本日ご案内するのは、近隣市「横芝光町」「広済寺(こうさいじ)」で8月16日(土)に開催されます「鬼来迎(きらいごう)」です。
「広済寺(こうさいじ)」は、「山武郡」「横芝光町」「虫生」にある「真言宗智山派」の「寺院」で、「山号」ですが、「慈士山」です。
「広済寺」の「御本尊」ですが、「地蔵菩薩」で、「広済寺」「創建年」ですが、「伝承」で建久7年(1196年)といわれています。
「広済寺」の「縁起」ですが、鎌倉時代の初期、「薩摩」の「僧侶」「石屋和尚」が「諸国」を「遊行」の途中「虫生の里」に立ち寄り、「辻堂」を「仮の宿」とした時、「妙西信女」という17歳の「新霊」が「地獄」の「鬼ども」に責めたてられる「様子」を「目(ま)のあたり」にし、「地獄絵」さながらの「すさまじさ」に驚いたといわれています。
そして「翌日」に「娘」の「墓参」に来た「新霊」の「父母」であるこの「地」の「領主」「椎名安芸守」「夫婦」にこの「様子」を話したところ、「領主」「椎名安芸守」は「自分」の「悪行」を悔(く)い、「娘」の「菩提」を弔うため「寺」を建立し、「石屋和尚」が開山することとなったそうです。
「広済寺」「開山」は、上記のように建久7年(1196年)のこととされ、「娘」の「法名」「妙西」を「広西」と改め、「慈士山地蔵院広西寺」(現在は「広済寺」)と称したとのことです。
「鬼来迎(きらいごう)」(または「鬼舞」ともいわれます。)は、「山武郡」「横芝光町」「虫生」の「広済寺」に伝わる「因果応報(いんがおうほう)」、「勧善懲悪(かんぜんちょうあく)」を説き、「地獄」の「様相」と「菩薩の救い」を「仮面狂言」にした「日本唯一」の「民俗芸能」であり、「古典的地獄劇」となっています。
「鬼来迎」の「由来」として「広済寺」には、「下記」の「物語」が伝えられています。
旅の僧「石屋(せきおく)」が夜道に迷い、虫生(むしょう)の里の辻堂で休むうち眠りに入ってしまいました。
眠りの中で「石屋」は亡者をめぐる、文字通り地獄絵図の様子をかいま見てしまいます。
塞(さい)の河原で果てしのない石積みを強(し)いられ、鬼に追われる亡者たち。
連行された地獄で亡者が筆舌に尽くしがたい責め苦を追わされる中、ある亡者の時に「地蔵菩薩」が現れ、鬼達に卒塔婆を渡すとその亡者は成仏するというケースを知ります。
やがて白州に一人の娘が連れてこられ、「浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)」で虫生の里に住む「椎名安芸守」の娘「妙西」であることが明らかになります。
責め苦に耐え続ける「妙西」を見るに堪(た)えかねた「石屋」は夢から覚めると、「妙西」の成仏を何とかしたいと「椎名安芸守」夫婦を捜し回ります。
そして辻堂近くで「椎名安芸守」と妻「顔世」に会い、「妙西」の件で話しかけると屋敷に招かれ、夢で見た様を一切話すこととなりました。
地獄絵図の際を聞くと「安芸守」夫妻は「娘よ 妙西よ」と嘆き悲しみ、娘を責め苦に陥(おとしい)れた自らの罪障の消滅と「妙西」の成仏を願い、「広済寺」建立を約束した。
という「話」が伝えられています。
なお「鬼来迎」は、上記のように鎌倉時代初期に始まったといわれています。
「鬼来迎」の「内容」ですが、「地獄」を再現し、上記のように「因果応報」・「勧善懲悪」の「理法」を説く「仏教劇」で、すべて「地元住民」の「手」によって、「毎年」「地獄の釜」が開く「日」といわれる「月遅れ」の「お盆」の8月16日に演じられています。
「鬼来迎」は、「地獄」を「舞台」とし、「死者」が「閻魔大王(えんまだいおう)」の「裁き」を受け、「鬼ども」の「責め苦」に遭うものの「菩薩」によって救われるという「内容」で、
「大序」〜「塞の河原」〜「釜入れ」〜「死出の山」
の「四段」と、「広済寺」「建立縁起」を物語る
「和尚道行」〜「墓参」〜「和尚物語」
の「三段」、「全七段」からなり、「所要時間」は約1時間半となっています。
現在「鬼来迎」は、「大序」・「塞の河原」・「釜入れ」・「死出の山」の「四段」のみが上演されているそうです。
「大序」は、「閻魔大王」、「倶生神(きしょうじん)」、「鬼婆」、「黒鬼」、「赤鬼」が出て、「罪」の「裁き」を受けた「亡者」を責めます。
「塞の河原」は、「子供たち」が「小石」を積んでいるところに「鬼」が出て、そこに「地蔵」が現れ、「子供」を救います。
「釜入れ」は、「罪人」が「釜」に入れられて苦しめられます。
「死出の山」は、「鬼」・「鬼婆」に責められ「山」の「上」に追われた「罪人」の「亡者」が「地蔵」に救われるとなっています。
「鬼来迎」は、「農村信仰」の「原型」とも言われ、「衆生救済」を描く他「類例」の少ない「民俗芸能」であり、「農村」と「信仰」、そこにあらわれる「鬼」とは何かなどが語られます。
また「鬼来迎」では「地獄」の「恐ろしさ」と「菩薩」の「慈悲」を「間近」で感じることができるともいわれています。
「横芝光町」の「古刹」「広済寺」で催行される「日本唯一」の「民俗芸能」「鬼来迎」。
この機会に「横芝光町」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「鬼来迎」詳細
開催日時 8月16日(土) 15時頃〜(施餓鬼供養終了後)から1時間強
開催会場 山武郡横芝光町虫生483
問合わせ 横芝光町産業振興課 0479-84-1215
備考
「鬼来迎」は、1975年(昭和50年)「文化保護法」の「改正」により「制定」されました「国」の「重要無形民俗文化財」の「第1回」の「指定」を受けています。
「鬼来迎」ですが、かつては「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)沿いの旧・「香取郡」「下総町」(現「成田市」)や旧・「香取郡」「小見川町」(現「香取市」)などでも行われていましたが、現在は「広済寺」のみとなっています。
また「鬼来迎」の「名残(なごり)」として「成田市」「迎接寺(ごうせつじ)」には、その時の「鬼面」・「亡者面」など、「香取市」「浄福寺」には「鬼来迎問答引接踟供養記」が「寺宝」として残っているそうです。
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地域情報::匝瑳 | 10:36 AM |