本日二つ目にご紹介するのは、地元「銚子市」に昔から受け継がれている郷土の民謡「銚子大漁節」です。
「大漁節」は、大漁を祝う、また大漁を祈願する際に歌われる「民謡」で、日本各地の港町には、それぞれ地域の特徴を盛り込んだ「大漁節」があります。
「銚子大漁節」は「銚子市民」であれば誰もが知っていて、全国でも有名な民謡のひとつです。
「銚子市」各地の「夏祭り」「盆踊り」会場から「笛」や「太鼓」が奏でる「銚子大漁節」が響き渡っています。
「銚子大漁節」の「歌詞」を見ると、「いわし漁」の操業や「干鰯場(ほしかば)」・「〆粕(しめかす)作り」の様子、「〆粕」や「魚油」を「利根川」に停泊中の船に積み込み、「大漁」で賑わう町の風景が表現されています。
「銚子」の「大漁節」の「歌詞」は、「飯沼村」の役人であった「松本旭江」と網元の「網代久三郎」、俳諧(はいかい)師の「石毛利兵衛」の3人が制作し、作曲は「常磐津(ときわず)」の師匠「遊蝶」、振り付けは「清元」の師匠、「名伎」と評判であった「きん子」が担当したといわれているそうです。
「銚子大漁節」の「歌詞」ですが、一番の「一つとせ」から二十番の「二十とせ」まであり、合いの手として「ハーコリャコリャ」と「エーコーノー」(または「コーノー」)が入ります。
「銚子大漁節」の一番から十番までに「いわし漁」のことや、「加工場」の様子、浜の風俗まで歌い込んであり、十一番から二十番までは、明治以降に追加されたもので、「歌詞」が複数存在しているそうです。
「銚子大漁節」の起源は、元和元年(1864年)の春、不漁続きだった「銚子」の浜に、「いわし」の大群が押し寄せたことを「神」に感謝するために、信仰していた「白紙大明神(はくしだいみょうじん)」(現在の「川口神社」)(2010年12月22日のブログ参照)に奉納する歌や踊りがなかったので、「大漁節」が作られたことが通説でしたが、古い歴史の資料(古文書)を解読する中で、この時代の「いわし漁」は不漁が続き、現状を打破するために作られたという説も出てきたそうです。
「銚子市民」にとって「銚子大漁節」は、「大漁を祝う人々の幸せを願った歌」であり、最も親しみ深い「民謡」として愛されています。
備考
「銚子大漁節」は、「銚子市観光協会」認定の「銚子百選」に選ばれています。
(1月3日のブログ参照)
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=647 |
|
地域情報::銚子 | 12:05 PM |