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「白川流十二神楽」(香取市)
 本日二つ目にご案内するのは、となりまち「香取市」「八重垣神社」で明後日(あさって)の3月20日(祝・火)に開催されます「白川流十二神楽」です。

 「八重垣神社」は、延元3年(1338年)に勧請し創建されました。
 「八重垣神社」の「御祭神」は、「健速須佐雄命(たけはやすさのおのかみ)」・「天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」・「大名牟遅神(おおなむちのかみ)」・「豊宇氣比賣神(とようけびめのかみ)」・「武御名方神(たけみなかたのかみ)」を祀っています。
 「八重垣神社」の敷地858坪の境内には「本殿」(銅板葺流造)、「幣殿」(銅板切妻造)、「拝殿」(銅板葺入母屋造)、「神楽殿」(亜鉛板葺入母屋造)が建ち並びます。
 「八重垣神社」は、「八重垣尊神」と呼ばれたが、享徳4年(1455年)に「妙見宮」となり、天保2年(1831年)に「紗劔大明神」と改めました。
 「明治維新」の際には元に戻り現在の「社号」に改称しました。
 明治44年(1911年)に「字原之台」の「稲荷神社」、「諏訪神社」の両神を合祀しました。

 「白川流十二神楽」は、文化元年(1804年)当時の「名主」「高木伊八郎」が「大願主」となり、「長嶋重左衛門」、「高橋市左衛門」それぞれの「願主」が相諮り、広く村内外の賛同を得て「永代神楽講」を起こし、「神楽道具」・「湯釜」等を奉納して「天下泰平」・「万民安泰」・「五穀豊穣」を祈って「八重垣神社」「例祭」に奉納されたのが始まりといわれています。
 「白川流十二神楽」は、「猿田彦」から始まって「須佐之男命」まで「十二座」あり、その他「稚児舞」(「朝日の舞」、「夕日の舞」)が奉納されます。
 また「白川流十二神楽」は、文化4年(1807年)から「八重垣神社」「例祭」(3月20日)に奉納を続けているそうです。

 「白川流十二神楽」は、明治45年より昭和30年にいたる43年間を、後進の「指導育成」に「菅谷新之助」氏があたりました。
 「菅谷新之助」氏は、「神楽技」全般にわたり「奥義」を極め、これを受けて数多くの人々が協力・支援し、「伝承」に努力したそうです。

 戦時中には「稚児舞」だけが継続し、昭和23年から「氏子青年団」に依頼し、復活しました。
 昭和51年に「伝統」を「後世」に伝えようと「八重垣神社御神楽保存会」(「新里芸能保存会」)が結成され、現代に至っているそうです。

 昭和54年、有志の「寄進」により、「湯神楽」・「駒寄」・「四神旗」等が復元され、「祭」のすべてが昔と同じように行われ、「氏子」が一丸となって「伝統芸能」の「維持」・「継続」に努めているそうです。

 「白川流十二神楽」は、「香取市」「山田地区」「新里」で行われていることから「新里の白川流十二神楽」とよばれ、「神楽」の前に「湯立ての神事」を行っています。
 また「白川流十二神楽」は、昭和56年6月22日に「市指定」の「無形民俗文化財」に指定されています。

 「香取市新里」に伝わる「伝統芸能」「白川流十二神楽」。
 「白川流十二神楽」の行われるこの機会に「八重垣神社」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「白川流十二神楽」詳細

 開催日時 3月20日(祝・火) 14時〜18時

 開催会場 八重垣神社 香取市新里983

 「白川流十二神楽」演目

 「猿田彦」
 「乙女」
 「手力男之命」
 「八幡」
 「三宝荒神」
 「鈿女」
 「榊葉」
 「田人」(稲荷)
 「受持之命」
 「種まき」
 「須佐之男命尊」(〆切) 間で「稚児舞」(「朝日の舞」、「夕日の舞」)あり

 問合わせ 香取市生涯学習課 0478-50-1224

 備考
 「八重垣神社」の「神事」は、1月の「奉謝祭」、3月の「例祭神楽」、7月の「祇園祭」「御輿渡御」が行われます。
 また「八重垣神社」は、正月には、多くの「参拝客」で賑わうそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1000 |
| 地域情報::香取 | 10:43 AM |
「二の午大祭」(多古町)
 本日ご案内するのは、近隣市「多古町」「本山日本寺」で明後日(あさって)の3月20日(祝・火)に開催されます「二の午大祭」です。

 「本山日本寺(ほんざんにちほんじ)」(2011年10月27日のブログ参照)は、「中山法華経寺」(市川市)の「三世日祐上人」が元応元年(1319年)に開基した「日蓮宗」の「古刹」です。
 「日本寺」は、「日蓮宗」の「本山」(由緒寺院)で、「山号」は「正東山」です。
 仏教史上有名な「檀林」(学校)のあった「寺」として知られ、全国から「学僧」たちがこの地で学びました。

 「本山日本寺」に「中村檀林」が開かれたのは慶長4年(1599年)。
 「寺」の「十世」を継いだ「広才博学」の「僧」「日円」によるもので、その歴史は明治5年まで続きます。
 興隆期には千人近い「学僧」がいたといわれ、数十棟の「学坊」が軒を連ねていました。
 「僧」たちは東西に分かれて「勉学」に励み、「春」と「秋」の2回、それぞれ3カ月にわたり「新説」(しんだんぎ)とよばれる「論争」を繰り広げたそうです。
 「討論」のテーマは「日蓮宗」の「教義」はもちろん、世間での出来事、社会問題にまでおよび、席上活躍のめざましかった「学僧」は、「番付表」に「名札」があげられました。
 「論戦」には「土地の役人」も招かれ、多くの村人が見学に押し寄せたそうです。

 「本山日本寺」の「山門」ですが、江戸時代初期の「建造物」で「切妻造り」です。
 また「本山日本寺」の「山門」正面に掲げられている「正東山」の「扁額」(縦130cm、横50cmの「杉材」)は、「本阿弥光悦」の「真筆」といわれ、「日本三額」のひとつにあげられています。
 このほか、「本山日本寺」には「水戸光圀」ゆかりの「屏風」も所蔵されています。
 また「十五世日円上人」の「学徳」を募っていた時には500人を越える「学僧」が「本山日本寺」で「討議学習」をしたといわれ、その様子を再現した「新談義絵図講堂」の「図」が残っています。

 「二の午大祭」は、「本山日本寺」境内にある「岡田稲荷」、「豊田稲荷」(別称「夫婦稲荷」)の「祭礼」です。
 「二の午大祭」は、毎年旧暦の2月の「二の午」の日に開催しているそうです。
 「岡田稲荷」、「豊田稲荷」は、「夫婦円満」・「子孫繁栄」・「五穀豊穣」・「商売繁盛」の「守護神」として「関東一円」からの「参詣者」で賑わうそうです。

 「関東三檀林」のひとつであった「中村檀林」「本山日本寺」。
 「本山日本寺」内「夫婦稲荷」(「岡田稲荷」、「豊田稲荷」)で行われる「二の午大祭」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「二の午大祭」詳細

 開催日時 3月20日(祝・火) 9時〜終日

 開催会場 本山日本寺 香取郡多古町南中1820

 問合わせ 0479-76-3745

 備考
 「本山日本寺」は、「多古町」の「指定文化財」となっています。
 また「日本三額」のひとつである「山門」に掲げられている「扁額」ですが、「池上本門寺」、「中山法華経寺」と並んで「関東三額」のひとつとも云われています。
 また「水戸光圀」(水戸黄門)が「学僧」の便宜をはかり、「本山日本寺」を起点にして「江戸」まで1里毎に、「塚」を建て、その「名残」が「三里塚」という「地名」だともいわれています。

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