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「鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂」「節分会」(成田市)
 本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂」で2月3日(日)に開催されます「節分会」です。

 「宗吾霊堂」「東勝寺」(2010年12月23日のブログ参照)は、「成田市」にある「真言宗豊山派」の「寺院」で、「山号」は「鳴鐘山」です。
 「鳴鐘山東勝寺」は「宗吾霊堂」と呼ばれ親しまれていますが、「正式」には「鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂」というそうです。
 「鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂」は、「義民」「佐倉惣五郎」(木内惣五郎)の「霊」が祀られていることから「宗吾霊堂」と広く呼ばれています。

 「鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂」の「開創年代」等については不詳だそうですが、「寺伝」によりますと「桓武天皇」の「勅命」により、「征夷大将軍」「坂上田村麻呂」が「房総」を平定し、「戦没者供養」のために建立・創建したといわれています。
 「鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂」は、たびたび「火災」にあって「寺地」を転々とし、1662年(寛文2年)「澄祐」により再興され「下方字鐘打」に移ったそうです。
 その後「鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂」は、1910年(明治43年)「火災」により焼失し、1921年(大正10年)「現在地」に再建されたそうです。

 「鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂」に祀られている「義民」「佐倉惣五郎」(木内惣五郎)は、「徳川4代将軍」「徳川家綱」の時代に「佐倉藩」の「領民」を救うため、「将軍」に直訴し、「佐倉藩」の「苛政」を収めらた「人物」です。
 しかしその結果「義民」「佐倉惣五郎」(木内惣五郎)は、その「罪」により「磔(はりつけ)刑」に処されたそうです。
 それから100年後、宝暦2年(1752年)、「佐倉藩」はその「失政」を悔い、「佐倉惣五郎」(木内惣五郎)の「名誉」を回復し、「宗吾道閑居士」の「法号」を諡号(しごう)し、以来「宗吾様」と呼ばれるようになり、今では江戸時代の「義民」「佐倉宗吾」(「佐倉惣五郎」)(木内惣五郎)がが祀られている「寺社」として、「全国」の「信者」が参拝に訪れています。

 「鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂」「節分会」ですが、「吉例」に則り、「立春」の前日に開催しており、「年男」はもちろん、「女性」のみ(特別)の「豆まき」も執り行われるそうです。
 「鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂」では「本堂」「行道縁」から「福豆」、「紅白餅」、「小銭」、「お菓子」などがまかれるそうです。
 「豆まき」をされる方は、「裃(かみしも)」を着て「鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂」「本堂」の「行道縁」から「豆まき」をでき、「裃」や「福枡」など用意しているそうです。
 (有料)

 また「鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂」「節分会」では、「向島鳶職組合」による江戸時代より引き継がれている「伝統行事」「梯子(はしご)乗り」の「実演」(妙技)が「呼び物」になっているようです。
 (11時と16時に披露されるそうです。)
 「鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂」「節分会」には、「厄落とし」のため「何十年」も続けて参加される方も数多く見受けられるそうです。

 「成田の古刹」「鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂」で行われている「行事」「節分会」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂」「節分会」詳細

 開催日時 2月3日(日) 11時〜

 開催会場 鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂 成田市宗吾1-558

 問合わせ 鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂 0476-27-3131

 備考
 「鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂」に祀られている「義民」「佐倉惣五郎」は、「新奉者」は多く、「幕末期」の「思想家」である「福沢諭吉」も、「古来唯一の忠臣義士」として「その名」を挙げているそうです。

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