本日ご案内するのは、近隣市「横芝光町」「虫生 広済寺」で8月16日(火)に行われる「鬼来迎(きらいごう)」(重要無形民族文化財)です。
「鬼来迎(きらいごう)」(または「鬼舞」ともいわれる)は、「山武郡横芝光町」虫生の「広済寺」に伝わる、「地獄」の様相と「菩薩」の救いを「仮面狂言」にした「日本唯一」の「民族芸能」です。
「鬼来迎」の由来として、下記のような物語が伝えられています。
「旅の僧「石屋(せきおく)」が夜道に迷い、虫生(むしょう)の里の辻堂で休むうち眠りに入ってしまいました。
眠りの中で「石屋」は亡者をめぐる、文字どおり地獄絵図の様子をかいま見てしまいます。
賽(さい)の河原で果てしのない石積みを強(し)いられ、鬼に追われる亡者たち。
連行された地獄で亡者が筆舌に尽くしがたい責め苦を負わされる中、ある亡者の時に「地蔵菩薩」が現れ、鬼逹に供養の卒塔婆を渡すとその亡者は成仏するというケースを知ります。
やかて白州に一人の娘が連れてこられ、「浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)」で虫生の里に住む「椎名安芸守」の娘「妙西」であることが明らかになります。
責め苦に耐え続ける「妙西」を見るに堪(た)えかねた「石屋」は夢から覚めると、「妙西」の成仏を何とかしたいと「椎名安芸守」夫婦を捜し回ります。
そして辻堂近くで「椎名安芸守」と妻「顔世」に会い、「妙西」の件で話しかけると屋敷に招かれ、夢で見た様を一切話すこととなりました。
地獄絵図の際を聞くと「安芸守」夫妻は「娘よ妙西よ」と嘆き悲しみ、娘を責め苦に陥(おとしい)れた自らの罪障の消滅と「妙西」の成仏を願い、「広済寺」建立を約束した。」
という話が伝えられており、鎌倉時代初期に始まったといわれています。
「鬼来迎」の内容ですが、「地獄」を再現し、「因果応報(いんがおうほう)」・「勧善懲悪(かんぜんちょうあく)」の理法を説く「仏教劇」で、すべて地元住民の手によって、毎年「地獄の釜」の開く日といわれる月遅れの「お盆」の8月16日に演じられています。
「地獄」を舞台とし、死者が「閻魔大王(えんまだいおう)」の裁きを受け鬼どもの責め苦に遭うものの「菩薩」によって救われるという内容で「大序〜賽の河原〜釜入れ〜死出の山」の四段と、「広済寺」建立縁起を物語る「和尚道行〜墓参〜和尚物語」の三段、全七段からなり、所要時間は約1時間半。
現在は、「大序」・「賽の河原」・「釜入れ」・「死出の山」の四段のみが上演されているそうです。
「鬼来迎」は、「農村信仰」の原型とも言われ、「衆生救済」を描く他に類例の少ない民族芸能であり、「農村」と「信仰」、そこにあらわれる「鬼」とは何かなどが語られます。
また「地獄」の恐ろしさと「菩薩」の慈悲を間近で感じることができるとも言われています。
「日本唯一」の「民族芸能」「鬼来迎」を見に「横芝光町」の「広済寺」に訪れてみませんか?
「鬼来迎」詳細
上演会場 広済寺 横芝光町虫生483
上演日 8月16日(火)
上演時間 おおむね15時頃 (施餓鬼供養終了後)から1時間強
問合わせ 横芝光町社会文化課生涯学習班 0479-84-1358
備考
「鬼来迎」は、1975年(昭和50年)の「文化財保護法」の改正によって制定された「重要無形民族文化財」の第1回の指定を受けています。
かつては「利根川」沿いの「香取郡下総町」(現「成田市」)や「香取郡小見川町」(現「香取市」)などでも「鬼来迎」が行われていましたが、現在は「広済寺」のみとなっています。
また「成田市」「迎接寺」にはその時の「鬼面」・「亡者面」など、「香取市」「浄福寺」には「鬼来迎問答引接踟供養記」が「寺宝」として残っているそうです。
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地域情報::匝瑳 | 12:50 PM |