本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「宗吾霊堂」で明日、12月25日(火)に開催されます「お焚き上げ」です。
「宗吾霊堂」(2010年12月23日のブログ参照)は、「宗吾様」の「名」で親しまれる「古刹」で、江戸時代の「義民」「佐倉宗吾様」が祀られている「お寺」で、9月「第一土・日」の「御待夜祭」(8月30日のブログ参照)や「紫陽花名所」(2012年6月4日・2011年6月11日のブログ参照)として知られています。
「宗吾霊堂」の「開基」は古く、「桓武天皇」の時代に「征夷大将軍」・「坂上田村麻呂」が、「房総」を平定した時に「戦没者供養」のために建立したと言われています。
「宗吾霊堂」は、正しくは「鳴鐘山東勝寺」といいます。
「成田」といえば「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)が先に思い浮かぶかと思いますが、「新勝寺」は「東勝寺」より新しい「寺」という「意味」で、「この名」がつけられているのです。
「宗吾霊堂」に伝わる「義民」「佐倉宗吾伝」ですが、以下のようになっています。
江戸時代初期、4代将軍徳川家綱の時代、今から約360年前のことです。
打ち続く凶作と過酷な重税に苦しむ農民たちを救うため、木内惣五郎(佐倉宗吾)ら6名の名主たちが幕府に農民の窮状を訴えました。
しかし、その訴状は受入れられず、木内惣五郎は、当時禁じられていた将軍への直訴を決行。
この直訴により、農民たちを苦しめていた重税が見直され、村々の願いはかなえられましたが、惣五郎は処刑されることに、惣五郎の家族までもがその対象となり、承応2年(1653年)8月3日、幼い子供らまで刑に処されました。
まさに命がけの直訴でした。
それから100年後、宝暦2年(1752年)、佐倉藩はその失政を悔い、木内惣五郎の名誉を回復し、「宗吾道閑居士」の法号を諡号(しごう)し、以来「宗吾様」と呼ばれるようになりました。
今では江戸時代の義民・佐倉宗吾様が祀られているお寺として、全国の信者が参拝に訪れています。
「宗吾霊堂」では、古い「お札」を供養してお焚き上げする「お焚き上げ」を行っています。
「お焚き上げ」は、毎年12月25日に「宗吾霊堂」「本堂」「右側」で納められた古い「お札」を「読経」の上、お焚き上げしています。
「宗吾霊堂」では、1年間お守り頂いた「お札」に「感謝」の「気持ち」を忘れずにぜひ「お焚き上げ供養」をと呼びかけています。
「成田」の「古刹」「宗吾霊堂」で行われる「行事」「お焚き上げ」。
この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「お焚き上げ」詳細
開催日時 12月25日(火) 10時〜
開催会場 宗吾霊堂 成田市宗吾1-558
問合わせ 宗吾霊堂 0476-27-3132
備考
「お正月」は「成田」が一年で最も活気づく時で、「宗吾霊堂」にも多くの「参詣者」が訪れます。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1471 |
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地域情報::成田 | 07:29 PM |