本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「成田山新勝寺」「成田山表参道」「JR成田駅」で今週末の7月6日(金)・7日(土)・8日(日)に開催されます「成田祇園祭」です。
「成田市」は、「千葉県」の「北部中央」の「北総台地」に位置する「市」で、「成田国際空港」や「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)などで知られており、「業務核都市」に指定されています。
「成田市」は、「成田山新勝寺」、「宗吾霊堂」(2010年12月23日のブログ参照)の「二大霊場」を有する「門前町」として栄えてきました。
明治期には、「宮内庁下総御料牧場」が置かれるなど、1950年代まで「観光」と「農業」の「振興」を「二大施策」とした「田園都市」であったそうです。
1960年代に入ると「成田市」の「南東部」に「新東京国際空港」(現「成田国際空港」)の「建設」が決定され、1978年の「空港開港」と「高度経済成長」とともに、「成田」市域の「経済」・「産業構造」に多大な「変化」がもたらされました。
「成田市」は、かつては「純農村」でしたが、現在では「農業人口」は減少し「都市近郊農業型」へと転換しています。
その反面、「空港関連」の「サービス業」など「第三次産業」が生まれ、新たな「雇用」が創出されました。
また「観光面」では、「成田山新勝寺」が「現在」も「正月三が日」だけで270万人以上、年間約1000万人もの「参拝客」で賑わう、「全国屈指」の「霊場」の「まち」です。
そして「成田市」は、1986年には「一極集中」の「回避」を目的とする「業務核都市」に指定され、「千葉県」からは「千葉新産業三角構想」の「中核都市」として位置付けられています。
また「国」の「構造改革特別区域法」に基づき2003年4月21日に「国際空港特区」、同年5月23日には「国際教育推進特区」に認定されました。
なお「成田市」は、2006年(平成18年)3月27日、「香取郡下総町」、「大栄町」を編入しています。
この度(たび)「成田市」では、「成田」に「夏」の到来を告げる「成田祇園祭」(2011年7月3日のブログ参照)が行われます。
「成田祇園祭」は、「成田山新勝寺」の「御本尊」「不動明王」の「本地仏」である「奥の院大日如来」の「祭礼」で「五穀豊穣」・「万民豊楽」・「所願成就」を祈願する「成田山祇園会(ぎおんえ)」と「成田山」周辺の「町内」が一体となり行われる「夏祭り」のことで、「成田山祇園会」に併せて開催されてきました。
「成田山祇園会」は、毎年7月7日・8日・9日の3日間にわたり執り行われてきました。
古くは「大日如来」の「御尊像」を俸持(ほうじ)して各町内を渡御しましたが、今日では「大日如来」を「ご尊体」とした「御輿」が渡御し、併せて「成田山」と9町内10台の「山車」や「屋台」が「市内」を巡行します。
「成田山祇園会」は享保6年(1721年)には既に行われており、約300年の「歴史」があります。
当初は「成田山」で管理する「湯殿山権現社(ゆどのさんごんげんしゃ)」を中心とした「祭礼」であり、「氏子」は往時33ヶ村にも及びましたが、時代の変遷とともに、「本地仏」である「成田山新勝寺」「奥の院」「御本尊」「大日如来」の「祭礼」へと移り、現在に至っているそうです。
現在でも「初日の夜」、「御輿」が「JR成田駅」「中央口」脇の「権現社」を「御旅所」として一泊し、「翌朝」には「御輿」と「山車(だし)」、「屋台」の全てが「権現社」に集合するのも、この「故事」によるものです。
現在、「御輿」の渡御と「山車」・「屋台」の巡行は、7月初旬の「金・土・日曜日」に行われています。
「成田山祇園会」で担がれる「御輿」は、「大日如来」を「ご尊体」とした「成田山新勝寺」の「御輿」です。
昔は「門前町7ヶ町」で「御輿番」と「警護番」を「年番制」で担当し、「町内」の「若者」が担いでいましたが、「各町内」とも年々「御輿」の「担ぎ手」が不足するようになり、現在では「成田山」の「職員」と「有志」が担ぐようになったそうです。
「御輿」の「渡御」する「順路」を、「御輿」に先立ち「化粧」をした「警護」の「稚児一行」が巡行します。
「熨斗目袴(のしめばかま)」に「杖」を持ち、「背中」に「花笠」を背負った「揃い」の華麗な「出で立ち」で、「御輿」の「先導役」を務め、これには翌年「年番」に当たる「町内」が担当するそうです。
(本年の警護の巡行は6日・7日の2日間だそうです。)
「成田山祇園会」期間中の7月7日・8日・9日に直近の「金・土・日曜日」の「3日間」(2012年は6日〜8日)「成田祇園祭」が開催され、「成田のまち」は「お祭りムード一色」に染まります。
「成田山」の「御輿」と「豪華絢爛(ごうかけんらん)」な「山車」、「屋台」が賑やかな「お囃子」の「音色」や威勢のよい「かけ声」と共に「成田山新勝寺」へ続く「成田山表参道」を中心に巡行します。
本年(2012年)の「当番町」は「田町」で、「警護」は「東町」だそうです。
「成田祇園祭」の3日間の「みどころ」ですが、7月6日(金)は、「安全祈願」・「鏡開き」、「山車」・「屋台」「競演」、「総踊り」となっており、7月7日(土)は、「山車」・「屋台」「競演」、「総踊り」となっており、7月8日(日)は、「山車」・「屋台」「総引き」、「御輿環御式」、「山車」・「屋台」「競演」、「総踊り」となっています。
「成田祇園祭」「初日」の「安全祈願」・「鏡開き」は、「成田山新勝寺」「大本堂」前で13時30分に行われます。
「成田祇園祭」初日に執り行われる「安全祈願」及び「成田祇園祭」の「始まり」を告げる「厳粛」な「行事」です。
「光明堂」前の「仮小屋」から「御輿」が到着し、「安全祈願」が始まります。
「各町内」の「祭典委員長」と「若者頭」が、「成田山新勝寺」「大本堂」に向かって整列し、その年の「当番町」の「祭典委員長」をはじめ、「各町内」の「祭典委員長」が「成田山新勝寺」「貫首」より「御護摩札」を授与されるそうです。
そして「若者頭たち」が「掛け声」に合わせて「鏡開き」を行います。
初日(6日)の「山車」・「屋台」「競演」、「総踊り」ですが、「成田山新勝寺」「大本堂」前で行われます。
「成田山交道会」の「若者頭」と「副頭」の「合図」で一斉に始まる「総踊り」。
「各町内」の「山車」・「屋台」が一同に集結し、「若者たち」が「お囃子」にあわせて威勢よく踊ります。
「山車」・「屋台」が「順」に「成田山新勝寺」「大本堂」前に出て「踊り」の「奉納」を行うそうです。
その後、「山車」・「屋台」は、「町内」や「成田山表参道」へと繰り出して行きます。
中日(7日)の「山車」・「屋台」「競演」、「総踊り」ですが、「JR成田駅」前にて9時から行われるそうです。
「JR成田駅」前の「総踊り」から2日目がスタートします。
「権現山」から「御輿」が進発した後、「花若連」、「若者頭」の「合図」に合わせて一斉に「総踊り」が始まります。
「御輿」に続き、「山車」・「屋台」は、「町内」や「成田山表参道」へと繰り出して行きます。
最終日(8日)の「山車」・「屋台」「総引き」ですが、「成田山表参道」(門前〜薬師堂)にて13時より行われます。
8日(日)に、「成田山表参道」「仲町」の「坂」を「山車」・「屋台」が駆け上がるそうです。
「引き手」たちによって「山車」・「屋台」が威勢よく一気に「坂道」を駆け上がる「様子」は必見で、「みどころ」のひとつです。
「成田祇園祭」最終日、15時40分より「成田山新勝寺」「大本堂」前にて「御輿環御式」が行われ、「3日間」の「渡御」を終えた「御輿」を、「山車」・「屋台」が揃ってお出迎えするそうです。
そして、「成田山新勝寺」「大本堂」前にて「成田祇園祭」の「締めくくり」ともいえる「山車」・「屋台」「競演」、「総踊り」が行われます。
「御輿環御式」後、「総踊り」が開催され、「観光客」「地元客」の皆さんの「声援」に応えて、「若者」がハツラツと「踊り」を披露するそうです。
日中の「成田祇園祭」も盛り上がりますが、19時を回り「夜」の「帳(とばり)」がおりはじめると「夜の祇園祭」が行われ、「山車」・「屋台」が「照明」でライトアップされ、「昼間」とは違った「印象」を醸し出しながらも「風情」ある「表情」を見せます。
「昼間」は比較的「広範囲」にわたって引き廻されていた「山車」・「屋台」は、「夜」になると「成田山表参道」に終結し、小気味良い「祭り囃子」にあわせて「若者たち」の「掛け声」も一層高らかになるそうです。
約300年の「伝統」を誇り、「豪華絢爛」たる「山車」・「屋台」と「御輿」が一同に繰り出し、引き廻される「成田」の勇壮な「夏祭り」「成田祇園祭」。
「夏」の「一大行事」を見に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「成田祇園祭」詳細
開催日時
7月6日(金) 13時半〜 7月7日(土) 9時〜
7月8日(日) 13時〜
開催会場 成田山新勝寺 成田山表参道 JR成田駅
問合わせ (社)成田市観光協会 0476-22-2102
備考
「成田祇園祭」の「会場」である「成田山表参道」周辺では、7月6日(金)12時〜22時、7月7日(土)9時〜22時、7月8日(日)10時〜23時の「交通規制」が実施されます。
「規制区間」は、「JR成田駅」〜「薬師堂」〜「鍋店角」〜「信徒会館」、「薬師堂」〜「幸町三叉路」となっています。
「成田山表参道」周辺では、上記の「規制時間」・「規制区間」以外にも「山車」・「屋台」の「運行」が行われており、「車」は迂回して通行するなど、ご協力をお願いしているそうです。