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「新飯神事(ニイノジンジ)」「神嘗祭奉納相撲大会」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で10月17日(月)に開催されます「新飯神事(ニイノジンジ)」「神嘗祭奉納相撲大会」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「神宮」で、「式内社」(名神大社)、「下総国一宮」、「旧社格」は「官幣大社」で、現在は「神社本庁」の「別表神社」です。
 「香取神宮」は、「関東地方」を中心として「全国」に約400社ある「香取神社」の「総本社」であり、「鹿嶋市」に鎮座する「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「神栖市」に鎮座する「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)とともに「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)の「一社」であり、「宮中」の「四方拝」で遥拝される「一社」です。
 また、平安時代に成立した「延喜式」によりますと、江戸時代以前から「神宮」と称されていたのは、「伊勢神宮」・「鹿島神宮」・「香取神宮」の「三社」だけで、その「創建」は「神武天皇」「十八年」(紀元前643年)と神代の時代まで遡(サカノボ)る古い「歴史」のある「神社」です。
 「香取市」は「香取神宮」とともに「歴史」を歩み、数千年以上もの昔から「人々」の「崇敬」を集め、時には「地域」の「守護的」な「役割」を担ってきたそうです。
 「香取神宮」の「創建」ですが、上述の「神武天皇」の「御代18年」と伝えられ、「香取神宮」の「御祭神」ですが、「日本書紀」の「国譲り神話」に登場する「建国の神」である、「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」とともに活躍した「神様」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」です。

 「香取神宮」の約37000坪ある「境内」には、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」、「祈祷殿」、「楼門」、「宝物館」、「神徳館」、「弓道場」、「社務所」などがあります。
 中でも「香取神宮」「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒塗り」の「姿」が実に美しい「建造物」となっています。
 現在の主(オモ)な「香取神宮」「社殿」は、江戸時代の元禄13年(1700年)、「江戸幕府」「五代将軍」「徳川綱吉」公の「命」により造営されたもので、この時に「本殿」・「拝殿」・「楼門」が整えられましたが、うち「拝殿」は昭和11年(1936年)から昭和15年(1940年)の「大修築」に伴って改築がなされ、現在では「祈祷殿」として使用されています。
 この「昭和の大修築」では、「幣殿」・「神饌所」も造営され、「主要社殿」の「形式」は、「大修築」前後とも「本殿」・「幣殿」・「拝殿」が連なった「権現造」となっており、「本殿」・「楼門」は「国」の「重要文化財」に、「旧・拝殿」(現・祈祷殿)は「千葉県指定文化財」に指定されており、「現・拝殿」は「国」の「登録有形文化財」に登録されています。

 「香取神宮」「本殿」は、上述のように元禄13年(1700年)の「造営」、「三間社流造」、「檜皮葺」で、南面しており、この形式の「社殿」としては「最大級の規模」となっています。
 「本殿」は、前面の「庇(ヒサシ)部分」を「室内」に取り込んでおり、背面にも短い「庇」を有しており、「重要文化財」「指定時」の「名称」では「流造」と記されていますが、背面に「庇」を有することから「両流造」の一種とする見方もあります。
 「本殿」の「壁」や、「柱」は「黒漆塗」で、「黒」を基調とした「特色的」な「外観」であり、「屋根」は現在「黒皮葺」ですが、かつては「柿葺」であったとされています。
 「本殿」の「様式」は近世前期を象徴するもので、「桃山様式」が各部に見られる一方、慶長期の「手法」も取り入れられており、「昭和の大修築」に際しては、「本殿」にも大規模な「修繕」が行われました。
 この「本殿」に関しては、かつて「神宮」に存在した「アサメ殿」という「社殿」を継承すると見られているほか、通常の「両流造」では「本殿内」の「神座」が「身舎」(大梁の架かる建築構造上の主体部)に設けられているのに対して、「背面庇」(身舎の周囲に取り付く部分)にあるという「異例」の「形式」が指摘されています。
 「拝殿」・「幣殿」・「神饌所」は、「昭和の大修築」による「造営」、「木造平屋建て」、「檜皮葺」で、「本殿」正面には「千鳥破風」が設けられ、それまでの「拝殿」(旧・拝殿)は「丹塗」でありましたが、この「造営」において「黒漆塗」、「組物」・「蟇股」には「極彩色」が施され、「本殿」に釣り合った体裁に改められたそうです。

 「香取神宮」「楼門」は、元禄13年(1700年)の「造営」、「三間一戸」、「入母屋造」、「屋根」は現在「銅板葺」ですが、当初は「挧葺(トチブキ)」であったそうです。
 「楼門」は、「順和様」の「様式」であり、「壁」や、「柱」は「丹塗」、「楼門」内にある「随身像」は俗に「左大臣」・「右大臣」と称されますが、正面向かって「右像」は「武内宿禰(タケウチノスクネ)」、「左像」は「藤原鎌足(フジワラノカマタリ)」と伝えられています。
 また、「楼門」の「楼上」の「額」は「東郷平八郎」の「筆」だそうで、この「楼門」は、「香取神宮」の「シンボル的」な「建物」に位置付けられているそうです。

 「香取神宮」「境内」には、「摂社」、「末社」が多く祀られており、「摂社鹿島新宮」、「摂社奥宮」、「摂社匝瑳神社」、「末社六所神社」、「末社桜大刀自神社」、「末社裂々神社」、「末社市神社」、「天降神社」、「末社馬場殿神社」、「末社日神社」、「末社月神社」、「末社押手神社」、「末社璽神社」、「末社大山祇神社」、「末社諏訪神社」などを祀っており、「香取神宮」「参道」「左手」に「香取護国神社」(2013年9月25日のブログ参照)が祀ってあります。

 「香取神宮」は、「香取の森」と呼ばれる12万3千平方mに及ぶ「広大」な「山林」の中にあり、「香取の森」は「荘厳」で「霊気」に満ちた「神秘さ」を深めた「空間」が広がっており、正に「神域」であることを感じることができる「パワースポット」となっています。
 「香取神宮」の「社叢林」は3.5ha(ヘクタール)、古くから「神宮の森」として古くから「信仰の場」として「大切」に保護されてきたため、「目通り幹囲鉾(幹周)」3mを越える「スギ」をはじめ、「イヌマキ」・「モミ」などの「巨木」が林立しており、「落葉」に埋もれた「古道」や「古井戸」は往時の「景観」を偲ばせ、「香取の森」は昭和49年(1974年)に「千葉県」の「県指定天然記念物」に指定されています。
 「香取の森」、「香取神宮」の位置する「山」(森)は、その「形状」(森の全景)が「亀」に似ていることから、「亀甲山(キッコウサン)・(カメガセヤマ)」とも呼ばれて(称されて)います。

 この「地域」は、「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「北縁」に当たり、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)によって徐々に浸食された「地域」であり、「台地」「上面」は「標高」約40mであり、「浸食」が進み「谷津田」が入り組み、「島状」となった「台地」も多く、「香取神宮」を含んだ「台地」もそのひとつなのだそうです。
 「香取の森」は、「スダジイ」を「優占種」とする「自然林」と「スギ」の「人工林」とから構成されており、「香取神宮」「本殿」の周辺には「巨木」が多く、特に「御神木」とされる「スギ」はこの「地域最大」のもので、上記のように「目通り幹囲鉾(幹周)」は約7.4m、「高さ」35mで、「樹齢」は千年といわれています。

 「神嘗祭(カンナメサイ・カンナメノマツリ・カンニエノマツリ)」ですが、「宮中祭祀」のひとつで、「大祭」、「五穀豊穣」の「感謝祭」にあたり、「宮中」および「神宮」(伊勢神宮)で「儀式」が行われています。
 また「神嘗祭」ですが、「祝祭日」のひとつであり、「秋の季語」でもあるそうです。

 「神嘗祭」ですが、「宮中祭祀」の「大祭」で、その年の「初穂」を「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」に奉納する「儀式」が行われます。
 かつては9月11日(旧暦)に「勅使」に「御酒」と、「神饌」を授け、9月17日(旧暦)に奉納したそうです。
 1873年(明治6年)の「太陽暦」「採用」以降は「新暦」の9月17日に実施となりましたが、「稲穂」の「育成」が不十分な「時期」であるため、1879年(明治12年)以降は「月遅れ」として10月17日に実施されています。

 古来より「神嘗祭」には「皇室」から「神宮」へ「幣帛使」が派遣されましたが、「応仁の乱」以降は中断も多かったそうです。
 しかし、1647年(正保4年)に「幣帛使」の「発遣」が復活して以降は中断なく「派遣」が行われています。
 1871年(明治4年)以降は「皇居」の「賢所」でも「神嘗祭」の「儀式」が行われたそうです。
 「神嘗祭」の「儀式」に先立って、「天皇」は「宮中三殿」の「神嘉殿」「南庇」で「神宮」を遥拝します。
 1908年(明治41年)9月19日制定の「皇室祭祀令」では、「神嘗祭」が「大祭」に指定。
 同法は1947年(昭和22年)5月2日に廃止されましたが、以降も「宮中」および「神宮」では、従来通りの「神嘗祭」が行われているそうです。

 「神嘗」ですが、「神の饗(アエ)」が変化したものといわれ、「饗え」は「食べ物」でもてなす「意味」なのだそうです。
 また、「饗」は「新穀」を意味する「贄(ニエ)」が転じたとする「説」もあるそうです。

 「神宮」では、「神嘗祭」のときに「御装束」・「祭器具」を一新し、「神宮」の「正月」ともいわれています。
 「神宮」の「式年遷宮」は、「大規模」な「神嘗祭」ともいわれ、「神宮」では、「式年遷宮」後「最初」の「神嘗祭」を「大神嘗祭」とも呼ぶそうです。
 「伊勢」の「民衆」は、この「祭り」を「おおまつり」と呼び、「奉祝」の「行事」を行い、「神宮」の「神職」や、「伊勢」の「神領民」は、この「祭り」が終わるまで「新穀」を「口」にしないとされています。

 「神嘗祭」は、また「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」および「休日ニ関スル件」により、1874年(明治7年)から1947年(昭和22年)まで「同名」の「祝祭日」(休日)だったそうです。
 上記のように「稲穂」の「生育」が不十分であることによる変更に伴い、1878年(明治11年)までは9月17日、1879年(明治12年)からは10月17日となったそうです。

 「香取神宮」が鎮座する「香取地方」では、古くより10月17日の「神嘗祭」にあたり、「氏神様」へ「赤飯(セキハン)」をお供えする「習慣」があるそうです。
 これらの「習慣」のことを、この「地方」(香取地方)では、「新飯神事」と呼ばれているそうです。
 「新飯神事」が行われる「香取神宮」では、「早朝」5時頃から「氏子」の「皆さん」が「家庭」で炊いた「赤飯」を献上しに、参られるそうです。
 (元々、香取地方では、10月17日「神嘗祭」の日に氏子さんが早朝より赤飯を「香取神宮」に奉納するといった慣習があったそうです。)
 「新飯神事」ですが、「伊勢神宮」の「神嘗祭」に由来すると思われ、「新飯神事」では、「各家庭」にある「氏神様」や、「神棚」に「新米」の「赤飯」をお供えし、「五穀豊穣」を感謝するそうです。
 また、この日は、「香取神宮」「境内」にて、「自衛隊」の「有志」の「皆さん」による「奉納相撲大会」「神嘗祭奉納相撲大会」が開催されるそうです。
 「神嘗祭奉納相撲大会」ですが、「香取神宮」「境内」の「土俵」で、日頃鍛えた「技」を駆使して「勝ち抜き戦」や、「団体戦」が展開され、「近隣」の「氏子さん」や、「観光客」の「皆さん」から「盛大」な「声援」が送られるそうです。
 「神嘗祭奉納相撲大会」は、10時頃から始まり、「自衛隊」の「有志」(相撲愛好隊員)が、「隊」の「名誉」をかけて「相撲」をとるそうです。
 ちなみに「新飯神事」に献上された「赤飯」ですが、「神嘗祭奉納相撲大会」に参加された「自衛隊」の「力士」の「皆さん」や、「参拝者」の「皆さん」に「おにぎり」にして振る舞われるそうです。

 「由緒」ある「北総」の「バワースポット」「香取神宮」で開催(奉納)される「秋の恒例行事」「新飯神事」「神嘗祭奉納相撲大会」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「新飯神事」「神嘗祭奉納相撲大会」詳細

 開催日時 10月17日(月) 10時半〜

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697

 問合わせ 香取神宮 0478-57-3211

 備考
 「新飯神事」「神嘗祭奉納相撲大会」ですが、「小雨決行」となっています。

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