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「坂田城跡梅まつり」(横芝光町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「横芝光町」「坂田城跡梅林」で2月23日(日)〜3月16日(日)の期間開催されます「坂田城跡梅まつり」です。

 「横芝光町」は、「千葉県」「北東部」に位置し、「東京都心」から約70km、「県庁所在地」「千葉市」から約40km、「日本の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)からは約20kmの「距離」にあります。
 「横芝光町」の「形状」ですが、「東西」約5km、「南北」約14kmと「南北」に細長く、「面積」は66.91kmで、「北」は「香取郡」「多古町」と「山武郡」「芝山町」、「東」は「匝瑳市」、「西」は「山武市」に接し、「南」は「白砂青松」の続く「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)が広がり、「太平洋」に面しています。

 「横芝光町」ですが、明治22年(1889年)の「町村制」の「施行」によって、「横芝町」、「大総村」、「上堺村」が誕生し、これら「3町村」が昭和30年(1955年)2月に合併した旧「横芝町」と、同じく明治22年に「香取郡」「日吉村」、「匝瑳郡」「南条村」、「東陽村」、「白浜村」が誕生し、これら「4村」が昭和29年(1954年)5月に合併した旧「光町」が、平成18年(2006年)3月27日に合併し、「横芝光町」が新たに発足しました。
 「合併前」の「横芝町」と「光町」は「別」の「郡」(「歴史的」にはそもそも「上総国」と「下総国」という「別」の「令制国」)に所属していましたが、合併した現在の「横芝光町」は「山武郡」に属しています。

 「横芝光町」の「地勢」は、「中央部」から「南部」にかけては「平坦地」が続き、「北部」は緩やかな「丘陵地帯」を形成しています。
 また「横芝光町」は、かつて「上総」、「下総」の「国境」でもあった「九十九里平野」(2012年7月6日のブログ参照)における「最大」の「河川」「栗山川」(2012年2月18日のブログ参照)が、「中央部」を「北」から「南」に向けて流れています。
 「横芝光町」の「気候」ですが、「太平洋」の「沖合い」に流れる「黒潮」の「影響」を受け、「年平均気温」は15度、「年間降水量」1300mm程度で、「夏」涼しく「冬」暖かい「海洋性気候」となっています。

 「坂田城跡梅林」は、「JR総武本線」「横芝駅」から「北西」に1.8km、「徒歩」で約25分の「ふれあい坂田池公園」に隣接する「坂田城跡」にある「梅林」です。
 「坂田城跡梅林」は、「坂田城跡梅林組合」が「梅酒」や「加工用」に出荷している「耕作地」で、「観光梅林」ではなく知る人ぞ知る隠れた「梅林」であったそうです。
 「坂田城跡梅林」の「梅林」の「樹齢」は約40年で、一本一本が10mに及ぶ「梅」の「巨木」が1500本もあることから、「テレビ放映」や「各種観光雑誌」への「掲載」等「メディア」に露出されたことで、一躍有名になると共に「県下最大級」の「梅林」として「関東近県」にまで知れわたるようになっていったそうです。

 「坂田城跡梅林」は、上記のように「坂田城跡」であった「梅林」で、「坂田城」ですが、15世紀の中頃、「千葉氏」によって築城されたものといわれ、「本丸」、「一の丸」、「二の丸」、「三の丸」、「四の丸」で構成され、「城」の「範囲」は、「台地全体」にわたっており、400年以上破壊されることなく「当時」の「遺構」が現存する「千葉県内」でも「貴重」な「城跡」なのだそうです。

 「坂田城」は、「南東側」に「九十九里平野」から「太平洋」を望み、「北東側」は「栗山川」を挟んで「下総国」と「境」を接し、「九十九里浜」「中央」から「酒々井」を経て「下総国府」へ至る「道」と、「牛久」を経て「常陸国府」へ至る「道」の「分岐点」にあり、「築城」「当時」付近は「要衝の地」であったと推定されます。
 「総州山室譜伝記」によりますと、「坂田城」は「この地方」の「領主」だった「三谷氏」の「居城」でありましたが、「一族」で争っていたため、「山室氏」の「客将」であった「井田氏」に付け入れられることとなり、弘治元年(1555年)年閠10月18日、「井田友胤」に急襲されて「三谷氏」は滅亡、「井田氏」に乗っ取られたといわれています。
 弘治2年(1556年)に「井田友胤」の「子」「井田胤徳」が修復し「里見氏」が属した「安房正木氏」の永録年間における「東下総侵攻」を防戦しました。
 しかし、天正18年(1590年)の「小田原征伐」の際は、「城主」「井田胤徳」は「小田原城」にあって、「坂田城」にはわずかの「留守部隊」しかおらず「無血開城」、「廃墟」となったそうです。
 「坂田城」は「支城」に、「永倉城」、「小堤城」、「浜手城」を持ち、「小堤城」では康正元年(1455年)9月7日に「原胤房」に追われた「千葉胤賢」が「自刃」して果て、「千葉氏宗家」が滅亡したとされています。
 「坂田城」の「栗山川」を挟んだ「北東方向」の「下総側」に、「連郭式城郭」の初めとされる「篠本城」があり、「南西方向」の「市町境」を越えた「山武市」には、「版籍奉還」後の「稜堡式城郭」である「松尾城」があります。
 「坂田城」は、上記のように隣接する「坂田池」の「ふれあい坂田池公園」とともに、「城跡」の「一部」が「坂田城跡梅林」として整備されています。
 「坂田城跡」の「杉木立」の「本丸跡」を過ぎると「見事」に手入れされた「老木の梅林」が少しずつ見えてきて、「坂田城跡梅林」の「中心地」は「本丸」から約1km先の「四の丸」付近にあります。

 「坂田城跡梅まつり」(2013年2月17日・2012年2月7日・2011年2月11日のブログ参照)は、「坂田城跡梅林組合」の「皆さん」と「横芝光町観光協会」の「皆さん」が「坂田城跡梅林」の「魅力」を知っていただくために開催している「イベント」です。
 「坂田城跡の梅まつり」では、「期間中」「梅農家」(坂田城跡梅林組合)による「手作り」の「梅加工品」や「漬物」の「直売」のほか、「横芝光町」の「地元特産物」の「販売」も予定されています。
 ちなみに「坂田城跡」で販売される「梅加工品」ですが、「坂田城跡梅林組合」でしか買うことができず、「梅農家」(坂田城跡梅林組合)の「皆さん」が「愛情」・「真心」を込めて作った「梅加工品」は、「合成着色料」や「保存料」は一切使っておらず、「昔」ながらの「味」を楽しめるそうです。

 また「坂田城跡の梅まつり」では、「期間中」の「土曜日」・「日曜日」には「菜雑煮」が振る舞われるほか、「昔の遊び体験」など「お子様」と一緒にお楽しみいただける「イベント」も行われるそうです。
 (「天候」等により中止する場合がありますので、ご注意下さい。)

 「坂田城跡の梅まつり」の「観梅」を楽しんだ後、「車」で10分程行くと「横芝光町」の「特産品」を取り揃えた「ひかり直売所」(2012年6月25日のブログ参照)があります。
 「ひかり直売所」は、「地元」「横芝光町商工会」が実施した「むらおこし事業」が「きっかけ」で設立された「直売所」です。
 「ひかり直売所」の取り扱っている「新鮮野菜」、「特産品」ですが、「長ねぎ」、「トマト」、「小松菜」、「米」、「切り餅」、「卵」、「地酒」、「サンドイッチ」、「植木」、「花壇用草花」、「ポット苗」、「切り花」、「生花」、「ねぎのど飴」、「ねぎ入りソーセージ」、「純米酒」「米鬼来」となっています。

 「風情」あふれる「風景」が楽しめる「梅林」「坂田城跡梅林」で開催される「恒例イベント」「坂田城跡梅まつり」。
 この機会に「横芝光町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「坂田城跡梅まつり」詳細

 開催期間 2月23日(日)〜3月16日(日)

 開催時間 9時〜15時

 開催会場 坂田城跡梅林 山武郡横芝光町坂田登城

 問合わせ 横芝光町観光協会 0479-84-1215

 備考
 「坂田城」は、「いつ」、「誰が」、「何の目的」で、造ったのかは必ずしもはっきりしませんが、1000を超える「千葉県」の「中世城郭」のなかでも「最大級」の「規模」のものであり、「遺構」も良く残ることから「城郭ファン」に根強い「人気」があるそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2007 |
| 地域情報::匝瑳 | 01:47 PM |

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