本日2つ目にご紹介するのは、となりまち「香取市佐原」の「佐原の大祭」の「歴史」と「由来」です。
先(7月11日)のブログでご案内した「佐原の大祭」「夏祭り」。
いよいよ明後日(7月15日)より開催されます。
「小江戸」「佐原」の一大イベントである「佐原の大祭」は、約300年の歴史を誇ります。
今回は「佐原の大祭」の「歴史」「由来」をご紹介します。
「香取市」「佐原」の市街地の中心部を東西に分断するように流れる「小野川」を境にして、東側の地域を「本宿」と呼び、西側の地域を「新宿」と呼んでいます。
「本宿」は字のごとく、中世から続く元々の町場の地域です。
「祇園祭」は、京都で「貞観年間」(859年〜877年)に疫病の祟りを鎮めるためにはじめられた「祇園御霊会」に由来しています。
文献資料からは、14世紀にはすでに「八坂神社」の前身である「牛頭天王社」が「佐原八日市場」の地に祀られていたことが知られています。
「祇園祭」自体いつの頃から始められたのかは定かではありませんが、元禄15年(1702年)までには旧暦の6月10日に「浜下りの神事」が、6月12日には「祇園」の「神事」が行われていたそうです。
「浜下りの神事」とは、10日の暮れ前に「天王社」から「神輿」を出して「橋元」まで行き、川舟に乗せて「お神酒(みき)の奉献」と「神楽の奉納」を行い「天王社」へ帰る「神事」のことで、「祇園」の「神事」とは、12日の暮れ前に再び「神輿」を「天王社」から出して大工の治兵衛宅前に「御仮屋」を作り、そこへ「神輿」を運び、「お神酒の奉献」と「神楽の奉納」を行い「天王社」へ帰るというものだったそうです。
元禄16年(1703年)に「天王社」の別当寺であった「清浄院」より、多くの人が「神輿」に参詣できるようにとの申し出を受け、「浜下り」のあと「神輿」を帰さずに「御仮屋」へ留め置き、12日に戻すという「神幸」の形になったようです。
その後、各町内へも「神輿」を廻すようになり、正徳4年(1714年)に初めて「神輿神幸」に「練物」が登場するようになりました。
一方、「新宿」は天正年間(1573年〜1591年)に新しく開起された地域で、元々は「本宿」「新宿」の区別なく「佐原村」の「鎮守」として「天王社」を祀っていました。
その後、町場として発展を見た「新宿」は、新たに「諏訪社」を「鎮守」として祀るようになりました。
「諏訪祭」は、「信州諏訪社」の「御射山神事」に由来し、天保10年(1839年)に書かれた文書から、享保6年(1721年)に「名主」の「伊能権之丞」という人が中心となって、「本宿」の「祇園祭」とは別に、「練物」を中心とした「諏訪の祭礼」を新たに企画したことが知られています。
これ以降、「新宿」では「祇園祭」に係わらなくなり、今日に至っているそうです。
現在、「山車祭り」の起源を「諏訪祭」の享保6年(1721年)としているそうです。
これは「祇園祭」の「練物」は享保10年(1725年)を最後に出されなくなり、再び常態化するのは43年後の明和5年(1768年)のことだからだそうです。
ただし、明和5年においても依然、様々な出し物による「練物」の形態であり、現在のようないわゆる「佐原型」という「山車」の「祭り」が成立するのは、江戸時代の後期、文政年間(1819年〜1829年)以降と考えられているそうです。
明後日(7月15日)から始まる「佐原の大祭」「夏祭り」。
「江戸」から続く「佐原」の伝統・文化の「粋」を是非ご覧下さい。
備考
「佐原の大祭」の時に引き廻される「山車」の本物の2台展示されている「水郷佐原山車会館」には、祭りや山車に関わる資料、佐原囃子の道具等が展示されています。
「水郷佐原山車会館」では、3面スクリーンでお祭りの映像を見ることもでき、一年中お祭りの雰囲気を味わうことができるそうです。
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地域情報::香取 | 09:11 AM |