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「伊藤左千夫」「伊藤左千夫の生家」(山武市)
 本日二つ目にご紹介するのは、近隣市「山武市」にゆかりのある「歌人」「文化人」「伊藤左千夫」、「伊藤左千夫の生家」です。

 「伊藤左千夫」氏(1864年9月18日生(元治元年8月18日)〜1913年(大正2年)7月30日没)は、「日本」の「歌人」、「小説家」で、「上総国武射郡殿台村」(現在の「山武市」)の「農家」出身で、「伊藤重左衛門」家の「末子」として生まれました。
 父「良作」は、「上総道学」の流れをくむ、この地方ですぐれた「漢学者」であり、同時に「和歌」にも通じていました。
 母「なつ」は「伊藤家」と同じく、「武士」を先祖とする「三木家」の出身らしく、気が強く「躾(しつけ)」などには特にきびしい、「激情型」の「女性」だったそうです。

 その後「伊藤左千夫」は、「明治法律学校」(現「明治大学」)中退。
 1898年(明治31年)に「新聞」「日本」に「非新自讚歌論」を発表。
 「歌よみに与ふる書」に感化され、「正岡子規」に師事。
 「子規」の没後、「根岸短歌会」系歌人をまとめ、短歌雑誌「馬酔木」「アララギ」の中心となって、「斎藤茂吉」、「土屋文明」などを育成しました。

 また1905年(明治38年)には、「子規」の「写生文」の影響を受けた「小説」「野菊の墓」を「ホトトギス」に発表。
 「夏目漱石」に評価されたそうです。
 「代表作」に「隣の嫁」、「春の潮」など。
 この頃、「東京帝国大学」学生の「三井甲之」や「近角常観」とも知遇を得て、「常観」が主宰していた「雑誌」「求道」(求道発行所)に「短歌」を寄稿しました。
 その後「伊藤左千夫」は、1913年(大正2年)に「脳溢血(のういっけつ)」のために死去しました。

 「伊藤左千夫」は享年50歳で没しており、「歌人」としての「寿命」は僅か13年でありました。
 この短い期間に「馬酔木」を経て「アララギ」を創始し、「門下」から「赤彦」、「茂吉」、「千樫」、「憲吉」、「文明」などの「大歌人」を輩出されました。
 自らは「正岡子規」の「写生歌」を超えて「全精神」を傾倒した「生の叫び」を基調とする「万葉調」の「写生歌」を達成しました。

 さらに、「短歌連作論」をはじめ「言語のひびき」「言語の声化」から「叫び」に至る「彼独特」の「歌論」を確立しました。
 「伊藤左千夫」は、「短歌」の他に多くの「小説」、「随筆」、「写生文」などを書いています。
 この間「新仏教」の同人となって「宗教」と「哲学」の世界に遊び、「茶人」としても「玄人」の「域」に達したそうです。
 僅か13年間に「文化的業績」は超人的なものであったと言えます。

 「伊藤左千夫」が生まれ育った「山武市」の「山武市歴史民族資料館」の横には「伊藤左千夫」の「生家」があります。
 「資料館」には「伊藤左千夫」に関する「資料」が多く展示されています。
 また「山武市内」の「山武市役所」のすぐ脇には「伊藤左千夫記念公園」があり、「公園」には「野菊の墓」の「主人公」である「政夫」と「民子」の「像」と「野菊の歌」、「アララギ派八歌人」の「歌碑」があります。

 「山武市歴史民俗資料館」ですが、「郷土」の「民族」・「考古学資料」の他、「野菊の墓」の「初版本」や「自筆の原稿」など、「伊藤左千夫」に関する多くの「資料」が展示されています。

 「伊藤左千夫の生家」ですが、「山武市歴史民俗資料館」の「裏手」にあり、「伊藤左千夫」が「少年時代」をすごした「藁葺き」の「母屋」や「東京都茅場町時代」の「茶室」(唯真閣)も移築されています。

 「唯真閣」ですが、「伊藤左千夫」は「文学」の「傍(かたわ)ら」終生「茶の湯」を愛好したことで知られています。
 「伊藤左千夫」が「和歌の道」に入ったのは明治26年30歳のときですが、たまたま「茶道」の「手ほどき」を受けていた「同業者」の「伊藤並根」という人が「和歌」もよくしたからといわれています。

 「伊藤左千夫」は「正岡子規」から「茶博士」と呼ばれたほどで、「本所茅場町」の「左千夫」の「自宅」を「無一塵庵」と名付けたそうです。
 自他共に「茶人」をもって任じ「一戸建ての茶室」を持つことを念願していました。
 そして同郷の「歌友蕨真」の協力を得て「郷里」の「山武杉」(2011年11月25日のブログ参照)を用いて明治43年5月に待望の「茶室」が「本所茅場町」の「左千夫」の邸内に完成し、「唯真閣」と名付けました。

 「左千夫」の死後、「甥(おい)」の「伊藤芬」氏の「手」で「亀戸」の「芬氏宅」に移築され、後に昭和16年「成東町」(当時)の「生家」に移され現在に至ります。
 「唯真閣」は「歌人」であると共に「茶人」であった「伊藤左千夫」の「風姿」を後世に伝える貴重な「建物」です。

 郷土が誇る「歌人」「文化人」「伊藤左千夫」の「生涯」に触れに、ゆかりの地「山武市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 備考
 「山武市」の「本須賀」には「伊藤左千夫」の「歌碑」があります。
 「歌碑」には「天地の四方の寄合を垣にせる九十九里の浜に玉拾ひ居り」と書かれているそうです。

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| 地域情報::九十九里 | 09:50 AM |

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