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「銚子ジオパーク」(銚子市)
 本日二つ目にご紹介するのは、地元「銚子市」が登録を目指し、昨日(9月24日)に「日本ジオパーク」に認定を受けました「銚子ジオパーク」です。

 「銚子市」(2010年9月20日のブログ参照)は、「関東地方」の「最東端」に位置し、「千葉県」の「北東部」にある「市」で、「全国屈指」の「漁港」(2011年1月26日のブログ参照)の「まち」でもあります。
 「銚子市」の「北部」には「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)が流れており、「銚子市」で「太平洋」に注いでいます。
 「銚子市」は「東京」から100km圏内で、江戸時代に「利根川水運」が開発され、「醤油醸造業」(2010年9月29日・12月6日・12月8日・12月20日・2011年9月10日のブログ参照)と「漁業」(1月24日のブログ参照)で発展、「農業」(2011年2月19日・6月15日のブログ参照)は「露地野菜」を中心に発展した「観光都市」です。

 「銚子市」は、「利根川」沿いの「低地」と「北総台地」(下総台地)(7月10日のブログ参照)からなり、「表層」は「関東ローム層」に覆われており、「愛宕山」(標高73.6m)は、「北総台地」(下総台地)「最高峰」となっています。
 「水田」は、「台地山間」の「谷津田」と「利根川」沿いに広がっており、「畑地帯」は「台地」の「平坦部」に位置し、比較的「農業」に適しています。

 「銚子市」の「最東端」「犬吠埼」(4月16日のブログ参照)は、「関東平野」の「最東端」、「太平洋」に突出する「岬」で、「岬」には「世界灯台100選」にも選ばれた「犬吠埼灯台」(2011年1月1日のブログ参照)が屹立(きつりつ)しています。
 「犬吠埼」付近一帯は「水郷筑波国定公園」(8月3日のブログ参照)に含まれる「景勝地」で、「風光明媚(ふうこうめいび)」な「海岸線」は、かつて数々の「文人」、「墨客」が訪れ、「高浜虚子」、「国木田独歩」(2011年6月20日のブログ参照)、「佐藤春夫」などの「歌碑」、「詩碑」が立っています。

 「犬吠埼」の「地層」ですが、「中生代」の「白亜紀」という時代にできたといわれており、今からおよそ1億2000万年前の「地質時代」だそうです。
 浅い「海底」に長い時間をかけて堆積された「地層」がのちに「陸地」になりましたが、当時の様子を「犬吠埼灯台」周辺の「岩石」や「化石」、「地質構造」から読み取ることができるそうです。
 「犬吠埼の白亜紀堆積物」は、2002年に「国の天然記念物」として指定され、また2007年には、「日本の地質百選」にも選定されています。

 「屏風ヶ浦(びょうぶがうら)」(5月20日のブログ参照)は、「銚子市名洗町」から「旭市上永井」の「刑部岬(ぎょうぶみさき)」(5月26日のブログ参照)までの「海岸線」に連なる「断崖絶壁」、「海食崖」のことです。
 「水郷筑波国定公園」に属し、「イギリス」と「フランス」の間の「ドーバー海峡」にある「崖」に似ていることから、「東洋のドーバー」とも呼ばれています。
 「屏風ヶ浦」の迫力ある「風景」は、「ドラマ」・「CM」・「映画」・「プロモーションビデオ」などの「ロケ地」としても好まれています。

 「屏風ヶ浦」の「高さ」60mに及ぶ「岸壁」は、かつては「海底」であった「層」(砂岩質の岩の部分)の上に「関東ローム層」の「赤土」(火山灰が積もって鉄分が赤く参加したもの)が堆積したものです。
 崩落した「岩」を見ると、「貝殻」などの「化石」や、かつてそこで生活していた「生物の痕跡」が残っています。
 崩落した「石」は「潮流」に乗って「九十九里浜」(5月11日のブログ参照)へと流れて行き、「海岸」に打ち上げられ、「九十九里」では「飯岡石」と呼ばれています。
 「砂岩質」の「土壌」が弱いのと、打ち寄せる「波の強さ」もあり、「有史」以来数キロに渡って「岸壁」は削られています。

 「ジオパーク」(英・geopark)とは、「地球科学的」に見て重要な「自然」の「遺産」を含む、「自然」に親しむための「公園」で、「地球科学的」に見て重要な「特徴」を複数有するだけでなく、その他の「自然遺産」や「文化遺産」を有する「地域」が、それらの様々な「遺産」を「有機的」に結びつけて「保全」や「教育」、「ツーリズム」に利用しながら「地域」の「持続的」な「経済発展」を目指す「仕組み」です。
 「ジオパーク」は、「日本語」では「地質遺産」と訳されることがありますが、「誤訳」だそうで、「日本ジオパーク委員会」では「大地の公園」という「言葉」を使っています。

 「全国」の「観光地」で今、「話題」となっている「ジオパーク」。
 「ユネスコ」が「世界文化遺産」、「世界自然遺産」と並んで「登録制度」を設けている「世界地質遺産」のことで、「銚子」にも「登録」を目指す「ジオパーク」があります。

 「銚子半島」の「南西側」の「海岸」に「高さ」40〜50mの「海食崖」が約10kmに渡って続く「屏風ヶ浦」は、220〜250万年前の「複数」の「地層」が「西」に向かって緩く傾斜する雄大な「景色」を見ることの「景勝地」で、「地元ガイド」によりますと
 「傾斜は東京に続いており、銚子の断層が東京では1200メートルの地底で見られるように、関東平野はレンズ状になっている」
 とコメントしています。
 「銚子市」では、4月に「日本ジオパーク委員会」に「認定申請書」を提出し、今月(9月)にその「可否」が決定することとなっていました。
 そして昨日(9月24日)、「日本ジオパーク委員会」は、「神奈川県」の「箱根」、「秋田県」の「八峰白神」、「秋田県」の「ゆざわ」、「静岡県」の「伊豆半島」と共に「千葉県」の「銚子市」の5ヵ所を「地域」の「地形」や「地質」を楽しめる「自然公園」「日本ジオパーク」に認定しました。

 「銚子」は、「地形」の「特徴」や、「市民」が「自主的」に「ガイド」を務める「取り組み」が評価されたそうです。
 「銚子」の「場合」は、上記のように、「関東」の「地下」にある「地層」が「海岸」で「観察」できる「屏風ヶ浦」や「太平洋」に面した「海岸」に1億年以上前からの「地層」が「むき出し」となるなど「海岸」に「沿い」いくつもの「見所」があり、評価されたようです。

 「銚子ジオパーク推進協議会」では、
 「今後は課題と指摘されたわかりやすい説明板などの整備に力を入れたい」
 とコメントしています。
 また、「銚子ジオパーク推進協議会」は、「校外学習」などにも「活用」し、「地域活性化」にも役立てたいとしています。

 「自然公園」「日本ジオパーク」に認定されました「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 備考
 「銚子ジオパーク」は、大きくわけて、4つの「ジオサイト」に分かれており、「屏風ヶ浦(びょうぶかうら)ジオサイト」、「愛宕山(あたごやま)・千騎ヶ岩(せんがいわ)・犬岩(いぬいわ)ジオサイト」、「黒生(くろはえ)・夫婦ヶ鼻(めどがはな)・宝満(ほうま)ジオサイト」、「犬吠埼(いぬぼうさき)ジオサイト」となっています。









| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1308 |
| 地域情報::銚子 | 02:43 PM |
「銅像不動明王立像御開帳」(印西市)
 本日ご案内するのは、近隣市「印西市」「結縁寺(けちえんじ)」で明明後日(しあさって)の9月28日(金)に開催されます「銅像不動明王立像御開帳」です。

 「印西市」は、「千葉県」の「北部」、「北総台地」(下総台地)(7月10日のブログ参照)の緩やかな「起伏」の上に位置しています。
 三方を「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)、「手賀沼」、「印旛沼」(2011年2月23日のブログ参照)に囲まれ、四季折々に「表情」を変える恵まれた「自然環境」は、「市民」や、「この地」を訪れる「人」に「やすらぎ」と「うるおい」を与えています。

 「印西市」は、江戸時代から「商業の町」として栄え、「江戸」と「佐倉」・「銚子」を結ぶ上で「重要な町」でありました。
 「印西市」には「歴史的建造物」や、「遺跡」も数多く残っていて、当時の「面影(おもかげ)」を偲(しの)ばせています。
 現在も「印西市」は「地理的条件」にも恵まれ、「東京都心」、「成田国際空港」という「日本」を代表する「高機能拠点」の中心に位置している「まち」として発展を続けています。

 「印西市」は、昭和29年12月に旧「木下町」、「大森町」、「船穂村」、「永治村」の一部が合併して「町制」を施行し、平成8年4月に「市制」を施行しました。
 「印西市」が含まれる「千葉ニュータウン」は、昭和42年に「計画」決定され、昭和59年に「入居」が開始されました。
 「東西」約18km、「南北」約3km、「3市」にまたがる「千葉ニュータウン」は、全体の約6割を「印西市」が占めています。

 「印西市」の「魅力」は、「ニュータウン」に代表される「市街地開発」は振興しながらも、「周辺地域」のきれいな「水」と「緑」にあふれた「自然」が今でも豊かに残されていることだそうです。
 そして「印西市」では、「町の歴史」を今に伝える「神社」や「仏閣」、「由緒」ある「まつり」も「人々」によって大切にされています。

 「結縁寺」(2011年9月27日のブログ参照)は、周りを「イチョウの木」に囲まれた「小寺」で、奈良時代の「僧」・「行基」が開いたといわれています。
 「結縁寺」は、「銅像不動明王立像」を安置することで知られています。
 「不動明王立像」は嘉元元年(1303年)に造られ、「高さ」47cmの小さなもので「左」の「上牙」で「下唇」を、「右」の「下牙」で「上唇」を噛(か)みしめた「面相」や逞(たくま)しい「体つき」など鎌倉時代の「特色」を表しており、「結縁寺」では、「阿弥陀三尊」とともに祀られています。

 「不動明王」は、「梵名」「アチャラ・ナータ」は、「仏教」の「信仰対象」であり、「密教」特有の「尊格」である「明王」の「一尊」であり、また「五大明王」の「中心」となる「明王」でもあります。

 「不動明王」は、「密教」の「根本尊」である「大日如来」の「化身」、あるいはその「内証」(内心の決意)を表現したものであると見なされています。
 「お不動さん」の「名」で親しまれ、「大日大聖不動明王」、「無道明王」、「無動尊」、「不動尊」などとも呼ばれています。
 「不動明王」は、「アジア」の「仏教圏」の中でも特に「日本」において根強い「信仰」を得ており、「造像例」も多いです。

 また「日蓮宗」系「各派」の「御本尊」(いわゆる「十界曼荼羅」)にも「不動明王」が書かれていますが、「愛染明王」と同様、「空海」によって伝えられた「密教」の「尊格」であることから、「日蓮」以来代々「種子」で書かれています。
 なお「日蓮」の「曼荼羅」における「不動明王」は「生死即涅槃(せいしそくねはん)」を表し、これに対し「愛染明王」は「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」を表しているとされています。

 「銅像不動明王立像御開帳」ですが、9月28日(金)に、「結縁寺」にて行われます。
 「不動明王」は「真言行者」の「守護神」であり、「忿怒形」(怒りの「表情」)を以って「人々」を導くといわれています。
 「銅像不動明王立像」は、上記のように「像高」47cmで、「右手」に「宝剣」、「左手」に「羂索」を持っており、全体的な力強く「写実的」だそうです。

 「銅像不動明王立像」の「正面」の「裳」(「腰」から「下」の「衣」)には「嘉元元年癸卯九月十五日 願主権律師瀧尊」の「銘」が刻まれており、1303年鎌倉時代後期に造像されていたことがわかります。
 「銅像不動明王立像」は、1914年(大正3年)4月17日に「国」の「重要文化財」に指定されています。
 ちなみに「結縁寺」「銅像不動明王立像」の「光背」と「岩座」は後に補ったものだそうです。

 「印西市」の「南部」にある「古社」「結縁寺」の「寺宝」「銅像不動明王立像」を鑑賞することができる「銅像不動明王立像御開帳」。
 この機会に「印西市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「銅像不動明王立像御開帳」詳細

 開催日時 9月28日(金) 13時〜14時半

 開催会場 結縁寺 印西市結縁寺516

 問合わせ 印西市教育委員会 生涯学習課 0476-42-5111

 備考
 「結縁寺」は、「晴天山」・「西光院結縁寺」と呼ばれています。
 「結縁寺」「境内」に咲く「彼岸花(ひがんばな)」は「印西八景」(2月12日のブログ参照)のひとつに指定されています。

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| 地域情報::成田 | 10:57 AM |

 
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