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「大饗祭(タイキョウサイ)」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で11月30日(月)に開催されます「大饗祭(タイキョウサイ)」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」に鎮座する「神社」です。
 「香取神宮」は、神代に「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」・「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」が「芦原中津国」を平定、その「子孫」が「香取」・「鹿島」の「両地」に「拠」を構えて、「香取神宮」・「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)を其々「創建」したといわれています。
 「香取神宮」は、弘仁3年(812年)に再建、元慶6年(882年)には「五千八百五十五把を神宮雑舎を造るの料に充て」、その後も「千葉氏」や、「豊島氏」が「宣旨」を受けて再造されてきたといわれています。
 「香取神宮」は、「下総国一宮」として「延喜式神名帳」には「名神大社」として記載されている他、明治4年には「官幣大社」に列格、昭和17年(1942年)には「勅祭社」に治定されました。

 「稿本千葉県誌」による「香取神宮」の「由緒」は、下記の通りです。

 官幣大社 香取神宮

 香取郡香取町大字香取字亀甲山にあり、境内九千七百六十八坪、祭神は経津主命を主神とし、武甕槌命・天児屋根命・姫大神を合祀す。
 社傳を按ずるに神代草創の世に当りて経津主命・武甕槌命の二神芦原中津国を平定し、香取鹿島の両地に子孫を留めて東国の鎮とし給ふ。
 神武天皇起源十八年始めて宮柱を此の地に建て、璽来歴朝国土経営の功勤を重じ、特に尊崇を厚くし祭典の礼を厳にしたまへり。
 舒明天皇三年始めて圭田を奉じ神礼を行ひ、皇極天皇二年三月水災に因りて勅使を遣し馬・錦・鋤・鍬を進められ、文武天皇の朝に本朝鎮守棟梁の号を賜ひ、勅して社殿を造営せしめらる。
 弘仁三年六月令して本宮及び住吉・鹿島の三神の神社に於ては二十年毎に正殿を改造すべき例を定め、承和三年五月正二位、同六年十月従一位、嘉祥三年正一位に叙せらる。
 元慶六年十二月九日、勅して本州の除税五千八百五十五把を神宮雑舎を造るの料に充て、延喜の時名神大社に列し、社殿造営及び祭祀用途の例を定めらる。
 璽来屡奉幣使あり、当時の神領方七里に亘れりと云ふ。
 養和元年十月源頼朝下福田郷を寄附し、建久八年社殿を造営し千葉常胤をして其の事を替せしむ。
 是より千葉・葛西・豊島の諸氏造営奉行たり。
 文永八年二月亀山天皇正一位勲一等の勅領を賜ひ、正平七年足利尊氏戸頭領を寄附し、文中元年十一月常陸及び本州諸要津の海夫並に戸ヶ崎・大堺・行徳等の関務を知行することを嘱す。
 宝徳丹念十一月足利義政書を下して本宮神領守護役臨時の課役等を除く、天正十八年豊臣秀吉、浅井長政、木村重茲をして制札を建てしめ郡卒の侵掠を禁ず。
 同十九年徳川家康香取郷の地千石を寄附して神領となし、後世をして違ふこと勿らしむ。
 元禄十一年徳川綱吉造営の工を起し、社殿以下悉く新造す、今存するもの是なり、此の時鳩鴿二千羽を社頭に放つ。
 嘉永六年十一月綸旨あり、白銀及び寄附せらる。
 明治元年十二月九日勅使下向、関東及び奥羽鎮定の報寳式あり、同三年宣命使坊城俊政大奉幣式を執行し、同四年十一月十五日大嘗会あり、是の歳官幣大社に列せらる。
 明治三十七年二月十六日露国に対する宣戦の奉告祭を執行し、同三十八年十二月七日日露平和克復の奉告祭あり。
 同四十四年五月今上陛下東宮に在はせしとき、親しく参拝あらせられ、大正二年十一月八日皇太子裕仁親王並に皇子雍仁親王・宣仁親王の三殿下参拝あらせられたり。
 大正三年独逸に対する宣戦の奉告祭あり。
 同四年十一月御即位大礼奉告祭を執行せらる。
 社殿を分ちて正殿・拝殿・神楽殿・神饌所・楼門等とす、大華表三あり、第二・第三は社前数歩の間な在り、第一華表は北方十八町を隔てて津宮村利根川の畔にあり、里人濱の華表と称す。
 境内喬木蓊鬱として其の間に数十宇の摂社・末社相連り、規模荘厳なること詣拝者として粛然畏敬の念を起さしむ。
 本宮は本邦著名の大社にして、古文書の多きこと天下に冠絶すと云ふ。
 神寳も亦多く就中海獣葡萄鑑(直径九尺五分)は明治三十七年二月国寳に指定せらる。
 本宮に属する摂社・末社は三十一座にして之を區別すれば左の如し。

 一、側高神社、本郡奮大倉村に在り
 一、辺田神社、本郡奮辺田に在り
 一、大戸神社、本郡奮大戸村に在り
 一、奥宮神社、本郡香取町に在り
 一、忍男神社、本郡津宮村に在り
 一、臚男神社、同上
 一、鹿島神社、神宮境内に在り
 一、匝瑳神社、同上
 一、又見神社、本郡香取町に在り

 以上九社を摂社とす。
 一、天降・諏訪・花園・六所・(雨に霊)・竃・馬場殿・桜大刀自市の八座を境内に末社とし、其の余の十四座を境外末社とす。
 祭典中、例祭・祈年祭・新嘗祭の三大祭には地方長官を幣帛供進役として奉幣せしめらる。
 其の他歳旦祭・元始祭・紀元節祭・天長節祭の中祭、軍神祭・大饗祭・白馬祭・射礼式・春季祭・御田植祭・流鏑馬式・秋季祭・賀詞祭・内陳御神祭・団喜祭等の小祭あり。
 軍神祭は十二年毎に一回執行する盛典にして神輿津宮鳥居河岸より御船に乗じ、香取浦に神幸し佐原町を経て還宮す。
 供奉の人々武装を為し頗る古代の風を存す、傳へて神功皇后の征韓の役に擬するものなりと云ふ。
 (「稿本千葉県誌」より)

 「香取神宮」の「創建」ですが、神武天皇の御代18年と伝えられ、「御祭神」は「日本書紀」の「国譲り神話」に登場する「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」です。
 「香取神宮」は、「下総国一宮」で、明治以前に「神宮」の「称号」を与えられていたのは「伊勢」、「香取」、「鹿島」のみという「わが国」「屈指」の「名社」です。
 「香取神宮」の「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒塗り」の「姿」が実に美しい「造り」となっています。
 また、「香取神宮」「宝物」の中には、「国宝」の「海獣葡萄鏡(カイジュウブドウキョウ)」や、「重要文化財」の「古瀬戸横涌釉狛犬(コセトオウユウコマイヌ)」、「双竜鏡(ソウリュウキョウ)」などがあり、「国」・「県指定」の「文化財」だけでも200点余を「所蔵」・「所有」しています。

 「香取神宮」「本殿」ですが、元禄13年(1700年)「徳川5代将軍綱吉」が造営した「建造物」で、「重要文化財」に指定されています。
 「香取神宮」「楼門」ですが、「目」にもあざやかな「朱塗」の「楼門」で、元禄13年(1700年)、「本殿」と共に建造された「建造物」で、「掲額」は「東郷平八郎」氏の「筆」だそうです。
 「香取神宮」「楼門」も、「重要文化財」に指定されています。
 「黄門桜」ですが、「香取神宮」「楼門」前にあり、「水戸藩主」「徳川光圀」の「手植え」と伝えられています。
 「御神木」ですが、「香取神宮」「社殿」の「南面」にあり、「樹齢」約1000年と言われる「周囲」約10mの「巨杉」となっています。
 「桜の馬場」ですが、「ソメイヨシノ」、「オオシマザクラ」などが数百本植えられており、「桜の名所」として、「開花時」には「花見客」で「賑わい」をみせます。
 「宝物館」ですが、「国宝」・「重文」を始め、多くの新宝類が「所蔵」・「展示」されています。
 「香取神宮」「境内」ですが、「香取の森」と呼ばれ、12万3千平方mに及ぶ「広大」な「境内」には「老杉」がうっそうと茂り、「別名」「亀甲山(キッコウザン・カメガセヤマ)」といわれています。
 「香取神宮」「境内」「香取の森」ですが、「県指定天然記念物」に指定されています。

 「大饗祭」は、「香取神宮」「御神前」にて「新穀」を献じて、「五穀豊穣(ゴコクホウジョウ)」を感謝する「大祭」です。
 「大饗祭」は、「香取神宮」の「御祭神」である「経津主大神」が「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神」と共に「国土の平定」をした際、「功績」のあった「神々」の「労」を労(ネギラ)って「宴」を開いたという「故事」により斎行されるそうです。
 「大饗祭」では、「お茶」や、「お花」の「奉納行事」や、「巫女(ミコ)」による「悠久の舞」が奉納されます。
 「大饗祭」は「香取神宮」「独特」のもので、「香取神宮」「御神前」に供する「神饌(シンセン)」が大変珍しいといわれており、多くの「研究家」や、「カメラマン」が「取材」・「見学」に訪れることで知られています。

 「香取神宮」「大饗祭」は、「旧暦」の10月、「神無月」の「最終日」に、「出雲の国」での「会合」を終えた「東国三十三国」の「神々」が、「留守」を守っていた「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神」のもとへ「報告」に立ち寄るそうです。
 (「大饗祭」には、「諸説」あり、「神無月」に「出雲大社」で「神様」の「総会」があり帰ってきた「神様」の「長旅」を「ごちそう」で「おもてなし」をすることからはじまったともいわれています。)
 「香取神宮」では「神々」を迎えるための「神饌」(食饌)とよばれる「特別」な「食べ物」が、「神官たち」の「手」によって「準備」されます。
 あらぶる「神々」のために用意される「ご馳走」(神饌)ですが、「鴨羽盛」(雌雄2羽の鴨が羽ばたくような姿で供されます)、「鳥羽盛」、「盃」、「箸」、「海菜」、「餅」、「柚子」、「鮒」、「腹子」、「鱠(ナマス)」、「干魚」、「撰切」、「塩水」、「巻行器(マキホカイ)」、「酒」など38台あり、「巻行器」は「巨大」な「おにぎり」のようなものなのだそうで、「高さ」は1mはあろうかというものなのだそうです。
 「大饗祭」の「豪快」な「料理」の「数々」はあつまる「神々」の「豪快さ」を物語っているように見えます。

 「晩秋」、「初冬」に行われる「大饗祭」は、上記のように「東国三十三国の神々」を招いての「饗応の祭り」で、「香取神宮」ならではの「特殊神饌」が用意されます。
 「大饗祭」では、「水郷特産」の「真薦(マコモ)」で組んだ「巻行器」と呼ぶ「工夫」を凝らした「独特」の「容器」に「飯」を盛ります。
 また「水郷」に群れる「鴨」を捕らえ、「雌雄一対」の「鴨」をさばき、「内蔵」を取り出し、再び「羽根」を広げたように三方に飾りあげた「羽盛」、「鴨の内蔵」や、「鮭」、「フカの切り身」を組み合わせ、三方の上に盛りつけた「鮭」の「鳥羽盛」などが、「香取神宮」「神饌殿」で準備されます。

 「大饗祭」では、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「水運」で栄えた「詩情」豊かな「佐原の町並み」が「夕暮れ」に沈む頃、「徳川綱吉」公が1700年(元禄13年)に再建した「香取神宮」「本殿」前「参道」に「篝火(カガリビ)」が焚かれ、「香取神宮」「参道」は「荘厳(ソウゴン)」な「雰囲気」になるそうです。
 その後、「大饗祭」では、「笛」、「太鼓」の「楽」が始まり、「神官たち」が「香取神宮」「参道」に用意された「所定の位置」につき、「神饌」が「神官たち」の「手」から「手」へと受け渡され、「香取神宮」「神饌殿」から「香取神宮」「拝殿」の「祭壇」に飾られます。
 そして「祭衣」を着た「子どもたち」が「楽の音」に誘われるように「優雅」に「大和舞」を踊り、「厳粛」にして「素朴」な「神事」が終わると、「巻行器」の「飯」は「無病息災(ムビョウソクサイ)」を祈る「参拝者」に下げられるそうです。

 「日本屈指」の「名社」「香取神宮」で執り行われる「幻想的」で「香取神宮」ならではの「神事」「大饗祭(タイキョウサイ)」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「大饗祭(タイキョウサイ)」詳細

 開催日時 11月30日(月) 18時〜

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697-1

 問合わせ 香取神宮 0478-57-3211

 備考
 「香取神宮」で執り行われる「神事」「大饗祭」の「起源」ですが、はっきりとわからないそうですが、「古文書」によると、至徳4年(1387年)2月、応永10年(1403年)正月に執行した「記録」があるそうです。

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