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「神崎河川敷祭」(神崎町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「神崎町」「利根川河川敷」で4月29日(祝・土)に開催されます「神崎河川敷祭」です。

 「神崎町」は、「香取郡」に属する「まち」で、「首都」「東京」の「東」約60km、「世界の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)「成田国際空港」(2015年4月7日・2012年12月10日のブログ参照)から「北北東」に14km、「千葉県」の「北端中央部」に位置し、「北」は「坂東太郎」「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)に面し、「南」は「下総台地」(北総台地)(2012年7月10日のブログ参照)のなだらかな「丘陵地帯」が広がっており、「神崎町」の「まち」のほぼ「中央部」を「JR成田線」が通っています。
 「神崎町」に「隣接」している「自治体」ですが、「東」は「香取市」、「西」と「南」は「成田市」に接するとともに、「北」は「利根川」を挟んで「茨城県」「稲敷市」と接しています。
 「神崎町」の「面積」ですが、19.85平方km、「町」の「東西」は5.7km、「南北」6.2km、「地勢」ですが、概(オオム)ね平坦で、「南東部」は「丘陵」の「起伏」が多く、「畑」や「山林」が大半を占め、「北部」は「利根川」沿いに肥沃(ヒヨク)な「沖積低地」が開けている「自然」と「緑」が豊かな「まち」です。

 「神崎町」の「行政区域」としての「位置づけ」ですが、明治4年(1871年)「新治県」に始まり、明治8年(1875年)以降は「千葉県」に属し、明治22年(1889年)4月「町村制施行」とともに「武田」、「新」、「毛成」、「吉原」、「植房」、「立野」、「大貫」、「郡」の8ヶ村が「米沢村」として、また「神崎本宿」、「神崎神宿」、「松崎」、「小松」、「並木」、「今」、「高谷」の7ヶ村が「神崎村」として合併、翌明治23年(1890年)3月に「町村」が施行、「神崎町」となりました。
 その後昭和30年(1955年)4月「神崎町」・「米沢村」が合併して「新生・神崎町」が誕生、さらに昭和41年(1966年)1月、「向野地区」が「茨城県」「東村」・「河内村」から「千葉県」に割譲され、「神崎町」に編入、現在に至っています。
 昭和47年(1972年)には、「神崎町」では「工業団地」の「操業」も始まり、また近年は「自然」との「調和」を図りながら「大規模」な「宅地造成」や「道路整備」も進み、「緑」ある「自然環境」と恵まれた「歴史風土」の上に、「調和」のとれた「自然とふれあいのまち」を形成しているそうです。
 「神崎町」の「人口」ですが、6251人、「世帯数」2421世帯(2017年4月1日現在)となっており、「神崎町」は、「千葉県」で一番「行政規模」の小さい「まち」となっています。

 「神崎町」は、古くから「北総」の「穀倉地帯」として「農産物」に恵まれ、「地下水」も「豊富」であったため、江戸時代初期より「酒」や「醤油」等の「醸造業」が発展し、明治の時代には7軒の「酒蔵」と3軒の「醤油蔵」があり、「関東一円」に向け、「利根川水運」で「商品」が運ばれ、「神崎町」では、「醸造業」が盛んに営まれていました。
 現在でも「神崎町」では、「仁勇・不動」の「醸造元」「鍋店株式会社」(2011年3月10日のブログ参照)、「五人娘・香取」の「醸造元」「寺田本家株式会社」(2011年4月10日のブログ参照)といった江戸時代から続く2軒の「老舗酒蔵」が醸造し続け、魅力ある「銘酒」を醸(カモ)しており、「醤油」とともに昔ながらの「風味」を今に伝えています。

 「神崎町」の「基幹産業」は、上記のように「農業」や「醸造業」ですが、近年は隣接する「成田国際空港」、「国道356号バイパス」や「圏央道」(首都圏中央連絡自動車道)「神崎IC(コウザキインターチェンジ)」(2014年5月20日のブログ参照)等を「基軸」として、「長期的展望」に立った「都市基盤」の「整備」を進めてきました。
 また「神崎町」では、「こうざき天の川公園」(2012年11月18日のブログ参照)、「こうざきふれあい自然遊歩道」、「神崎大橋」と「側道橋」「神東ふれあい橋」等を活用し、「まち」の「広域拠点性」をさらに強め、「神崎町民」が主役の「まちづくり」を「目標」に、上記のように「自然」と調和のとれた「自然と人とふれあいのまちづくり」を進めてきたそうです。
 「神崎町」では、太古から続く「歴史」、澄んだ「空気」や、輝く「緑」、清らかで美味しい「水」、「自然」の「恵み」に満ちあふれた「大地」に、息づく「人々」が「発酵」を繰り返しながら、新たな「魅力」を生み出しており、「神崎町」は、近年「発酵の里こうざき」として「周辺自治体」に親しまれています。
 現在「神崎町」は、「緑」豊かな「農村環境」でありながら、上記のように「圏央道」「神崎IC」や「国道356号バイパス」などの「整備」により「首都圏」への「アクセス」が「容易」となっているため、「道の駅」「建設計画」等を推進して「地域振興」に取り組まれています。

 「大日山神崎寺」(2011年10月8日のブログ参照)は、「通称」「神崎大師」とも呼ばれ、「関東」では数少ない「真言宗醍醐派」の「寺院」です。
 「京都」の「総本山」「醍醐寺」を「本山」として、「真言宗」の中でも「祈祷」と、「修行」を旨として、「当山派修験道」の「流れ」を伝えるのが「醍醐派」だそうです。
 「神崎大師」こと「大日山神崎寺」は「不動明王」を「御本尊」として「修行」を怠ることなく、また、「人」との「距離」は常に近く、「人」の「祈り」の為に「祈祷」の「護摩」を焚き、「先祖供養」、「水子供養」や、「葬儀」の「滅罪修法」を行い、「お寺」が行うべきことすべてを行う「寺院」です。

 「悩み」に対して、「人生」の「相談」、「人間関係」の「相談」、「男女」の「相性」、「吉凶」の「判断」、「運勢判断」、「家相」、「墓相」、「方位」、「引っ越し」、「開運方法」、「仏道修行」等の「ご相談」を受けているそうです。

 「大日山神崎寺」の「歴史」は、下記の通りです。

 江戸時代の書物の記録によると当山「大日山」は神崎三山に数えられておりました。
 鎮守神神の山「神崎の杜」、愛宕権現の山「愛宕山」、そして大日如来の山「大日山」が神崎三山とされ、神崎は古来より神仏を大切にしてきた土地であったことがうかがいしれます。
 その中でも「大日山」は江戸時代末期まで天台宗の淨刹として、利根川を見下ろす一山を法界として「御山東照院」と称し、人々の信仰を集めておりました。

 しかしながら、明治時代の神仏分離令及び修験道廃止令に端を発する廃仏毀釈を機に多くの霊山が衰退したように、当山も閉山に追い込まれ、堂宇、仏像並びに書物は消滅してしまいました。
 いくつかの石仏・石塔は地中に埋められて難を逃れ、現世に伝わっておりますが、ほぼ全ての記録が途絶えることとなりました。
 以後は、山頂の草庵にて近隣市町村の長老たちにより「大師信仰」が伝えられ、「お大師さま」として親しまれ、御山念仏大師講として縁日の勤行が行われ、法燈がわずれに護持される時代が約100年続きました。

 現在当時を偲ぶものは、弘法大師像、山頂山麓に点在する「寛政、安政」の文字が刻まれている石仏や修験者の石碑が数十体置かれているのみでありますが、現在でも神崎寺が「御山」あるいは「お大師様」と呼ばれているのは、当時の呼び名が受け継がれているものであります。

 昭和26年、機縁を得て真言宗の僧秀宝大僧正が当地に留錫し、真言宗醍醐派の教風、殊に修験道(山伏)の宝輪を転じ、伝法の中興になりました。

 同年8月大利根河原にて火生三昧火渡り修行を権修。
 山頂の小さな草庵において護摩を焚き、次第に多くの人々の信仰の中心となっていきました。
 秀宝大僧正の遷化後、その遺志を継いだ善哉大僧正が昭和53年、山内の造成整備を開始し、同年55年大本堂落慶、昭和63年恵印堂(通称六角堂)を建立し、伽藍の再建をいたしました。

 恵印堂は在家の人々の密教修行の道場を目的とした場であり、堂内には十一体の仏像が奉安されています。
 なかでも中尊「不二大日如来(四臂)」は仏像として彫刻されるのは初めてのことで、謹刻発願の仏師は、42日間堂内に篭る「堂彫り」という作法でこれに臨みました。
 この快挙は、当時「150年ぶりの成功」にとりあげられ、TVや新聞・雑誌等において「究極の仏像」として紹介されました。

 また、恵印堂落慶の砌には当山派修験道に伝わる最勝恵印三昧耶法要が日本各地より参集した醍醐派の修験僧により執行され盛大な落慶法要となりました。
 京都以外の地で恵印曼荼羅諸尊を奉安し、真言宗醍醐派総本山醍醐寺伝統の修験法要が修法されたのははじめてのことでした。

 「神崎町」では、「利根川河川敷」を「会場」にして「神崎河川敷祭」が4月29日(祝・土)に開催されます。
 「神崎河川敷祭」では、「神崎寺」「伝統」の「火渡り修行」のほか、「プレジャーボート」の「体験乗船」等が楽しめるそうです。
 「神崎河川敷祭」の「日程」は、下記の通りです。

 「神崎河川敷祭」

 4月29日(祝・土)

 タイムスケジュール・内容

 10時00分〜 プレジャーボート体験乗船、サッパ舟利根川遊覧

 10時30分〜 町内練り歩き(JR下総神崎駅〜河川敷)

 11時00分〜 屋台

 13時00分〜 火渡り修行

 「火渡り修行」は、「深山」にこもり修行する「修験者」(山伏)が「山中」にこもり渇望に耐え「修行」をするなかで、野外において「柴」を積み、「護摩」の「秘法」を修し、「火炎」の中におられる「不動明王」と一体となる「境涯」を得るために「火」の中に「身」を投ずる「修行」を行ったことを「起源」としています。

 「火渡り修行」の「当日」、「修験者」および「梵天衆」は「神崎大師」「不動明王」の「ご宝前」において「受戒の儀式」を受けたのち、「JR下総神崎駅」において「出立式」を執り行い「町内」の「練行」に出立します。

 「町内」の「練行」では「修験者」及び「梵天衆」の大きな「かけ声」、「太鼓」の「響き」、そして「法螺貝」を立てながら「道中」を清め祓って進んでいきます。

 「当山」「鎮守」の「神崎神社」において「法楽」をあげたのち「河岸通り」に330年の「伝統」を持つ「酒蔵」「寺田本家」の「邸内」において「鎮守」「法楽」の「柴燈護摩」を勤修します。
 そして、「護摩の炎」で加持した「もち米」を「業者」の「円陣」の中でつきあげます。

 そして、いよいよ「利根川河川敷」に設けられた「道場」の巨大な「護摩壇」に至る。
 「神仏」が降臨する「場所」を整えるための「作法」を行い、積み上げられた「薪」に「火」を移し、「護摩の秘法」を修するとともに、「修験者」、そして「信徒」が共に一心に祈願をします。

 「天」に昇る「龍」のような「柴燈護摩」の「炎」に「行者」も「信徒」も一心に祈願、日頃から精進している「読経」を試みます。

 そして、祈念によって「浄火」となった「炎」の上を「山伏たち」が素足で渡ります。
 この「浄火」が、一切の「魔障」、「災難」を焼き尽くして、「所願円満」を御祈念する「一大祈願会」だそうです。
 「火渡り」は、「ご参詣」の「皆様」にもご参加いただけ、「浄火」を渡り、「御本尊」「不動明王」と一体となり、「お不動さま」の「功徳」を受けて、「厄除災難」、「家内安全」、「身上安全」等の「所願円満」の「ご利益」がいただけるよう、「素足」になって渡るそうです。
 「火渡り」をされた方には、「火生三昧(ヒワタリ)之證(ノショウ)」を授けるそうです。

 全ての「祈願」そして「火渡り修行」が終わると、「お不動さま」にお供えしたたくさんの「御供物」を全部まき、たくさんの「御餅」、「お酒」、「農産物」や「お菓子」等、「縁起もの」がまかれるそうです。

 「利根川河川敷」で開催される「神崎寺」「伝統」の「火渡り修行」等が行われる「催し」「神崎河川敷祭」。
 この機会に「神崎町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「神崎河川敷祭」詳細

 開催日時 4月29日(祝・土) 10時〜 (火渡り修行は13時〜)

 開催会場 利根川河川敷 香取郡神崎町神崎本宿地先

 問合わせ 神崎町まちづくり課 0478-72-2114
      神崎寺 0478-72-3999

 備考
 「神崎河川敷祭」にお越しの際の「駐車場」ですが、今年(2017年)から「会場」の「神崎大橋」「利根川河川敷」に駐車できるそうです。

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「ユネスコ無形文化遺産登録」「佐原の山車行事」「記念祝賀山車曳き廻し」(香取市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「佐原の町並み」で4月29日(祝・土)・30日(日)に開催されます「ユネスコ無形文化遺産登録」「佐原の山車行事」「記念祝賀山車曳き廻し」です。

 「佐原の町並み」は、「香取市」「佐原」の「市街地」にある「歴史的」な「建造物」が残る「風情」ある「町並み」です。
 「佐原」は、江戸時代に「利根川東遷事業」により「舟運」が盛んになると、「小野川」(2012年9月7日のブログ参照)には、「物資」を「陸」に上げるための「だし」と呼ばれる「河岸施設」が多く作られました。
 明治以降もしばらくは「繁栄」は続き、「自動車交通」が発達し始める昭和30年(1955年)頃までにかけ、「成田」から「鹿島」にかけての「広範囲」な「商圏」を持つ「まち」となっていました。
 上記のように「利根川水運」で栄えた「商家町」の「歴史的景観」を今に残す「佐原の町並み」が、「佐原の市街地」を「南北」に流れる「小野川」沿いと、「佐原の市街地」を「東西」に走る「香取街道」沿い、「下新町通り」等に見ることができます。
 「佐原の町並み」ですが、「佐原」が最も栄えていた江戸時代末期から昭和時代前期に建てられた「木造町家建築」、「蔵造り」の「店舗建築」、「洋風建築」等から構成されています。
 「佐原の人々」は、「江戸の文化」を取り入れ、更にそれを「独自の文化」に昇華しており、「江戸優り(エドマサリ)」といわれるほど栄えていたそうで、当時の「面影」・「歴史景観」を今に残し、またそれを活かした「まちづくり」に取り組んでいることが認められ、「佐原の町並み」は平成8年(1996年)12月、「関東」で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建)に選定されています。
 「佐原の重伝建」は昔からの「家業」を引き継いで、今も営業を続けている「商家」が多いことから、「生きている町並み」としても評価されています。
 「重要伝統的建造物群保存地区」には、「佐原の偉人」「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)が過ごし、寛政5年(1793年)建築された「伊能忠敬旧宅」(国指定史跡)(2012年2月24日のブログ参照)の他、「千葉県」の「県指定有形文化財」も8軒(13棟)が「小野川」沿いや、「香取街道」沿いに軒(ノキ)を連ねています。

 「佐原の大祭」(2011年7月13日のブログ参照)ですが、江戸時代から約300年続いている「祭礼」で、毎年7月に行われる「八坂神社祇園祭」(2016年7月11日・2015年7月7日・2014年7月8日・2013年7月10日・2012年7月9日・2011年7月11日のブログ参照)と、10月に行われる「諏訪神社秋祭り」(2016年10月6日・2015年10月9日・2014年10月8日・2013年10月10日・2012年10月10日・2011年10月3日のブログ参照)を総称したもので、「佐原の大祭」は、2004年(平成16年)に、「国」の「重要無形民俗文化財」に指定されています。
 「佐原の大祭」では、「大人形」を乗せた「高さ」9mもある「山車」が、「小江戸」と称される「佐原の町並み」(国選定重要伝統的建造物群保存地区)を、「日本三大囃子」「佐原囃子」(2012年2月23日のブログ参照)の「音色」に合わせ、「山車」が曳き廻されます。
 「佐原の大祭秋祭り」では、「小野川」の「西側一帯」(新宿地区)の「家々の軒先」をかすめながら、14台の「山車」が曳き廻され、「勇壮」で「風情」たっぷりなその様子は、江戸時代の「情景」を彷彿させ、「佐原の365日」はこの日のためにあるといっても過言ではないといえるほど盛り上がりをみせます。

 「佐原の大祭」は、上記のように「年」2回行われ、「夏」は「小野川」を挟んで「東側」の「本宿」・「八坂神社」、「秋」は「西側」の「新宿」・「諏訪神社」の「祭礼」として行われます。
 江戸時代、

 「見物の群衆、人の山をなし」

 といわれるほど「賑わい」を見せた「佐原の大祭」は、何といっても「華麗」な「山車」、「哀愁」を帯びた「佐原囃子」が「特徴」とされ、「古い町並み」の残る「小野川」沿いを行き交う「山車」の「姿」は、「見どころ」のひとつで、「佐原のまち」に「小江戸の賑わい」が戻る「祭礼」となっています。

 「佐原のまちなか」では、「祭」(佐原の大祭)が近づくと、どこからともなく「お囃子」が聞こえてきて、「佐原」「各町内」の「下座連」が「練習」を始めるそうです。
 そして「佐原の大祭」「期間中」、「下座連」は「山車」に乗り込み、曳き廻される「道々」に合わせ「曲」を演奏し、その「音色」が「江戸の風情」へと誘(イザナ)います。
 また「佐原の大祭」「自慢」の「山車」は、「総欅造り」の「本体」に、「関東彫り」の「重厚な彫刻」が飾り付けられ、「上部」には、江戸・明治期の「名人人形師」によって製作された「高さ」4mにもおよぶ「大人形」が乗っています。

 「ユネスコ無形文化遺産」(intangible Cultural Heritage)は、「ユネスコ」の「事業」のひとつで、同じく「ユネスコ」の「事業」である「世界遺産」が「建築物」等の「有形」の「文化財」の「保護」と「継承」を目的としているのに対し、「民俗文化財」、「フォークロア」、「口承伝統」等の「無形のもの」(無形文化財)を「保護対象」とすることを目指したものです。

 「ユネスコ無形文化遺産」ですが、2003年(平成15年)の「第32回ユネスコ総会」で採択された「無形文化遺産の保護に関する条約」の「第2条」で、

 「無形文化遺産とは、慣習、描写、表現、知識及び技術並びにそれらに関連する器具、物品、加工品及び文化的空間であって、社会、集団及び場合によっては個人が自己の文化遺産の一部として認めるものをいう」

 と定義しています。
 「同条約」においては、「無形文化遺産」の「重要性」についての「意識」を向上させるために、「ユネスコ」内に設置された「無形文化遺産保護」に関する「政府間委員会」によって、「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」(Representative List of the Intangible Cultural Heritage of Humanity)を作成することとされています。(第16条)
 また、「条約採択」前に「人類の口承及び無形遺産の傑作」(Masterpieces of the Oral and Intangible Heritage of Humanity)として宣言されたものは、「一覧表」に記載されることになっています。(第31条)
 一般に、この「一覧表」に掲載される「無形文化遺産」を、「世界無形遺産」や、「世界無形文化遺産」といった「世界」と付く「俗称」で呼ぶこともありますが、「日本」での「条約承認手続き」における「表記」は「無形文化遺産」であり、「条約本文」においても「world」は冠されず、誤りだそうです。

 「ユネスコ無形文化遺産」は、「芸能」(民俗音楽・ダンス・劇等)、「伝承」、「社会的慣習」、「儀式」、「祭礼」、「伝統工芸技術」、「文化空間」等が対象となっており、「有形」の「文化遺産」については既に1972年(昭和47年)に採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)により、「世界遺産」を「リストアップ」する等の「保護の枠組み」が整えられていましたが、「無形文化遺産」についてはその「枠組み」で保護することが難しいため、新たな「枠組み」が作られました。
 「無形文化遺産の保護に関する条約」は、「締約国」が30か国に達した時点から3ヶ月後に発効する「規定」となっており、採択されてから約3年後の2006年(平成18年)4月20日に発効しました。
 「ユネスコ」では、「無形文化遺産の保護に関する条約」の「発効」に先立ち、隔年で「人類の口承及び無形遺産の傑作の宣言」(傑作宣言)として発表しており、隔年で3回行われ、(2001年、2003年、2005年)、計90件が傑作宣言されました。

 「ユネスコ無形文化遺産」に認定されている「日本」の「無形文化遺産」は、下記の通りです。

 2001年
 能楽(芸能)

 2003年
 人形浄瑠璃文楽(芸能)

 2005年
 歌舞伎(芸能)

 2009年
 雅楽、小千谷縮・越後上布、甑島のトシドン、奥能登のあえのこと、早池峰神楽
 秋保の田植踊、チャッキラコ、大日堂舞楽、題目立、アイヌ古式舞踏

 2010年
 組踊、結城紬

 2011年
 佐陀神能、壬生の花田植

 2012年
 那智の田楽

 2013年
 和食 日本の伝統的な食文化

 2014年
 和紙(石州半紙(2009年登録)、本美濃紙(美濃和紙)、細川紙(小川和紙))

 2016年
 山・鉾・屋台行事(18府県の計33件)

 「香取市」では、「ユネスコ無形文化遺産」「佐原の山車行事」の「登録」を記念して、「香取市」が誇る「佐原の山車行事」の「記念祝賀山車曳き廻し」が4月29日(祝・土)・30日(日)の2日間披露されます。
 「佐原の大祭」「佐原の山車行事」は、江戸時代から続く「伝統行事」で、「我が国」を代表する「山車祭り」として「国」の「重要無形民俗文化財」に指定されており、今回の「佐原の山車行事」「記念祝賀山車曳き廻し」では、4月29日(祝・土)に「24町内参加メインイベント」、4月30日(日)に「9町内自由曳き廻し」が行われるそうです。
 「ユネスコ無形文化遺産登録」「佐原の山車行事」「記念祝賀山車曳き廻し」の「日程」・「会場」は、下記の通りです。

 4月29日(祝・土)

  9時00分 山車曳き廻し開始

 13時00分 祝賀会場整列完了

 13時30分 祝賀イベント開会(コミュニティセンター)

 15時30分 祝賀イベント閉会

 16時00分 各町乱曳き

 21時00分 山車曳き廻し終了

 4月30日(日)

  9時00分 山車曳き廻し開始

 15時00分 小野川新宿川岸整列完了

 15時15分 総踊り開始

 15時25分 総踊り終了・順次解散

 16時00分 曳き別れ

 21時00分 山車曳き廻し終了

 4月29日(祝・土)に行われる「ユネスコ無形文化遺産登録」「佐原の山車行事」「記念祝賀山車曳き廻し」「祝賀イベント」「詳細」は、下記の通りです。

 〜29日祝賀イベント内容(コミュニティセンター)〜

 13時30分 祝典

 1 市長挨拶
 2 保存会長挨拶
 3 来賓祝辞
 4 万歳三唱
 5 祝い砂切
 6 総踊り

 14時00分 特別曳き廻し

 1 風流造り物の曳き違い(八日市場、仁井宿) ※雨天時割愛

 2 砂切聴き比べ・山車人形揃い踏み(三代安本亀八作)
  (下仲町(牧野系・如月会)、荒久(神里系・野田)、南横宿(玉造系・あらく))

 3 手古舞と曳き踊り(本川岸、上新町、下新町)

 4 楠公親子櫻井の別れ・山車人形揃い踏み(大柴徳次郎作)
  (東関戸、下分、上仲町) ※雨天時割愛

 5 山飾りの曲曳き(のノ字廻し)(下川岸、新上川岸)

 6 塗屋台の競演と山車の曲曳き(のノ字廻し)(上中宿、田宿、寺宿、上宿)

 7 山車人形揃い踏み(鼠屋作)(のノ字廻し)(新橋本、西関戸、北横宿、浜宿)

 8 そろばん曳き(下宿)

 9 年番前後六町による総踊り(下分、仲川岸、新橋本、下仲町、上仲町、舩戸)

 また「ユネスコ無形文化遺産登録」「佐原の山車行事」「記念祝賀山車曳き廻し」開催に伴い、「佐原の町中」に「広場」が設営され、「広場」では、「地元特産品」や、「飲み物」、「お祭りグッズ」が販売されるそうです。
 設営される「広場」は、下記の通りです。

 祝賀イベント会場内物販広場(佐原駅北口近く)

 4月29日(祝・土) 祝賀イベント時間内

 小江戸かなえ広場(小野川沿い本宿側忠敬橋近く)

 4月29日(祝・土) 13時00分〜21時00分・4月30日(日) 10時00分〜19時00分

 休憩広場(きめらパーキング)

 4月29日(祝・土) 13時00分〜21時00分・4月30日(日) 10時00分〜19時00分

 「歴史的町並み」の残る「佐原の町並み」で開催される「記念祝賀行事」「ユネスコ無形文化遺産登録」「佐原の山車行事」「記念祝賀山車曳き廻し」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「ユネスコ無形文化遺産登録」「佐原の山車行事」「記念祝賀山車曳き廻し」詳細

 開催日時 4月29日(祝・土) 9時〜21時
      4月30日(日) 9時〜21時

 開催会場 佐原の町並み 香取市佐原

 問合わせ 香取市商工観光課 0478-54-1111

 備考
 「ユネスコ無形文化遺産登録」「佐原の山車行事」「記念祝賀山車曳き廻し」開催に伴い、「香取市」では4月29日(祝・土)に「祝賀イベント会場」「有料桟敷席」を設置するそうです。
 詳しくは「香取市」「HP」の「ユネスコ無形文化遺産登録」「佐原の山車行事」「記念祝賀山車曳き廻し」を参照下さい。

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| 気まぐれ日記 | 11:05 AM |

 
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