」の「運行」を行うそうです。
 「ありがとう絵本」の「設置」ですが、「外川駅」の「駅舎内」の「待合室」に「ありがとう」や、「感謝」について感じられるような「絵本」を30冊置いて、「電車」を待つ「観光」の「お客様」や、「地域」の「子供たち」が「自由」に読める「空間」として活用し、「観光」の「お客様」が「電車」を待つ「間」に「故郷」の「お母さん」に「手紙」を書いたり、「小学生」が「家」に帰ってから「ありがとう」をいってみたり、そんな「きっかけ」になる「拠点」に育てていきたいと考えているそうです。
 なお、今回の「ありがとう絵本」の「設置」については、「絵本セラピスト協会」「代表」「岡田達信」氏に「監修」をして頂いているそうです。

 「銚子観光」の「シンボル」のひとつ「銚子電鉄」「外川駅」で開催される「お披露目イベント」「ありがとう外川駅」「誕生式」。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「外川ありがとうの駅」「誕生式」詳細

 開催日時 2月11日(祝・木) 9時〜9時半

 開催会場 銚子電鉄 外川駅 銚子市外川町2-10636

 問合わせ 銚子電気鉄道株式会社 0479-22-0316

 備考
 「外川駅」の「愛称」「ありがとう外川駅」の「社内駅名掲示」及び、「社内アナウンス」ですが、「掲示装置」及び、「放送装置」の「準備」が整い次第、実施するそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2826 |
| 地域情報::銚子 | 11:31 AM |
「時曽根の大蛇まつり」(匝瑳市)
 本日ご案内するのは、近隣市「匝瑳市」「時曽根コミュニティセンター」で2月8日(月)に開催されます「時曽根の大蛇まつり」です。

 「匝瑳市」は、「千葉県」の「北東部」に位置し、「首都・東京」から70km圏、「世界の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)からは「車」で30分の「距離」にあり、「匝瑳市の中心部」を「JR総武本線」と「国道126号線」が「東西」に走り、「成田方面」とは「国道296号線」で結ばれています。
 「匝瑳市」の「面積」は101.78平方kmで、「匝瑳市」の「市役所本庁」は「旧・八日市場市役所」を使用し、「匝瑳市」の「市区域」のうち、「旧・八日市場市」は「植木(苗木)の産地」として有名であり、「匝瑳市」は「植木の栽培面積」が「日本一」となっており、「匝瑳市」は、「日本有数の植木のまち」(2011年9月30日のブログ参照)として知られています。

 「匝瑳市の北部」は「谷津田」が入り組んだ「複雑」な「地形」の「台地部」となっており、一方「匝瑳市の南部」は「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)に面する「平坦な地形」となっています。
 「匝瑳市」に隣接する「自治体」ですが、「旭市」(旭地区、干潟地区)、「香取市」(山田地区)、「香取郡」「多古町」、「山武郡」「横芝光町」(光地区)となっています。
 「匝瑳市」の「気候」は「海洋性」の「温暖な気候」で、「年間平均気温」は15度、「東京」周辺と比べると、夏涼しく冬暖かい、とても過ごしやすい「土地柄」で、「冬」でもほとんど「降雪」は見られません。

 「匝瑳市」は、2006年(平成18年)1月23日、「八日市場市」と「野栄町」が合併して誕生しました。
 「匝瑳市」「合併」の「発足時」の「人口」ですが、約4万2000人で、「市名」の「由来」ですが、「旧・八日市場市」と「旧・野栄町」が「匝瑳郡」に属していたことから決定されたそうです。
 ちなみに現在の「匝瑳市」の「人口」ですが、38197人となっており、「男性」18838人、「女性」19359人、「世帯数」14461世帯となっています。
 (平成27年12月31日現在)
 なお「匝瑳市」の「市名」ですが、「竹内正浩」氏の「日本の珍地名」(文春新書)で「難読・誤読地名番付」の「東の横綱」と紹介されています。

 「匝瑳市」の「気候」ですが、1年を通して良好なため、上記のように「温暖な気候」を活かした「農業」が、「匝瑳市」の主(オモ)だった「産業」となっており、「県内屈指」の「米どころ」「水稲」をはじめ、1年を通し出荷され「高品質」を維持している「トマト」、「栽培」の歴史が長い「イチゴ」などの「施設栽培」の「野菜」や「果物」、「ネギ」などの「露地野菜」も盛んに生産されています。
 また「匝瑳市」は、「千葉県唯一」の「赤ピーマン」(2011年6月27日のブログ参照)の「産地」として知られており、「露地物」の「茄子(ナス)」や、「周囲」約30cm・「長さ」1mの「日本一」の「大きさ」を誇る「特大ゴボウ」「大浦ごぼう」(2011年1月10日のブログ参照)、「肉質」の良い「黒毛和牛」と「発育」の良い「乳用牛」をかけ合わせ誕生し、柔らかい「肉質」が「ステーキ」や「すき焼き」にぴったりな「ブランド牛」「若潮牛(ワカシオギュウ)」などが作られています。

 「時曽根の大蛇まつり」が行われる「匝瑳市」「豊栄地区」(旧・豊栄村)は、1889年(明治22年)4月の「九か村合併」により、「新村」の「豊富」・「繁栄」を祈願する「住民」により「村名」がつけられた「地区」だそうです。
 当時、「市域」では「最多」の「九か村」による「合併協議」は難航し、「村名決定」は、ぎりぎりまで伸び、「候補」の七つの「村名」から「豊栄村」が選ばれたそうです。
 「時曽根(トキソネ)」を除いた「八か村」は、中世以降の「集落」が、近世になり「村」を形成、「時曽根村」は「新田集落」であり、「村」の「成立」は、400年ほど前までさかのぼるそうです。
 「時曽根村」では、毎年2月に「大蛇(ダイジャ)」3匹を「藁(ワラ)」で作り、「集落」の「入り口」につるすという「行事」を行っており、「ムラ」を「疫病」などから守ろうとする「村びと」の「願い」を「かたち」が「今」に伝わるものなのだそうです。

 上記のように「時曽根の大蛇まつり」は、毎年2月8日に行われており、「時曽根」に古くから伝わる「神事」なのだそうで、「時曽根の大蛇まつり」「当日」は「疫病退散」などを祈願して、「習わし」にならい、「集落」の「入り口」に「藁の大蛇(ワラノダイジャ)」を吊るすそうです。

 「時曽根の大蛇まつり」「当日」の「朝」、「集落」の「各家」から「藁」を持ち寄った「若者」によって「長さ」3m、「太さ」30cmほどの「大蛇」が3匹作られます。
 この「大蛇」は、特に「上あご」・「下あご」を「念入り」に編み上げ、大きく開いた「口」から「舌」が出ているように「形」を整えられます。
 「大蛇」が出来上がると、「千手院」から受けた「お守り札」を、「頭」や、「胴」につけ、「藁の大蛇」の「口」を開いて「御神酒(オミキ)」を注ぎ、「入魂」した後、「集落」(地区)の3ヶ所の「木」に「藁の大蛇」がかけられ、「家内安全」、「無病息災」、「悪魔退散」などを祈願するそうです。

 「時曽根の大蛇まつり」が行われる2月8日は昔から「事八日(コトヨウカ)」と呼ばれ、「疫病神」などが来訪する「日」とされ、これから「身」を守るために「各地」で「魔除けの行事」が行われてきたそうです。
 また「時曽根の大蛇まつり」で、「藁の大蛇」を「集落」(地区)の「三方」の「入り口」の「木」に吊るす「意味」ですが、「悪病」や、「災い」の「侵入」を防ぐために行われていると云われています。

 「時曽根コミュニティセンター」、「豊栄地区」「時曽根」で開催される「伝統行事」「時曽根の大蛇まつり」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「時曽根の大蛇まつり」詳細

 開催日時 2月8日(月) 8時頃〜

 開催会場 時曽根コミュニティセンター 匝瑳市時曽根588

 問合わせ 匝瑳市産業振興課 0479-73-0089

 備考
 「時曽根の大蛇まつり」のような「藁」で作った「大蛇」を吊るす「行事」は、「辻切り(ツジキリ)」と呼ばれています。
 「辻切り」とは、「藁」で作った「大蛇」を「集落」の「東西南北」の「辻」に結び付け、「悪霊」や、「疫病」が入ってこないようにする「民俗行事」で、「辻切り」によって1年間「集落」の「安全」を守り続けるといわれています。

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| 地域情報::匝瑳 | 11:20 PM |

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