本日ご案内するのは、地元「銚子市」「浅間神社」で7月16日(土)に開催されます「後飯町浅間神社例祭」「浅間様(センゲンサマ)」です。
「浅間神社」は、「銚子市」「後飯町(ゴハンチョウ)」の「東端」にある「標高」約32mの「浅間山」 の「山頂」に鎮座する「神社」で、地元では「浅間様(センゲンサマ)」(2015年7月14日・2014年7月19日・2013年7月18日・2012年7月20日・2011年7月12日のブログ参照)と呼ばれ親しまれています。
「浅間神社」が鎮座する「浅間山」ですが、3つの「神社」があり、「浅間神社」の他、「愛宕神社」、「天神社」(天満宮)を祀っています。
「浅間神社」ですが、「全国」に1300以上あり、2013年に「世界文化遺産」に登録された「富士山信仰」と強く結びついており、「富士山」を眺望できる「地域」に「分社」が多く存在しています。
そのためか「浅間神社」の鎮座する「浅間山」「北側」の「山麓(サンロク)」からは「銚子市」の「市街地」が見渡せ、その先には「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)や、「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)、「鹿島臨海工業地帯」の「工場群」などを望むことができる素晴らしい「ビュースポット」となっています。
「浅間神社」の「御祭神」ですが、「木花咲耶姫命(コノハサクヤヒメノミコト)」で、「富士」の「山神」として奉ぜられており、「浅間神社」の「社紋」ですが、「桜」となっています。
「浅間神社」の「御祭神」「木花咲耶姫命」は、「火中出産」の「説話」から「火の神」とされ、「各地」の「山」を統括する「神」である「大山津見神(オオヤマツミノカミ)」から、「火山」である「日本一」の「秀峰」「富士山」を護られ、祀られるようになり、「富士山」に鎮座して「東日本一帯」を守護することになったそうです。
「浅間神社」の「総本山」である「富士山本宮浅間大社」の「社伝」では、「御祭神」「木花咲耶姫命」は、「水の神」であり、「噴火」を鎮めるために「富士山」に祀られたとされています。
「木花咲耶姫命」の「御神徳」ですが、「安産」・「航海」・「漁業」・「農業」・「機織(ハタオ)り」・「火難消除(カナンショウジョ)」の「守護神」、「酒造りの神様」として信仰されています。
「浅間神社」が現在の「場所」に祀られたのがいつだったのかは、はっきりとわかっていませんが、「周辺」の「寺社」が、1600年代の「後半」から1700年の「前半」頃に創建されている上、旧「石祠(イシホコラ)」に「安永七年五月吉日」つまり1778年に建てられた事が記されており、1758年はそれ以前と考えられるので、同じ江戸時代中期に「浅間神社」が「分祀(ブンシ)」されたのではないかと推測されています。
「愛宕神社」の「御祭神」「火産霊命(ホムスビノミコト)」こと、「迦具土神(カグツチノカミ)」ですが、「記紀神話」における「火の神」です。
「愛宕神社」は、「浅間神社」が鎮座する「浅間山」にある「神社」で、「御神徳」ですが、「火」に関するもので、「防火」・「防水」と、「商売繁盛」・「恋愛」・「結婚」・「縁結び」等の「守護神」として奉ぜられており、「愛宕神社」の「社紋」ですが、「五三の桐」となっています。
「浅間神社」の「社殿」「右側」には、「天神社」(天満宮)があります。
「天神社」(天満宮)の「御祭神」ですが、「菅原道真(スガワラノミチザネ)」公で、「御神徳」ですが、「学問向上」・「受験合格」及び、「詩歌」・「文章」・「芸能」の「上達」、その他「農業守護」・「病気平愈」・「火雷天神」の「神様」として信仰されています。
「天神社」(天満宮)ですが、「浅間神社」の「御祭神」「木花咲耶姫命」が「安産」・「子育て」の「神様」だったため、「子」の「学問成就」・「出世」を願う「人々」が、天保11年に「石祠」を造立し、「勧請」したそうで、「天神社」(天満宮)の「社紋」ですが、「梅」となっています。
また「浅間神社」へ上がる「階段」下の「道路」沿いには、「庚申塔(コウシントウ)」(2012年1月15日のブログ参照)が安置されている「庚申堂」や、「馬頭観音塔」などを祀っています。
「馬頭観音」ですが、「六観音」のひとつで、「観音」の「怒り」を表し、「馬頭人身」或いは、「人面馬冠」の「姿」をしています。
ちなみに「六観音」ですが、「聖観音菩薩(ショウカンノンボサツ)」・「千手観音菩薩(センジュカンノンボサツ)」・「十一面観音菩薩(ジュウイチメンカンノンボサツ)」・「不空羂索観音菩薩(フクウケンジャクカンノンボサツ)」・「如意輪観音菩薩(ニョイリンカンノンボサツ)」・「馬頭観音菩薩(バトウカンノンボサツ)」となっています。
「馬」は「魔」を砕く「力」を表し、「六道」中の「畜生道」に配され、そこの「世界」に住んでいるもの達を救うといわれています。
また「馬頭観音」は、「一般的」に「馬」の「無病息災」を願う「本尊」として信仰されています。
「六道」とは、死後、その「人」の「生前の行い」によって振り分けられ、生まれ変わり先の「冥界」の事で、「天道」、「人間道」、「修羅道」、「畜生道」、「餓鬼道」、「地獄道」となっています。
また「浅間神社」の「見どころ」のひとつとして「子宝石」があります。
「子宝石」ですが、「浅間神社」へお参りをして「子宝」に恵まれた「方」の「ご寄進」と思われる「石」で、「子宝石」には、「頭部」を3度撫でると「願い」が叶うと伝えられています。
「子宝石」ですが、「浅間神社」「階段」を上がった「左側」に鎮座しています。
ちなみに「浅間神社」「石段」(階段)ですが、「全部」で「八十七段」となっています。
「浅間神社」の「祭礼」ですが、元来「旧暦」の「6月1日」に行われていました。
これは、江戸時代「富士山」の「山開き」が「この日」であった事に由来しているそうです。
(現在の「富士山」の「山開き」は7月1日だそうです。)
「浅間神社」「祭礼」である「浅間様」ですが、大きく分けて2つに分けられます。
ひとつめですが、この1年の間に産まれたかな子ども を連れて「早朝」に参拝する「初山(ハツヤマ)」です。
「初山」ですが、「親」や、「身内」が「子ども」を抱いて、「浅間神社」を参拝すると「子ども」が健(スコヤ)やかに「成長」するという「御利益(ゴリヤク)」を得られるといわれています。
今でも「初山」には、「銚子市内」はもとより、「県内」や、「近県」から、「大勢」の「参拝客」が「浅間神社」に訪れています。
「浅間様」の「初山」ですが、昭和の初期までは「父親」が「赤子」を抱いて、「露」に濡れた「道」を、「早朝」「はだし」で参拝するといった「習わし」だったそうです。
現在、「浅間様」の「初山」では、上記のように、その「年」に産まれた「子ども」の「安産」の「お礼」と「守護」を願って、「若夫婦」または、「家族」が揃って「朝宮詣り」をしています。
もうひとつは、「浅間様」「当日」の「夕方」から「夜」にかけての「宵宮詣り」では、「銚子電鉄」(2012年2月11日のブログ参照)「ヒゲタ400年玄蕃(ゲンバ)の里」「本銚子駅」(2011年5月16日のブログ参照)の「浅間台踏切」から「浅間台」の「坂」の下の「後飯町交差点」を経て、「馬場町交差点」までの「道路」の「両側」を「歩行者天国」にし、「道路」の「両側」に、たくさんの「露天」の「屋台」(縁日)が立ち並び、「浅間様」は、「銚子市内」でも「屈指」の「賑わい」を見せます。
ちなみに「浅間神社」「例祭」は、260年間続いているそうで、上記のように近年では毎年7月の「第3土曜日」に行われており、例年138軒から150軒の「露店」が軒(ノキ)を連ねます。
「浅間様」「当日」ですが、「交通規制」が行われ、「道路」は、いつも以上に込み合います。
「交通規制」ですが、「後飯町交差点」「信号」より「銚子電鉄」「本銚子駅」「踏切」(浅間台踏切)までが10時00分から22時00分までの「間」、「車両全面通行禁止」、「馬場町交差点」「信号」より「後飯町交差点」「信号」までが14時00分から22時00分までの間「車両全面通行禁止」となるそうです。
「後飯町」「浅間山」に鎮座する「浅間神社」で開催される「初山」・「宵宮詣り」で賑わう「お祭り」「後飯町浅間神社例祭」「浅間様(センゲンサマ)」。
この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「後飯町浅間神社例祭」「浅間様(センゲンサマ)」詳細
開催日時 7月16日(土) 0時〜22時
開催会場 浅間神社 銚子市後飯町1354
問合わせ 銚子市商工観光課 0479-24-8707
備考
「後飯町浅間神社例祭」「浅間様(センゲンサマ)」の「会場」付近には「駐車場」がありませんので、「浅間様(センゲンサマ)」に「おでかけ」の「方」は「公共交通機関」での「利用」を呼びかけています。