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「星鎮祭(ホシヅ(ズ)メサイ)」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で1月16日(月)に開催されます「星鎮祭(ホシヅ(ズ)メサイ)」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」に鎮座する「神宮」です。
 「香取神宮」ですが、神代に「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」・「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」が「芦原中津国」を平定、その「子孫」が「香取」・「鹿島」の「両地」に拠を構えて、「香取神宮」・「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)を其々創建したと伝えられています。
 「香取神宮」は、弘仁3年(812年)に再建され、元慶6年(882年)には「五千八百五十五把を神宮雑舎を造るの料に充て」、その後も「千葉氏」や、「豊島氏」が「宣旨」を受けて再造されてきたといわれています。
 「香取神宮」は、「下総国一宮」として、「延喜式神名帳」には「名神大社」として記載されている他、明治4年()には「官弊大社」に列格、昭和17年(1942年)には「勅祭社」に治定されました。

 「稿本千葉県誌」による「香取神宮」の「由緒」は、下記の通りです。

 官弊大社 香取神宮

 香取郡香取町大字香取字亀甲山にあり、境内九千七百六十八坪、祭神は経津主命を主神とし、武甕槌命・天児屋根命・姫大神を合祀す。
 社傳を按ずるに神代草創の世に当りて経津主命・武甕槌命の二神芦原中津国を平定し、香取鹿島の両地に子孫を留めて東国の鎮とし給ふ。
 神武天皇紀元十八年始めて宮柱を此の地に建て、爾来歴朝国土経営の功勤を重じ、特に尊崇を厚くし祭典の礼を厳にしたまへり。
 舒明天皇三年始めて圭田を奉じ神礼を行ひ、皇極天皇二年三月水災に因りて勅使を遣し馬・錦・鋤・鍬を進められ、文武天皇の朝に本朝鎮守棟梁の号を賜ひ、勅して社殿を造営せしめらる。
 弘仁三年六月令して本宮及び住吉・鹿島の三神の神社に於ては二十年毎に正殿を改造すべき例を定め、承和三年五月正二位、同六年十月従一位、嘉祥三年正一位に叙せらる。
 元慶六年十二月九日、勅して本州の除税五千八百五十五把を神宮雑舎を造るの料に充て、延喜の時名神大社に列し、社殿造営及び祭祀用途の例を定めらる。
 爾来屡奉幣使あり、当時の神領方七里に亘れりと云ふ。
 養和元年十月源頼朝下福田郷を寄附し、建久八年社殿を造営し千葉常胤をして其の事を替せしむ。
 是より千葉・葛西・豊島の諸氏造営奉行たり。
 文永八年十一月常陸及び本州諸要津の海夫に戸ヶ崎・大堺・行徳等の関務を知行することを嘱す。
 宝徳丹念十一月足利義政書を下して本宮神領守護役臨時の課役等を除く、天正十八年豊臣秀吉、浅野長政、木村重茲をしと制札を建てしめ郡卒の侵掠を禁ず。
 同十九年徳川家康香取郷の地千石を寄附し神領となし、後世をして違ふこと勿らしむ。
 元禄十一年徳川綱吉造営の工を起し、社殿以下悉く之を新造す、今存するもの是なり、此の時鳩鴿二千羽を社頭に放つ。
 嘉永六年十一月綸旨あり、異類退散の祈祷を行はしめ、爾後屡祈祷の綸旨あり、白銀及び御米を寄附せらる。
 明治元年十二月九日勅使下向、関東及び奥羽鎮定の報寶式あり、同三年宣命使坊城俊政大奉幣式を執行し、同四年十一月十五日大嘗会あり、是の歳官弊大社に列せらる。
 明治三十七年二月十六日露国に対する宣戦の奉告祭を執行し、同三十八年十二月七日日露平和克復の奉告祭あり。
 同四十四年五月今上陸陛下東宮に在はせしとき、親しく参拝あらせられ、大正二年十一月八日皇太子裕仁親王並に皇子雍仁親王・宣仁親王の三殿下参拝あらせられたり。
 大正三年独逸に対する宣戦の奉告祭あり。
 同四年十一月御即位大礼報告祭を執行せらる。
 社殿を分ちて正殿・拝殿・神楽殿・神饌所・楼門等とす、大華表三あり、第二・第三は社前数歩の間に在り、第一華表は北方十八町を隔てて津宮村利根川の畔にあり、里人濱の華表と称す。
 境内喬木蓊鬱として其の間に数十宇の摂社・末社相連り、規模荘厳なること詣拝者として粛然畏敬の念を起さしむ。
 本宮は本邦著名の大社にして、古文書の多きこと天下に冠絶すと云ふ。
 神寶も亦多く就中海獣葡萄鑑(直径九尺五分)は明治三十七年国寶に指定せらる。
 本宮に属する摂社・末社は三十一座にして之に區別すれば左の如し。

 一、側高神社、本郡奮大倉村に在り
 一、返田神社、本郡奮返田に在り
 一、大戸神社、本郡大戸村に在り
 一、奥宮神社、本郡香取町に在り
 一、忍男神社、本郡津宮村に在り
 一、膽男神社、同上
 一、鹿島神社、神宮境内に在り
 一、匝瑳神社、同上
 一、又見神社、本郡香取町に在り

 以上九社を摂社とす。

 一、天降・諏訪・花園・六所・(雨に霊)・竈・馬場殿・桜大刀自市の八座を境内末社とし、其の余の十四座を境外末社とす。
 祭典中、例祭・祈年祭・新嘗祭の三大祭には地方長官を幣帛供進役として奉幣せしめらる。
 其の他歳旦祭・元始祭・紀元節祭・天長節祭等の中祭、軍神祭・大饗祭・白馬祭・射礼式・春季祭・御田植祭・流鏑馬式・秋季祭・賀詞祭・内陣御神祭・団喜祭等の小祭あり。
 軍神祭は十二年毎に一回執行する盛典にして神輿津宮鳥居河岸より御船に乗じ、香取浦に神幸し佐原町を経て遷宮す。
 供奉の人々武装を為し頗る古代の風に存す、傳へて神功皇后の征韓の役に擬するものなりと云ふ。

 (「稿本千葉県誌」より)

 「香取神宮」の「創建」ですが、神武天皇の御代18年と伝えられ、「御祭神」ですが、「日本書紀」の「国譲り神話」に登場する「経津主大神」です。
 「香取神宮」は、「下総国一宮」で、明治以前に「神宮」の「称号」を与えられていたのは「伊勢」・「香取」・「鹿島」のみという「わが国」「屈指」の「名社」です。
 「香取神宮」の「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒塗り」の「姿」が実に美しい「造り」となっています。
 また「香取神宮」「宝物」の中には、「国宝」に指定されている「海獣葡萄鏡(カイジュウブドウキョウ)」や、「重要文化財」に指定されている「古瀬戸黄釉狛犬(コセトオウユウコマイヌ)」、「双竜鏡(ソウリュウキョウ)」等があり、「国」・「県指定」の「文化財」だけでも200点余を「所蔵」・「所有」しています。

 「香取神宮」「本殿」ですが、元禄13年(1700年)「徳川5代将軍綱吉」公が造営した「建造物」で、「重要文化財」に指定されています。
 「香取神宮」「楼門」ですが、目にもあざやかな「朱塗」の「楼門」で、元禄13年(1700年)、「本殿」と共に建造された「建造物」で、「掲額」(扁額)は「東郷平八郎」氏の「筆」だそうで、「香取神宮」「楼門」も、「重要文化財」に指定されています。
 「黄門桜」ですが、「香取神宮」「楼門」前にあり、「水戸藩主」「水戸光圀」公の「手植え」と伝えられています。
 「御神木」ですが、「香取神宮」「社殿」の「南面」にあり、「樹齢」約1000年といわれる「周囲」約10mの「巨杉」となっています。
 「桜の馬場」ですが、「ソメイヨシノ」、「オオシマザクラ」等が数百本植えられており、「桜の名所」として、「開花時」には「花見客」で「賑わい」をみせます。
 「宝物館」ですが、「国宝」・「重文」を始め、多くの「新宝類」が「所蔵」・「展示」されています。
 「香取神宮」「境内」ですが、「香取の森」と呼ばれ、12万3千平方mに及ぶ「広大」な「境内」には「老杉」が鬱蒼(ウッソウ)と茂り、「別名」「亀甲山(キッコウザン・カメガセヤマ)」といわれています。
 「香取神宮」「境内」「香取の森」ですが、「県指定天然記念物」に指定されています。

 「星鎮祭」ですが、「香取神宮」で開催される「新春」・「恒例」の「神事」で、「香取神宮」「弓道場」に設けられた「大星的」を射抜き、「邪気」を祓う「神事」が執り行うそうです。
 「星鎮祭」は、「星」の「運行」を乱し、「世」の「混乱」を起こすとされる「天香香背男(アメノカカセオ)」(香香背男)の「神」を、「香取の神」「経津主大神」が、「弓」で射落とし、「星塚」に鎮めたとする「神事」となっています。

 「星鎮祭」「当日」ですが、「香取神宮」「本殿」で、「祭典」が執り行われた後、「烏帽子(エボシ)」に「直垂姿(ヒタタレスガタ)」の「装束(ショウゾク)」を纏(マト)った「香取弓道会」の「代表」(4人)が、「香取神宮」「弓道場」で、厳(オゴソ)かな「雰囲気」の中、上述のように「香取神宮」「弓道場」の「大星的」をめがけて、「矢」を2本ずつ放ち、「星塚」(小さな砂山)の「四方」に「竹ぐし」を刺して、「星の神」「天香香背男」(香香背男)の「霊」を鎮めるそうです。
 「香取神宮」「神事」「星鎮祭」「終了後」には、約七十人の「弓道愛好家」の「皆さん」による「新年射会」も行われるそうです。

 「香取神宮」「神事」「星鎮祭」ですが、どなたでも「見学」が「自由」にできますが、「神事」ですので、静粛(セイシュク)に拝観(ハイカン)下さいとのことです。

 「日本屈指」の「神宮」「香取神宮」で開催される「新春」・「恒例」の「神事」「星鎮祭(ホシヅ(ズ)メサイ)」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「星鎮祭(ホシヅ(ズ)メサイ)」詳細

 開催日時 1月16日(月) 10時〜

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697

 問合わせ 香取神宮 0478-57-3211

 備考
 「星鎮祭」で鎮められる「星の神」「天香香背男(アメノカガセオ)」(星神香香背男(ホシノカガセオ)・香香背男(カガセオ))ですが、「天津甕星(アマツミカボシ)」と呼ばれる「日本神話」に登場する「星の神」で、「全国」の「星神社」や、「星宮神社」の多くは「天津甕星」を「御祭神」として祀っています。
 「天津甕星」ですが、「日本神話」の「古事記」には登場せず、「日本書紀」の「葦原中国平定」にのみ登場する「神様」だそうです。
 「日本書紀」「葦原中国平定」「本文」では、「香取神宮」「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」・「鹿島神宮」「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」は不順(マツロ)わぬ「鬼神」等をことごとく平定し、「草木」や、「石」までも平らげましたが、「星の神」の「香香背男(カガセオ)」だけは服従しなかったので、「倭文神(シトリガミ)」・「建葉槌命(タケハヅチノミコト)」を遣わし懐柔(カイジュウ)したとされています。
 また「第二」の「一書」では、「香香背男(カガセオ)」は、「天津神(アマツカミ)」となっており、「経津主大神」・「武甕槌大神」が、まず「高天原(タカアマハラ、タカアマノハラ、タカノアマハラ、タカマノハラ、タカマガハラ)」にいる「天香香背男」、「別名」を「天津甕星」という悪い「神」を誅してから「葦原中国平定」を行うといっています。
 江戸時代後期の「国学者」・「神道家」・「思想家」・「医者」である「平田篤胤(ヒラタアツタネ)」によりますと、「天津甕星」の「神名」の「ミカ」を「厳(イカ)」の「意」であるとし、「天津甕星」は「金星(キンセイ)」のことであるとしており、また「香香背男(カガセオ)」の「カガ」は「輝く」の「意」で、「星」が輝く「様子」を表したものであると考えられています。
 なお、「星」や、「月」を「神格化」した「神様」は「世界各地」に見られ、特に「星神」は「主祭神」とされていることもあるそうです。
 しかし、「日本神話」においては「星神」は服従させるべき「神」、すなわち「まつろわぬ神」として描かれており、これについては、「星神」を信仰していた「部族」があり、それが「大和王権」(大和朝廷)になかなか服従しなかったことを表しているとする「説」があるそうです。

 上記のように、「全国」の「星神社」や、「星宮神社」の多くは「天津甕星」を「御祭神」としていますが、「茨城県」「日立市」に鎮座する「大甕倭文神社」(大甕神社)では、「天津甕星」(甕星香香背男)を服従させた「建葉槌命(タケハヅチノミコト)」を「御祭神」として祀っています。
 「大甕倭文神社」(大甕神社)「社伝」では、「甕星香香背男」(天津甕星)は、「常陸国」の「大甕山」に「居」を構えて「東国」を支配していたとしており、「大甕倭文神社」(大甕神社)の「神域」を成している「宿魂石」は、「甕星香香背男」が化したもの(石)と伝えられています。

 「天津甕星」は、「葦原中国平定」に最後まで抵抗した「神」ということで、「建御名方神(タケミナカタノカミ)」(諏訪大社御祭神)と「同一神」とされることもあり、また、「神仏習合」の「発想」では、「北極星」を「神格化」した「妙見菩薩」の「化身」とされることもあるそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3289 |
| 地域情報::香取 | 08:01 AM |
「銚子電鉄」「仲ノ町駅完成披露会」(銚子市)
 本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子電鉄」「仲ノ町駅」で1月18日(水)に開催されます「仲ノ町駅完成披露会」です。

 「銚子電気鉄道株式会社」(2012年2月11日のブログ参照)は、「銚子市」(2010年9月20日のブログ参照)に「鉄道路線」を有する「鉄道会社」で、「銚子電鉄」あるいは「銚電」と「略称」されています。
 「銚子電鉄」は、「全長」6.4kmの「銚子駅」(2011年5月7日のブログ参照)から「外川駅(トカワエキ)」(2011年7月7日のブログ参照)までの10駅を約20分で結ぶ「地元客」、「観光客」の「皆さん」に「人気」のある「ローカル鉄道」です。
 「銚子電鉄」の「距離」ですが、「芝山鉄道」(千葉県・2.2km)、「紀州鉄道」(和歌山県・2.7km)、「岡山電気軌道」(岡山県・4.7km)、「水間鉄道」(大阪府・5.5km)、「流鉄」(千葉県・5.7km)に次いで、「全国」で6番目に短い「鉄道」なのだそうです。

 「銚子電鉄」は、1913年(大正2年)に現在の「銚子電気鉄道」にあたる「銚子」から「犬吠」間の「鉄道路線」を開業したものの、利用不振から1917年(大正6年)に「路線」を廃止して解散した「銚子遊覧鉄道」の「関係者」が、再び「路線」を復活させるために「銚子電鉄」を設立したそうです。
 「銚子電鉄」は、1922年(大正12年)7月5日に「銚子」から「外川」間「開業」、1948年(昭和23年)8月20日に「銚子電気鉄道」に社名変更しており、「銚子電鉄」は、2012年(平成24年)に「開業」90周年を迎えています。

 当ブログでは、「銚子電鉄」「各駅見処紹介」と称し、「銚子駅」から、「仲ノ町駅(ナカノチョウエキ)」(2011年5月11日のブログ参照)、「観音駅」(2011年5月14日のブログ参照)、「本銚子駅(モトチョウシエキ)」(2011年5月16日のブログ参照)、「笠上黒生駅(カサガミクロハエエキ)」(2011年5月20日のブログ参照)、「西海鹿島駅(ニシアシカジマエキ)」(2011年5月26日のブログ参照)、「海鹿島駅(アシカジマエキ)」(2011年5月28日のブログ参照)、「君ヶ浜駅(キミガハマエキ)」(2011年5月31日のブログ参照)、「犬吠駅(イヌボウエキ)」(2011年6月21日のブログ参照)、「外川駅」の「順」に、「銚子電気鉄道株式会社」の各10駅を紹介し、「各駅」の「特徴」、「歴史」、「
周辺見処紹介」をアップしています。

 「銚子電鉄」「仲ノ町駅」ですが、「銚子市」「新生町」にある「銚子電気鉄道」の「駅」で、「単式ホーム」1面1線を有する「地上駅」であり、「終日」「駅員配置駅」で、「トイレ」があります。
 「仲ノ町駅」は、「側線」および「車庫」を有し、「列車」の「行き違い」が可能な「配線」ではありますが、「仲ノ町駅」で行き違う「設定」はされておらず、「側線」はもっぱら「通勤・通学時間帯」に運用される「車両」の「昼間待機場所」として使用され、「側線」の「南側」に「車庫」が隣接し、「銚子電鉄」唯一の「夜間帯泊設定駅」でもあるそうです。
 かつて「仲ノ町駅」「構内」にあった「変電所」ですが、現在は「銚子電気鉄道」「笠上黒生駅」へと移転していますが、その「変電所」「跡地」に「銚子電鉄」の「名物」になっている「銚電のぬれ煎餅」(2011年10月29日のブログ参照)の「製造工場」が建てられていましたが、「ぬれ煎餅」の「製造工場」は2014年(平成26年)6月28日に開業した「直売店」兼「工場」である「ぬれ煎餅駅」(銚子市小浜町)に移転しています。
 「仲ノ町駅」は、かつて「構内」より「ヤマサ醤油」(2016年4月28日・2011年5月15日・2010年12月6日のブログ参照)「第一工場」への「専用線」が延びていたそうです。

 「仲ノ町駅」「駅舎」ですが、「銚子電気鉄道」の「前身」である「銚子遊覧鉄道」時代から建っている「木造平屋建て」で、「銚子電気鉄道」の「本社」も同居しています。
 「仲ノ町駅」「駅舎」では、「ぬれ煎餅」・「各種記念切符」・「硬券入場券」(図柄が数種類あり窓口で選べる)・「乗車券」・「各種鉄道グッズ」等が購入可能である他、「ヤマト運輸」の「宅急便」の「発送取り次ぎ」も行っており、「清涼飲料」の「自販機」が設置されています。
 「仲ノ町駅」「待合室」は、「木製」の「ベンチ」が並び、「グッズ」等の「宣伝ポスター」が多数貼られており、「ぬれ煎餅」の「通販」「申し込み」が殺到した2007年(平成19年)には、急遽「発送場所」とされ、「室内」が「段ボール」で埋め尽くされてしまったことがあったそうです。
 「仲ノ町駅」「ホーム」の「観音駅」「寄り」に「ゲーム」「桃太郎電鉄」「シリーズ」の「協賛企画」「しあわせ三像」のうち「貧乏がサル(去る)」「像」があります。

 「クラウドファンディング」(英・Crowdfunding)とは、不特定多数の人が、通常「インターネット経由」で他の人々や、「組織」に「財源」の提供や、協力等を行うことを指す、「群衆」(crowd)と、「資金調達」(funding)を組み合わせた「造語」で、「ソーシャルファンディング」とも呼ばれています。

 「クラウドファンディング」は、「防災」や、「市民ジャーナリズム」、「ファン」による「アーティスト」の「支援」、「政治運動」、「ベンチャー企業」への「出資」、「映画」、「フリーソフトウェア」の「開発」、「発明品」の「開発」、「科学研究」、「個人」・「事業会社」・「プロジェクト」への「貸付」等、幅広い「分野」への「出資」に活用されています。

 「クラウドファンディング」は多くの「投資家」から「株主」を募集することによる「企業」の「資金調達」の「手法」としても注目されています。
 この形の「クラウドファンディング」は、「JOBS Act」(英語版)(より少ない制限のもと小規模な投資家から広く出資を募ることを可能にする法案)に直接的な言及があるように、最近「アメリカ合衆国」の「政策立案者」から注目されました。
 「JOBS Act」は実施を待っていますが、「en:Mosaic Inc.」等の「複合モデル」は、「認可状態」にある「一般市民」に「群衆」の一部として「クリーンエネルギー」の「コンセプト」(個人が多くの人々からわずかな寄付を集め、利用することで目標に到達するという大雑把なコンセプト)にその原点があります。
 「クラウドファンディング」は、「特定」の「プロジェクト」または、「ベンチャー」の「資金調達」をするために、多くの人々から少額の「寄付」を通して「出資」を集めるという、この「コンセプト」の「応用」です。
 「クラウドファンディング」の「モデル」は、必然的に多様な「関係者」を伴い、その中には出資される「アイディア」や、「プロジェクト」を提案する人々や、「組織」、その提案を支持する「群衆」も含まれます。
 なお、「クラウドファンディング」は「プロジェクト」の「首唱者」と、「群衆」を引き合わせる「組織」(プラットフォーム)によって成り立っています。

 一般に「製品開発」や、「イベント」の開催には多額の「資金」が必要となりますが、「クラウドファンディング」では、「インターネット」を通じて不特定多数の人々に比較的少額の「資金提供」を呼びかけ、「一定額」が集まった時点で「プロジェクト」を実行することで、「資金調達」の「リスク」を低減することが可能になります。
 「ソーシャルメディア」の「発展」によって「個人」での「プロジェクト」の「立ち上げ」や、「告知」が容易になり、それに呼応する形で「クラウドファンディング」による「資金調達」が活発になりつつあります。
 「米国」では「kickstarter」が有名で、「国内」では、あらゆる「分野」の「プロジェクト」を扱う「READYFOR」や、「ものづくり」に特化した「Makuake」、「アート」等の「分野」に特化した「Campfire」等、「サービス」の多様化が見られます。
 「スポーツ分野」に特化した「スポーツファンディング」は、不特定多数からの「資金調達」以外に、「企業マッチング」や、「メディアマッチング」や、「セカンドキャリア対策」まで、幅広い形の「サポート」を指す形に進化しています。

 「日本」では、「第2次安倍内閣」で策定された「政策」に沿って、「リスクマネー」の「供給強化」の手段のひとつとして「クラウドファンディング」を活用する「施策」が掲げられており、規制を緩和する「金融商品取引法」等の「改正案」が2014年(平成26年)5月23日に「国会」で可決成立しました。
 「クラウドファンディング業務」に対する「自主規制」は下記の通りです。

 ・株式型は日本証券業協会(株式投資型クラウドファンディング業務に関する規則)

 ・ファンド型は第二種金融商品取引業協会(電子申込型電子募集取扱業等に関する規則)

 ・購入型・寄付型・融資型無し(2016年7月現在)

 「クラウドファンディング」は「資金提供者」に対する「リターン」(見返り)の「形態」によって、下記の3類型に大別されます。

 ・金銭的リターンのない「寄付型」

 ・金銭リターンが伴う「投資型」

 ・プロジェクトが提供する何らかの権利や物品を購入することで支援を行う「購入型」

 「日本」においては「資金決済に関する法律」や、「金融商品取引法」等によって「個人間」の「送金」や、「投資」が制限されていることから、「購入型」の「クラウドファンディング」の「企業数」が最も多く認知度が高いそうです。
 その一方で「個人」から「少額」の「資金」を募り「融資」を行う「投資型」(ソーシャルレンディングともいわれる)は「企業数」は少ないですが(日本では金融商品取引法の第2種金融商品取引業の登録が必要)、「金銭」の「リターン」を求める「投資家」の「需要」を取り込み、「国内」では既に300億円以上の「融資実績」があります。
 なお、「東洋経済新報社」では「投資型」の「クラウドファンディング」を「融資(貸付)型」、「ファンド型」、「株式(エクイティ)型」に区分しています。

 「日本」では「投資型」は、「匿名組合」による「出資行為」が、「金融商品取引法」の「規制対象」である「有価証券」の「一種」「集団投資スキーム持分」に該当するため、前述のように、「金商法」の「第2種金融商品取引業」の登録が必要となり、「金商法」の「監督」を受け、「匿名組合出資」は会計上の「負債」に計上されますが、一定の条件下で「金融機関」から「資本性借入金」と評価されるそうです。

 「寄付型」・「購入型」は「金商法」の「規制」は受けませんが、「寄付型」は「法人」については「一定金額」までしか「損金」に算入されず、個人については排除が一切受けられない税制上の問題があるそうです。
 「購入型」は主に「一般消費者」が「資金」の「提供者」となることから、「瑕疵担保責任」が生じる他、「特定商取引法」や、「景品表示法」等「消費者関係法」の「規制対象」となり、提供される「商品」の「対価」によっては「寄付型」と同様の税制上の問題が生じるそうです。

 「千葉県立銚子商業高等学校」の「皆さん」は、「地元」の重要な「交通機関」である「銚子電鉄」の「支援」を目的として、老朽化した「仲ノ町駅」の「修繕費」を補うために、100万円を「目標金額」として「インターネット」で「募金」を集めようと「クラウドファンディング」を昨年(2016年)7月25日に公開したそうです。
 そして(2016年)9月30日の「締め切り」をもって、「全国」から多数の暖かい「支援」をいただき、「目標額」を上回る、1349000円の「支援金」が集まったそうで、「支援金」を基に、「仲ノ町駅」を改修する「銚電メイクアッププロジェクト」を行っていたそうです。

 「銚子電鉄」では、昨年(2016年)11月9日に「銚電メイクアッププロジェクトクラウドファンディング支援金目録贈呈式」を開催、その後、「仲ノ町駅」の「修復」を行い、今回の「仲ノ町駅完成披露会」を開催する運びとなったそうです。
 「仲ノ町駅完成披露会」では、「千葉県立銚子商業高等学校」の「皆さん」の

 「老朽化した駅舎をきれいにしたい!」

 と立ち上がった「銚電メイクアッププロジェクト」の「成果」を、「銚子電鉄」の「皆さん」と一緒に「完成披露」を祝う「イベント」となっており、「仲ノ町駅完成披露会」は、1月18日(水)14時00分から行うそうです。

 「銚子電気鉄道」の「本社」がある「銚子電鉄」「仲ノ町駅」で開催される「銚電メイクアッププロジェクト」の「成果発表会」「仲ノ町駅完成披露会」。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「仲ノ町駅完成披露会」詳細

 開催日時 1月18日(水) 14時〜

 開催会場 銚子電鉄仲ノ町駅 銚子市新生町2-297

 問合わせ 銚子電気鉄道株式会社 0479-22-0316

 備考
 「仲ノ町駅」には、「駅」に隣接する「仲ノ町車庫」があり、「車庫」には「デキ3形電気機関車」の他、所属する「車両」が留置しています。
 「仲ノ町車庫」「見学」ですが、「車庫内」の「業務」や、「列車運行」の「妨げ」とならない「範囲」で一年中「見学」が可能となっています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3304 |
| 地域情報::銚子 | 10:12 AM |
「第42回鹿嶋市駅伝大会」(鹿嶋市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」、「大野潮騒はまなす公園」、「カシマスポーツセンター」等で1月15日(日)に開催されます「第42回鹿嶋市駅伝大会」です。

 「鹿嶋市」は、「関東地方」「東部」、「茨城県」「東南部」に位置する「市」で、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)を擁する「文化都市」であるとともに、「鹿島臨海工業地帯」を擁する「工業都市」でもあります。
 現在の「鹿嶋市」の「人口」ですが、67775人(男35072人、女32703人)で、「世帯数」27764世帯となっています。
 (平成28年(2016年)12月1日現在)

 「鹿嶋市」の「沿革」は、下記の通りです。

 「市制施行以前」

 1871年(明治4年)12月25日 (明治4年11月14日)廃藩置県により新治県に編入。

 1875年(明治8年)5月7日 新治県が分割され、茨城県に編入。

 1953年(昭和28年)5月18日 国道123号線(現在の国道51号線)と、国道124号線が制定。

 1970年(昭和45年)8月20日 鹿島線(鹿島神宮駅〜香取駅間)が開業。

 1985年(昭和60年)3月14日 鹿島臨海鉄道大洗鹿島線が開業。

 1993年(平成5年)3月26日 茨城県立カシマサッカースタジアムが竣工。

 「市制施行以後」

 1995年(平成7年)9月1日 鹿島町が大野村を編入、市制施行し、鹿嶋市誕生。

 2002年(平成14年)   2002FIFAワールドカップをカシマサッカースタジアムにて開催。

 2005年(平成17年)   市制施行10周年。

 2015年(平成27年)   市制施行20周年。

 「鹿嶋市」は、「茨城県」「南東部」に位置する「市」で、「首都」「東京」から110km「東」に位置し、「鹿嶋市」の「市」の「東側」は「太平洋」「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)に面していることから「海岸」「海水浴場」「平井海水浴場」(2016年3月22日のブログ参照)、「下津海水浴場(オリツカイスイヨクジョウ)」(2016年3月22日のブログ参照)があります。
 「鹿嶋市」の「西側」は「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)、「鰐川(ワニガワ)」に面し、「筑波山」を望むことができます。
 「鹿嶋市」は「JR総武本線」の「分岐線系統」である「JR鹿島線」や「東関東自動車道」(厳密には潮来IC(イタコインターチェンジ)(潮来市内))の「沿線」であり、「交通網」が「茨城県」の「県庁所在地」「水戸市」でも「土浦」からでもなく、「千葉県」の「県庁所在地」「千葉市」から「順」に整備されたことから、「茨城県」の他の「地域」よりも、「国道51号線」を通じた「千葉県」「東部」(香取市、成田市、千葉市、銚子市等)との「関係」が深い「市」です。

 「鹿嶋市」は、「常陸国一宮」である「鹿島神宮」の「門前町」として栄えてきました。
 現在「鹿嶋市」は「となりまち」「神栖市」とともに「重要港湾」である「鹿島港」を中心とした「鹿島臨海工業地帯」を形成し、「新日鐵住金」の「企業城下町」として「鉄鋼企業」を中心とした「工業都市」として知られています。
 また「鹿嶋市」は、「Jリーグ」「鹿島アントラーズ」の「ホームタウン」(他に潮来市、神栖市、鉾田市、行方市)の中心であり、「関東」でも「有数」の「サッカーの街」としても「有名」です。
 「鹿嶋市」は、1995年(平成7年)9月1日に「鹿島町」が「大野村」を編入し、「市制施行」し、「鹿嶋市」となっています。
 「鹿嶋市」の「名称」ですが、「市制施行」の際、「佐賀県」の「鹿島市」と重複しないように、「島」の「異体字」である「嶋」に変えて「鹿嶋」としたそうです。
 「鹿島町」が「大野村」を編入し、「市制施行」した「鹿嶋市」ですが、昨年(2015年)で「市制施行20周年」を迎えており、昨年、「鹿嶋市」では、「市制施行20周年」を記念し、「各種」「記念行事」が催行されました。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」は、「茨城県」「鹿嶋市」に鎮座する「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取市」に鎮座する「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」に鎮座する「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」と「鹿島灘」に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、明治維新前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られており、「古事記」では、「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」が「軻遇突智(カグツチ)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」とともに、「天孫降臨」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきました。

 「大野潮騒はまなす公園」(2012年6月18日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」にある「市営公園」で、この「公園」は、1990年(平成2年)「春」に「茨城県」「大野村」の「村営公園」として開園しました。
 その後「大野村」は、上記のように1995年(平成7年)9月に「隣」の「鹿島町」に吸収合併され、同時に「鹿島町」は「鹿嶋市」となり、「大野潮騒はまなす公園」も「鹿嶋市」の「公園」になりました。
 「大野潮騒はまなす公園」は、「鹿島灘」に程近く、小高い「丘の上」にある「公園」で、「面積」約10ha(ヘクタール)の「敷地内」には、「プラネタリウム」や、「鹿嶋」の「暮らし」の「今昔」を展示する「郷土資料館」、「世界の名画」(複製)を集めた「美術館」が入っており、全体を360度の「パノラマ」で楽しめる「シンボルタワー」「宇宙展望塔」があり、「市民」の「コミュニケーション」の「場」として親しまれています。
 更に、「大野潮騒はまなす公園」には、「遊具」のある「子ども広場」や、「多目的広場」があり、「自然」の「沢」を利用し、「渓流」を散策できるようになっている「渓流散策路」、「弁天池」のある「水と憩いの広場」等あり、また「はまなす」や、「桜」、「梅」、「さつき」、「つつじ」等の美しい「花々」が「四季折々」に「目」を楽しませてくれるそうです。

 「カシマスポーツセンター」は、平成元年度から「スポーツ」を軸とした「まちづくり」「スポーツ健康の森 いきいきかしま21」をスタートし、その中核事業として「卜伝の郷運動公園事業」を据え、「シンボルスポーツ」(サッカー・武道)を活用した地域間交流の促進を図る中核施設として、「各種スポーツの全国大会」や、「スポーツイベント」の開催、「スポーツ情報の発信基地」、「健康づくり」等の「普及振興」の中心拠点として平成8年(1996年)に建設されました。
 「カシマスポーツセンター」の「施設内容」ですが、「メインアリーナ」、「サブアリーナ」、「柔道場」、「剣道場」、「弓道場」、「トレーニング室」、「大会議室」となっています。

 「メインアリーナ」は、「床面」は2046平方m(57.8×35.4m)、「競技」は、「バスケットボール」3面、「バレーボール」4面、「バドミントン」12面、「剣道」8面、「卓球」16面、「ランニングコース」230m(2回)、「観客席」は2002席(固定席2階・1474席、可動席1階・528席)、「仮設席」1440席、「最高室内高」は17.6mとなっています。
 「サブアリーナ」は、「床面」704平方m(32.0m×22.0m)、「競技」は、「バスケットボール」1面、「バレーボール」1面、「バドミントン」4面、「卓球」8面となっており、「最高室内高」は12.6mとなっています。
 「柔道場」は2面あり、「床面」は450平方m(30.0m×15.0m)、「師範席」(90平方m)、「剣道場」は2面、「床面」450平方m(30.0m×15.0m)、「師範席」(90平方m)、「弓道場」は「近的6人立て」、「射場面積」99平方m(9.0m×11.0m)となっています。
 「トレーニング室」は、「床面」360平方m(24.0m×15.0m)、「機器」は「トレーニング機器」(28機種40台)、「大会議室」は「床面」135平方m(7.5m×18.0m)となっています。

 この度(タビ)「鹿嶋市」では、「冬」の「鹿嶋市内」を駆け抜ける「鹿嶋市駅伝大会」を1月15日(日)に開催するそうです。
 今年(2017年)で「42回目」を数える「第42回鹿嶋市駅伝大会」ですが、「24kmコース」と、「10kmコース」の「レース」が行われるそうです。
 「第42回鹿嶋市駅伝大会」の「主旨」は、下記の通りです。

 駅伝大会を通じて、参加者の交流及び体力の増進を図るとともに、市民の協力により大会を運営し、観戦者にもスポーツに親しむ機会を提供することで「スポーツ先進のかしま」を広く周知することを目的とする。

 「第42回鹿嶋市駅伝大会」の「種目」ですが、「中学生男子の部」、「一般・高校生男子の部」、「中学生女子の部」、「一般・高校生女子の部」、「エンジョイの部(高校生以上)」となっています。
 ※一般・高校生男子の部の部については、女子の参加も認める。
 「第42回鹿嶋市駅伝大会」の「一般・高校生男子の部」「24kmコース」、「中学生男子の部」「24kmコース」、「中学生女子の部」「10kmコース」、「一般・高校生女子の部」「10kmコース」、「エンジョイの部(高校生以上)」「10kmコース」の「コース」は、下記の通りです。

 「一般・高校生男子の部」「24kmコース」(6区間)

 1区 鹿島神宮(3.4km)

 2区 鹿嶋まちづくりセンター(豊郷まちづくりセンター)(3.4km)

 3区 鹿島学園(5.0km)

 4区 潮騒はまなす公園(2.9km)

 5区 鹿島大野駅(3.0km)

 6区 大野潮騒はまなす公園(5.7km)

 ゴール カシマスポーツセンター

 「中学生男子の部」「24kmコース」(8区間)

 1区 鹿島神宮(3.4km)

 2区 鹿嶋まちづくりセンター(豊郷まちづくりセンター)(3.4km)

 3区 鹿島学園(2.9km)

 4区 中野東小前交差点(2.1km)

 5区 大野潮騒はまなす公園(2.9km)

 6区 鹿島大野駅(3.0km)

 7区 大野潮騒はまなす公園(2.1km)

 8区 中野東小前交差点(3.6km)

 ゴール カシマスポーツセンター

 「中学生女子の部」、「一般・高校生女子の部」、「エンジョイの部(高校生以上)」「10kmコース」(5区間)

 1区 鹿島大野駅(2.1km)

 2区 青塚台(1.6km)

 3区 大野潮騒はまなす公園(2.1km)

 4区 中野東小前交差点(1.9km)

 5区 清水台(1.7km)

 ゴール カシマスポーツセンター

 「第42回鹿嶋市駅伝大会」の「募集チーム数」は、「24kmコース」、「10kmコース」とも「先着」125チーム、「参加費」は「中学生」1チーム/3000円、「高校生」1チーム/4000円、「一般」1チーム/6000円となっています。
 「第42回鹿嶋市駅伝大会」の「表彰」は、下記の通りです。

 1 各部門(エンジョイの部は除く)1位〜3位(賞状、副賞)

 2 区間賞は各部門(エンジョイの部は除く)の区間1位

 「第42回鹿嶋市駅伝大会」の「プログラム」は、下記の通りです。

 6時45分〜7時30分 受付 カシマスポーツセンター北側

 7時45分 開会式 カシマスポーツセンター北側

 10時00分 スタート(24kmコース) 鹿島神宮

 10時00分 スタート(10kmコース) 鹿島大野駅

 12時00分 閉会式(10kmコース) カシマスポーツセンター北側

 12時45分 閉会式(24kmコース) カシマスポーツセンター北側

 「日本屈指」の「名社」「鹿島神宮」、「設備」が充実し美しく「広大」な「公園」「大野潮騒はまなす公園」、「地域間交流」の「促進」、「鹿嶋」の「スポーツ」の「中核施設」「カシマスポーツセンター」等、「冬」の「鹿島路」を駆け抜ける「伝統」の「駅伝大会」「第42回鹿嶋市駅伝大会」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第42回鹿嶋市駅伝大会」詳細

 開催日時 1月15日(日) 6時45分(受付)〜(スタートは10時〜)

 開催会場 茨城県鹿嶋市内(上記のコース参照)

 問合わせ  鹿嶋市駅伝大会実行委員会事務局(鹿嶋市教育委員会スポーツ推進課内) 0299-82-2911

 備考
 「第42回鹿嶋市駅伝大会」の「態度決定」は、「大会当日」6時00分に行い、「FMかしま」(76.7MHz)(2011年5月15日のブログ参照)及び「大会HP」でお知らせするそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3288 |
| 地域情報::鹿島 | 05:15 PM |
「稲生神社のひげなで三杯」(匝瑳市)
 本日ご案内するのは、近隣市「匝瑳市」「稲生神社」で1月15日(日)に開催されます「稲生神社のひげなで三杯」です。

 「匝瑳市」「野田地区」ですが、「匝瑳市」の「南部」、「旧・野栄町」の「東部」に位置する「旧・野田村」にあります。
 「野田村」ですが、「野手」、「今泉」、「新堀」の3村を合併して設置され、「関係諸村」の「総代」および「所轄戸長」から、「合併案」に異議のない「旨」の「答申」が、1888年(明治21年)10月17日になされました。
 この3村は、「戸長役場」の「所轄」および「学区」を同一としているばかりでなく、いずれも「農業」を営んで大体、「生活状態」を同じくし、さらに「用水施設」等も「関係地域」限りで「共同関係」をもつなど、「合併」に「適当」な「状態」にあったそうです。

 「今泉・稲生神社」は、「匝瑳市」「野田地区」に鎮座している「神社」で、「今泉・稲生神社」「御祭神」ですが、「宇迦之御魂神(ウカノマタマノカミ)」を祀っています。
 「匝瑳市」には、「市域」に「稲生神社」が数多く創建されており、今回ご案内する「稲生神社のひげなで三杯」が執り行われている「神社」が、「今泉・稲生神社」なのだそうです。
 「匝瑳市」「野田地区」「今泉」に鎮座している「今泉・稲生神社」では、1月15日に今年一年の「家内安全」・「五穀豊穣」等を祈願して「稲生神社のひげなで三杯」が行われているそうです。

 「稲生神社のひげなで三杯」ですが、「匝瑳市」「野田地区」「今泉」の16集落の「当番区」が、昔からの「しきたり」により、「裃(カミシモ)」、「袴姿(ハカマスガタ)」の「座奉行」(「小学校」入学前後の「子ども」)二人が「東西」に分かれて、他の「集落」の「氏子」を「小椀」、「中椀」、「大椀」の「順」で、「杯」を接待したあと、「酒豪」二人ずつが「東西」に分かれて、「酒」を競って飲む「行事」だそうです。

 「稲生神社のひげなで三杯」の競い合う「杯」ですが、「大椀」(約1.5合)と、「小椀」(約0.7合)の二つがあり、「対戦相手」の「了解」のもとで「どちら」で競い合うかが決められ、「髭(ヒゲ)を撫(ナ)でる」と、「三杯飲み干す」という「ユニーク」な「ならわし」となっています。
 なお「稲生神社のひげなで三杯」の「勝敗」ですが、「杯」を「一気」に飲み干す度(タビ)に、その「豪快さ」から見ている「方々」(観衆)から「オーッ」という「歓声」や、大きな「拍手」、「ため息」に包まれるそうです。

 「野田地区」に鎮座している「今泉・稲生神社」で開催される「ユニーク」な「新春行事」「稲生神社のひげなで三杯」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「稲生神社のひげなで三杯」詳細

 開催日  1月15日(日)

 開催会場 今泉・稲生神社 匝瑳市今泉

 問合わせ 匝瑳市生涯学習課生涯学習室 0479-67-1266

 備考
 「稲生神社のひげなで三杯」では、「行事」の「最後」に、「当番」の「引き継ぎ」があるそうです。
 なお「稲生神社のひげなで三杯」の「来年」の「当番」の「人」は、「今泉・稲生神社」の「鳥居」をくぐるまで振り向いてはいけないそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3287 |
| 地域情報::匝瑳 | 10:03 AM |
「航空アート展」(芝山町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「芝山町」「航空科学博物館」で1月1日(祝・日)〜3月26日(日)の期間開催されます「航空アート展」です。

 「航空科学博物館」(2011年6月7日のブログ参照)は、「航空」に関する「科学知識」について、その「啓発」を図り、もって「航空思想の普及」及び「航空科学技術の振興」に寄与し、あわせて「日本の航空」の「発展」に資することを「目的」に、「総合的」な「航空思想普及施設」として「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)側に平成元年(1990年)に、「山武郡」「芝山町」「岩山」に開館しました。

 「航空科学博物館」ですが、「中央棟」、「西棟」、「東棟」、「展望塔」、「屋外」からなり、「地上2階一部5階」の「建物」が構成されています。
 「航空科学博物館」1階「中央棟」には、「アンリ・ファルマン複葉機」の「実物大復元模型」(イラスト有り)と、「ピストン・エンジンコーナー」、「ミュージアムショップ」「バイプレーン」があり、「航空科学博物館」1階「西棟」には、「ボーイング747大型模型」(操縦体験可能・要「整理券」)と「ボーイング747」の「客室」・「コックピット」・「タイヤ」、「DC-8前脚」、「旅客機の胴体比較」(DC-8とYS-11)、「DC8シミュレーター」(パイロット訓練用シミュレーターを改修したもの)があります。
 「航空科学博物館」「ミュージアムショップ」「バイプレーン」には、「航空機」の「スケールモデル」など「航空関係」の「品物」をたくさん取り揃えています。

 「航空科学博物館」2階「中央棟」には、「下田画伯」の「イラスト」による「飛行機のあゆみ」と、「日本の名機」と「歴史的」な「ソリッドモデル」、「西棟」には、「小型機」・「ヘリコプター」の「コックピット」(操縦席に座れます)と「戦前」・「現在」の「パイロット」の「制服比較」、「東棟」には、「NAAコーナー」と、「エコエアポートコーナー」、「成田国際空港」を「インターネット」や「ビデオ」、「模型」等で紹介する「コーナー」があります。

 「航空科学博物館」2階「東棟」にある「成田国際空港」を紹介する「NAAコーナー」は、2014年(平成26年)3月25日に「リニューアルオープン」しています。
 「航空科学博物館」「NAAコーナー」は、「成田空港ジオラマ」、「音の体験ルーム」、「情報コーナー」、「エコエアポートコーナー」からなり、様々な「方向」から「成田国際空港」について学べる「施設」となっており、白く「スタイリッシュ」な「デザイン」に一新された「成田空港ジオラマ」と、「楽しく、分かりやすく」を「コンセプト」に「内容」を一新した「音の体験ルーム」がリニューアルされています。

 「航空科学博物館」3階は、「展望台」(屋上)となっており、「成田国際空港」を離着陸する「ジャンボ」を間近に眺め、迫力ある「航空機」の「エンジン音」を体験できるようになっています。
 「航空科学博物館」4階は、「展望レストラン」「バルーン」となっており、「展望レストラン」「バルーン」では、「成田国際空港」の素晴らしい「眺め」を見ながら「食事」ができます。
 「航空科学博物館」5階では、「ガイドの説明」(土・日・祝日中心)を参考に離着陸する「ジャンボ」を見ることができるそうです。
 「航空科学博物館」屋外には、「航空機」と「多目的広場」があり、「小型機」や「ヘリコプター」の「実物」を展示、「YS11試作1号機」(イラスト有り)や「セスナ195」「朝風」(イラスト有り)等があり、「有料搭乗航空機」として「プロペラ」が回る「飛行機」や「ヘリコプター」に搭乗できる「有料体験装置」があるそうです。

 「航空科学博物館」の「沿革」、下記の通りです。

 1977年(昭和52年) 地元自治体の芝山町より成田空港の開港に関連した博物館建設の要望が運輸大臣に提出される。

 1984年(昭和59年) 博物館の建設・運営の事業主体となる財団法人航空科学振興財団が設立。

 1988年(昭和63年) 博物館工事に着工。

 1989年(平成元年) 8月1日 開館。

 1994年(平成6年) 入館者100万人を達成。

 1999年(平成11年) 成田空港第1ターミナルビル内にミュージアムショップ「バイプレーン」を開店。

 2004年(平成16年) 1月18日 入館者300万人を達成。

 2011年(平成23年) 6月23日 成田国際空港株式会社が航空科学博物館敷地(駐車場)内に成田空港闘争の史実や反対派のヘルメットなどを展示した資料館「成田空港空と大地の歴史館」を建設し、開館。

 2012年(平成24年) 4月1日 公益財団法人航空科学博物館に移行。

 2015年(平成27年) 6月20日 博物館敷地内に「航空科学博物館バスターミナル」を開設。

 「航空科学博物館」では、「航空」に関する「科学知識」に関する「講習会」、「講演会」、「見学会」、「航空教室」、「セミナー」等を開催しており、「四季折々」様々な「催し」、「イベント」を行って、「展示即売会」(航空スケッチ大会、紙飛行機工作教室、航空機の部品・航空グッズの販売を行う航空ジャンク市等)などを催行しています。

 「成田国際空港」(NARITA International Airport)は、「成田市」の「南東部」、「三里塚地区」にある「国際空港」で、「首都圏」に発着する「国際線」や、「主要都市」への「国内線」「航空便」が発着する、「空港法4条」で法定されている「空港」で、「航空法」上の「混雑空港」で、「成田国際空港」は、毎日約10万人もの「人」が行き交う「世界の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)として知られています。
 「成田国際空港」は、かつての「正式名称」が「新東京国際空港」でありましたが、2004年(平成16年)4月1日、「成田国際空港株式会社法」が施行され、「空港」を管理する「新東京国際空港公団」(New Tokyo International Airport Authority,NAA)が、「日本国政府」による100%出資で設立された「成田国際空港株式会社」(英・Narita International Airport Authority,NAA)に改組し民営化(特殊法人化)されたことに伴い、改称されており、「NAA」の「略称」は、「旧・公団時代」から引き継がれたものなのだそうです。
 「成田国際空港」の「名称」は、「日本国内」では、上記の改称以前から広く「成田空港」もしくは単に「成田」という「呼び方」が定着しています。
 また「成田国際空港」の「名称」は、「国際的」な「視点」から見ますと、「日本国」の「首都」である「東京」の「国際空港」として機能しているため、「千葉県内」に「空港」が所在しながらも便宜上、「東京成田」(英・Tokyo-Narita)あるいは単に「東京」とも言われることがありますが、「東京国際空港」(通称・羽田空港)と区別するため「前者」が用いられることが多いそうです。

 「成田国際空港」には、「第1ターミナル」横にある「A滑走路」(4000m)、「第2ターミナル」側に「B滑走路」(2500m)があります。
 「A滑走路」(第1滑走路)は、「関西国際空港」(英・Kansai International Airport)の「第2滑走路」と並び「日本」では「最長」の4000m「滑走路」を有しています。
 「B滑走路」(第2滑走路)は、2002年(平成14年)5月に開かれました「日韓ワールドカップ」に間に合わせる「形」で、同年の4月18日に、当初「計画」の「長さ」より短い2180mの「平行滑走路」として暫定的に供用開始され、2009年(平行21年)10月22日から2500mでの供用が開始されています。

 「成田国際空港」の「施設」は、2棟の「旅客ターミナルビル」と「複数」の「貨物用施設」が点在しており、2棟の「旅客ターミナルビル」の間は「無料」の「ターミナル間連絡バス」等の「交通機関」によって結ばれており、「両ターミナル間」は「連絡バス」で約10分から15分となっています。
 「複数ターミナル」を持つ「大規模空港」に多く見られるように、「ターミナル間」の「距離」が離れているため、「ターミナル」を間違えると移動に時間がかかり、特に、1990年代から増加している「他社」との「コードシェア便」(共同運航便)では注意が必要であり、実際に「機材」を運航する「航空会社」が使用する「ターミナル」に向かう必要があります。

 「成田国際空港」では、「開港」から14年半余り経過した1992年(平成4年)12月に「第2ターミナル」が開業し、「日本航空グループ」と「全日本空輸グループ」が「第2ターミナル」へ移転され、「第1ターミナル」は「海外航空会社」が主に利用しましたが、真新しい「第2ターミナル」への「各種サービス」の「偏重」、「混雑時間」の「集中」や「航空会社」が使用する「ターミナル」に向かう必要があります。
 「キャパシティ」に余裕のある「第2ターミナル」が開業すると、入れ替わりに「第1ターミナル」「北ウイング」が閉鎖され、「第1ターミナル」の大規模な「リニューアル工事」が着手されました。
 「サテライト」の段階的な「改装」・「増築」を経て、1998年(平成10年)末に「レストラン」や「飲食店」などの「テナント」が集結する「中央ビル」「新館」が竣工、1999年(平成11年)3月に「北ウイング」が再開業し、その入れ替わりで「南ウイング」が閉鎖され、「工事」が進められました。

 「南ウイング」の「再開業」に当たっては、「航空会社」を「航空アライアンス」ごとにまとめ、同じ「ターミナル」に集約することによって「混雑解消」を目指し、「乗り継ぎの利便性」を高め、20社が段階的に「ターミナル毎」に集約・移転されました。
 現在、主要な「航空会社」は主な3つの「国際航空連合」にまとまっており、「ワンワールド加盟社」の多くは「第2ターミナル」、「スターアライアンス加盟社」の多くは「第1ターミナル」「南ウイング」、「スカイチーム加盟社」の多くが「第1ターミナル」「北ウイング」を使用しています。
 また「成田国際空港」では、「格安航空会社」「専用ターミナル」として、「第2ターミナル」に隣接した「第5貨物地区」に建設することが決まったそうです。
 なお「貨物用施設」は、「貨物ターミナル地区」、「整備地区貨物上屋」、「南部貨物地区」などに点在しておかれており、「貨物取扱量」の増加から、現在も「拡張工事」が続けられています。

 「成田国際空港」の「就航路線」は、「旅客便」(国際線)の「発着便数」は、「日本航空グループ」が「最大」で、「全日本空輸グループ」、「デルタ航空」、「ユナイテッド航空」が、それに次いでいます。
 「デルタ航空」や、「ユナイテッド航空」は「以遠権」を「基」に、「アメリカ線」のみならず、「アジア線」も就航しており、「東京国際空港」(羽田空港)にも乗り入れる「大韓航空」と「中国国際航空」が続く形となっています。
 「旅客便」(国内線)の「発着便数」は、「ジェットスター・ジャパン」を「最大」に、「全日本空輸」、「日本航空」と続いており、「貨物便」ですが、「成田国際空港」を「本拠地」として使用している「日本貨物航空」、続いて「フェデラルエクスプレス」、「全日本空輸」、「ユナイテッド・パーセル・サービス」が「上位」を占めています。
 「旅客ターミナル」は「アライアンス別」に分かれていて、「基本的」に「第1ターミナル」「北ウイング」に「スカイチーム加盟会社」、「第1ターミナル」「南ウイング」に「スターアライアンス加盟各社」、「第2ターミナル」に「ワンワールド加盟各社」を発着しています。
 ただし、2014年(平成26年)10月26日現在の時点で、「スカイチーム」「所属」だが「第2ターミナル」「発着」の「中国東方航空」、「チャイナエアライン」など、いくつかの「例外」もあります。

 「航空アート展」ですが、「航空科学博物館」「館内」「2階」「展示室」で開催される「恒例」の「企画展」です。
 「航空アート展」は、2017年(平成29年)1月1日(祝・日)から3月26日(日)の期間開催され、「航空アート展」の「入場料」ですが、「航空科学博物館」「入館料」のみとなっています。
 「航空アート展」の「内容」ですが、「航空」を「テーマ」とした「アート作品」を紹介するといった「内容」になっています。
 なお、今回の「航空アート展」では、「航空写真家」・「小久保陽一」氏が「成田国際空港」で撮影した「四季折々」の美しい「航空写真」を展示するそうです。

 「航空専門」の「科学博物館」「航空科学博物館」で開催される「航空」を「テーマ」にした「アート作品」を観賞できる「企画展」「航空アート展」。
 この機会に「芝山町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「航空アート展」詳細

 開催期間 2017年(平成29年)1月1日(祝・日)〜3月26日(日)

 開催会場 航空科学博物館 山武郡芝山町岩山111-3

 開館時間 10時〜17時 (入館〜16時半)

 入館料  大人 500円 中高生 300円 4歳以上 200円

 休館日  月曜日 (月曜が祝日の場合は翌日)

 問合わせ 航空科学博物館 0479-78-0557

 備考
 「航空科学博物館」ですが、「元日」「朝」5時00分から開館しており、「成田国際空港」に「新年」初めて飛来する「1番機」と、「初日の出」を「航空科学博物館」「5階」「展望展示室」からご覧いただく「1番機と初日の出をみよう」を開催しています。

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| 地域情報::成田 | 04:36 PM |
「新春たこ作り大会」(匝瑳市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「匝瑳市」「ふれあいパーク八日市場」で1月15日(日)に開催されます「新春たこ作り大会」です。

 「ふれあいパーク八日市場」(2012年6月16日・5月1日・2010年9月11日のブログ参照)は、「東関東自動車道」「成田IC(成田インターチェンジ)」から「国道295号線」・「国道296号線」を「匝瑳市」「方面」に向かい、「東総広域農道」「入口」を「左折」し、「東総広域農道」を約7km(「成田IC」より約30分)、「県道八日市場・山田線」「交差点」にあります。
 また「地域高規格道路」「千葉東金道路」(「東金有料」・「東金道」)「銚子連絡道」「横芝光IC(よこしばひかりインターチェンジ)」からは、「国道126号線」を「匝瑳市」「方面」に向かい、「県道八日市場・山田線」へ入り、約4km(「横芝光IC」から約30分)、「東総広域農道」との「交差点」に「ふれあいパーク八日市場」があります。
 「ふれあいパーク八日市場」には、1.5ha(ヘクタール)の「敷地」に「普通車」83台、「大型車」3台を収容できる「駐車場」を完備しています。

 のどかな「田園風景」が広がる「匝瑳市」にある「ふれあいパーク八日市場」は、「安心・安全・新鮮な農産物、こだわりの匝瑳市産」を「皆様」にお届けするために、平成14年(2002年)3月17日に「産声」をあげた「都市と農村交流ターミナル」です。
 「ふれあいパーク八日市場」では、「匝瑳」の「大地」をこよなく愛する「生産者」が、「手塩」をかけた「恵み」の「農産物」等の「数々」を、「見て・触って・食して」お楽しみいただける「施設」となっています。

 「ふれあいパーク八日市場」ですが、2002年(平成14年)3月の「開館」以来、「施設」の「運用面」(交流・イベント、直売、レストラン運営事業等)については、「八日市場市ふるさと交流協会」(「合併後」は「八日市場ふるさと交流協会」に名称変更)が行っていましたが、「事業」を「継続」・「拡大」していく中で、「協会」が保有する「資産」や「雇用者数」が増加し、「財務運営」や「雇用計画」等について、「協会」は「法人格」を持たない「任意的団体」であったため、その「代表者」が「無限責任」を追わなければならないという「問題」が顕著となり、そこで「行政」としても何らかな「法人格」を有する「組織形態」への「移行」を検討する「必要」があると考え、「匝瑳市」と「協会」との「双方」で「法人化」を目指すことで「意見」が一致したそうです。

 「ふれあいパーク八日市場」の「法人形態」に関しては、「協会」と「匝瑳市」の「間」で「数回」の「協議」を重ね、主に下記の「理由」から「第3セクター方式」による「有限会社」の「設立」を進めることで「結論」に達したそうです。

 1 協会単独で有限会社になることは、ふれあいパーク八日市場が公共施設であるため難しいこと

 2 NPO法人、株式会社についても検討したが、両法人形態の有する性質上、協会単独での法人化は困難であること。

 3 第3セクター方式による有限会社形態をとることにより、公共施設の利用、交流協会の財務運営等について、官民一体となってすすめることが可能であること。

 「第3セクター」による「有限会社」の「設立」に関して「協議」をする「機関」として「ふるさと交流協会第3セクター設立検討委員会」を設立したそうです。
 「委員会」の「委員」には、「市」3名、「協会」3名、「農協」2名、「市観光協会」1名の「計」9名で構成し、「法人設立」を目指して「検討」を重ね、また「専門的」な「アドバイザー」として「千葉県農業会議」及び「会計事務所会計士」に「必要」な応じて「出席」を依頼したそうです。
 なお、「委員会」においての「検討事項」ですが、「商号」、「資本金」、「社員」その「出資割合」、「役員」と、その「報酬」及び「営業年度」などであったそうです。

 以上の「経緯」から、2005年(平成17年)12月1日に、「都市交流事業」・「各種イベント」の「企画運営」、「直売事業」、「レストラン運営」等を「目的」とする「ふれあいパーク八日市場有限会社」が設立されました。
 「ふれあいパーク八日市場」の「会社概要」は、下記の通りです。

 商号   ふれあいパーク八日市場有限会社

 事業内容 都市と農村交流ターミナル

 設立   平成13年11月1日

 所在地  千葉県匝瑳市飯塚299-2
      TEL 0479-70-5080 FAX 0479-70-5081

 納入会員 ふるさと交流協会 会員数 128名

 「ふれあいパーク八日市場」の「施設概要」ですが、「店舗」「入口」を入りますと、向かって「右側」に「農特産物コーナー」、「左側」に「文化コーナー」があります。
 「ふれあいパーク八日市場」「農特産品コーナー」の「メイン」で販売しているのが、「匝瑳市産野菜」で「キャベツ」、「ほうれん草」、「小松菜」、「トマト」などが「定番商品」で、どれをとっても「質」が良いと言われています。
 また「ふれあいパーク八日市場」の「人気」の「秘密」ですが、「野菜」だけではなく、「農特産物」の「加工品」がとても「豊富」で、中でも「棒もち」、「卵焼き」、「卵焼きで巻いた太巻き寿司」等「人気」の「加工品」を求めに「近隣」から来店される「方」が多いそうです。

 「ふれあいパーク八日市場」「店舗」「左奥」に「匝瑳産」の「食材」をふんだんに使った「料理」を提供している「レストラン」「里の香」があります。
 また「匝瑳市」は、「日本有数の植木のまち」として知られており、「ふれあいパーク八日市場」「店舗」(本館)の「外」「西側」には「花・植木見本園」が設置されており、また「ふれあいパーク八日市場」「店舗」(本館)を抜けると、隣接する「飯塚沼農村公園」に行くこともできます。
 「ふれあいパーク八日市場」では、上記のように「匝瑳産」の「新鮮な農産物」や、懐かしい「ふるさとの味」に出会える「憩いの場」として、「匝瑳市民」はもとより「近隣市町村」からも「大勢」の「来客」のある「人気スポット」となっています。
 また「ふれあいパーク八日市場」では、「なにかがあるふれあいパーク」を「キャッチフレーズ」に、「毎週末」や「祝祭日」に、いろいろな「イベント」を行っています。

 「凧(タコ)」とは、「糸」を牽引して「揚力」を起こし、「空中」に飛揚させる「玩具」で、「日本」では「正月」の「遊び」として知られています。
 「凧」は、「木」や、「竹」等の「骨組み」に「紙」、「布」、「ビニール」等を張って、「紐」で、「反り」や、「形」を整えて作られます。

 「凧」の「歴史」ですが、「中国」が「発祥地」だと考えられているそうで、「中国」の「凧」は、「昆虫」、「鳥」、その他の「獣」、そして「竜」や、「鳳凰」等の「伝説上」の「生き物」等、様々な「形状」を模しています。
 「現代中国」の「凧」で「最上のもの」は「竹」の「骨組み」に「絹」を張り、その上に「手描き」の「絵」や、「文字」等があしらわれています。

 「日本」の「伝統的」な「和凧」は、「竹」の「骨組み」に「和紙」を張った「凧」です。
 「長方形」の「角凧」の他、「六角形」の「六角凧」、「奴(ヤッコ)」が「手」を広げたような「形」をしている「奴凧」等、「各地方」「独特」の様々な「和凧」があり、「凧」に「弓状」の「うなり」をつけ、「ブンブン」と「音」を鳴かせながら揚げることもあるそうです。

 「凧」は「安定度」を増すために、「尻尾(シッポ)」と呼ばれる細長い「紙」(ビニールや竹の場合もある)を付けることがあります。
 「尻尾」は、「真ん中」に1本付ける場合と「両端」に2本付ける場合があり、「尻尾」をつけると「回転」や、「横ぶれ」を防ぐことができ、「真上」に揚がるように制御しやすくなるそうです。

 「スポーツカイト」ですが、1960年代に登場した「凧」であり、2本、4本等、「複数」の「ライン」を用いて「自在」に操ることができます。
 「第二次世界大戦」中、「アメリカ海軍」では「対空射撃」の「訓練用」として、「2本ライン」の「凧」が使用されましたが、これが「スポーツカイト」の「原型」となったそうです。
 「定期的」に「競技会」が開かれ、決められた「図形」を「凧」でなぞっていく「規定競技」や、「音楽」に合わせて、様々な「技」を披露する「バレエ」等で「操縦技術」を競い合ったそうです。

 「凧」の「種類」ですが、下記のような「凧」が、よく知られています。
 なお「日本」では、これら「分類」とは「別」に「和紙」や、「竹」等から構成される「和凧」と、「海外」から輸入され、「ビニール」等、様々な「素材」で構成される「洋凧」(カイト)に大別されます。

 「一般の凧」

 角凧

 最も一般的な凧。
 長方形が多いが正方形もある。
 厳密には下記の凧でも角凧に含まれるものがある。

 ぐにゃぐにゃ凧

 二つの棒の間にビニールを付けて作る凧。
 製作が簡単な割にはよく飛ぶ。

 ゲイラカイト(Gayla Kite)

 アメリカで説明された三角形の凧。
 「ゲイラカイト」の「ゲイラ(Gayla)」とは発売したメーカーの名で、登録商標でありますが、日本では三角形の凧の代名詞ともなっており、日本には、1974年(昭和49年)に輸入されました。
 「ゲイラカイト」ですが、「NASA」の元技術者が開発したという触れ込み(実際に発明者の「フランシス・ロガロ」が所属していたのは「NASA」ではなく、その前身の「航空諮問委員会」(NACA)です)で、当時一大ブームを起こしました。
 和凧と異なりプラスチックの骨組みにビニールを張らしており、非常に簡単に凧揚げが可能です。
 「ゲイラカイト」は、元は安価な飛行機の翼「ロガロ翼」として開発され、1948年(昭和23年)に特許を取得しており、その目的としては「ハンググライダー」として実用化されています。
 1964年(昭和39年)8月28日付の朝日新聞に「米国・民主党が凧上げで政治宣伝」との記事が掲載されていますが、その写真に現在の「ゲイラカイト」と、ほとんど同じ形の凧が写っていることから、この時点ですでにアメリカ本国では、ロガロ翼の凧としての使用がはじまっていることが確認できます。
 2005年(平成17年)に日本上陸30周年記念として「スカイスパイ」(SkySpy・空から覗くものの意、血走った大目玉のデザイン)の「スポーツカイト」が発売されました。

 立体凧

 立体的な凧。
 「行灯凧」等。

 連凧

 小型の凧を複数連ねたもの。

 鳥凧

 鳥の格好をしたもの。

 セミ凧

 セミの格好をしたもの。

 六角凧

 六角形をしたもの。
 新潟県三条市のものが知られる。

 丸凧

 丸い形をしたもの。
 静岡県袋井市で保存・伝承されている。

 バイオカイト

 2001年(平成13年)に伊藤利朗が開発。
 そよ風程度の風力で揚がり気候天候を問わず、形状の可能性が無限にある。
 流体力学や航空機力学を応用しているため、斜めではなく真上に高く揚がるのが特徴。

 仕掛け凧

 蝶の形状を模した風弾(フウダン)がよく知られる。
 揚がっている凧に装着する。
 上空のストッパーに当たると波根が折りたたみ落ちてくる。
 沖縄県の八重山諸島ではシャクシメーと呼ばれている。

 シコフレックス

 短い円筒形の凧。

 「新春たこ作り大会」ですが、「ふれあいパーク八日市場」で開催される「新春」の「恒例イベント」で、1月15日(日)10時00分から行われます。
 「新春たこ作り大会」の「内容」ですが、「参加費」「無料」、「先着20名」となっており、「申し込み順」となっています。
 「新春たこあげ大会」の「内容」ですが、10時00分から受付開始し、「和凧」にカワイイ「絵」を描いて組み立て(組み立て体験)後、「たこあげ」を行い、「新春たこあげ大会」「終了後」は、「凧」をプレゼント(お土産)することになっています。
 なお「新春たこあげ大会」の「凧」は、「ふれあいパーク八日市場」で用意するそうです。

 「匝瑳」の「都市と農村総合交流ターミナル」「ふれあいパーク八日市場」で開催される「ふれあいパーク」「新春恒例イベント」「新春たこ作り大会」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「新春たこ作り大会」詳細

 開催日時 1月15日(日) 10時〜

 開催会場 ふれあいパーク八日市場 匝瑳市飯塚299-2

 営業時間 9時〜18時

 問合わせ ふれあいパーク八日市場 0479-70-5080

 備考
 「ふれあいパーク八日市場」ですが、「新年」(2017年)は1月3日(火) からの「営業開始」となっており、「来店客」の「皆さん」においしい「甘酒」で「おもてなし」をされたそうです。

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| 地域情報::匝瑳 | 04:36 PM |
「松山神社の筒粥神事」(匝瑳市)
 本日ご案内するのは、近隣市「匝瑳市」「松山神社」で1月15日(日)に開催されます「松山神社の筒粥神事」です。

 「松山神社」は、「匝瑳市」の中心である「旧・八日市場市」「市街地」の「北西」の「丘陵地帯」に鎮座している「古社」です。
 「松山神社」の「所在地」ですが、「JR総武本線」「八日市場駅」から「県道16号線」を約18km北上後、左折し「県道106号線」を1km程行った「場所」にあり、「松山神社」の「隣」には「匝瑳小学校」があります。
 なお「松山神社」や、「匝瑳小学校」の「敷地」は、その昔「匝瑳の名門」「千葉一族」の「椎名氏」の「居城」であったとされる「松山城」の「跡」なのだそうです。

 「松山神社」の「旧社格」は「村社」で、「松山神社」「御祭神」は「伊弉册命(イザナミノミコト)」、「譽田別命(ホンダワケノミコト)」、「天兒屋根命(アマノコヤネノミコト)」を祀っています。
 「松山神社」の「創建」ですが、「松山神社」「社殿」によりますと、大同元年(806年)と非常に古く、中世には「源頼朝」公が「神領三十貫」を寄せているとされています。

 「松山神社」では、「匝瑳市」の「市指定天然記念物」の「松山神社大杉」があります。
 「松山神社大杉」ですが、「幹周り」7.95m、「樹高」29m、「樹齢」300年以上の「存在感抜群」の「古木」となっています。
 「松山神社」周辺には、その他数本の「杉の巨木」が林立し、「神々しさ(コウゴウシサ)」が漂っています。
 「松山神社」「本殿」は、「風格」のあるしっかりとした「造り」で、「松山神社」「拝殿」には「彫刻」が施されており、「威厳(イゲン)」がある「造り」をしています。

 「正月」を迎え「匝瑳市」各地の「神社」では、「新年」ならではの「特殊神事」が行われ「匝瑳市」「匝瑳地区」に鎮座する「松山神社」の「粥占神事(カユウラナイシンジ)」「松山神社の筒粥神事」もそのひとつなのだそうです。
 「松山神社の筒粥神事」は、古くより伝わる「神事」で、1984年(昭和59年)に「千葉県神社庁特殊神事編纂委員会」が刊行した「房総の祭事」には、「松山神社」の「粥占(夕膳祭(ユウゼンサイ))」が記載されているそうです。
 それによると、「松山神社の筒粥神事」「前日」の「夕方」から「当番」の「家」で、「米」と、「小豆」を混ぜ、「釜」で炊き、その中に「宮司(グウジ)」が準備した「一握り」程の「長さ」の「竹筒」52本を入れます。
 「松山神社の筒粥神事」「当日」15日の「早朝」、「松山神社」の「御神前」に「釜」ごと持参し、「当番」が「竹筒」の中の「粥」と、「小豆」の「入り具合」によって「吉凶」を判断、「神事目録」に記載するそうです。
 「松山神社の筒粥神事」で占うものは、「五穀」をはじめとする「農産物」、「民生」のこと、3月から9月までの「日照り」、「雨水」、「風量」の「多少」等とされています。
 ちなみに、こうした「神占」は、「菅粥(スゲカユ)」、「筒粥神事(ツツカユシンジ)」等とも呼ばれ、「県内」17か所の「神社」で行われていたことが、「房総の祭事」に記載されているそうです。

 「松山神社の筒粥神事」は、260年以上続いている「松山神社」の「神事」で、上記のように「青竹(アオタケ)」の「筒(ツツ)」を入れ、「一晩」煮た「粥(カユ)」の中から、その「竹筒」を取り出して一本づつ割り、中に詰まった「粥の分量」によってその年の「吉凶」を占う「粥占神事」です。
 「松山神社の筒粥神事」ですが、昔「粥の白米」、「小豆」各1升の「割合」でしたが、現在では「小豆」を3合に減らして煮ているそうです。

 「松山神社の筒粥神事」「筒粥占い」の「青竹」ですが、「松山神社」の「正月飾り」を使用。
 古来「占いの青竹」は、7本を1束として7束49本だったものが、現在では53本に改められています。
 「占いの青竹」1本1本に「1年12ヶ月」の「日」、「水」、「風」と、「米」や、「大豆」、「麦」、「芋」等の「作物名」を墨書、また「民」、「百姓」から「地方庁」、「諸官省」、「大臣」とまで記したものもあり、「天下国家」の「吉凶」も占ってきたそうです。
 「松山神社の筒粥神事」は、「年」を重ねるごとに「筒粥神事」の「内容」も少しずつ「変化」をみせています。

 「松山神社」の「氏子」ですが、約百二十戸で、「筒粥神事」はこれを「8地区」程に分けた「当番集落」が受け持っています。
 「筒粥神事」「当日」には、「各地区」の「総代」ら三十人程集まり、「鍋」から上げた「青竹」が「短刀」で二つに割られると、中に詰まった「粥の量」を「真剣」な「表情」で吟味し、「量」を裁定し占うそうです。

 「杉」の「巨木」が林立し「神々しさ」漂う「匝瑳」の「古社」「松山神社」で260年以上続く「粥占神事」「松山神社の筒粥神事」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「松山神社の筒粥神事」詳細

 開催日  1月15日(日)

 開催会場 松山神社 匝瑳市松山1127

 問合わせ 匝瑳市生涯学習課生涯学習室 0479-67-1266

 備考
 「松山神社の筒粥神事」が行われる「松山神社」「神社年中祭事社用帳」が伝わり、「元日」から「大晦日(オオミソカ)」までの「行事」と、「役割」を担う「村人」の「名前」や、七つの「寺院名」が詳しく書かれており、この「記録」で確かなように「松山神社の筒粥神事」は、260年以上続いていることが確認されています。

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| 地域情報::匝瑳 | 02:20 PM |
「URANAI de Choshi Port Tour」(銚子市)
 本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子ポートタワー」「展望室」で1月15日(日)に開催されます「URANAI de Choshi Port Tour」です。

 「銚子ポートタワー」(2011年11月30日・2010年9月30日のブログ参照)は、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)「河口」近くにあり、「銚子漁港」(2012年1月24日のブログ参照)を見下ろす「高台」にある「ビュースポット」、「観光スポット」です。
 「銚子ポートタワー」ですが、「高さ」57.7m、「ハーフミラー」で覆われた「建造物」で、「総反射ガラス張り」の「おしゃれ」な「タワー」となっています。
 「銚子ポートタワー」「展望室」からは、「太平洋」の「大海原」をはじめ、遠く「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)や、「日本一」の「銚子漁港」、「利根川」「河口」も一望でき、「眺望」は素晴らしく「利根川」に沈む「夕景」も楽しめる「観賞スポット」となっています。

 「銚子ポートタワー」は、「千葉県」により、「水産物卸売センター」「ウオッセ21」(2011年4月26日・2010年8月25日のブログ参照)と並ぶ「観光部門施設」として建設され、1991年(平成3年)に竣工しました。
 なお「銚子ポートタワー」は、「千葉県」の「ふるさと千葉5ヶ年計画」の「一環」として建てられたものなのだそうです。
 「銚子ポートタワー」の「設計者」ですが、「(株)横川建築設計事務所」で、「構造様式」は「鉄骨造りハーフミラーガラス」「ツインタワー」となっており、「(一社)銚子市観光協会」が「指定管理」・「運営」しています。

 「銚子ポートタワー」の「概要」ですが、1Fに「インフォメーション」、「昇降ロビー」・「イベントコーナー」・「売店」があります。
 また「銚子ポートタワー」1Fには、「銚子」の「観光」を「ガイド」してくれる「検索システム」も用意されています。
 「銚子ポートタワー」2Fには、「展望ロビー」が設けられており、「展示会」・「イベント」・「催事」・「会議室」などに使われています。
 「銚子ポートタワー」3Fは、「展望ロビー」(高さ・43.05m)、「銚子ポートタワー」4Fが「展望ホール」(高さ・46.95m)となっており、三方を「海」と「川」で囲まれた「銚子の風景」を見渡すことができます。

 「銚子ポートタワー」「隣地」には、「新鮮」な「魚介類」や「国内外」から取り寄せられた「豊富」な「海の幸」を販売している「水産物卸売センター」「ウオッセ21」や「シーフードレストランうおっせ」があります。
 「水産物卸売センター」「ウオッセ21」では、「週末」や「年末」など、「新鮮」な「魚」を買いに来る「買い物客」や「観光客」、「ツアー客」の「皆さん」で賑わいをみせます。
 なお「銚子ポートタワー」から「水産物卸売センター」「ウオッセ21」には、1Fで「連絡用歩道橋」で結ばれて(繋(ツナ)がって)います。

 「占星術(センセイジュツ)」または「占星学(センセイガク)」は、「太陽系内」の「太陽」・「月」・「小惑星」などの「天体」の「位置」や、「動き」などと、「人間」・「社会」の「あり方」を「経験的」に結びつけて占う「科学」(占い)です。
 「占星術」ですが、「古代バビロニア」を「発祥」とするとされ、「ギリシア」・「インド」・「アラブ」・「ヨーロッパ」で発展した「西洋占星術」・「インド占星術」と、「中国」など「東アジア」で発展した「東洋占星術」に大別することができます。

 「占星術」ですが、「古代バビロニア」で行われた「大規模」な「天体観測」が「起源」であり、「ギリシア」・「インド」・「アラブ」・「ヨーロッパ」・「中国」へ伝わったといわれており、主に「国家」や、「王家」の「吉凶判断」に使われていたそうです。
 「バビロニア占星術」は紀元前3世紀頃に「ギリシア」に伝わり、「個人」の「運勢」を占う「ホロスコープ占星術」に発展しました。
 「占星術」を指す「単語」は、「古代ギリシア語」の「アストロロギア」(astrologia)に由来するそうです。
 「アストロロギア」(astrologia)の「アストロ」(astro)という「接頭辞」は「古代ギリシア語」の「astron星」であり、「astrologia」とは「星」について考えたことという「意味」になるそうで、「アストロノミア」(astronoia、英語のastronomy)「天文学」とは「astrologia」のなかで「星」の「動き」などについての「学問」であったそうです。
 (nomasは秩序の意味)
 ちなみに、astrogistは「占星術者」です。

 「中東」・「ヨーロッパ」の「占星術」ですが、「西洋占星術」の「起源」は「バビロニア」にあり、「バビロニア」では、紀元前2千年紀に「天」の「星々」と、「神々」を結びつけることが行われ、「天」の「徴」が「地上」の「出来事」の「前兆」を示すという「考え」も生まれたそうです。
 「エヌーマ・アヌ・エンリル」(Enuma anu enlil、紀元前1000年頃)はそうした「前兆」をまとめたものであるそうですが、ただし、当時「前兆」と結び付けられていた「出来事」は、専ら「君主」や、「国家」に関わる「物事」ばからで、その「読み取り」も「星位」を描いて占うものではなく、「星」にこめた「象徴的」な「意味」(火星は軍神ネルガルに対応していたから凶兆とするなど)を読み取るものに過ぎなかったそうです。
 332年に「アレキサンター大王」によって占領された後、「エジプト」は「ギリシャ」の「支配下」にあったそうで、「ヘレニズム文化」が栄える中で、初めて「本格的」に「ホロスコープ」を用いる「占星術」が現れたそうです。
 「出生時」における「星々」の「位置」から「個人」の「星位図」を「トレース」する「試み」が普及したことは、「西洋占星術」への「ギリシャ人」の「最大」の「貢献」であり、この「システム」は「ホロスコープ占星術」と名付けられました。
 「ギリシャ」で大いに発展したとはいえ、「占星術」のその「大部分」は「バビロニア」からもたらされたものであったそうです。

 「インド占星術」は、「ナクシャトラ」を用いた「インド固有」の「占星術」で、「白道」上の「月」の「位置」に着目し、「天」の「黄道」を27分割に分けた物で占う「占星術」でしたが、ヘレニズム時代に「太陽」と「月」、「5惑星」と「ラーフ」、「ケートゥ」といった「九曜」、「十二宮」と「十二室」に基づく「ホロスコープ方式」の「占星術」を取り入れて、現在の「ナクシャトラ」(白道二十七宿)と、「黄道十二宮」を併用した「形」になったといわれていますが、古い時代のことなのではっきりしたことはわかっていません。
 また「仏教」を取り入れられたものは、「簡略化」(月の厳密な度数で決めず、1日に1つというように割り当てる)・「仏教化」し「宿曜経」にまとめられ、「密教」の一部として「中国」に伝えられたそうです。
 さらに、平安時代には「日本」にも伝えられて「宿曜道」となりました。

 「古代中国」において「天文」とは、「古代世界」の「他」の「文明」でもそうであったように、「狭義」の「天文学」と観測される「天象」による「占い」とが「渾然一体」となったものだったそうです。
 「バビロニア占星術」とは異なり、「天体」の「配置」ではなく「日食」、「月食」、「流星」、「彗星」、「新星」や、「超新星」の出現、そして「星」の「見え方」など「天変現象」に注目したものだったそうです。
 これは「天変」は「天」が与える「警告」であるという「災異説」の「思想」に則ったものであり、これは現代で「天変占星術」とよぶ「人」もいます。
 ただし「バビロニア起源」と考えられる「黄道十二宮」を使った「占星術」の「影響」を受けて成立したと考えられる「六壬神課」の「基本構造」が戦国〜秦〜漢の時代には確立していたそうです。
 「六壬神課」の「式盤」は「サイン」と、「ハウス」で構成された「ホロスコープ」に「中国独自」の「十二天将」を配布したものを表現しています。
 この後、唐の時代に「インド占星術」を漢訳した「宿曜経」が伝来し、「七政四餘」となったそうです。
 「宿曜経」は当時の「日本」でも受容され「宿曜道」となりました。
 しかしその後は実際の「天文観測情報」が「国家」に独占されたこともあり、「煩雑」な「天文計算」の必要がない「暦」を「ベース」とした「占術」が「主流」となって行きました。

 「九星・気学(キュウセイ・キガク)」とは、生まれた「年月日」の「九星」と「干支」、「五行」を組み合わせた「占術」で、「方位」の「吉凶」を知るために使われることが多いそうです。
 「九星術」を元に明治42年に「園田真次郎」氏が「気学」としてまとめたものと、それ以前の「九星術」と合わせて「九星・気学」と総称されます。
 「生年月日」によって定まる「九星」と「十二支」と、「方位」の「吉凶」を知りたい「日」の「九星」と「十二支」を元に占うそうです。
 「九星」と「十二支」は「年」・「月」・「日」・「時」のそれぞれにありますが、このうち「年」と「月」が「運勢」に大きく関係するとされ、また、「生年」によって定まる「九星」を「本命星」、「生まれ月」によって定まる「九星」を「月命星」といいます。

 「九星」はある決まった「法則」で「各方位」を巡回することになっており、「生年月日」によって定まる「九星」と「十二支」との「関係」で「各方位」の「吉凶」を占うそうです。
 「作家」の「池波正太郎」氏は晩年「九星気学」を好んでいたといい、「ミステリー作家」の「高木彬光」氏は「占い全般」に「造詣」が深く、「自身」と「占い」との「関係」や、「気学」の「書物」も残しています。
 「欧米」では、「イギリス」の「風水協会」「会長」、「マクロビオティック協会」の「会長」を務めた、「サイモン・ブラウン」(Simon Brown)が「九星気学」への「造詣」も深く、「全世界」で100万部以上の「ベストセラー」の「著書」もあります。
 「九星」とは以下のこといいます。

 一白水星

 二黒土星

 三碧木星

 四緑木星

 五黄土星

 六白金星

 七赤金星

 八白土星

 九紫火星

 ただし「中国占術」において「九星」と総称されるものは多岐にわたっており、「他」の「九星」と区別する「必要」がある場合は「紫白九星」とよびます。
 これは「園田気学」では否定されましたが、「九星術」の「古形」では三つの「白の星」である、「一白」、「六白」、「八白」を「大吉」とし、「九紫」を「中吉」としたことにちなんでいます。
 なお「五黄」は「大凶」の「星」であり、「五黄」と相対する「方位」も「凶」とされます。

 「銚子」の「人気観光スポット」「銚子ポートタワー」「展望室」では、1月15日(日)に「URANAI de Choshi Port Tour」を開催するそうです。
 「URANAI de Choshi Port Tour」では、「恋愛」、「結婚」、「仕事」、「健康」等、「海」を望む「銚子ポートタワー」「展望室」で、「皆さん」の「運勢」を占うそうです。
 「URANAI de Choshi Port Tour」の「内容」は、下記の通りです。

 「URANAI de Choshi Port Tour」内容

 占い

 タロット
 植物鑑定
 ルノンマンカード
 メモリーオイル
 数秘術

 ※占いは諸事情により、変更する場合がございます。

 料金

 大人380円 小人200円 65歳以上330円

 +占い料金・占いにより料金が異なります。
 (目安・20分 1000円〜)

 「銚子」の「ランドマーク」「銚子ポートタワー」「展望室」で開催される「占い企画」「URANAI de Choshi Port Tour」。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「URANAI de Choshi Port Tour」詳細

 開催日時 1月15日(日) 10時〜16時

 開催会場 銚子ポートタワー展望室 銚子市川口町2-6385-267

 入館料  大人380円 小人200円 65歳以上330円

 問合わせ 銚子ポートタワー 0479-24-9500

 備考
 「銚子ポートタワー」「展望室」では、今後も「毎月」「第3日曜日」10時00分から16時00分まで「URANAI de Choshi Port Tour」を開催するそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3283 |
| 地域情報::銚子 | 02:20 PM |
「新年献詠祭披講式」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で1月14日(土)に開催されます「新年献詠祭披講式」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・11月6日のブログ参照)ですが、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「名社」で、「下総国一宮」です。
 「香取神宮」の「御祭神」ですが、「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」(またの名を、伊波比主命(イワイヌシノミコト))を祀っています。
 「経津主大神」は、「天照大神(アマテラスオオミカミ)」の「命令」を受け、「天孫降臨(テンソンコウリン)」に先立ち、「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(鹿島神宮御祭神)とともに「出雲国(イズモコク)」(現在の島根県)に降(クダ)り、「大国主神(オオクニヌシノカミ)」と、「国譲り」を交渉されたことで、「神話」に語られる「神様」で、「神武天皇」「即位」の後、現在の地に奉斎されたと伝承されています。
 本来、「武神」としての「大神」が、「朝廷」の「東国経営」にあたって、奉斎されたとみられています。
 「新抄格勅符抄」806年(大同元年)の「牒(チョウ)」に「神封」70戸とみえ、812年(弘仁3年)以降、「住吉(スミヨシ)社」、「鹿島社」とともに、20年に一度の「式年遷宮」の「制度」が定められ、882年(元慶6年)「下総国」(千葉県北部・茨城県南西部)「神税(シンゼイ)」の「稲」5855把をもって、当時すでに「正一位勲一等」とされていた「本社」の「雑舎料」にあてられ、以後20年毎の「例」とされました。
 「延喜(エンギ)の制」で「名神(ミョウジン)大社」となり、「祈年(キネン)」・「月次(ツキナミ)」・「新嘗(ニイナメ)」の「奉幣」を受けているそうです。
 また、毎年2月と、6月に「藤原氏」1人を「派遣」、「祭儀」を行わせ、「香取郡」を「神郡」として寄せられたそうです。

 古くより「中臣(ナカトミ)氏」、「藤原氏」が崇敬、奉仕しましたが、中世となり、「源頼朝(ミナモトノヨリトモ)」公が崇敬して「神領」を寄進、以後「東国」の「武家」も崇敬、寄進し、近世に入って「徳川家康」公が「朱印領」1000石を寄進、1700年(元禄13年)「将軍」「徳川綱吉(トクガワツナヨシ)」公が「現・本殿」、「楼門」、「神楽殿(カグラデン)」等を造営したそうです。
 「関東」、「東北地方」に「本社」「勧請(カンジョウ)」の「社」が多いのは、「庶民」の「信仰」の「表れ」とみられます。
 「香取神宮」は、明治の制で「官幣大社」となり、「例祭」4月14日、翌15日に「旧・8か町村」の「氏子」が「総出」の「神幸祭」(2015年4月11日・2013年4月9日・2012年4月13日・2011年4月13日のブログ参照)があり、ことに「午年(ウマドシ)」毎の「式年大祭」の「神幸」は「盛大」で、「甲冑姿(カッチュウスガタ)」の「氏子」数千人が供奉(グブ)し、「神輿(ミコシ)」を「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「御座船」に移しての「船上祭」となるそうです。
 他にも4月「第1週」の「土・日曜日」の「御田植祭(オタウエサイ)」(2016年3月28日・2015年4月3日・2014年4月6日・2013年4月4日・2012年4月6日のブログ参照)には、「一般」に「かとりまち」と呼ばれる「儀」があり、「土曜日」に「拝殿」「前庭」で「耕田式」が、「日曜日」に「田植式」が、多くの「早乙女(サオトメ)」達の「手」で行われます。
 「香取神宮」では、11月30日「夜」の「大饗祭(タイキョウサイ)」(2016年11月27日・2015年11月28日・2014年11月26日・2013年11月26日・2012年11月24日・2011年11月28日のブログ参照)、12月1日の「賀詞祭(ガシサイ)」(2012年11月30日のブログ参照)、12月4日の「内陣神楽(ナイジンカグラ)」(2016年12月3日・2015年12月4日のブログ参照)等、他にも「特殊神事」が多いそうです。
 「香取神宮」には、「社蔵」の「国宝」「海獣葡萄鏡(カイジュウブドウキョウ)」、「古瀬戸黄釉狛犬(コセトオウユウコマイヌ)」「一対」(国指定重要文化財) 、久安(キュウアン)5年(1149年)「在銘」の「双竜文鏡」(双竜鏡)は、「国指定重要文化財」に指定されています。

 「香取神宮」「鳥居」から「香取神宮」「参道」脇は、「サクラ」、「イチョウ」、「ヒマラヤヒダ」、「イロハモミジ」、「スギ」等がみられ、「香取神宮」「社殿」周辺は、「スギ」、「イヌマキ」、「モミ」、「ケヤキ」、「スダジイ」、「カラカシ」、「シロダモ」等があり、「スギ」の「老齢林」として「県下」でも有数です。
 「香取神宮」「社叢(シャソウ)」は、「香取神宮の森」として昭和49年(1974年)に「千葉県」の「県指定天然記念物」に指定されています。
 「香取神宮」「手水舎」脇には、「木母杉」の「跡」があります。
 「木母杉」ですが、「徳川光圀」公が貞享元年(1684年)に「香取神宮」「参宮」の「折」に、「母なるスギ」として命名された「大木」で、現在は枯損して「実生」の「スダジイ」が「跡」に生育しているそうです。
 (貞享元年、水戸光圀公参宮の折、四丈五尺の老木であるのを見て此の宮地の多数の母であろうと木母杉と名付けたとの伝承あり)
 「香取神宮」「社殿」前には、明治44年(1911年)後の「大正天皇」「御手植え」の「クロマツ」があるそうで、「香取神宮」「社殿」周りですが、「スギ」が大半で、その脇に「御神木」の「スギ」があるそうです。
 「御神木」の「スギ」の「樹齢」ですが、1000余年とされ、「目通り」ですが、7.4mとなっています。
 また、「香取神宮」「社殿」脇には「三本杉」があります。
 「三本杉」ですが、「源頼義」公「参拝」の「折」に、

 「天下太平、社頭繁栄、子孫長久の三つの願いが成就せば此の杉三岐に別れよ」

 と祈願したところ、一つの「株」の「スギ」が三つに分かれたという「伝承」があるようです。
 (三本杉、御冷泉天皇御宇源頼義公が参拝し、「天下太平社頭御栄子孫長久の三つの願成就せば杉自ら三岐に別れん」と祈願したところ一株の杉が三岐に別れた。以来これを三本杉と云うとの伝承あり)

 「香取神宮」「参道」から「奥宮」に向かう「小道」の「途中」に「要石(カナメイシ)」があり、その脇の「社叢」に「タケ」が侵入しているそうです。
 「要石」付近には、「タブノキ」、「スダジイ」、「スギ」、「ケヤキ」等が見られ、「奥宮」ですが、「御祭神」の「荒魂」を祀る「お社」で、「奥宮」周辺には「サカキ」、「スギ」が見られるそうです。
 「要石」ですが、「鹿島神宮」のものと同じく、「地震」を起こす「大ナマズ」の「頭」を抑えている「大部分」が「地中」に埋まった「要石」で、「要石」は「地上」に見えている「部分」 はほんの十数cmで、「香取神宮」の「要石」の「地上部分」は丸く、「鹿島神宮」の「要石」の「地上部分」は凹(ヘコ)んでいるそうです。
 ちなみに「鹿島神宮」の「要石」が「大ナマズ」の「頭」、「香取神宮」の「要石」が「大ナマズ」の「尾」を抑えているといわれ、2つの「要石」は「地中」で繋がっているとの「伝承」もあります。
 「香取神宮」の「要石」ですが、「香取神宮」「総門」の「手前」にあり、「鹿島神宮」の「要石」ですが、「鹿島神宮」「境内」ではありますが、「社殿群」から離れた、「鹿島神宮の森」の中にある小さな「祠(ホコラ)」にあります。
 「要石」に纏(マツ)わる「逸話」として、古くは

 「ゆるげどもよもや抜けじの要石 鹿島の神のあらん限りは」

 と詠(ウタ)われており、江戸時代には、この「歌」を「紙」に書いて、3回唱えて、「門」に張れば、「地震」の「被害」を避けられるといわれたそうです。
 また、「古墳」の「発掘」等も指揮した「徳川光圀」公は、1664年(寛文4年)、「要石」(どちらの「要石」かは「資料」により一定せず)の周りを掘らせたそうですが、「日」が沈んで中断すると、「朝」までの「間」に埋まってしまい、そのようなことが2日続いた後、次は「昼夜兼行」で7日7晩掘り続けたそうですが、「要石」の「底」には達しなかったそうです。

 「香取神宮の森」ですが、「標高」30m〜40m、「香取神宮」「参道」から見ると「亀」に似ていることから、「亀甲山(キッコウサン・カメガセヤマ)」と呼ばれています。
 「千葉県」「西北」、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)「上流」の「野田市」には、「キッコーマン」の「本社」がありますが、「キッコーマン」は、「漢字」で「亀甲萬」と書くそうで、「キッコーマン」の「社名」は、「香取神宮」の「山号」に由来するそうです。
 「香取神宮の森」の「詳細」は、下記の通りです。

 千葉県指定天然記念物

 香取神宮の森

 昭和49年(1974年)3月19日指定

 この地は古くから信仰の場として保護されてきたため、目通り幹囲り3mを超えるスギをはじめ、イヌマキ、モミ等の巨木が林立しており、落葉に埋れた古道や古井戸は往時の景観をしのばせている。
 また森の全景が亀に似ていることから亀甲山と称されている。
 この森の高木層はスギで占めているが、亜高木層にはスダジイ・シカラシ・シロタモ等の常緑広葉樹が多くみられる。
 草木層にはアスカイノデ・フマトシダ・イワガネソウ・ベニシダ等のシダ類をはじめとしてリュウノヒゲ・ヤブラン・フウラン等の草木類が数多く自生している。
 スギの老齢林としては県下でも有数であり、学術的にも貴重なものである。

 昭和60年(1985年)2月1日

 千葉県教育委員会

 「献詠(ケンエイ)」とは、「宮中」や、「神社」等に、「自作」の「詩歌(シイカ)」を奉(タテマツ)ること、また、その「詩歌」の「意味」です。
 「献詠祭」とは、「和歌」を詠んで「宮中」や、「神社」に奉る「祭り」のことです。
 「住吉大社」では、「新年献詠祭」、「松苗神事」、「観月祭」と「年三回」にわたって「献詠祭」が行われており、これらすべて「一般の方」からも「歌」を募集しているそうです。
 「披講」とは、「詩歌」に「曲節」をつけて詠み上げることで、本来、「和歌」は披講することを「前提」としているそうです。
 「披講」の「諸役」には「読師(ドクジ)」・「講師(コウジ)」・「発声(ハッセイ)」各1名、「講頌(コウショウ)」4名があり、「読師」は「司会役」、「読師」が「全句」を「節」をつけずに「歌」を詠み上げた後、「発声」の「先導」によって、「講頌」が唱和するという「形式」で行われます。

 「披講」は、平安時代より「宮中」に伝わってきた「古式」ゆかしい「行事」ですが、鎌倉時代の「鎌倉」においても「源頼朝」公が「花見の宴」を催した際に、「管弦詩歌の儀」を行ったという「記述」が「吾妻鏡(アズマカガミ)」に見られ、また「源実朝」公に至っては「家集」「金塊和歌集」を遺すほど「和歌」に精通し、「源実朝」公は「文人将軍」として知られているそうです。

 「新年献詠祭披講式」ですが、「年」の「初め」、最初に「香取神宮」「御神前」にて「香取神宮献詠会」の「会員」から献上された「短歌」(歌)を「古式」に則り、「独特」の「節回し」で歌い上げ、「年」に一度奉納する「祭事」です。
 「新年献詠祭披講式」は、「神様」に「短歌」(歌)を献上する「お祭り」で、「宮内庁」の「歌会始」に倣(ナラ)い、上記のように「古来」から伝わる「独特」の「節」で「短歌」(歌)を歌うそうです。
 「新年献詠祭披講式」ですが、「終戦」間もない頃から行われている「祭事」で、「香取神宮献詠会」の「会員」の「皆さん」が献上した「歌」の中を、上記のように「宮中」の「歌会始」の「儀」に倣い、奉納する「祭事」となっており、「香取神宮献詠会」「会員」の「皆さん」は、毎月10日までに「歌」を詠進し、14日の「月次祭」に「香取神宮」「神前」に奉納されているそうです。

 「関東屈指」の「名社」「香取神宮」「御神前」に「短歌」(歌)を奉納する「新春」の「祭事」「新年献詠祭披講式」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「新年献詠祭披講式」詳細

 開催日時 1月14日(土) 10時半〜

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697

 問合わせ 香取神宮 0478-57-3211

 備考
 「新年献詠祭披講式」の「見学」ですが、「一般の方」は「昇殿」出来ませんが、「香取神宮」「社殿」の「外」からの「見学」は出来るそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3282 |
| 地域情報::香取 | 11:12 AM |
「金原の大篝(オオカガリ)」(匝瑳市)
 本日ご案内するのは、近隣市「匝瑳市」「三社神社」で1月9日(祝・月)に開催されます「金原の大篝(オオカガリ)」です。

 「匝瑳市」は、「千葉県」「北東部」に位置する「市」で、2006年(平成18年)1月23日に「八日市場市」と、「匝瑳郡」「野栄町」が合併して誕生し、「匝瑳市」の「発足時」の「人口」約4万2000人だったそうです。
 ちなみに、現在の「匝瑳市」の「人口」ですが、「総人口」37766人、「男性」18659人、「女性」19107人、「世帯数」14500世帯となっています。
 (平成28年11月30日現在)
 「匝瑳市」の「市名」の「由来」ですが、「旧・八日市場市」と、「旧・野栄町」が「匝瑳郡」に属していたことからだそうで、「市名」「匝瑳」ですが、「竹内正浩」氏の「日本の珍地名」(文春新書)で、「難読・誤読地名番付」の「東の横綱」と紹介されています。
 「匝瑳市」の「市役所」「本庁」ですが、「旧・八日市場市役所」を使用し、「匝瑳市」の「市区域」のうち、「旧・八日市場市」は、「植木」(苗木)の「産地」として有名であり、「匝瑳市」は「植木」の「栽培面積」が「日本一」(2011年9月30日のブログ参照)となっています。

 「匝瑳市」の「気候」ですが、1年を通して良好なため、上記のように「温暖な気候」を活かした「農業」が、「匝瑳市」の主(オモ)だった「産業」となっており、「県内屈指」の「米どころ」「水稲」をはじめ、1年を通し出荷され「高品質」を維持している「トマト」、「栽培」の「歴史」が長い「イチゴ」等の「施設栽培」の「野菜」や、「果物」、「ネギ」等の「露地野菜」も盛んに生産されています。
 また「匝瑳市」は、「千葉県唯一」の「赤ピーマン」(2011年6月27日のブログ参照)の「産地」として知られており、「露地物」の「茄子(ナス)」や、「周囲」約30cm・「長さ」1mの「日本一」の「大きさ」を誇る「特大ごぼう」「大浦ごぼう」(2011年1月10日のブログ参照)、「肉質」の良い「黒毛和牛」と、「発育」の良い「乳用牛」をかけ合わせ誕生し、柔らかい「肉質」が「ステーキ」や、「すき焼き」にぴったりな「ブランド牛」「若潮牛(ワカシオギュウ)」等が作られています。

 「匝瑳市」は、「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)や、「みどり」豊かな「自然」に恵まれ、上記のように「日本有数」の「植木」や、「水稲」、「施設園芸」、「海の幸」等「恵み」の多い「まち」です。
 また、「匝瑳市」では、「将来像」として掲(カカ)げた

 「海・みどり・人がはぐくむ活力あるまち」

 の「実現」を目指し、「匝瑳市民」の「皆さん」と「力」を合わせて「まちづくり」に取り組まれているそうです。

 「三社神社」ですが、「匝瑳市」「飯倉」に鎮座する「神社」で、「三社神社」の「御祭神」ですが、「伊弉諾尊(イザナミノミコト)」、「事解男命(コトサカノオノミコト)」、「速玉男命(ハヤタマオノミコト)」を祀っています。
 「三社神社」は、「JR総武本線」「飯倉駅」「下車」、「飯倉台」の「住宅地」を通り抜け、約10分程歩くと、「山の端」に「神社」の「鳥居」が見えるそうです。
 「三社神社」ですが、「石段」を上り詰めると、深い「木々」に囲まれたところに「社殿」が建っており、「三社神社」「境内」には「拝殿」、「本殿」があり、「三社神社」「本殿」には、細かい「彫り物」が施されているそうです。
 「三社神社」の「由緒」ですが、下記の通りです。

 この地、匝瑳庄は熊野神宮領であった。
 詳らかではないが、南紀熊野より飯倉西之内の地に勧請し、飯倉郷の鎮守にして、当時十八ヶ村の鎮守として崇敬され、元禄五年壬申の時に再営されたものとされています。
 (「御祭神」、「由緒」ともに「匝瑳郡誌」参照)

 上述のように「金原」には、「鎮守」として「三社神社」が祀られており、江戸時代には「金原」、「安久山」、「片子」、「大堀」の4か村の「村びと」の「信仰」があったそうです。
 「三社神社」の「石灯籠」には、1805年(文化2年)に「同村」の「佐藤四良兵衛」と、4か村の「男女」の「寄付」で、立てられたことが刻まれており、明治時代になり、「三社神社」は、「金原村」だけの「鎮守」となったそうです。

 「金原の大篝(オオカガリ)」ですが、「金原の御奉謝(カナバラノオビシャ)」ともいわれる「三社神社」で、毎年「成人の日」の「未明」に行われている「大篝(オオカガリ)」と、「御的神事」です。
 「金原の大篝(オオカガリ)」は、「成人の日」の「前日」の「午後」から「当番」の「人々」の「手」で準備され、「松薪」や、「青竹」等が、「円錐形(エンスイケイ)」に、「大人」の「背丈」よりも高く「山」のように積み上げられます。
 「金原の大篝(オオカガリ)」では、「三社神社」「社殿」で、「儀式」を行った後、「大篝(オオカガリ)」(高さ約6m、周囲15m)に「火」が入り、「火」が入ると「参拝」の「人」も集まり、「篝火(カガリビ)」を囲み、「御神酒(オミキ)」が振る舞われるそうです。
 「金原の大篝(オオカガリ)」の「大篝(オオカガリ)」ですが、赤々と燃え上がり、時折「青竹」が勢いよくはじけ、まさに「悪疫」を払う、文字通り「炎の神事」となっています。
 また「三社神社」「拝殿」の「周り」には、「弓」と、「的」があり、「大篝(オオカガリ)」に「火」を入れた後、「七五三」の「男子」(子どもたち)が「射手」となり、「矢」を射ることから、「金原の御奉謝(カナバラノオビシャ)」とも呼ばれています。
 なお「金原の大篝(オオカガリ)」の「炎」にあたると、「風邪」をひかないといわれています。

 「飯倉郷十八ヶ村」の「鎮守」「三社神社」で開催される「成人」を祝い、「悪疫」を払う「炎の神事」「金原の大篝(オオカガリ)」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「金原の大篝(オオカガリ)」詳細

 開催日時 1月9日(祝・月) 6時〜

 開催会場 三社神社 匝瑳市金原275

 問合わせ 匝瑳市産業振興課 0479-73-0089

 備考
 昭和50年代前半に、「旧・八日市場市域」を調査したところ、1月から2月にかけて、2、3の「集落」を除き、ほとんどが「大字」(集落)「単位」で、「オビシャ」や、「セイレン」が行われていたそうです。
 「旧・八日市場市」では、「行事」の「由来」や、「内容」を記した「記録」も探したそうですが、わずかしか見つからず、その中に、江戸時代の「金原村」(飯高地区)での「御奉謝(オビシャ)」があったそうです。
 「金原村」には「日蓮宗」・「妙大寺」があり、「同寺」で3つの「御奉謝(オビシャ)」が行われていたそうです。
 1月13日は、「本尊」・「三宝様(サンポウサマ)」の「御奉謝(オビシャ)」で、この時に集金した「お金」は、「村内」の「橋」の「架け替え費用」等に充てていたそうです。
 1月28日は、「鬼子母神(キシボジン)」の「オビシャ」があったそうで、1751年(寛延4年)頃から始められたと記され、明治の「記録」にも「お堂」が存在し、「鬼子母神」が「安産信仰」されたことから、おそらく「女オビシャ」であったと推測されています。
 2月8日は、「妙大寺」の「お曽師(ソシ)様」(日蓮)の「オビシャ」で、1852年(嘉永5年)に「村役人」に願い出て始まったとされています。

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