本日ご案内するのは、近隣市「匝瑳市」「松山神社」で4月13日(水)に開催されます「松山神社の神楽」です。
「松山神社」ですが、「匝瑳市」「松山」に鎮座する「神社」で、「旧社格」は、「村社」です。
「松山神社」の「御祭神」ですが、「伊弉册命(イザナミノミコト)」、「譽田別命(ホンダワケノミコト)」、「天兒屋根命(アマノコヤネノミコト)」を祀っています。
「松山神社」の「創建」ですが、「社殿」によりますと、大同元年(806年)と非常に古く、中世には「源頼朝」が、「神領三十貫」を寄進していたそうです。
「松山神社」は、「匝瑳市」の「中心」である「旧・八日市場市」の「北西」「丘陵地帯」に鎮座する「古社」で、「松山神社」の「隣」にある「匝瑳小学校」の「敷地」ですが、その昔、「匝瑳」の「名門」「千葉一族」の「椎名氏」の「居城」であったとされる「松山城」の「跡」だそうです。
「松山神社」で行われる「伝統行事」ですが、「松山神社の神楽」(2014年4月11日・2013年4月9日・2012年4月10日のブログ参照)と250年以上続いている「神事」「筒粥神事」(2014年1月14日・2013年1月11日・2012年1月14日のブログ参照)が知られています。
「松山神社の神楽」は、「里神楽」に分類され、毎年4月13日に「松山神社神楽保存会」の「人々」によって、演じられています。
「松山神社の神楽」の「起源」についての「明確」な「資料」はありませんが、「鬼神面」と呼ばれる「面」の「裏」に
「奥羽中尊寺弟分淳也作之、慶長三年(1958年)霜月十五日」
とあることから、慶長年間には、既に演じられていたと考えられています。
「松山神社の神楽」は、昭和33年(1958年)に開催されていたものが、「一時」「中止」となっていましたが、「地元」の「人たち」の「願望」で、昭和51年(1976年)に復活されたそうです。
「松山神社の神楽」は、その「年」の「豊作」を祈って奉納される「神楽」で、「天下泰平」・「五穀豊穣」をお祝いする「お祭り」だそうです。
「松山神社の神楽」ですが、「烏帽子姿(エボシスガタ)」の「楽師」が奏でる「お囃子」に合わせて、「民話」の「神々」が、次々と登場し、その「動き」が、妙に「滑稽(コッケイ)」で「観客」を驚かせたり、「笑い」を誘ったりするそうです。
「松山神社の神楽」「当日」は、「匝瑳市」「松山地区」の「共同館」に「松山神社神楽保存会」の「メンバー」の「皆さん」が「全員」集まり、「身」を清めた後に、「先導」(天狗)・「古老」・「神官」・「楽師」の「順」で、「神社」まで「沿道」を練り歩き、「松山神社」「本殿」を、1周した後に「神楽殿」に登ります。
この後、「松山神社」「神楽殿」で、3時間余りにわたって、「天狗」(サルタヒコ)にはじまり、「〆切」(スサノオノミコト)まで「十二座」の「神楽舞」が演じられます。
「松山神社の神楽」の「十二座」ですが、下記の通りとなっています。
天狗(テング)
鈿女命(ウズメノミコト)
三宝荒神(サンポウコウジン)
八幡様(ハチマンサマ)
榊葉(サカキバ)
田之神(タノカミ)
種蒔(タネマキ)
食保之神(ウケモチノカミ)
恵比寿(エビス)
春日大明神(カスガダイミョウジン)
乙女(オトメ)
〆切(シメキリ)
で構成されています。
このうち「鈿女命」・「三宝荒神」・「八幡様」・「榊葉」・「食保之神」・「春日大明神」・「〆切」の「7演目」については、「謡(ウタイ)」がともなっています。
「松山神社の神楽」の「楽師」に用いる「楽器」には、「太鼓」・「付太鼓」・「篠笛」があり、この「神楽」は、すべて「男性」が演じることになっているそうです。
上記のように「松山神社の神楽」は、「天狗」からはじまり、「鈿女命」・「三宝荒神」などが演じられた後、「素佐之男尊(すさのおのみこと)」が、「松山神社」「神楽殿」に巡らした「シメ縄」を、「刀」で切る「〆切」で「フィナーレ」を迎えるそうです。
「松山地区」の「古社」「松山神社」で行われる「伝統行事」「松山神社の神楽」。
この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「松山神社の神楽」詳細
開催日時 4月13日(水) 13時〜16時
開催会場 松山神社 匝瑳市松山1127
問合わせ 匝瑳市産業振興課 0479-73-0089
備考
「松山神社の神楽」ですが、「匝瑳市」の「市指定無形民俗文化財」に指定されています。
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地域情報::匝瑳 | 09:47 AM |