本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「成田山新勝寺」で12月28日(日)に開催されます「納め札お焚き上げ柴灯大護摩供」です。
「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)は、「成田市」にある「真言宗智山派」の「寺」であり、「真言宗智山派」の「大本山」のひとつです。
「成田山新勝寺」は、1000年以上の「歴史」をもつ「全国有数」の「霊場」で、「成田」を「代表」する「観光地」でもあり、「正月3が日」には約300万人、「年間」約1000万人以上の「参拝客」が訪れています。
「成田山新勝寺」の「御本尊」は「不動明王」で、「成田山新勝寺」は上記のように「関東地方」「有数」の「参詣人」を集める「著名寺院」で、「家内安全」、「交通安全」などを祈る「護摩祈祷」のために訪れる方が多い「不動明王信仰」の「寺院」のひとつであり、「成田のお不動さま」の「愛称」で親しまれています。
「成田山新勝寺」の「御本尊」である「不動明王」ですが、「真言宗」の「開祖」「弘法大師」「空海」が自ら「一刀三礼」(ひと彫りごとに三度礼拝する)の「祈り」をこめて「敬刻開眼」された「御尊像」なのだそうです。
「成田山新勝寺」では、この「霊験」あらたかな「御本尊」「不動明王」の「御加護」で、千年以上もの間、「御護摩」の「火」を絶やすことなく、「皆様」の「祈り」が「一体」となり「清浄」な「願い」となって現れるそうです。
「成田山新勝寺」は、「開山1080年」を間近に控えた現在も「成田山のお不動さま」として数多くの「人びと」の「信仰」を集めています。
「成田山」の「開山の祖」「寛朝大僧正(かんちょうだいそうじょう)」は、延喜16年(918年)に生まれ、天慶3年(940年)「平将門の乱」を鎮めるため「朱雀天皇」の「勅命」により「関東」に下り、「この地」に「成田山新勝寺」が開山されました。
「寛朝大僧正」は、「皇室」との「血縁」もある大変に「格」の高い「僧侶」で、後に「真言宗」初めての「大僧正」に任じられ、「成田山」の他にも「京都」に「遍照寺」を開山しているそうです。
「成田山新勝寺」は、上記のように平安時代中期に起きた「平将門の乱」の際、939年(天慶2年)「朱雀天皇」の「密勅」により「寛朝大僧正」を「東国」に遣わしたことに「起源」を持ちます。
「寛朝大僧正」は、「京」の「高雄山」(神護寺)「護摩堂」の「空海」作の「不動明王像」を奉じて「東国」へ下り、翌940年(天慶3年)、「海路」にて「上総国」「尾垂浜」に上陸、「平将門」を調伏するため、「下総国」「公津ヶ原」で「不動護摩」の「儀式」を行ったそうです。
「成田山新勝寺」では、この天慶3年を「開山の年」としています。
「平将門の乱」「平定後」の永禄年間(1566年)(永禄9年)に「成田村一七軒党代表」の「名主」が「不動明王像」を背負って「遷座」され「伽藍」を建立された「場所」が、現在の「成田市」「並木町」にある「不動塚」周辺と伝えられており、「成田山発祥の地」といわれています。
「成田山新勝寺」の「寺名」ですが、「また新たに勝つ」という「語句」に因(ちな)み「新勝寺」と名づけられ、「東国鎮護」の「寺院」となったそうです。
「成田山新勝寺」では、平成20年(2008年)に「開基1070年祭記念大開帳」が行われ、これにあわせて、平成19年(2007年)には「総欅造り」の「総門」が「落慶」され、「新勝寺」の「表玄関」として「荘厳」な「たたずまい」を見せています。
この「総門」は、開かれた「庶民のお寺」「成田山」と「門前町」とをつなぐ「担い手」として、「大開帳」を記念し創建されたもので、「総門」前にある「門前広場」は「参拝客」の「憩いの場」となっています。
「成田山新勝寺」ですが、「総門」をくぐって、「境内」に入ると大きな赤い「提灯」のある「仁王門」があり、「境内」には、数多くの「建造物」が立ち並んでいます。
「仁王門」から「東海道五十三次」にならった53段の「石段」を上がると、「成田山」の「シンボル」である「大本堂」が現れ、「成田山新勝寺」「大本堂」では、「世界平和」と「人々の幸せ」を願って「開山」以来「毎日」欠かさずに「御護摩祈祷」が厳修されています。
「成田山新勝寺」の「伽藍」ですが、「JR」および「京成電鉄」の「成田駅」から「成田山新勝寺」への「参道」が伸び、「参道」を10分ほど歩き、「急」な「石段」を上った先の「台地上」に「境内」が広がっています。
「石段」の「途中」に「仁王門」、「石段」を上った先に「正面」に「大本堂」、その手前「右手」に「三重塔」、「鐘楼」、「一切経堂」などが建っています。
この他、「大本堂」の「左手」に「釈迦堂」、「大本堂」の「背後」の「一段」高くなった「地」には「額堂」、「光明堂」、「開山堂」、「平和の大塔」(2012年5月7日のブログ参照)などが建っており、「成田山新勝寺」「境内」の「東側」は「広大」な「成田山公園」(2011年11月8日・2010年11月12日のブログ参照)があります。
「成田山新勝寺」にある「釈迦堂」、「光明堂」、「表参道」にある「薬師堂」(2013年5月22日のブログ参照)ですが、「歴代」の「成田山」の「大本堂」です。
これほどの「数」の「御堂」が現存している「寺院」は大変珍しく、それぞれの「建物」には「建立時」の「建築様式」を「今」に伝えており、江戸中期から末期の「建物」である「仁王門」、「三重塔」、「釈迦堂」、「額堂」、「光明堂」の「5棟」が「国」の「重要文化財」に指定されています。
「成田山新勝寺」では、今年(2014年)一年「最後」の「ご縁日」である12月28日に、古い「お札」を納め「御利益」に感謝する「納め札お焚き上げ柴灯大護摩供」が行っています。
「納め札お焚き上げ柴灯大護摩供」は、1年間に「成田山新勝寺」へ納められた「不動明王」の「分身」である「不動明王の智慧の炎」にお返しし、「御加護」に感謝することを「納め札お焚き上げ」というそうです。
そして「柴灯大護摩供」とは、古来「山伏」が「山岳修行」の際、「柴(しば)」を使い、「護摩壇」を設け、「所願成就」を祈念する「伝統行事」です。
「皆様」の「お願い事」と「お名前」を書いた「護摩木」を「道場中央」に設けた「護摩壇」の「炉」に投じ、「お不動様」の「智慧の炎」によって「清浄」な「願い事」として「所願成就」を祈念します。
「納め札お焚き上げ柴灯大護摩供」「当日」も、「護摩木」が用意されていますので、祈願することができます。
「納め札お焚き上げ柴灯大護摩供」では、約20名の「山伏」により「護摩法」の「作法」に則って「護摩壇」を作り、一切を清め、厳かな「読経」が響く中、「納め札」が焚き上げられます。
ちなみに「お護摩」というのは、
「御本尊の不動明王の前に壇を設けて、供物を捧げ護摩木という特別な薪を焚いて祈る」
という、「真言密教」の「秘法」のことです。
「お護摩」に使われる「護摩木」を切り出している「山」を「護摩木山」といい、昔は「旧・成田街道」沿いに十数ヵ所あったそうで、その「名残」として、「郷部大橋」に近いところで「永代護摩木山」と刻まれた「石柱」が残っているそうです。
そして「お護摩」の「火」をあてて祈念した「札」を「護摩札」といい、1年間の「護摩札」は「成田山新勝寺」に納められ、この「柴灯大護摩供」によってお焚き上げされるそうです。
「納め札お焚き上げ柴灯大護摩供」では、勇ましい「掛け声」と共に、「山伏」の「手」によって大きな「梵天」が振るわれ、「皆様」の「厄難」をお払いします。
「納め札お焚き上げ柴灯大護摩供」でお祈りしますと、今年1年の「厄難」が取り払われ、新たな1年を迎えるにあたり、「気持ち」が引き締められ清らかな「心持ち」になります。
「納め札お焚き上げ柴灯大護摩供」では「お火加持」も行われます。
「お火加持」とは、「護摩札」や「御守」のほか、「自分」の「大切なもの」を「お護摩」の「火」にあてて「お不動様」の「御利益」をいただくことをいいます。
揺らめく「炎」は、そのものを「清浄」にすると共に大切にする「心」を喚起せしめ、更には本来備えている「働き」を存分に発揮させる「御利益」があるとされています。
「不動明王」の燃え上がる「智慧の炎」は、あらゆる「罪障」や「災い」を焼き尽くすといわれ、「成田」の「師走」の「天」を焦がす「成田山新勝寺」の「年末恒例」の「行事」「納め札お焚き上げ柴灯大護摩供」。
この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「納め札お焚き上げ柴灯大護摩供」詳細
開催日時 12月28日(日) 10時20分〜
開催会場 成田山新勝寺 成田市成田1
問合わせ 成田山新勝寺 0476-22-2111
備考
「成田山新勝寺」では、12月13日(土)「日の出」前の午前5時頃から、毎年「恒例」の「すす払い」を行ったそうです。
「成田山新勝寺」「大本堂」では「僧侶」の「皆さん」によって「御本尊」「不動明王」の「御身拭い」を行われ、「刷毛」などを使って「丁寧」に清められました。
また、「成田山」「職員」が、「長さ」10mほどの「笹竹」で「天井」や「欄間」にたまった一年の「汚れ」を落としたそうです。