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「七草御印紋(ななくさごいんもん)」(成田市)
 本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「成田山新勝寺」で1月7日(水)に開催されます「七草御印紋(ななくさごいんもん)」です。

 「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)は、「成田市」にある「真言宗智山派」の「寺」であり、「真言宗智山派」の「大本山」のひとつです。
 「成田山新勝寺」は、1000年以上の「歴史」をもつ「全国有数」の「霊場」で、「成田」を「代表」する「観光地」でもあり、「正月3が日」には約300万人、「年間」約1000万人以上の「参拝客」が訪れています。
 「成田山新勝寺」の「御本尊」は「不動明王」で、「成田山新勝寺」は上記のように「関東地方」「有数」の「参詣人」を集める「著名寺院」で、「家内安全」、「交通安全」などを祈る「護摩祈祷」のために訪れる方が多い「不動明王信仰」の「寺院」のひとつであり、「成田のお不動さま」の「愛称」で親しまれています。

 「成田山新勝寺」の「御本尊」である「不動明王」ですが、「真言宗」の「開祖」「弘法大師」「空海」が自ら「一刀三礼」(ひと彫りごとに三度礼拝する)の「祈り」をこめて「敬刻開眼」された「御尊像」なのだそうです。
 「成田山新勝寺」では、この「霊験」あらたかな「御本尊」「不動明王」の「御加護」で、千年以上もの間、「御護摩」の「火」を絶やすことなく、「皆様」の「祈り」が「一体」となり「清浄」な「願い」となって現れるそうです。
 「成田山新勝寺」は、「開山1080年」を間近に控えた現在も「成田山のお不動さま」として数多くの「人びと」の「信仰」を集めています。

 「成田山」の「開山の祖」「寛朝大僧正(かんちょうだいそうじょう)」は、延喜16年(918年)に生まれ、天慶3年(940年)「平将門の乱」を鎮めるため「朱雀天皇」の「勅命」により「関東」に下り、「この地」に「成田山新勝寺」が開山されました。
 「寛朝大僧正」は、「皇室」との「血縁」もある大変に「格」の高い「僧侶」で、後に「真言宗」初めての「大僧正」に任じられ、「成田山」の他にも「京都」に「遍照寺」を開山しているそうです。

 「成田山新勝寺」は、上記のように平安時代中期に起きた「平将門の乱」の際、939年(天慶2年)「朱雀天皇」の「密勅」により「寛朝大僧正」を「東国」に遣わしたことに「起源」を持ちます。
 「寛朝大僧正」は、「京」の「高雄山」(神護寺)「護摩堂」の「空海」作の「不動明王像」を奉じて「東国」へ下り、翌940年(天慶3年)、「海路」にて「上総国」「尾垂浜」に上陸、「平将門」を調伏するため、「下総国」「公津ヶ原」で「不動護摩」の「儀式」を行ったそうです。
 「成田山新勝寺」では、この天慶3年を「開山の年」としています。
 「平将門の乱」「平定後」の永禄年間(1566年)(永禄9年)に「成田村一七軒党代表」の「名主」が「不動明王像」を背負って「遷座」され「伽藍」を建立された「場所」が、現在の「成田市」「並木町」にある「不動塚」周辺と伝えられており、「成田山発祥の地」といわれています。
 「成田山新勝寺」の「寺名」ですが、「また新たに勝つ」という「語句」に因(ちな)み「新勝寺」と名づけられ、「東国鎮護」の「寺院」となったそうです。

 「成田山新勝寺」では、平成20年(2008年)に「開基1070年祭記念大開帳」が行われ、これにあわせて、平成19年(2007年)には「総欅造り」の「総門」が「落慶」され、「新勝寺」の「表玄関」として「荘厳」な「たたずまい」を見せています。
 この「総門」は、開かれた「庶民のお寺」「成田山」と「門前町」とをつなぐ「担い手」として、「大開帳」を記念し創建されたもので、「総門」前にある「門前広場」は「参拝客」の「憩いの場」となっています。

 「成田山新勝寺」ですが、「総門」をくぐって、「境内」に入ると大きな赤い「提灯」のある「仁王門」があり、「境内」には、数多くの「建造物」が立ち並んでいます。
 「仁王門」から「東海道五十三次」にならった53段の「石段」を上がると、「成田山」の「シンボル」である「大本堂」が現れ、「成田山新勝寺」「大本堂」では、「世界平和」と「人々の幸せ」を願って「開山」以来「毎日」欠かさずに「御護摩祈祷」が厳修されています。

 「成田山新勝寺」の「伽藍」ですが、「JR」および「京成電鉄」の「成田駅」から「成田山新勝寺」への「参道」が伸び、「参道」を10分ほど歩き、「急」な「石段」を上った先の「台地上」に「境内」が広がっています。
 「石段」の「途中」に「仁王門」、「石段」を上った先に「正面」に「大本堂」、その手前「右手」に「三重塔」、「鐘楼」、「一切経堂」などが建っています。
 この他、「大本堂」の「左手」に「釈迦堂」、「大本堂」の「背後」の「一段」高くなった「地」には「額堂」、「光明堂」、「開山堂」、「平和の大塔」(2012年5月7日のブログ参照)などが建っており、「成田山新勝寺」「境内」の「東側」は「広大」な「成田山公園」(2011年11月8日・2010年11月12日のブログ参照)があります。
 「成田山新勝寺」にある「釈迦堂」、「光明堂」、「表参道」にある「薬師堂」(2013年5月22日のブログ参照)ですが、「歴代」の「成田山」の「大本堂」です。
 これほどの「数」の「御堂」が現存している「寺院」は大変珍しく、それぞれの「建物」には「建立時」の「建築様式」を「今」に伝えており、江戸中期から末期の「建物」である「仁王門」、「三重塔」、「釈迦堂」、「額堂」、「光明堂」の「5棟」が「国」の「重要文化財」に指定されています。

 「七草(ななくさ)」ですが、「人日(じんじつ)」の「節句」(1月7日)の「朝」に、「7種」の「野菜」が入った「粥」を食べる「風習」のことです。
 「元々」の「七草」は、「秋の七草」を指し、「小正月」1月15日のものは、「七種」と書き、この「七種」も「ななくさ」と読み、「一般」には7日「正月」のものを「七草」と書くなど、現在では「元々」の「意味」がわからなくなり、「風習」だけが「形式」として残ったそうです。
 これらの事から、「人日」の「風習」と「小正月」の「風習」が混ざり、1月7日に「七草粥」が食べられるようになったと考えられています。
 ちなみに「人日」ですが、「五節句」のひとつで、1月7日、「七種粥」を食べることから「七草の節句」ともいい、また「霊辰(れいしん)」、「元七(がんしち)」、「人勝節」ともいうそうです。

 「春の七種」ですが、下記の「7種類」の「植物」となっています。

 芹(せり) Water dropwort セリ

 薺(なずな) Shepherd's Purse ナズナ(ぺんぺん草)

 御形(ごぎょう) Cudweed ハハコグサ(母子草)

 繁萋(はこべら) chickweed ハコベ(繁萋)

 仏の座(ほとけのざ) Nipplewort コオニタビラコ(小鬼田平子)

 菘(すずな) Turnip カブ(蕪)

 蘿蔔(すずしろ) Radish ダイコン(大根)

 この「7種」の「野菜」を刻んで入れた「かゆ」を「七草がゆ」といい、「邪気」を払い「万病」を除く「占い」として食べ、「呪術的」な「意味」ばからでなく、「御節料理」で疲れた「胃」を休め、「野菜」が乏しい「不足」しがちな「栄養素」を補うという「効能」もあるそうです。
 「七種」は、「前日」の「夜」に「まな板」に乗せて「囃し歌」を歌いながら「包丁」で叩き、「当日」の「朝」に「粥」を入れます。
 「囃し歌」は、「鳥追い歌」に由来するものであり、これは「七種がゆ」の「行事」と、「豊作」を祈る「行事」が結び付いたものと考えられているそうです。
 「歌」の「歌詞」は、

 「七草なずな 唐土の鳥が、 日本の土地に、 渡らぬ先に、 合わせて、 バタクサバタクサ」

 など「地方」により「多少」の「違い」があります。
 「七種」の「行事」は、「子(ね)の日の遊び」とも呼ばれ、「正月」最初の「子の日」に「野原」に出て「若菜」を摘む「風習」があったそうで、「枕草子」にも、「七日の若菜を人の六日にもて騒ぎ…」とあります。

 「七草御印紋(ななくさごいんもん)」ですが、「成田山新勝寺」で催行される「お不動さま」の「御印」を「額」にいただく「伝統行事」です。
 「七草御印紋」ですが、「七草の日」(1月7日)に行われ、「お不動さま」の「お姿」を表す「梵字(ぼんじ)」が刻まれた「朱印」を「額」に押し、「無病息災」・「身体健全」・「学業成就」を祈念する古くより「成田山新勝寺」に伝わる「伝統行事」だそうです。
 「七草御印紋」の「梵字」ですが、「成田山新勝寺」「御本尊」「不動明王」を表す、「カン」と読む「梵字」だそうで、「七草御印紋」では、上記のように「カン」と刻まれた「朱印」を「参詣者」の「額」にあて、「無病息災」・「身体健全」・「学業成就」を祈ってくれるそうです。
 「七草御印紋」ですが、「お子さま」や「受験生」に「人気」があるそうです。

 「真言宗智山派」の「大本山」のひとつ「成田」の「名刹」「成田山新勝寺」で開催される「七草」の「特別」な「御印紋授与」「七草御印紋」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「七草御印紋」詳細

 開催日  1月7日(水) 

 開催会場 成田山新勝寺 成田市成田1

 問合わせ 成田山新勝寺 0476-22-2111

 備考
 「七草御印紋」ですが、1人1人に「御印紋」を当てて祈願してもらうため、「時間」がかかるそうです。
 なお「成田山新勝寺」では、1月1日(祝・木)から1月28日(水)までの「期間」「新春不動明王御印紋授与」が、「大本堂」「東側」で「毎日」行われるそうです。
 「七草御印紋」が行われる1月7日(水)に「成田山新勝寺」では、「新春恒例」の「伝統行事」、「成田山浄書式」が行われるそうです。
 「成田山浄書式」ですが、「橋本貫首大導師」のもと「御本尊」「不動明王」の「御宝前」にて「法楽」し、「読経」の中、「僧侶」が「御護摩札」に浄書するそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2405 |
| 地域情報::成田 | 06:51 PM |
「白馬祭(おうめさい)」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」で1月7日(水)に開催されます「白馬祭(おうめさい)」です。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」にある「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」の「息栖神社(いきすじんじゃ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)と「鹿島灘(かしまなだ)」(2012年6月16日のブログ参照)に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、「明治維新」前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られています。
 「武甕槌大神」ですが、「古事記」では、「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」が「軻遇突智(かぐつち)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。

 「武甕槌大神」ですが、「古事記」では、「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」が「軻遇突智(かぐつち)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」とともに、「天孫降臨(てんそんこうりん)」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」は、寛永11年(1634年)、「徳川頼房」公が奉納した「楼門」で「日本三大楼門」のひとつとして知られています。
 「鹿島神宮」「楼門」は、「鹿島神宮」「境内」「鹿島神宮の森」の「縁」の中にひときわ「朱色」が鮮やかな「楼門」で、「鹿島神宮」「楼門」の「扁額」は「東郷平八郎」「元帥」の「直筆」によるものだそうです。

 「鹿島神宮」の「創建」ですが、2674年前の「初代」・「神武天皇」「御即位」の「年」にあたり、「神武天皇」は、「東征」の「途上」における「大神」の「布津御霊劔(ふつのみたまのつるぎ)」による「守護」に感謝され、「鹿島の地」に「大神」を勅祭されたそうです。
 これに先立つ神代の昔、「武甕槌大神」は「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」の「名」を受け、「葦原中国」といわれた「我が国」の「国譲り」から「国造り」まで、その「建国」に大いにその「御神威」を発揮されました。
 「鹿島神宮」は、その「御威徳」から「武の神」として崇められ、日出づる「東方」に坐します「鹿島立ち」の「御神徳」によって、「事始め」、「起業」、「開運」、「旅行交通安全の神」、「常陸帯」(2012年1月13日・2011年10月16日のブログ参照)の「故事」によって「安産」、「縁結び」の「神」を仰がれています。

 「鹿島神宮」「文化財」ですが、「布津御霊劔(ふつのみたまのつるぎ)」と称される「長大」な「直刀」が「国宝」に指定されているほか、「鹿島神宮」「境内」は「国」の「史跡」に指定され、「本殿」・「本殿」・「楼門」など「社殿」7棟が、「国」の「重要文化財」に指定されており、そのほか「鹿島神宮」は、「鹿」を「神使」とすることでも知られています。
 上記のように「鹿島神宮」は、古くから「朝廷」から「蝦夷(えぞ)」に対する「平定神」として、また「藤原氏」から「氏神」として崇敬され、その「神威」は中世の「武家の世」に移って以後も続き、「歴代」の「武家政権」からは「武神」として崇敬され、現代も「鹿島神宮」は「武道」で篤く信仰されています。

 「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「式年大祭御船祭」(2014年8月31日のブログ参照)が特に「有名」で、今年(2014年)の9月1日(月)には、「3日間」に渡って「御船祭」が催行されています。
 (「式年大祭御船祭」「前日」8月31日(日)午後には、「御座船清祓式」(2014年8月29日のブログ参照)が執り行われました。)

 「白馬祭(おうめさい)」は、「鹿島神宮」で行われている「神事」で、「鹿島神宮」に祀る「神様」の「お目覚め」の「祭事」です。
 「白馬祭」ですが、「新年」に「白馬」を見ると「一年間」の「邪気」を祓うといわれる「信仰」と、「皇祖」以下「祖霊」や「諸神」をまつる「祭儀」となっています。
 「白馬祭」では、「蹄」の「音」高く「鹿島神宮」「神殿」の「前」を駆け抜け、「白馬祭」が始まると「蹄」の「音」が「鹿島神宮」「境内」に響き渡るそうです。
 「白馬祭」では、「鹿島神宮」「境内」に「神馬」が疾走し、「勇壮」な「鹿島立ち」の「神事」なのだそうです。
 なお「白馬祭」ですが、「日本三大白馬祭」のひとつであり、約750年の「歴史」を持つ「祭事」です。

 「白馬祭」「当日」ですが、「時間」になりますと「鹿島神宮」「楼門」のほうから、「鹿島神宮」「拝殿」のほう(「馬」のいる「稲荷社」のほう)に「神職」が「御神馬(ごしんめ)」(白馬)を迎えに行き、「鹿島神宮」に「御神馬(ごしんめ)」(白馬)が入場します。
 「御神馬(ごしんめ)」(白馬)が入場すると「鹿島神宮」「拝殿」前の「広場」にて、「宮司」が「祝詞(のりと)」を読み上げ、「広場」では、「御神馬(ごしんめ)」(白馬)がぐるぐると歩くそうです。
 「御神馬(ごしんめ)」がくるぐると歩く際、「御神馬(ごしんめ)」が踏んだ「小石」や「ハンカチ」は、「恋愛成就」の「お守り」となるという「民間信仰」もあるそうです。
 また「白馬祭」「当日」、「鹿島神宮」から「甘酒」と「七草粥」の「振る舞い」も行われるそうです。

 「関東」を代表する「名社」「鹿島神宮」「御神馬(ごしんめ)」(白馬)を見ることで、1年の「邪気」が祓われるという「神事」「白馬祭(おうめさい)」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「白馬祭(おうめさい)」詳細

 開催日時 1月7日(水) 18時〜20時

 開催会場 鹿島神宮 茨城県鹿嶋市宮中2306-1

 問合わせ 鹿島神宮社務所 0299-82-1209

 備考
 「白馬祭」では、上記のように「御神馬(ごしんめ)」(白馬)が歩くところに「ハンカチ」(小石)等を置き、「御神馬(ごしんめ)」(白馬)に踏ませるそうです。
 「白馬祭」の「馬」(白馬)に踏まれた「ハンカチ」、「小石」を持つと「心願」が叶うと伝えられており、「ハンカチ」、「小石」は、「恋愛成就」の「お守り」となる「民間信仰」もあるそうです。

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| 地域情報::鹿島 | 05:34 PM |

 
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