本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「伊能忠敬記念館」で2013年1月20日(日)までの期間開催されています「第73回収蔵品展」「忠敬、街道をゆく〜関東地方編〜」です。
「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)は、江戸時代「日本国」中を測量してまわり、初めて「実測」による「日本地図」を完成させた「人」です。
「伊能忠敬」は、延享2年(1745年)現在の「千葉県」「九十九里町」で生まれ、「横芝光町」で「青年時代」を過ごし、17歳で「伊能家」「当主」となり、「佐原」で「家業」のほか「村」のため「名主」や「村方後見」として活躍されました。
「伊能忠敬」は、その後「家督」を譲り「隠居」して「勘解由」と名乗り、50歳で「江戸」に出て、55歳(寛政12年、1800年)から71歳(文化13年、1816年)まで10回にわたり「測量」を行いました。
その結果完成した「地図」は、極めて「制度」の高いもので、「ヨーロッパ」において高く評価され、明治以降「国内」の「基本図」の「一翼」を担いました。
「伊能家」は、代々「名主」を務める「家柄」で「佐原」でも最も有力な「商人」でした。
「伊能忠敬」は、上記のように17歳で「伊能家」「10代目当主」として「婿養子」で迎えられます。
「伊能家」の「家業」は主に「酒造業」を営んでおり、当時の「屋敷絵図」には、「酒蔵」がいくても並び盛んであったことがわかります。
現在は、「伊能忠敬」が過ごしていた「伊能忠敬旧宅」(2月24日のブログ参照)は、「店舗」・「正面」・「書院」・「土蔵」が「国指定史跡」(昭和5年4月25日指定)に指定されています。
また「伊能忠敬旧宅」「敷地内」には、江戸時代につくられた「農業用水路」の「一部」が残っています。
かつてここを流れた「水」が「小野川」(9月7日のブログ参照)に流れ落ち「ジャージャー」と「音」がしたことから、「樋橋(とよはし)」(2月13日のブログ参照)のことを「通称」「ジャージャー橋」と呼ばれています。
現在は、当時の様子を復元して、30分ごとに「水」が流れるようになっています。
「関東地方」は、「本州」の「ほぼ中央」に位置し、「東京都」をはじめ、「神奈川」・「千葉」・「埼玉」・「群馬」・「栃木」・「茨城」の「1都6県」の「地域」をいいます。
「関東」の「呼び名」は、「大化の改新」のころは「鈴鹿(すずか)」、「不破(ふわ)」、「愛発(あらち)」の「三関」(「滋賀県」と「三重」・「岐阜」・「福井」「諸県」との「県境」にあたる)から「東」のほうをさしていました。
「国土」の「開発」が進むに伴い、平安末期からは、「足柄(あしがら)」・「箱根両峠」(「東海道」沿いの「静岡」・「神奈川」「県境」)と「碓氷(うすい)峠」(「東山道(とうさんどう)」沿いの「長野」・「群馬」「県境」)を連ねる「線」から「東方」および「北方」で、「陸奥(むつ)」(東北地方)より「南」を、「関東」(「坂東(ばんどう)」)というよりになり、現在に至っています。
いま「関東全域」に「首都」「東京」の「影響」が及び、それに密着した「動き」は、「東京」への「通勤」・「通学」「圏内」の「地域」はもとより、より離れた「地域」にもみられます。
なかでも「東京都」とそれに接する「神奈川」・「千葉」・「埼玉」の「南関東3県」は、「人口」・「製造品出荷額」がともに「全国10位」以内にあり、「日本」でも「産業」、「文化」のもっとも「活発」な「地域」をなしています。
現在「伊能忠敬記念館」では、「第73回収蔵品展」「忠敬、街道を行く〜関東地方編〜」を開催中です。
「伊能忠敬」は、「日本」の「海岸線」を測量しただけではなく、「内陸」の「主要」な「街道」も測量していました。
「国宝」「伊能忠敬関係資料」の中には、こうした「街道」の「測量図」だけでなく、「沿道」の「風景」を描いた「スケッチ風」の「絵巻物」や、「伊能忠敬」が「現地」で見渡すことのできた「山々」の「記録」などが存在しています。
こうした「資料」を展示しながら、「現代」においては「国道」や「高速道路」などとして残る、「当時」の「街道」を、「伊能忠敬」はどのようにして歩き、そこでどのような「情景」を見ていたのかを紹介していくそうです。
今回は主に「関東地方」の「街道」を特集するそうです。
「佐原の偉人」「伊能忠敬」の「足跡」を現代残している「記念館」「伊能忠敬記念館」で行われる「企画展」「第73回収蔵品展」「忠敬、街道をゆく〜関東地方編〜」。
この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「第73回収蔵品展」「忠敬、街道をゆく〜関東地方編〜」詳細
開催期間 2012年12月〜2013年1月20日(日)
開催会場 伊能忠敬記念館 香取市佐原イ1722-1
問合わせ 伊能忠敬記念館 0478-54-1118
備考
「伊能忠敬記念館」の「樋橋」を挟んで向かいにある「伊能忠敬旧宅」内には、「伊能家」の「家訓書碑」があります。
「家訓書碑」には、以下が書かれています。
第一 仮にも偽をせず、孝悌忠信にして正直なるべし
第二 身の上の人ハ勿論、身下の人にても教訓意見あらば急度相用堅く守べし
第三 篤敬謙譲にて言語進退を寛裕ニ諸事謙り敬ミ、少も人と争論など成べからず
とあります。
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