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「大原幽学記念館」「収蔵品展2012」(旭市)
 本日二つ目にご紹介するのは、となりまち「旭市」「大原幽学記念館」で2012年11月10日(日)〜2013年4月7日()の期間開催されます「大原幽学記念館」「収蔵品展2012」です。

 「大原幽学(おおはらゆうがく)」は、江戸時代後期の「農政学者」、「農民指導者」で、「下総国」「香取郡」「長部(ながべ)村」(後の「千葉県」「香取郡」「干潟町」、現在の「旭市」)を「拠点」に、天保9年(1838年)に「先祖株組合」という「農業協同組合」を「世界」で初めて創設した「人物」です。
 「大原幽学」は、寛政9年3月17日(1797年4月13日)生まれ、安政5年3月8日(1858年4月21日)に没しています。

 「大原幽学」の「出自」は明らかではありませんが、「尾張藩」の「家臣」「大道寺直方」の「次男」として生まれたとの「説」もあり、「若き頃」は「大道寺左門(「号」は「静香」)」と名乗っていたといわれています。
 「大原幽学」の語るところによりますと、18歳のとき故あって「勘当」され、「美濃」、「大和」、「京」、「大阪」を長く放浪していたといわれており、はじめは「武芸」、のち「知友」から「占い手法」を「身」に付け、「易占」、「観相」、「講説」などで「流浪」の「生活」を支えていたそうです。

 その後、「大原幽学」は、「神道」、「儒教」、「仏教」を一体とする「独自」の「実践道徳」である「性学」(「生理学」、「性理道」ともいった)を開いたそうです。
 天保2年(1831年)「房総」を訪れ、「性学」を講ずるようになり、「門人」を「各地」に増やしていったそうです。
 そして、天保6年(1835年)に「椿海」(2011年4月17日のブログ参照)の「干拓地」の「干潟八万石」にあった「長部村」に招かれ、「農村振興」に努力することになったそうです。

 「大原幽学」は、「先祖株組合」の「創設」のほかに、「農業技術」の「指導」、「耕地整理」、「質素倹約」の「奨励」、「博打」の「禁止」、また「子供」の「教育」・「しつけ」のために「換え子制度」の「奨励」など、「農民生活」のあらゆる「面」を指導し、「改心楼」という「教導所」も建設されました。
 嘉永元年(1848年)2月に、「長部村」の「領主」「清水氏」は、「長部村」の「復興」を賞賛し、「領内」の「村々」の「模範」とすべきことを触れています。
 嘉永5年(1852年)、「反感」を持つ「勢力」が「改心楼」へ乱入したことをきっかけに「村」を越えた「農民」の「行き来」を怪しまれ「勘定奉行」に取り調べられました。
 そして、安政4年(1857年)に「押込百日」と「改心楼」の「棄却」、「先祖株組合」の「解散」を言い渡されたそうです。

 「大原幽学」は、5年に及ぶ「訴訟」の「疲労」と「性学」を学んだはずの「村」の「荒廃」を嘆き、翌年「墓地」で「切腹」したそうです。
 現在、「旭市」には「大原幽学旧宅」(国の指定史跡)(2011年4月8日のブログ参照)が残っており、切腹した場所には「大原幽学」の「墓」が建立されました。
 また「愛知県」「名古屋市」にも「門人」が建てた「大原幽学」の「墓碑」があるそうです。

 「大原幽学記念館」は、平成3年に407点の「幽学関係資料」が「国」の「重要文化財」に指定されましたことを「契機」に、「干潟町」(当時)で「地域文化」の「発展」をはかるために「幽学関係」の「資料」、「郷土の歴史」・「民俗」に関する「資料」を公開するための「施設」として、「大原幽学遺跡史跡公園」(2011年2月6日のブログ参照)内に設立されました。
 「大原幽学記念館」のある豊かな「緑」に囲まれた「大原幽学遺跡史跡公園」は、「歴史」と「自然」に親しむ「レクリエーション」の「場」であるそうです。
 「大原幽学記念館」は、平成8年3月15日に開館して以来、「資料」の「収集」・「保存」・「調査研究」といった「活動」を中心に行っています。

 「大原幽学記念館」「展示内容」ですが、「1階」は、「郷土展示室」、「2階」は「幽学展示室」となっています。
 「郷土展示室」では、「郷土」の「歴史」を紹介しています。
 「旭市」「干潟地区」を中心とした「古代」から「現代」までの「あゆみ」を多くの「資料」と「映像」で「通史展示」により構成しています。
 特に「江戸時代」の「大規模新田開発」として有名な「椿海干拓」については、「特別コーナー」を設け「マジックシアター」「干潟八万石物語」で分かりやすくその「歴史」を辿ることができるそうです。

 「幽学展示室」は、「国指定重要文化財」の407点の「資料」も「随時展示替」を行い、常時公開しています。
 「大原幽学」の「遺品類」は、「著書」、「手沢本」、「遺書」、「日記」、「書簡」、「遺品」、「蔵書」、「門人遺書遺品」などに分類され、「著書」には「大原幽学」の「理想」を述べた「微味幽玄考」、「発教録」などがあり、「自刃」前に書いた「遺書」は特に重要なものとして有名です。
 「遺品」としては、「大原幽学」の「着衣」、「袴」、「短刀」などのほか、「村人」に使わせた「寝具」、「食器」、「服飾品」があるそうです。

 また「大原幽学記念館」には、「大原幽学」や「郷土の歴史」にまつわる「テーマ」で年に1、2回「企画展」をおこなっています。

 「大原幽学記念館」では、「開館」以来、数年ごとに「収蔵品展」を開催しています。
 「大原幽学記念館」「収蔵品展2012」は、前回の平成18年度(2007年)から、新たに提供していただいたもの、「記念館」で収集したものなどを一同に紹介する「展示」だそうです。

 「大原幽学」「自筆の書」、「遺品」をはじめ、「門人たち」の「活動の様子」、「書物」、「ゆかりの品」のほかに、「郷土」の「くらし」を物語る懐かしい「品々」も合わせて紹介するそうです。
 「大原幽学記念館」では、
「いくつもの歴史の遺産をお楽しみいただければ幸いです。」
 と「コメント」しています。

 「経験」と「知識」を活かし「長部村」(旭市)で開花した「大原幽学」の「足跡」を今に残す「収蔵品」を一同に紹介する「展示会」「大原幽学記念館」「収蔵品展2012」。
 「収蔵品展」の行われるこの機会に「旭市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「大原幽学記念館」「収蔵品展2012」詳細

 開催期間 2012年11月10日(日)〜2013年4月7日(日)

 開催会場 大原幽学記念館 旭市長部345-2

 開館時間 9時〜16時半

 休館日  月曜日、祝日の翌日 年末年始(12月28日から1月4日)

 入館料  一般・高校生300円 小・中学生200円

 問合わせ 大原幽学記念館 0479-68-4933

 備考
 「収蔵品展2012」の開催される「大原幽学記念館」は、12月24日(月)、1月14日(月)、2月11日(月)は開館するそうです。
 そして11月24日(土)、12月25日(火)、1月15日(火)、2月12日(火)、3月21日(木)は休館するそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1394 |
| 地域情報::旭 | 11:17 PM |
「佐原まちあるき」その9「旧油惣商店(きゅうあぶそうしょうてん)」(香取市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「重要伝統的建造物群保存地区」の「店舗」などを紹介する「企画」「佐原まちあるき」です。
 第9回の今回は、創業寛政6年(1794年)「木造」・「寄棟妻入二階建」・「瓦葺」の「建物」の「旧油惣商店(きゅうあぶそうしょうてん)」です。

 「香取市」は、2006年3月27日に「佐原市」、「香取郡栗源町」、「小見川町」、「山田町」と合併しています。
 「香取市」の「中心」である「佐原」の「歴史」は、古く、古代から「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)が鎮座し、「神官」の「祭典」の時に使用する「土器」、「浅原(さわら)」を造って納めていたので「サワラ」という「地名」がついたともいわれています。

 鎌倉時代には「佐原市」「本矢作」に「居城」がありましたが、江戸時代には「城」は築かれませんでした。
 しかし「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)や「支流」の「小野川」(9月7日のブログ参照)の「水運」を利用し、又「香取街道」を始めとする「街道」が交差する「陸運」の「要所」でもあったことから、「東北諸藩」の「年貢米」やその他の「物資」の「集散地」として繁栄し、
 「お江戸見たけりゃ佐原へござれ佐原本町江戸まさり」
 といわれる程、「利根川」流域の「交通」・「経済」・「文化」の「中心」として「発展」を続けました。

 上記のように「香取市佐原」は、「利根川水運」の「中継基地」として栄えた「場所」で、現在でも「小野川」沿いと周辺には「商家」が建ち並ぶ古い「町並み」が残っており、その「町並み」の「美しさ」から「小江戸」と呼ばれ「人気」を集めています。
 「佐原の町並み」には、江戸時代の「店構え」を残す「店舗」や古くからの「道具類」を大切に伝えてきた「家」など、当時の「町並み」がたくさん残っています。
 以上のことが認められ、「佐原の町並み」は、「関東」で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。

 「佐原の町並み」には、「佐原の偉人」「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)が過ごした「伊能忠敬旧宅」(2月24日のブログ参照)や「伊能忠敬」の「功績」を讃えている「記念館」「伊能忠敬記念館」(2011年3月8日・2012年1月29日・4月21日のブログ参照)があります。

 「伊能忠敬旧宅」から「小野川」をまたいで対岸に「伊能忠敬記念館」があり、「小野川」にかかる「樋橋(とよはし)」(2月13日のブログ参照)で行き交いできます。
 もとは江戸時代の前期につくられた「佐原村用水」を、「小野川」の「東岸」から「対岸」の「水田」に送るための「大樋」であったそうです。
 300年近く使われ、戦前に「コンクリート」の「橋」になってからも「橋」の「下側」につけられた「大樋」を流れる「水」が、「小野川」にあふれ落ちて
 「ジャージャー」
 と「音」を立てるので、「じゃあじゃあ橋」の「通称」で親しまれていました。
 今の「橋」は「観光用」につくられたもので、30分ごとに「落水」させています。

 「重要伝統的建造物群保存地区」「佐原の町並み」には昔からの「家業」を引き継いで今も「営業」を続けている「商家」が多く、「生きている町並み」として評価されています。
 また「重要伝統的建造物群保存地区」「佐原の町並み」では「伊能忠敬旧宅」(寛政5年(1793年)建築・国指定史跡)のほか「千葉県」の「県指定文化財」も8軒(13棟)が「小野川」沿いや「香取街道」沿いに「軒」を連ねています。

 「旧油惣商店」は、江戸中期の寛政6年(1794年)創業で、「小野川」に面して建つ「旧店舗」と「土蔵」です。
 「旧店舗」は、1900年(明治33年)建築の「佐原」にはめずらしい「木造総二階建」で、大火以後の明治33年の「建築」に、大正5〜6年の「増築」の「建物」だそうです。
 また「土蔵」(袖蔵)ですが、「土蔵」の「棟札」に「寛政十戌午歳九月 立之大工 佐吉立之」とあり、1798年(寛政10年)建築で「佐原地区」で「最古」の「建築物」(の可能性がある)といわれています。
 また「旧油惣商店」「土蔵」は「屋根裏」を含めると「3階分」あるそうです。

 「旧油惣商店」は、「本地」において「酒造業」を始め、その後寛政年間より「佐原村」(当時)で初めて「奈良漬」を始めていたそうです。
 その当時「佐原名物御酒(おさけ)に醤油(しょうゆ)、味醂(みりん)に奈良漬島の瓜(うり)」と江戸末期ごろの「里謡」にうたわれていたようです。

 「旧油惣商店」では、明治から昭和戦前まで「奈良漬け」等の数多くの「商品」を「アメリカ」に輸出していた「実績」をもっていたそうです。
 さらに「旧油惣商店」は、「酒造業銘柄」「菊華」としても知られており、大正年間に「佐原」で初めて「キリンビール」を販売していたことでも知られています。
 「旧油惣商店」には、江戸、明治、大正、昭和30年までの「建物」、「家財」がそのまま維持されているそうです。

 「江戸優(えどまさ)り」「佐原最古」の「土蔵」と「佐原」きっての「商家」のひとつ「旧油惣商店」。
 昔ながら「町並み」を今に残す「香取市佐原」にお出かけしてみてはいかがでしょうか?

 「旧油惣商店」詳細

 所在地  香取市佐原イ503

 問合わせ 町並み観光中央案内処 0478-55-2020

 備考
 「小野川」にかかる「樋橋」の「落水」は「残したい日本の音風景100選」に選ばれています。
 「旧油惣商店」の「店舗」、「土蔵」の「2棟」は、平成5年2月26日に「千葉県」の「県指定有形文化財」に指定されています。













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| 地域情報::香取 | 03:33 PM |

 
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