本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「埴生(ハブ)神社」で7月16日(土)・17日(日)の期間開催されます「埴生神社祭礼」「朝顔ほおづき市」です。
「埴生(ハブ)神社」ですが、「成田市」「郷部」に鎮座する「神社」です。
「埴生神社」の「創建」の「年代」は不詳ですが、「和名抄(ワミョウショウ)」(平安中期の漢和辞書)によりますと、以前この「地方」は「埴生郡(ハブゴオリ)」といわれていたそうで、今から約1500年前に「文化」を持った「大和朝廷系」の「土師部(ハシベ)一族」がこの「成田」の「地」にて、「焼畑農耕」により「食物」を育て、「集落」を構えていたそうです。
「土師部(ハシベ)一族」は、その「豊潤」な「埴(ハニ)」(古代、土はハニといわれていた)を用いて、「土師器(ハジキ)」(古墳時代以降の素焼の赤褐色の土器)を作って「生活」を営んでいました。
「土師部一族」の「祖神」、「氏神」である「埴生姫之命」を祀り、「古代祭祀」を執り行ったのが「はじまり」とされています。
そのため「埴生神社」の「御祭神」は、「埴山姫命(ハニヤマヒメノミコト)」を祀っています。
「日本書紀」には、「埴山姫之命」(土の神)と、「火之迦具土命(ヒノカグツチミコト)」(火の神)が結ばれ、「稚産霊命(ワカムスビノミコト)」(五穀の神)をお生みになったと記されており、古代に「焼畑農耕」、つまりは「土」と、「火」から「五穀」を得ていたことに由来するものなのだそうです。
「埴生神社」の鎮座する「場所」ですが、「成田」の「町」の中では「自然的」に一番高い所に位置し、「古墳」の「跡」に「埴生神社」「社殿」が建立されているそうです。
「埴生神社」ですが、「通称」「三ノ宮」といわれ、その昔「物資」が「利根川流域」より運び込まれ、最も「利根川」の近くにある「印旛郡」「栄町」「矢口」の「一ノ宮」、「成田市」「松崎」の「二ノ宮」、そして「終点」の「三ノ宮」の「順」となったとされています。
その名残か、現在「埴生神社」の「向き」は「真西」に向いており、「一ノ宮」、「二ノ宮」の「方」を向いているそうです。
「埴生神社」は、「歴史的」に出てくるのは、仁安3年(1168年)に「成田五郎頼重」という「埴生郡」を領していた「武士」が「鉱物」を奉納したということが書かれてあり、「成田」という「文字」が出てくる「最初」といわれています。
また「埴生神社」は、寛元2年(1244年)6月、同じくこの「地方」を領していた「埴生次郎平時常」が「神輿」を寄進しており、この頃より「神輿渡御」が始まり、7月17日の「埴生神社」「例祭」の「神輿渡御」は750年以上の「歴史」を誇っています。
現代において、「埴生神社」は「成田総鎮守」として、また「成田」の「産土様(ウブスナサマ)」、「子育ての神」と広く崇められ、「初宮参り」・「安産祈願」・「初浅間詣」・「七五三詣」をはじめ、「家内安全」・「厄除祈願」・「商売繁盛」等の「諸祈願」、また「日本の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)「成田国際空港」(2015年4月7日・2012年12月10日のブログ参照)も近いことから、「空港関連企業」や、「飛行機のお祓い」など、多くの方々が「埴生神社」に訪れています。
上述のように「埴生神社」は、「玉石」も美しくはき清められ、「境内」は清々しい「空気」に包まれており、「成田」の「総鎮守」として多くの方から親しまれています。
「埴生神社祭礼」ですが、上記のように「三ノ宮様」として親しまれている「埴生神社」の「祭礼」(例祭)です。
「埴生神社祭礼」「期間中」7月16日(土)・17日(日)の「両日」、「朝顔・ほおずき市」が催され、「よしず」の「囲い」の中は沢山の「朝顔」や、「ほおずき」であふれ、「夏」の「日本」の「風物詩」を愛(メ)で、大変「風流」な「ひととき」を楽しむことができるそうです。
「埴生神社祭礼」ですが、7月16日(土)は、「宵宮(ヨイノミヤ)」と呼ばれ、「夕方」から様々な「音色」が「埴生神社」「境内」に流れ、多くの「人々」で賑わいます。
なお、「埴生神社祭礼」「宵宮」の「演奏会」は、「土曜日」のみの「開催」となっています。
「朝顔・ほおずき市」の「スケジュール」は、下記の通りです。
「朝顔・ほおずき市」詳細
18時00分〜19時00分 成田ファニーサンズ
19時00分〜19時30分 天神会のお囃子
19時30分〜20時00分 沖縄民謡にらいかない
20時00分〜20時30分 ビンゴゲーム
また「埴生神社祭礼」では、7月16日(土)に「居酒屋」が出店され、「生ビール」、「やきとりの販売」が行われるそうです。
「埴生神社祭礼」では、7月17日(日)10時00分から「埴生神社例祭」が執り行われ、2日間を通して、「埴生神社」の「神輿」が、「埴生神社」「境内」に安置されるそうです。
「埴生神社祭礼」の「神輿渡御」の「由来」ですが、上記のように寛元2年(1244年)6月「埴生次郎平時常」が「神輿」を奉納したことが始まりといわれており、以来750年以上の「歴史」のある「お祭り」だそうです。
「埴生神社祭礼」「神輿渡御」の「由来」ですが、昔は「夏」になると「疫病」がはやり、その「はやり病」を追い払うために、「夏越(ナゴシ)の祓え」として行われてきた「神事」であったそうです。
「埴生神社祭礼」「神輿渡御」ですが、江戸時代には「蓮沼海岸」(2012年7月15日のブログ参照)まで「お浜降り」を行っていたそうですが、今日では「寺台」の「根木名川」で「お浜降り」を行い、「成田」の「町中」を練り歩き、「町内」、「氏子」中の「安全」を祈願するそうです。
「成田」の「総鎮守」、「産土様(ウブスナサマ)」「埴生神社」で開催される「夏祭り」「埴生神社祭礼」「朝顔ほおづき市」。
この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「埴生神社祭礼」「朝顔ほおづき市」詳細
開催期間 7月16日(土)・17日(日) (例祭は17日)
開催時間 ほおづき市 7月16日(土) 7時〜21時
ほおづき市 7月17日(日) 7時〜19時
開催会場 埴生神社 成田市郷分994
問合わせ 埴生神社 0476-22-1254
備考
「埴生神社」「神輿渡御」の「神輿」ですが、1年を通して「埴生神社祭礼」(夏祭り)「期間中」でしか見ることのできない「神輿」なのだそうです。
「埴生神社」ですが、「成田市」「並木町」にも同じく「三ノ宮埴生神社」が存在しますが、「総本社」は「成田市」「郷部」の「埴生神社」です。
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地域情報::成田 | 10:30 AM |