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「しすい・ハーブガーデンまつり」(酒々井町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「酒々井町」「しすい・ハーブガーデン」「ハーブの丘」で5月21日(土)に開催されます「しすい・ハーブガーデンまつり」です。

 「酒々井町」は、「千葉県」の「北部中央」に位置し、「印旛郡」に属する「まち」です。
 ちなみに「印旛郡」ですが、2010年(平成22年)に「印旛郡」に属していた「印旛村」・「本埜村」の「印西市」「編入」により、現在は「栄町」と、「酒々井町」のみとなっています。
 「酒々井町」は、上記のように「千葉県」の「北部」の「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)に位置し、「東京都心」から50kmの「圏内」にあって、「北西部」には「印旛沼」(2011年2月23日のブログ参照)、「東南部」には「北総台地」(下総台地)を配し、「緑」豊かな「自然環境」と、「温暖」な「気候」に恵まれています。
 「酒々井町」の「町名」ですが、「親孝行息子」の「井戸」から「酒」が湧いたという「酒の井戸」の「伝説」に由来するそうです。

 「酒々井町」は、昭和40年代から「住宅団地」が造成されており、「JR酒々井駅」・「京成酒々井駅」周辺には「酒々井町中央団地」(造成主体・酒々井町)や、「東しすい住宅団地」(造成主体・東急建設、昭苑都市開発)などが広がっており、近年「JR成田線」の「快速電車」が「JR酒々井駅」に停車し、「京成電鉄」も「京成酒々井駅」、「京成宗吾霊堂駅」があり、「道路」も「国道51号線」が「町南部地域」を通過しており、2013年(平成25年)4月10日から「酒々井IC(シスイインターチェンジ)」(2013年4月12日のブログ参照)も開通、供用開始されています。
 「酒々井IC」付近には、「酒々井町」の「見どころ」、「遊びどころ」が点在しており、「しすいハーブガーデン」「ハーブの丘」(2013年5月12日・4月8日のブログ参照)や、「飯沼本家」「酒々井まがり家」(2013年11月23日・4月26日のブログ参照)「酒々井プレミアム・アウトレット」(2015年4月12日・2014年3月7日のブログ参照)、「酒々井ちびっこ公園」(房総の魅力500選)、「六所神社」、「しすいの森パークゴルフ場」などの「観光施設」があります。

 「しすいハーブガーデン」「ハーブの丘」は、「潤い」と、「健康」をもたらす「ハーブ」をより多くの「人」に慣れ親しんでもらおうと開園された「酒々井町」の「観光施設」です。
 「酒々井町」では、「ハーブ」を「特産品」にしようと「商品化」に向けた「研究」を重ね、「ハーブのまち酒々井」をPRするために作られた「しすいハーブガーデン」「ハーブの丘」は、その「試験栽培」を兼ねた「酒々井町」の「町営施設」として運用されており、「本格的」な「ハーブ園」となっています。
 「しすいハーブガーデン」「ハーブの丘」では、「園内」を散策して「ハーブ」の愛らしい「花」を見たり、触れたり、「個性的」な「香り」を体験しながら、「自分の好み」の「ハーブ」を探せる「施設」となっており、「観賞用ガーデン」は、常時開園しており、観賞できるそうです。

 「しすいハーブガーデン」「ハーブの丘」は、上記のように「酒々井町」が管理している「施設」で、1800平方mの「敷地」に、「世界各種」の「ハーブ」150種を植栽しており、「東関東自動車道」「酒々井IC」から「車」で5分、「酒々井プレミアム・アウトレット」から約1kmの「距離」に位置する「本格的」な「ハーブガーデン」です。
 「しすいハーブガーデン」「ハーブの丘」では、「春」から「秋」にかけて、それぞれの「季節」の「ハーブの花」や、「香り」が楽しめ、特に5月下旬から6月中旬、9月中旬から10月中旬が「見頃」となっています。
 「しすいハーブガーデン」では、5月には、「キャンピオン」・「アルカネット」・「カモマイル」・「セージ」類などが、6月から7月には、細い「茎」に「大輪」を咲かせる「デイ・リリー」や、「ラベンダー」がそれぞれ「見頃」を迎え、「園内」には「風向き」が変わるたび、さわやかな「香り」が漂うそうです。
 「しすいハーブガーデン」「ハーブの丘」「ガーデンハウス」内では、「苗」の「直売」を、「ハーブショップ」では、「加工品」の「販売」や、「ハーブティー」の「サービス」を行っています。
 「しすいハーブガーデン」「ハーブの丘」「ハウス&ショップ」では、上記のように「ハーブ苗」及び「ハーブジャム」、「ハーブクッキー」、「オリジナルハーブティー」、その他「ハーブ関連商品」を多数揃えているそうです。
 また、「しすいハーブガーデン」「ハーブの丘」「ハーブ喫茶」では、「ハーブティー」や、「ハーブドック」、「スパイスカレー」など「軽食」が楽しめるそうです。

 「しすいハーブガーデン」「ハーブの丘」では、「酒々井町」の「土壌」と、何より手入れがよく、どの「ハーブ」をこんもりと大きな「株」に育ち、「季節ごと」の「香り」が心地よく、珍しい「ハーブ」はもちろん、身近に見かける「ハーブ」の「自然本来」の「姿」が分かり、「ガーデニング」をやる「人」にはいい勉強になるそうです。
 「しすいハーブガーデン」「ハーブの丘」で、特に目を引くのが、上述の新しい「ハーブ」の「デイ・リリー」で、1日だけ咲く「ゆり」のような「花」というのが「語源」といわれています。
 「デイ・リリー」は、見た目にも美しい上、「ビタミン」・「鉄分」を豊富に含んでおり、「スープ」や、「炒めもの」等の「食用」として利用されているそうです。

 「酒々井町」では、上記のように「ハーブ」の「見頃」を迎える毎年5月中旬に「しすいハーブガーデン」「ハーブの丘」を「会場」に「しすいハーブガーデンまつり」を行っています。
 この時期になると「ハーブの花」は「香り」とともに咲き出し、「しすいハーブガーデン」「ハーブの丘」は、花盛りとなるそうです。
 「しすいハーブガーデンまつり」では、「ハーブの苗」・「寄せ植鉢」・「ハーブ関連商品」の「販売」、「模擬店」、「イベント」等、楽しい企画が行われています。

 「しすいハーブガーデンまつり」ですが、今年(2016年・平成28年)も「しすいハーブガーデン」「ハーブの丘」を「会場」に5月21日(土)に開催されます。
 「しすいハーブガーデンまつり」は、爽やかな「ハーブ」の「香り」が漂う「しすいハーブガーデン」「ハーブの丘」「園内」で「演奏」を聴きゆったりできるそうで、「しすいハーブガーデンまつり」の「内容」ですが、下記の通りとなっています。

 「しすいハーブガーデンまつり」「内容」

 ハーブ商品の販売

 カモミールせっけん作り体験

 地元野菜の販売

 飲食店による模擬店

 ウクレレ、ギターの演奏

 ハーブ商品などがもらえるスタンプラリー

 また「しすいハーブガーデンまつり」には、「酒々井ふるさと大使」の「仲村瑠璃亜」さん、「千葉県」の「公式マスコットキャラクター」「チーバくん」も「特別ゲスト」として駆けつけ、「しすいハーブガーデンまつり」を盛り上げてくれるそうです。
 ちなみに「酒々井ふるさと大使」「仲村瑠璃亜」さんですが、「千葉県」「出身」の「女優」・「タレント」で、9歳から「女優一筋」で、日々邁進されており、「趣味」は「読書」・「映画鑑賞」・「ネイルアート」、「特技」は「ドラム」・「ダンス」・「アクション」、「将来の夢」は「ハリウッド女優」になることだそうです。
 「酒々井ふるさと大使」「仲村瑠璃亜」さんは、「酒々井町」の「見どころ」などを案内する「ナビゲーター」として、「酒々井町」の「プロモーションビデオ」にも出演されており、また「酒々井町」の「総合観光パンフレット」「酒々井町じゃらん」でも「表紙モデル」を飾り、「酒々井町」の「町内」の「観光名所」を紹介する「ガイド役」としても協力しているそうです。

 1800平方mの「敷地」に「世界各地」の150種以上の「ハーブ」が植栽された「ハーブガーデン」「しすい・ハーブガーデン」「ハーブの丘」で開催される「ハーブづくし」の「恒例イベント」「しすい・ハーブガーデンまつり」。
 この機会に「酒々井町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「しすい・ハーブガーデンまつり」詳細

 開催日時 10時〜14時

 開催会場 しすい・ハーブガーデン 印旛郡酒々井町墨1549-1

 営業時間 10時〜16時

 休館日  月曜日

 入館料  無料

 問合わせ しすい・ハーブガーデンハーブの丘 043-496-4909
      酒々井町コミュニティプラザ 043-496-4461

 備考
 「しすいハーブガーデンまつり」は、「雨天決行」の「イベント」ですが、「天候」等により一部変更となる場合があるそうですので、ご注意下さい。
 なお「しすいハーブガーデンまつり」ですが、「緑の募金」が活用されているそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2971 |
| 地域情報::成田 | 10:07 AM |
「開運厄除柴灯大護摩供護摩木祈願火渡り修行」(成田市)
 本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「成田山新勝寺」で5月22日(日)に開催されます「開運厄除柴灯大護摩供護摩木祈願火渡り修行」です。

 「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)は、「成田市」にある「真言宗智山派」の「寺」であり、「真言宗智山派」の「大本山」のひとつです。
 「成田山新勝寺」は、1000年以上の「歴史」をもつ「全国有数」の「霊場」で、「成田」を「代表」する「観光地」でもあり、「正月3が日」には約300万人、「年間」約1000万人以上の「参拝客」が訪れています。
 「成田山新勝寺」の「御本尊」は「不動明王」で、「成田山新勝寺」は上記のように「関東地方」「有数」の「参詣人」を集める「著名寺院」で、「家内安全」、「交通安全」などを祈る「護摩祈祷」のために訪れる方が多い「不動明王信仰」の「寺院」のひとつであり、「成田のお不動さま」の「愛称」で親しまれています。

 「成田山新勝寺」の「御本尊」である「不動明王」ですが、「真言宗」の「開祖」「弘法大師」「空海」が自ら「一刀三礼」(ひと彫りごとに三度礼拝する)の「祈り」をこめて「敬刻開眼」された「御尊像」なのだそうです。
 「成田山新勝寺」では、この「霊験」あらたかな「御本尊」「不動明王」の「御加護」で、千年以上もの間、「御護摩」の「火」を絶やすことなく、「皆様」の「祈り」が「一体」となり「清浄」な「願い」となって現れるそうです。
 「成田山新勝寺」は、「開山1080年」を間近に控えた現在も「成田山のお不動さま」として数多くの「人びと」の「信仰」を集めています。

 「成田山」の「開山の祖」「寛朝大僧正(カンチョウダイソウジョウ)」は、延喜16年(918年)に生まれ、天慶3年(940年)「平将門の乱」を鎮めるため「朱雀天皇」の「勅命」により「関東」に下り、「この地」に「成田山新勝寺」が開山されました。
 「寛朝大僧正」は、「皇室」との「血縁」もある大変に「格」の高い「僧侶」で、後に「真言宗」初めての「大僧正」に任じられ、「成田山」の他にも「京都」に「遍照寺」を開山しているそうです。

 「成田山新勝寺」は、上記のように平安時代中期に起きた「平将門の乱」の際、939年(天慶2年)「朱雀天皇」の「密勅」により「寛朝大僧正」を「東国」に遣わしたことに「起源」を持ちます。
 「寛朝大僧正」は、「京」の「高雄山」(神護寺)「護摩堂」の「空海」作の「不動明王像」を奉じて「東国」へ下り、翌940年(天慶3年)、「海路」にて「上総国」「尾垂浜」に上陸、「平将門」を調伏するため、「下総国」「公津ヶ原」で「不動護摩」の「儀式」を行ったそうです。
 「成田山新勝寺」では、この天慶3年を「開山の年」としています。
 「平将門の乱」「平定後」の永禄年間(1566年)(永禄9年)に「成田村一七軒党代表」の「名主」が「不動明王像」を背負って「遷座」され「伽藍」を建立された「場所」が、現在の「成田市」「並木町」にある「不動塚」周辺と伝えられており、「成田山発祥の地」といわれています。
 「成田山新勝寺」の「寺名」ですが、「また新たに勝つ」という「語句」に因み「新勝寺」と名づけられ、「東国鎮護」の「寺院」となったそうです。

 「成田山新勝寺」では、平成20年(2008年)に「開基1070年祭記念大開帳」が行われ、これにあわせて、平成19年(2007年)には「総欅造り」の「総門」が「落慶」され、「新勝寺」の「表玄関」として「荘厳」な「たたずまい」を見せています。
 この「総門」は、開かれた「庶民のお寺」「成田山」と「門前町」とをつなぐ「担い手」として、「大開帳」を記念し創建されたもので、「総門」前にある「門前広場」は「参拝客」の「憩いの場」となっています。

 「成田山新勝寺」ですが、「総門」をくぐって、「境内」に入ると大きな赤い「提灯」のある「仁王門」があり、「境内」には、数多くの「建造物」が立ち並んでいます。
 「仁王門」から「東海道五十三次」にならった53段の「石段」を上がると、「成田山」の「シンボル」である「大本堂」が現れ、「成田山新勝寺」「大本堂」では、「世界平和」と「人々の幸せ」を願って「開山」以来「毎日」欠かさずに「御護摩祈祷」が厳修されています。

 「成田山新勝寺」の「伽藍」ですが、「JR」および「京成電鉄」の「成田駅」から「成田山新勝寺」への「参道」が伸び、「参道」を10分ほど歩き、「急」な「石段」を上った先の「台地上」に「境内」が広がっています。
 「石段」の「途中」に「仁王門」、「石段」を上った先に「正面」に「大本堂」、その手前「右手」に「三重塔」、「鐘楼」、「一切経堂」などが建っています。
 この他、「大本堂」の「左手」に「釈迦堂」、「大本堂」の「背後」の「一段」高くなった「地」には「額堂」、「光明堂」、「開山堂」、「成田山平和大塔」(2012年5月7日のブログ参照)などが建っており、「成田山新勝寺」「境内」の「東側」は「広大」な「成田山公園」(2011年11月8日・2010年11月12日のブログ参照)があります。
 「成田山新勝寺」にある「釈迦堂」、「光明堂」、「表参道」にある「薬師堂」(2013年5月22日のブログ参照)ですが、「歴代」の「成田山」の「大本堂」です。
 これほどの「数」の「御堂」が現存している「寺院」は大変珍しく、それぞれの「建物」には「建立時」の「建築様式」を「今」に伝えており、江戸中期から末期の「建物」である「仁王門」、「三重塔」、「釈迦堂」、「額堂」、「光明堂」の「5棟」が「国」の「重要文化財」に指定されています。

 5月は、「成田山新勝寺」の「お参り月」です。
 「成田山新勝寺」では、「正五九(ショウゴク)」(1月、5月、9月のこと)といって、この時期にお参りすると、「平月」にも増して「御利益」が授かることができると言われています。
 「成田山」では、「お参り月」となる「5月」と、「9月」の「第4日曜日」に、「開運厄除柴灯大護摩供護摩木祈願火渡り修行」が公開されます。
 「柴灯大護摩供」は、例年ですと、一年「最後」の「ご縁日」の12月28日に、「古いお札」を納め「御利益」に感謝する「納め札お焚き上げ・柴灯大護摩供」が行われていますが、平成21年(2009年)からは「年末」だけではなく、5月と、9月にも執り行われています。

 「柴灯大護摩供」とは、古来、「山伏」が「山岳修行」の際、「柴(シバ)」を使い、「護摩壇」を設け、「所願成就」を祈念する「伝統行事」です。
 「願い事」と「名前」を書いた「護摩木」を「道場中央」に設けた「護摩壇」は、「お不動さま」の「智慧の炎」が立ち上がり、「開運厄除」をはじめ「所願成就」を祈念するそうです。

 「お護摩」というのは、

 「御本尊の不動明王の前に壇を設けて、供物を捧げ護摩木という特別な薪で焚いて祈る」

 という、「真言密教」の「秘法」のことです。
 「成田山新勝寺」における「火渡り修行」(開運厄除柴灯大護摩供護摩木祈願火渡り修行)では、上記のように「お願い事」と、「お名前」を書いて「皆様」から奉納された「護摩木」が、「お不動さま」の「智慧の炎」が燃え盛る「護摩壇」に投じられ、「所願成就」が祈願されます。

 古式に則った「厳粛」な「修行」は、「道場」の「周り」に、「ご参集」の「大勢」の「皆様」に見守られる中で「粛々(シュクシュク)」と執り行われます。
 それはまるで「成田山新勝寺」「境内全体」が浄化され、「霊験」あらたかな「雰囲気」に包まれるかのようだそうです。
 そして、「山伏」に扮した「僧侶たち」による「開運厄除柴灯大護摩供護摩木祈願火渡り修行」が行われ、「裸足」で「火渡り」をする「山伏」の「気迫」溢れる「表情」を間近でご覧いただけます。
 この「開運厄除柴灯大護摩供護摩木祈願火渡り修行」には、「ご参詣」にお出でになった「皆様」も、「ご体験」いただくことができるそうです。

 「成田」の「名刹」「成田山新勝寺」で執り行われる「古式」ゆかしい「伝統行事」「開運厄除柴灯大護摩供護摩木祈願火渡り修行」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「開運厄除柴灯大護摩供護摩木祈願火渡り修行」詳細

 開催日時 5月22日(日) 11時半〜

 開催会場 成田山新勝寺 成田市成田1

 問合わせ 成田山新勝寺 教学課 0476-22-2111

 備考
 「開運厄除柴灯大護摩供護摩木祈願火渡り修行」の「火渡り修行」は、「正式」には「火生三昧耶法」というそうです。
 「火生三昧耶法」ですが、「心」を静めて一つの事に集中し、「身体」から「智慧の炎」を生じる「お不動さま」と「一体」となる「修行」で、「子供」から「年配の方」まで「誰」でも参加できるそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2973 |
| 地域情報::成田 | 10:06 AM |
「第39回奉納梅若成田山蝋燭能」(成田市)
 本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「成田山新勝寺」「光輪閣」で5月14日(土)に開催されます「第39回奉納梅若成田山蝋燭能」です。

 「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)は、「成田市」にある「真言宗智山派」の「寺」であり、「真言宗智山派」の「大本山」のひとつで、1000年以上の「歴史」をもつ「全国有数」の「霊場」で、「成田」を「代表」する「観光地」でもあり、「正月3が日」には約300万人、「年間」約1000万人以上の「参拝客」が訪れています。
 「成田山新勝寺」の「御本尊」は「不動明王」で、「成田山新勝寺」は「関東地方」「有数」の「参詣人」を集める「著名寺院」で、「家内安全」、「交通安全」などを祈る「護摩祈祷」のために訪れる方が多い「不動明王信仰」の「寺院」のひとつであり、「成田のお不動さま」の「愛称」で親しまれています。

 「成田山新勝寺」の「御本尊」である「不動明王」ですが、「真言宗」の「開祖」「弘法大師」「空海」が自ら「一刀三礼」(ひと彫りごとに三度礼拝する)の「祈り」をこめて「敬刻開眼」された「御尊像」で、この「霊験」あらたかな「御本尊」「不動明王」の「御加護」で、千年以上もの間、「御護摩」の「火」を絶やすことなく、「皆様」の「祈り」が「一体」となり「清浄」な「願い」となって現れるそうです。
 「成田山新勝寺」は、開山1080年を間近に控えた現在も「成田山のお不動さま」として数多くの「人びと」の「信仰」を集めています。

 「成田山新勝寺」では、平成20年(2008年)に「開基1070年祭記念大開帳」が行われ、これにあわせて、平成19年(2007年)には「総欅造り」の「総門」が「落慶」され、「新勝寺」の「表玄関」として「荘厳」な「佇まい」を見せています。
 この「総門」は、開かれた「庶民のお寺」「成田山」と「門前町」とをつなぐ「担い手」として、「大開帳」を記念し創建されたもので、「総門」前にある「門前広場」は「参拝客」の「憩いの場」となっています。

 「成田山新勝寺」ですが、「総門」をくぐって、「境内」に入ると大きな赤い「提灯」のある「仁王門」があり、「境内」には、数多くの「建造物」が立ち並んでいます。
 「仁王門」から「東海道五十三次」にならった53段の「石段」を上がると、「成田山のシンボル」である「大本堂」が現れ、「大本堂」では、「世界平和」と「人々の幸せ」を願って「開山」以来「毎日」欠かさずに「御護摩祈祷」が厳修されています。

 「成田山新勝寺」の「伽藍」ですが、「JR」および「京成電鉄」の「成田駅」から「成田山新勝寺」への「参道」が伸び、「参道」を10分ほど歩き、「急」な「石段」を上った先の「台地上」に「境内」が広がっています。
 「石段」の「途中」に「仁王門」、「石段」を上った先に「正面」に「大本堂」、その手前「右手」に「三重塔」、「鐘楼」、「一切経堂」などが建っています。
 この他、「大本堂」の「左手」に「釈迦堂」、「大本堂」の「背後」の「一段」高くなった「地」には「額堂」、「光明堂」、「開山堂」、「平和の大塔」(2012年5月7日のブログ参照)などが建っており、「境内」の「東側」は広大な「成田山公園」(2011年11月8日・2010年11月12日のブログ参照)があります。
 「成田山新勝寺」にある「釈迦堂」、「光明堂」、「表参道」にある「薬師堂」(2013年5月22日のブログ参照)は、「歴代」の「成田山」の「大本堂」です。
 これほどの「数」の「御堂」が現存している「寺院」は大変珍しく、それぞれの「建物」には「建立時」の「建築様式」を今に伝えており、江戸中期から末期の「建物」である「仁王門」、「三重塔」、「釈迦堂」、「額堂」、「光明堂」の5棟が「国」の「重要文化財」に指定されています。

 「薪能」ですが、「奈良」・「興福寺」の「修二会(シュニエ)」の際の「薪献進」に始まる「神事能」が「はじまり」と言われ、その時期は13世紀なかばと推定されています。
 「薪能」は、「仏法」の「守護神」を迎えるための「聖火」の「薪」の「採取」に伴う「芸能」で、「薪猿楽(タキギサルガク)」、「薪の神事」とも称されました。
 「明治維新」や「第二次世界大戦」で、一時途絶えたこともありましたが、「第二次世界大戦」後、1950年(昭和25年)「京都」・「平安神宮」の「京都薪之能」以来、「薪能」は新しい「傾向」として「全国各地」の「都市」や「寺社」で開催されるようになり、今日(コンニチ)では「ビル」の林立する「都市空間」や「遊園地」の「野外劇場」が用いられるなど、「新機軸」の「薪能」、「ショー」としての「薪能」も増えつつあるそうです。
 とはいえ、本来「屋内」で上映される「能」を「屋外」の「特設舞台」で鑑賞できることは、大変珍しく貴重な機会といえます。

 「奉納梅若成田山薪能」(2014年5月13日・2013年5月13日・2012年5月12日・2011年5月12日のブログ参照)は、毎年「5月」の「第3日曜日」の「前日」に執り行われている「薪能」です。
 「奉納梅若成田山薪能」ですが、「若葉」芽吹く「不動の森」と「成田山平和の大塔」を「背景」にして、「成田山新勝寺」「大本堂」の「奥」にある「光明堂」前に「特設舞台」が設けられ、「かがり火」の「炎」に照らされた「幽玄な世界」の中で「能」が上演されていました。
 この「幻想的」な「雰囲気」に包まれて、「一流」の「演者たち」が織り成す「日本古来」の「文化」にふれることができる「奉納梅若成田山薪能」には、多くの「地元客」、「観光客」が訪れます。

 「能と狂言 マメ知識」

 能は、約600年の歴史を持ち、舞踏・劇・音楽・詩などの諸要素が交じりあった現存世界最古の舞台芸術です。
 主人公のほとんどが幽霊で、すでに完結した人生を物語り、それが中心になっている不思議な演劇です。
 幽霊というと怖い内容のようですが、時代や国によっても変わることのない人間の本質や情念を描こうとしているのです。
 また、ギリギリまで省略されたひとつの動きの中にはいくつもの内容が込められ、一見無表情な能面には幾通りもの表情が隠されているのです。

 一方、狂言は能とほぼ同じ頃に発生しました。
 登場人物は能と違って貴族や歴史上の人物ではなく、底抜けに明るい太郎冠者を主とした親しみやすいキャラクターで、当時を描いた笑いには現代に通じるものがあります。
 その頃の日常的な話し言葉を使っているので内容もわかりやすく、能と共に歩んだ長い歴史のなかで洗練された「笑いの芸術」といわれています。
 本狂言の他に、能の間で解説的な役割をする間狂言や、祝言の式で演じられる「三番三(三番叟)」(サンバソウ)など特殊なものもあります。

 この対照的な二つの演劇はセットで演じられることが多く、幽玄の世界から笑いの世界へと観客の心をリラックスさせてくれます。
 また能には、完全な方式で演ずるほか多くの省略方式があります。

 この度(タビ)「成田山新勝寺」では、例年「薪能」として開催していた「奉納梅若成田山薪能」を「蝋燭能」として「室内」に移し、「奉納梅若成田山蝋燭能」として5月14日(土)に開催するそうです。
 今年(2016年)で「39回目」を迎える「奉納梅若成田山蝋燭能」ですが、「会場」を「成田山新勝寺」「光輪閣」4階「光輪の間」とし開催され、17時00分「開場」、18時00分「開演」となっており、「第39回奉納梅若成田山蝋燭能」の「出演」ですが、「梅若宗家一門」となっています。
 「第39回奉納梅若成田山蝋燭能」ですが、「当日」14時00分から「成田山新勝寺」「光輪閣」「ロビー」にて「整理券」が配布され、17時00分の「開場時」には、「整理券」の「番号順」に「奉納梅若成田山蝋燭能」「会場内」に「入場」となっており、「会場」は「全席自由席」(団体を除く)となっているそうです。
 「第39回奉納梅若成田山蝋燭能」の「入場券」ですが、上記のように「全席自由席」で4000円となっており、下記「取扱所」で「発売中」となっています。

 成田山新勝寺   TEL 0476-22-2111 8時00分〜16時00分

 成田観光館    TEL 0476-24-3232 9時00分〜17時00分 (月曜休館)

 成田市観光案内所 TEL 0476-24-3198 8時30分〜17時15分 (年中無休)

 チケットぴあ     TEL 0570-02-9999

 「第39回奉納梅若成田山蝋燭能」の「演目」ですが、下記の「内容」ないし「あらすじ」となっています。

 「謡」 「高砂(タカサゴ)」

 「仕舞」 「春日龍神(カスガリュウジン)」

 「仕舞」 「巴(トモエ)」

 「舞囃子」 「弦上(ケンジョウ)」あらすじ

 琵琶の奥義を極める為に、渡唐を志す藤原師長(ツレ)が須磨の浦で塩汲みの老夫婦(シテ・ツレ)に宿を借ります。
 師長は、老夫婦の所望で琵琶を奏でますが、降り始めた村雨の音を屋根に苫を葺き雨音の調子を整える老夫婦の姿に感心し、逆に一曲所望しました。
 すると老人は見事な琵琶の音を奏で、師長は己の未熟さを悟ります。

 老人は琵琶の名器のひとつ「弦上」の主、村上天皇の霊で、実は師長の渡唐を止める為に現れたと告げ姿を消します。

 やがて、在りし日の村上天皇(シテ)が現れ、竜神に持参させた琵琶の名器獅子丸を師長に授けます。
 天皇が秘曲を奏で、舞を舞い天へと戻ると、師長は帰洛の途につきます。

 「狂言」 「惣八(ソウハチ)」あらすじ

 僧侶が嫌で料理人になった惣八と、元料理人のにわか坊主の出家が雇われます。
 主人に命じられ、惣八は魚料理を、出家は経を読むことになります。

 慣れない仕事に戸惑いますが互いに前身をうちあけ、仕事を取り替えていることとに主人が戻って来ます。

 「能」 「葵上 梓之出(アオイノウエ アズサノデ)」あらすじ

 左大臣の息女で光源氏の北の方(本妻)である葵上は、このごろ物の怪に襲われたものと見えて重い病気である。
 貴僧高僧が招かれて祈祷したが効果が上がらず、今日は名高い巫女の照日(ツレ)が召し出されました。
 物の怪の正体を知るためです。

 巫女は呪文を唱え、梓弓の弦を鳴らして物の怪を呼び寄せます。
 その音に引かれて六条御息所の生霊(シテ)が寄ってくるのが、巫女には見えてきます。
 かつては源氏との契りが深く、華やかだった身が、今はすっかり疎遠になった恨みを述べながら生霊は近づき、病床の葵上を打ち据えても飽き足らずに、とり殺そうとするのです。

 病気がますます重いので、左大臣邸では急使(アイ)を立てて、修行者横川の小聖(ワキ)を招くこととしました。
 枕辺の邪気に驚いた小聖が祈ると、御息所の怨霊は、今度は恐ろしい鬼形(後シテ)となって現れ、なお葵上の病床に迫ります。

 行者は、法力を尽くして祈り続け、祈り伏せられた悪霊はついに心を和らげ、再び来ないと誓って成仏得脱した様子。
 葵上の病気は平癒したのです。

 源氏物語の葵ノ巻によったもので、葵上その人は登場しません。
 始めに後見が舞台正面に引き述べて出す小袖が、その病床を象徴しています。

 「千葉県」を代表する「名刹」「成田山新勝寺」で開催される「現存世界最古」の「舞台芸術」「蝋燭能」「第39回奉納梅若成田山蝋燭能」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第39回奉納梅若成田山蝋燭能」詳細

 開催日時 5月14日(土) 18時〜20時30分頃(予定)

 開催会場 成田山新勝寺 光輪閣4階 光輪の間 成田市成田1

 問合わせ 成田山新勝寺 蝋燭能係 0476-22-2111

 備考
 「第39回奉納梅若成田山蝋燭能」では、「終演後」、「成田山表参道」「総門前広場」より、「JR成田駅」及び「京成成田駅」行き「無料バス」が運行されるそうです。

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| 地域情報::成田 | 10:01 AM |
「第32回平和の大塔まつり奉納総踊り」(成田市)
 本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「成田山表参道」、「成田山新勝寺」「大本堂」、「成田山平和の大塔」で5月7日(土)に開催されます「第32回成田山平和大塔まつり奉納総踊り」です。

 「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)は、「成田市」にある「真言宗智山派」の「寺」であり、「真言宗智山派」の「大本山」のひとつです。
 「成田山新勝寺」は、1000年以上の「歴史」をもつ「全国有数」の「霊場」で、「成田」を「代表」する「観光地」でもあり、「正月3が日」には約300万人、「年間」約1000万人以上の「参拝客」が訪れています。
 「成田山新勝寺」の「御本尊」は「不動明王」で、「成田山新勝寺」は上記のように「関東地方」「有数」の「参詣人」を集める「著名寺院」で、「家内安全」、「交通安全」などを祈る「護摩祈祷」のために訪れる方が多い「不動明王信仰」の「寺院」のひとつであり、「成田のお不動さま」の「愛称」で親しまれています。

 「成田山新勝寺」の「御本尊」である「不動明王」ですが、「真言宗」の「開祖」「弘法大師」「空海」が自ら「一刀三礼」(ひと彫りごとに三度礼拝する)の「祈り」をこめて「敬刻開眼」された「御尊像」なのだそうです。
 「成田山新勝寺」では、この「霊験」あらたかな「御本尊」「不動明王」の「御加護」で、千年以上もの間、「御護摩」の「火」を絶やすことなく、「皆様」の「祈り」が「一体」となり「清浄」な「願い」となって現れるそうです。
 「成田山新勝寺」は、「開山1080年」を間近に控えた現在も「成田山のお不動さま」として数多くの「人びと」の「信仰」を集めています。

 「成田山」の「開山の祖」「寛朝大僧正(カンチョウダイソウジョウ)」は、延喜16年(918年)に生まれ、天慶3年(940年)「平将門の乱」を鎮めるため「朱雀天皇」の「勅命」により「関東」に下り、「この地」に「成田山新勝寺」が開山されました。
 「寛朝大僧正」は、「皇室」との「血縁」もある大変に「格」の高い「僧侶」で、後に「真言宗」初めての「大僧正」に任じられ、「成田山」の他にも「京都」に「遍照寺」を開山しているそうです。

 「成田山新勝寺」は、上記のように平安時代中期に起きた「平将門の乱」の際、939年(天慶2年)「朱雀天皇」の「密勅」により「寛朝大僧正」を「東国」に遣わしたことに「起源」を持ちます。
 「寛朝大僧正」は、「京」の「高雄山」(神護寺)「護摩堂」の「空海」作の「不動明王像」を奉じて「東国」へ下り、翌940年(天慶3年)、「海路」にて「上総国」「尾垂浜」に上陸、「平将門」を調伏するため、「下総国」「公津ヶ原」で「不動護摩」の「儀式」を行ったそうです。
 「成田山新勝寺」では、この天慶3年を「開山の年」としています。
 「平将門の乱」「平定後」の永禄年間(1566年)(永禄9年)に「成田村一七軒党代表」の「名主」が「不動明王像」を背負って「遷座」され「伽藍」を建立された「場所」が、現在の「成田市」「並木町」にある「不動塚」周辺と伝えられており、「成田山発祥の地」といわれています。
 「成田山新勝寺」の「寺名」ですが、「また新たに勝つ」という「語句」に因み「新勝寺」と名づけられ、「東国鎮護」の「寺院」となったそうです。

 「成田山新勝寺」では、平成20年(2008年)に「開基1070年祭記念大開帳」が行われ、これにあわせて、平成19年(2007年)には「総欅造り」の「総門」が「落慶」され、「新勝寺」の「表玄関」として「荘厳」な「たたずまい」を見せています。
 この「総門」は、開かれた「庶民のお寺」「成田山」と「門前町」とをつなぐ「担い手」として、「大開帳」を記念し創建されたもので、「総門」前にある「門前広場」は「参拝客」の「憩いの場」となっています。

 「成田山新勝寺」ですが、「総門」をくぐって、「境内」に入ると大きな赤い「提灯」のある「仁王門」があり、「境内」には、数多くの「建造物」が立ち並んでいます。
 「仁王門」から「東海道五十三次」にならった53段の「石段」を上がると、「成田山」の「シンボル」である「大本堂」が現れ、「成田山新勝寺」「大本堂」では、「世界平和」と「人々の幸せ」を願って「開山」以来「毎日」欠かさずに「御護摩祈祷」が厳修されています。

 「成田山新勝寺」の「伽藍」ですが、「JR」および「京成電鉄」の「成田駅」から「成田山新勝寺」への「参道」が伸び、「参道」を10分ほど歩き、「急」な「石段」を上った先の「台地上」に「境内」が広がっています。
 「石段」の「途中」に「仁王門」、「石段」を上った先に「正面」に「大本堂」、その手前「右手」に「三重塔」、「鐘楼」、「一切経堂」などが建っています。
 この他、「大本堂」の「左手」に「釈迦堂」、「大本堂」の「背後」の「一段」高くなった「地」には「額堂」、「光明堂」、「開山堂」、「成田山平和大塔」(2012年5月7日のブログ参照)などが建っており、「成田山新勝寺」「境内」の「東側」は広大な「成田山公園」(2011年11月8日・2010年11月12日のブログ参照)があります。
 「成田山新勝寺」にある「釈迦堂」、「光明堂」、「表参道」にある「薬師堂」(2013年5月22日のブログ参照)ですが、「歴代」の「成田山」の「大本堂」です。
 これほどの数の「御堂」が現存している「寺院」は大変珍しく、それぞれの「建物」には「建立時」の「建築様式」を今に伝えており、江戸中期から末期の「建物」である「仁王門」、「三重塔」、「釈迦堂」、「額堂」、「光明堂」の5棟が「国」の「重要文化財」に指定されています。

 「成田山表参道」ですが、「成田市」にある「参道」で、「JR成田駅」前から始まり、「終点」「成田山新勝寺」「総門」と「総門広場」までつなぐ「成田山新勝寺」に参拝する際に通る「全長」約800mの「通り」で、「風情」のある「門前町」が形成されています。
 「成田山表参道」には、江戸時代の「成田詣」で、当時使われていた「3階建て旅館」の「名残」を残す「料理屋」や、「土産物店」が、「軒」を並べ、「門前町の歴史」と共に「様々」な「情景」を刻んでおり、「成田山表参道」は、「成田山新勝寺」と共に、「成田の歴史」を感じることができる「町並み」となっています。
 「成田山表参道」ですが、大きく分けて、「JR成田駅前」、「花崎町界隈」、「上町界隈」、「仲町(ナカノチョウ)界隈」、「本町・田町界隈」、「門前広場」となっています。
 「成田山表参道」は、「各界隈」ごとに「趣」が異なり、「界隈」ごとに「特色」ある「門前町」を形成しており、「成田詣」に「いろ」をそえています。

 「成田」の「名刹」「成田山新勝寺」「境内」には、上記のように「成田山平和大塔」があり、「成田山平和大塔」は、「弘法大師」の「開眼1150年」を記念して「成田山新勝寺」の「境内」に建立されたそうです。
 「成田山平和大塔」は、「平和の大塔」とも称される「多宝塔形」の「仏塔」で、「成田山平和大塔」は、「塔」の「内部」にも入ることができ、「成田山新勝寺」「開山の歴史」や、「奉納品」が見学できる他、「成田山新勝寺」「御本尊」である「不動明王」も間近で見ることができるそうです。
 (写真撮影は不可となっています。)
 また「成田山平和大塔」の「一番上」の「層」からは「成田近郊」が一望でき、「ビュースポット」にもなっています。

 「成田山平和大塔」ですが、「成田山新勝寺」「境内」「最奥」に建ち、「構造」は「鉄筋コンクリート造」、「高さ」58.1mの「多宝塔形」の巨大な「仏塔」で、1984年(昭和59年)に建立されました。
 「成田山平和大塔」の「設計管理」は「財団法人建築研究協会」、「施工」は「大林組」が請け負ったそうです。
 「成田山平和大塔」の「外観」は「二重塔」(「二重基壇(キダン)」)ですが、「内部」は5階建て(内部五層)となっています。

 今回ご案内している「成田山平和大塔まつり奉納総踊り」(2015年5月7日・2014年5月9日・2013年5月5日・2012年5月10日・2011年4月30日のブログ参照)は、上記のように昭和59年(1984年)4月の「弘法大師1150年」の「御遠忌」にあたり、「世界平和」と「万民の幸福」を祈願して建立された「成田山平和大塔」の「落慶」を記念して始められたそうです。
 「成田山平和大塔まつり奉納総踊り」は、今年(2016年)で「32回目」を数える「催し」で、「成田山表参道」を埋め尽くす、「総勢」1000人による「奉納」の「舞」です。

 「第32回成田山平和大塔まつり奉納総踊り」では、「旧・成田町」7町の「女人講」をはじめ、約1000人に及ぶ「女性たち」が、「JR成田駅前」から「成田山新勝寺」「門前」までの「成田山表参道」、「成田山新勝寺」「大本堂」及び「成田山平和大塔」前で、「踊り」を奉納し、2011年(平成23年)に発生した「東日本大震災」による「被災地」の「早期復興」も祈願するそうです。
 「第32回成田山平和大塔まつり奉納総踊り」の「コース」ですが、上記のように「成田山表参道」(「JR成田駅前」〜「成田山新勝寺門前」)、「成田山新勝寺」「大本堂」、「成田山平和大塔」となっており、「スケジュール」は、下記の通りです。

 12時00分 出発セレモニー (成田市役所)

 12時20分 表参道入口(JR成田駅前)
      総踊りスタート

 15時00分 成田山大本堂前 総踊り

 15時30分 成田山平和大塔 総踊り

 なお「第32回成田山平和大塔まつり奉納総踊り」「開催日」には、「成田山新勝寺」周辺で、「交通規制」が実施されます。
 「交通規制」の「区間」、「時間」ですが、下記「詳細」を参照下さい。

 「成田の歴史」を見つめ「今」も「大勢の観光客」が訪れる「成田山表参道」、「成田山新勝寺」「大本堂」、「成田山平和大塔」を「会場」に行われる「弘法大師1150年」の「御遠忌」にあたり、建立された「成田山平和大塔」「落慶」を記念し開催されている「催し」「第32回成田山平和大塔まつり奉納総踊り」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第32回成田山平和大塔まつり奉納総踊り」詳細

 開催日時 5月7日(土) 12時〜

 開催会場 成田山表参道(JR成田駅前〜成田山門前)、成田山新勝寺(大本堂、成田山平和大塔) 成田市成田1周辺

 「交通規制」

    時 間        区 間

 11時00分〜14時00分 JR成田駅前〜薬師堂

 11時00分〜16時00分 薬師堂〜成田山門前(鍋店かど)

 問合わせ 成田市観光協会 0476-22-2102

 備考
 「第32回成田山平和大塔まつり奉納総踊り」ですが、「雨天」の場合は、「翌日」の5月8日(日)に「順延」、「順延日(予定)」5月8日(日)が「雨天」の場合は中止となるそうです。

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| 地域情報::成田 | 10:58 AM |
「小御門神社春の例大祭」(成田市)
 本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「小御門神社」で4月29日(祝・金)に開催されます「小御門神社春の例大祭」です。

 「小御門神社」は、「成田市」(旧・下総町)「名古屋」に鎮座する「神社」で、「旧社格」は「別格官弊社」であり、「建武中興十五社(ケンムチュウコウジュウゴシャ)」の「一社」です。
 「建武中興十五社」とは、「建武中興」(「建武の新政」)に尽力した「南朝側」の「皇族」・「武将」などん「主祭神」と祀る「15社」の「神社」のことで、これらの「神社」で「建武中興十五社」を結成しています。

 「後醍醐天皇」による「建武の中興」ですが、それまでの「武家中心」の「社会」を、「天皇中心」の「社会」に戻そうとしたもので、「明治維新」によって「江戸幕府」から「実権」を取り戻し「明治政府」を樹立した「明治天皇」にとって「意義深い」ものであり、明治以降、「建武の中興」に関わった「人々」を祀る「神社」がその「縁地」などに造られました。

 「建武中興十五社」の「社名」、「主祭神」、「所在地」ですが、下記の通りとなっています。

  「社名」     「主祭神」    「所在地」

 「吉野神宮」  「後醍醐天皇」 「奈良県」「吉野郡」「吉野町」

 「鎌倉宮」   「御良親王」 「神奈川県」「鎌倉市」

 「井伊谷宮」  「宗良親王」 「静岡県」「浜松市」「北区」

 「八代宮」   「懐良親王」 「熊本県」「八代市」

 「金崎宮」   「尊良親王」 「福井県」「敦賀市」
 (「恒良親王」)

 「小御門神社」 「藤原師賢」 「千葉県」「成田市」

 「菊池神社」  「菊池武時」 「熊本県」「菊池市」
 (「菊池武重」、「菊池武光」)

 「湊川神社」  「楠木正成」 「兵庫県」「神戸市」「中央区」

 「名和神社」  「名和長年」 「鳥取県」「西伯郡」「大山町」

 「阿倍野神社」 「北畠親房」 「大阪府」「阿倍野区」
 (「北畠顕家」)

 「藤島神社」  「新田義貞」 「福井県」「福井市」

 「結城神社」  「結城宗広」 「三重県」「津市」

 「霊山神社」  「北畠親房」 「福島県」「伊達市」
 (北畠顕家、「北畠顕信」、「北畠守親」)

 「四條畷神社」 「楠木正行」 「大阪府」「四條畷(シジョウナワテ)市」

 「北畠神社」  「北畠顕能」 「三重県」「津市」
 (「北畠親房」、「北畠顕家」)

 となっています。

 「小御門神社」は、上記のように「後醍醐天皇」の「側近」「藤原師賢(フジワラモロカタ)」公を祀っている「神社」です。
 「藤原師賢」公ですが、元弘元年(1331年)、「後醍醐天皇」の「身代わり」に「比叡山」で「討幕」の「挙兵」(「元弘の変」)をしましたが、捕えられ、元弘2年(1332年)に「下総国」に流されて、その「3ヶ月」後に32歳で歿しました。
 「藤原師賢」公は、後の「建武の中興」の際に、「太政大臣」に追贈され、「文貞公」の「諡号」が与えられました。

 明治10年(1877年)、「住民」により「藤原師賢」公を祀る「神社」の「創建運動」が起こり、明治12年(1879年)に「神社」「創建」の「許可」が下りて、「小御門神社」の「社号」が決定、明治15年(1882年)に「藤原師賢」公の「墓跡」に「社殿」を造営し、同年4月29日に「鎮座祭」が行われ、同年6月14日に「別格官弊社」に列格しました。
 「小御門神社」は、祀られています「藤原師賢」公が、「後醍醐天皇」の「身代わり」になったことから「身代わりの神」として、「交通安全」・「航空安全」に「御利益」ありとして信仰されています。

 「小御門神社」「境内」は、「千葉県内」「最大規模」の「常緑広葉樹林」で覆われ、「小御門神社の森」として、「千葉県」の「県の天然記念物」に指定されています。
 「千葉県」の「県の天然記念物」に指定されている「小御門神社の森」ですが、「小御門神社」の「社殿」が造られた時に植栽された「人工林」が「中心」なのですが、今では「樹齢100年」を超え、「自然林」への「移行過程」にある「珍しい森」なのだそうです。
 また「小御門神社」「境内」には、「千葉県内」で「最大規模」の「高さ」25mある「シカラシ林」のほか、「タブ」の「自然林」、「杉林」、「クスノキ」、「黒松」の「混成林」などをみることができます。

 「小御門神社」「敷地」5286坪の「境内」には、「本殿」(神明造)、「弊殿」(檜造)、「拝殿」(檜造)、「社務所」(瓦葺)、「中門」(檜造)、「神餞所」(瓦葺)、「神庫」(瓦葺)、「手水舎」(銅板葺)が立ち並んでいます。

 「小御門神社春の例大祭」ですが、「小御門神社」で、毎年4月29日に行われる「春の例祭」で、10時00分より「竹林派大的射礼(チクリンハオオマトジャレイ)」が執り行われた後、「立身流剣術居合奉納行事(タツミリュウケンジュツイアイホウノウギョウジ)」が行われます。
 また「小御門神社春の例大祭」では、「成田市土室獅子神楽」の「奉納」、「舞楽」「奉納」が行われ、「茶道」(裏千家)が振る舞われます。

 「竹林派大的射礼」ですが、「竹林流(チクリンリュウ)」の「弓の儀式」で、江戸時代に行われていた「大的」を射る「古式弓道」の「歩射神事」となっています。
 「立身流剣術居合奉納行事」ですが、「立身流(タツミリュウ)」「宗家」の「指南」のもと、「門弟」が「佐倉藩」に伝わる「立身流居合」・「試し切り」などの「演武」が「披露」されます。
 「成田市土室獅子神楽」ですが、「成田市」「土室地区」の「獅子神楽」の「奉納」が行われます。
 「舞楽奉納」ですが、古来より伝わる「雅楽」・「舞楽」を奉納するもので、「舞楽」の「演目」は、毎年「入れ替わり」で行われているそうです。

 「建武の中興」の「礎石」となった「藤原師賢」公を祀る「別格官弊社」「小御門神社」で開催される「春の例祭」「小御門神社春の例大祭」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「小御門神社春の例大祭」詳細

 開催日時 4月29日(祝・金) 10時〜

 開催会場 小御門神社 成田市名古屋898

 問合わせ 小御門神社 0476-96-0449

 備考
 「小御門神社」「社殿」の周りは「土手」に囲まれており、これは鎌倉時代の「千葉一族」の「奈古屋氏」の「舘」の「跡」とされ、「小御門神社」の「住所」の「名古屋」の「由来」となっているようです。
 また「小御門神社」「社殿」の「南方」(約150m)の「十日屋敷」と呼ばれるところは、「公の舘の跡」といわれています。
 「立身流剣術居合奉納行事」の「立身流」ですが、「千葉県」の「県指定無形文化財」に指定されています。

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| 地域情報::成田 | 03:11 PM |
「第11回まがり家フェスタ」(酒々井町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「酒々井町」「(株)飯沼本家」「敷地内」で4月29日(祝・金)〜5月8日(日)の期間開催されます「第11回まがり家フェスタ」です。

 「酒々井町」は、「千葉県」の「北部中央」に位置し、「印旛郡」に属する「まち」です。
 ちなみに「印旛郡」ですが、2010年(平成22年)に「印旛郡」に属していた「印旛村」・「本埜村」の「印西市」編入により、現在は「栄町」と、「酒々井町」のみとなっています。
 「酒々井町」は、上記のように「千葉県」の「北部」の「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)に位置し、「東京都心」から50kmの「圏内」にあって、「北西部」には「印旛沼」(2011年2月23日のブログ参照)、「東南部」には「北総台地」(下総台地)を配し、「緑」豊かな「自然環境」と、「温暖」な「気候」に恵まれています。
 「酒々井町」の「町名」ですが、「親孝行息子」の「井戸」から「酒」が湧いたという「酒の井戸」の「伝説」「酒の井伝説」に由来するそうです。

 「酒々井町」は、昭和40年代から「住宅団地」が造成されており、「JR酒々井駅」・「京成酒々井駅」周辺には「酒々井町中央団地」(造成主体・酒々井町)や、「東しすい住宅団地」(造成主体・東急建設、昭苑都市開発)などが広がっており、近年「JR成田線」の「快速電車」が「JR酒々井駅」に停車し、「京成電鉄」も「京成酒々井駅」、「京成宗吾霊堂駅」があり、「道路」も「国道51号線」が「町南部地域」を通過しており、2013年(平成25年)4月10日から「酒々井IC(シスイインターチェンジ)」(2013年4月12日のブログ参照)も開通、供用開始されています。
 「酒々井IC」付近には、「酒々井町」の「見どころ」、「遊びどころ」が点在しており、「しすいハーブガーデン」「ハーブの丘」(2013年5月12日・4月8日のブログ参照)や、「飯沼本家」「酒々井まがり家」(2013年11月23日・4月26日のブログ参照)「酒々井プレミアム・アウトレット」(2015年4月12日・2014年3月7日のブログ参照)、「酒々井ちびっこ公園」(房総の魅力500選)、「六所神社」、「しすいの森パークゴルフ場」などの「観光施設」があります。

 「飯沼本家」は、「千葉県」「印旛郡」「酒々井町」にある300年つづく「老舗蔵元」で、「甲子正宗(キノエネマサムネ)」の「名称」で知られています。
 「穀倉地帯」「北総台地」(下総台地)の「中程」に位置する「酒々井町」は、「酒造り」に適した「水」を豊富に生み出すところから、上述のように「酒の井伝説」にちなんだ「地名」となっており、「酒造り」に適した「環境」に恵まれた「地」にあって、「飯沼本家」は「県内最大手蔵」となっているそうです。
 「飯沼本家」は、昔ながらの「手造り」にこだわりながらも、より「高品質」を目指し、「最新技術」も「積極的」に導入し、平成5年(1993年)には「北総蔵」を完成、「出稼ぎ杜氏」を置かず「全社員仕込み」を行っているそうで、「全て」を「機械化」で賄うわけではなく、「技術」の「伝承」の元で昔ながらの「手造り酒」も造り続けているそうです。
 「飯沼本家」の「社名」ですが、「株式会社飯沼本家」、「本社」は「印旛郡」「酒々井町」「馬橋」106、「創立」は大正14年(1925年)11月12日となっています。
 「飯沼本家」の「酒造り」ですが、「公式HP」にて下記のように紹介されています。

 飯沼本家の酒造り

 ヒストリー以上に、フューチャーを語り、創造していく

 酒造りを通じて「上質な田舎」を目指す酒造りというと
 「永い、古い、伝統」という言葉がついて回ります。
 しかし、お酒を飲んで下さる方も、造り手も、今を生きています。
 300年以上の歴史を持つ甲子正宗ですが、
 先祖が造っていた酒を同じように造っていては、これだけの年月を刻むことはできません。
 そこで、今蔵元として意識しているのは
 「ヒストリー以上に、フューチャーを語り、創造して行きたい」です。

 甲子正宗は、「時代の先」を行く酒、という自負があります。
 品質で、味わいで、さらに次の一手を志向するという点で高い目標を掲げて酒造りをしています。
 酒は独立して成り立つのではなく食との関係を常に意識する必要があります。
 当然、世界の無形文化遺産になった和食とのマリアージュを考えた酒造りに努めています。
 だから、甲子正宗は、食べながら飲むとおいしいのです。

 そして今、若い人に清酒を飲んでもらいたい、知ってもらいたい。
 時代を担う人たちに愛されなければ意味がないと考えています。
 そのために甲子正宗では若い醸造家に現場を任せ、
 「飲み盛り、造り盛り」が競い合える環境を整え、
 明確に若い人に向けた酒を造れる態勢になりました。
 着々とその成果は上がり、高い評価を受ける清酒を市場に送り出せるようになりました。

 私が思い描いているのは酒造りを通じての「上質な田舎」の実現です。
 「上質」には、常に最先端を走っているという意味が含まれています。
 千葉・酒々井の地にあって、酒だけではなく、
 酒の周辺の楽しみ、酒の肴まで開発・販売していきたい。
 21世紀の蔵元は、酒も含めて「興味深いワクワクするもの」を
 提案し続けることが大切だと意識しています。
 洗練された、洒落た、現代的、というものを発信するのが上質、
 それを実現することで甲子正宗のブランドと共に、
 千葉、酒々井の名も広く知らしめたいと思い続けています。

 飯沼本家 取締役社長 飯沼喜市郎

 文中まま表記

 「酒々井まがり家」ですが、「印旛郡」「酒々井町」の「甲子正宗」の「蔵元」・「飯沼本家」の「ショップ」、2Fは「ギャラリー」となっている「古民家」です。
 ちなみに「酒々井まがり家」のある「老舗蔵元」「飯沼本家」は、「人気スポット」「酒々井プレミアム・アウトレット」から4kmととても近い「場所」に立地しています。
 「酒々井まがり家」の2Fは、上述のように「ギャラリー」になっており、「千葉県」「在住」の「アーティスト」の「企画展」等が行われ、毎年2万人もの「人」が訪れる「人気スポット」となっているそうです。
 また「酒々井まがり家」は、「新潟県」の「旧清野邸」を移築した「古民家」だそうです。
 「飯沼本家」「HP」では、「酒々井まがり家」を下記のように紹介されています。

 「酒々井まがり家」

 大切に育てた酒をこの趣豊かな家屋の中でお楽しみください。

 酒が生まれたその環境の中で、お越しいただいた皆様に当家の酒をあじわっていただけるのは、私たちにとってもたいへん嬉しいことです。
 新潟県の「旧清野邸」を移築したこのまがり家は、酒々井の自然と、不思議なほどひとつになって、日本人が忘れてしまった時間を思い出させてくれます。

 「まがり家」の周りには豊かな自然があり、まがり家の裏から遊歩道が隣の山に続いています。
 その山の中にはバーベキューのできる場所があり、ご希望の方にはご利用いただいております。
 また、工房の前にもそのような場所がありますので、グループでアウトドアを楽しみたい方、場所をお探しのかたはどうぞ「まがり家」にご相談ください。

 ご予算に合わせてのおつまみなども用意することができますので、あわせてご利用ください。
 どうぞゆっくりと、私たちが大切に育てた酒をこの趣豊かな家屋の中でお楽しみください。

 文中まま表記

 「酒々井まがり家」の「お品書き」は、下記の通りです。

 酒蔵のまかないカレー 800円

 甲子の利き酒セット 1000円

 薬味味噌酒粕うどん 800円

 酒粕うどんの塩麹肉味噌のせ 650円

 薬味と辛みの卵とじ酒粕はっとパスタ 650円

 抹茶白玉ぜんざい 500円

 梅ジャムと果実の白玉 500円

 ピーナッツクリーム白玉 500円

 黒蜜の水わらび餅 抹茶クリームあんみつ 500円

 苺蜜の水わらび餅 クリームあんみつ 500円

 バニラアイスクリーム 古酒添え 400円

 抹茶アイスクリーム 黒蜜添え 400円

 抹茶と酒饅頭 400円

 煎茶と酒饅頭 400円

 紅茶と日本酒・梅酒かすてら アイス&フルーツ添え 700円

 柚子サイダー 300円

 「酒々井町」の「老舗蔵元」「飯沼本家」では、「伝統的」な「旧仕込み蔵」と、「システム化」された「新蔵」をご覧いただいた後、「酒々井まがり家」にて「飯沼本家」の「お酒」をご試飲でき、「酒々井まがり家」で「非日常」のゆったりとした「時間」を過ごせるそうです。
 ちなみに「甲子正宗」という「名前」は、「甲(キノエ)」の「年」に「酒造業」を開始したことから名付けられたといわれており、「甲」は「甲(コウ)」、「乙(オツ)」、「丙(ヘイ)」の「先頭」なので、「関東一」の「酒造り」を目指すという「意味」があるそうです。

 この度(タビ)「飯沼本家」では、「春」の「恒例イベント」「第11回まがり家フェスタ」を開催するそうです。
 今年(2016年)の「第11回まがり家フェスタ」の「開催期間」ですが、4月29日(祝・金)から5月8日(日)の「期間」となっています。
 「第11回まがり家フェスタ」では、「お酒のアウトレット販売」、「北総蔵の見学」、「筍掘り(タケノコホリ)」(1人100円)、「田植え体験&野外バーベキュー」(有料)、「ワークショップ&墨絵ライブin酒々井アートフェスタ」等を行うそうです。
 「筍掘り」ですが、「期間中」「毎日」行われる「イベント」で、「入山料」お1人様100円(税込)(スコップは1家族1本無料貸出)となっています。
 「お酒のアウトレット販売」ですが、4月29日(祝・金)10時00分から販売開始する「イベント」で、「恒例」となった「年」に一度の「アウトレット販売」は、「フェスタ期間中」開催となっています。
 「田植え体験」&「野外バーベキュー」(有料)ですが、5月3日(祝・火)10時30分より行われ、「定員」30名、「集合場所」は「飯沼本家」、「参加費」は「大人」3000円(税込)、「小学生以下」1500円(税込)となっており、「田植え体験」のあと、「千葉県産」の「食材」を使った「バーベキュー」を楽しめるそうです。
 「ワークショップ&墨絵ライブin酒々井アートフェスタ」を5月4日(祝・水)に行うそうです。
 「ワークショップ&墨絵ライブin酒々井アートフェスタ」「詳細」は下記の通りです。

 開催日  5月4日(祝・水) ※雨天時は5月5日に順延

 参加費  無料(道具はすべて用意しています。)

 時間

 13時00分 ジム・ハサウェイの墨絵ライブ(まがり家横の芝生にて開催。)
 14時00分 中島尚子の版画摺り体験教室
 15時00分 ジム・ハサウェイの墨絵教室

 また「第11回まがり家フェスタ」では、4月29日(祝・金)には「第6回甲子(キノエネ)大試飲会」を開催するそうです。
 「第6回甲子大試飲会」ですが、

 「甲子を試飲し、日本酒の魅力を楽しんでいただきたい」

 という「思い」から始まり、今回の「開催」で6回目を迎えるそうです。
 「第6回甲子大試飲会」は、「会費」3000円で、「蔵人」の「隠し酒」、「店頭」には出ていない「お酒」などが試飲でき、「蔵人」との「語らい」ができ、9種類の「おつまみ」付き、「おつまみ」の「持ち込み」も可能となっています。
 「第6回甲子大試飲会」の「イベント詳細」は、下記の通りです。

 「第6回甲子大試飲会」詳細

 開催日時 4月29日(祝・金) 14時00分〜16時00分

 開催会場 飯沼本家・明治蔵1階 印旛郡酒々井町馬橋106

 定員   80名

 会費   3000円(9種類のおつまみ付)おつまみ持ち込み可

 締切り  4月9日(土)

 「北総」の「老舗蔵元」「(株)飯沼本家」「敷地内」で開催され「春風」香る「杜の中」で行われる「ゴールデンウィーク」「恒例人気イベント」「第11回まがり家フェスタ」。
 この機会に「酒々井町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第11回まがり家フェスタ」詳細

 開催期間 4月29日(祝・金)〜5月8日(日)

 開催会場 (株)飯沼本家敷地内 印旛郡酒々井町

 問合わせ (株)飯沼本家酒々井まがり家 043-496-1001

 備考
 「第11回まがり家フェスタ」では、「スペシャルイベント」として「酒々井アートフェスタ」を行い、「酒々井まがり家」「まがり家ギャラリー」の5月、6月は、それぞれ「墨絵」、「版画」、「立体」を中心に活躍する「アーティスト」3人の「個展」を同時開催するそうです。
 「アーティスト」3人ですが、「ニューヨーク」出身の「墨絵画家」「ジム・ハサウェイ」氏、「精緻」な「写実表現」に「ユーモア」感じさせる「木口版画」の「中島尚子」氏、「ユニーク」な「立体作品」を手がける「中川武彦」氏で、「アート」を体感できる「ワークショップ」も開催するそうです。

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| 地域情報::成田 | 06:56 PM |
「ほくそう春まつり2016」(印西市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「印西市」「千葉ニュータウン中央駅前」・「駅前自由通路」で4月24日(日)に開催されます「ほくそう春まつり2016」です。

 「印西市」は、「東京都心」から約40km、「県庁所在地」「千葉市」から約20km、「世界の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)から約15kmに位置し、三方を「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)、「印旛沼」(2011年2月23日のブログ参照)、「手賀沼」に囲まれた「水」と「緑」豊かな「市」です。
 「印西市」は、周辺の「佐倉市」、「四街道市」、「白井市」、「八街市」、「成田市」、「富里市」、「印旛郡酒々井町」、「印旛郡栄町」と合わせて「印旛地域」と称され、隣接する「自治体」は、「柏市」、「我孫子市」、「白井市」、「八千代市」、「佐倉市」、「成田市」、「印旛郡酒々井町」、「印旛郡栄町」、「茨城県」「北相馬郡」「利根町」となっています。

 「印西市」ですが、2008年(平成20年)に「印西市」・「印旛郡印旛村」・「印旛郡本埜村」の「1市2村」の枠組みで、「市町村合併の特例等に関する法律」(新合併特例法)の期限である2010年(平成22年)3月末までの「合併」に関する話し合いを行うために、2008年10月24日に「合併問題懇談会」が、それぞれの「市村の長」および「議会議員の代表」により構成、設置され、翌2009年(平成21年)1月9日に「合併協議会」が設置されました。
 「合併協議会」では、「合併」の期日を2010年(平成22年)3月23日とし、「合併方式」は「印西市」に「印旛郡印旛村」・「印旛郡本埜村」を編入する編入合併、「新市」の「名称」は「印西市」とすることで合意、合併申請が行われ、2010年3月5日「総務省告示第73号」で「合併」が決定。
 これにより、予定通り2010年3月23日に、「新・印西市」が誕生しました。
 「印西市」の「人口」ですが、「人口」95185人、「世帯」36504世帯、「男性」47232人、「女性」47953人となっています。
 (2016年(平成28年)3月現在)

 「印西市」ですが、「千葉ニュータウン中央・印西牧の原地区」、「木下地区」、「印旛地区」、「本埜地区」から構成されています。

 「千葉ニュータウン中央・印西牧の原地区」ですが、「印西市」「西部」の「下総台地」(北総台地)(2012年7月10日のブログ参照)上、「千葉ニュータウン」が広がり、「千葉ニュータウン中央駅」・「印西牧の原駅」周辺および「国道464号線」沿線は、「印西市」における「経済・商業の中心地」(新・市街地)となっています。
 「千葉ニュータウン中央・印西牧の原地区」ですが、最も「印西市」で「人口」が多く、「北総線」および「国道464号線」に沿って発展しており、「北総エリア」における「一大ショッピングゾーン」を形成しています。

 「印西市」「北西部」の「利根川」沿いの「低地」に所在する「木下(キオロシ)地区」(旧・木下町)ですが、、「利根川水運」の「宿場町」であった「旧・市街地」があり、「印西市」の「市役所」や「警察署」などの「行政機関」が位置し、「印西市」「行政の中心地」となっています。
 「木下地区」は、古くからの「町並み」が残る「旧・市街地」であり、「利根川」および「木下街道」に沿って発展しています。

 「印旛地区」(旧・印旛村)は、「印西市」の「東南部」に位置し、「北総エリア」の「基幹病院」である「日本医科大学千葉北総病院」があり、「印旛日本医大駅」を中心として宅地化が進行している「エリア」です。
 一方「印旛地区」は、「谷津田」をはじめ、「自然」も多く残されており、「樹齢」300年を越える「吉高の大桜」(2011年4月5日のブログ参照)や、「ナウマン象発掘の地」などの「観光名所」もあります。

 「本埜地区」(旧・本埜村)ですが、「印西市」の「北東部」に位置し、「北印旛沼」に面し「水田」が広がり、「冬」には越冬のために、800匹を越す「白鳥」が、飛来することで知られています。
 一方「本埜地区」は、「印西牧の原駅」「北側」に位置する「千葉ニュータウン」「滝野地区」で宅地化が進行、また「成田国際空港」に近いこともあって、近年「国道464号線」の沿道「みどり台」などに、「研究所」や「物流センター」などの進出が目立っています。

 「印西市」は、江戸時代より「利根川」の「水運」が盛んで、「物資輸送」の「拠点」のひとつであった「木下河岸」や、「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「息栖神社」(2010年11月7日のブログ参照)の「東国三社詣」(2010年10月23日のブログ参照)などに向かう道中の「宿場町」として栄えた「木下(キオロシ)街道」付近を、中心に栄えてきました。
 上記のように、「印西市」は江戸時代から「商業のまち」として栄え、「江戸」と「佐倉」・「銚子」を結ぶ上で「重要なまち」として、また「香取神宮」、「鹿島神宮」、「息栖神社」を詣でる「旅人の宿場町」として繁栄し、そのため、「印西市」には「歴史的建造物」、「遺跡」も数多く残り、当時の面影(オモカゲ)を偲(シノ)ばせている「まち」です。
 現在も「印西市」は「地理的条件」にも恵まれ、上記のように「東京都心」、「千葉市」、「成田国際空港」という「日本」を代表する「高機能拠点」の中心に近く位置している「まち」として利点を活かし発展を続けています。

 「北総鉄道株式会社」は、「東京都」「東部」から「千葉県」「北西部」を結ぶ「北総線」を運営する「日本」の「鉄道会社」で、「北総鉄道株式会社」は、「京成グループ」の「企業」のひとつで、「京成電鉄」が「筆頭株主」であるほか、「千葉県」や「松戸市」など「沿線」「地方公共団体」が出資しており、「本社」は「千葉県」「鎌ヶ谷市」「新鎌ヶ谷」4丁目に所在しています。

 「北総鉄道」は、「千葉ニュータウン」の「建設開始」に伴い、1972年(昭和47年)3月の「都市交通審議会」(現在の運輸政策審議会)「答申第15号」が示した2本の「東京都心直結ルート」のひとつを運営するために、「京成グループ主体」により設立されました。
 その後、「京成電鉄」の「経営悪化」に伴い、「千葉ニュータウン建設」の「事業主体」である「千葉県」、1973年(昭和48年)に「事業」に参加した「宅地開発公団」(後に住宅・都市整備公団、都市基盤整備公団を経て、現在は都市再生機構)および「沿線」の「地方公共団体」や「金融機関」が「出資者」として加わり、「第三セクター会社」となったそうです。
 現在では「京成電鉄」の「経営改善」が実現しており、また「北総鉄道」は「第三セクター会社」ではありますが、「京成グループ」として、「グループ統一ロゴ」等を「車両」等に掲示しています。
 「北総鉄道」の「営業利益」は、毎年100億円以上(2011年度は154億円)あり、2000年度より「12期連続黒字」だそうです。
 しかし、「建設関連」に伴う「借入金」の「額」が多く、2012年(平成24年)3月の時点で「固定負債」が909億円あり、約8.94億円の「債務超過」となっており、「債務超過額」は、かつては「日本全国」の「第三セクター鉄道」の中で第3位(2006年3月末現在のデータ)だったそうですが、2012年度の「中間決算」にて、開業以来の「債務超過」を解消しています。

 「北総鉄道」は、その「設立」の「経緯」から「千葉ニュータウン」の「建設」と密接な「つながり」を持ち、その「社史」は「千葉ニュータウン建設」の「歴史」の一部でもあります。
 また「成田国際空港」と「都心部」の「アクセス手段」は、「東日本旅客鉄道」(JR東日本)の「成田エクスプレス」および、それまで「京成本線」を経由していた「京成電鉄」の「スカイライナー」が担ってきましたが、「北総鉄道」の保有する「北総線」が、「成田スカイアクセス」の「一部区間」を担うことになったことも、「千葉ニュータウン建設の歴史」と共に重要な要素となっており、「千葉ニュータウン開発」が収縮した後は、「沿線開発」と「空港連絡鉄道」としての「役割」が「北総鉄道株式会社」の「社史」となっています。

 「千葉ニュータウン」の「建設」は1966年(昭和41年)に「千葉県」が「構想」を発表し、1969年(昭和44年)に「都市計画」を決定。
 1970年(昭和45年)に「小室地区」から「事業」が着手されたものの、「用地買収」が計画通りに進まず、その間に「東京圏」への「人口集中」が鈍化し、「住宅確保」の「緊急性」が薄れたこともあって、当初の「計画」から大幅な「変更・縮小」を余儀なくされていました。
 これにより、当時「都心」への唯一の「鉄道アクセス手段」であった「北総開発鉄道」の「旅客数」低迷にも直結し、「北総鉄道株式会社」の「経営」が悪化する主因となったそうです。
 そのような動きにより、2004年(平成16年)7月に、「都市基盤整備公団」の「資本撤退」に伴い、「開発」の「名」を「社名」より外して「北総鉄道株式会社」とし、「北総・公団線」と呼ばれた「路線名」も「公団」を外して「北総線」としたそうです。

 上記のように2010年(平成22年)7月17日より、「北総線」を経由して「都心」と「成田国際空港」を結ぶ「成田スカイアクセス」の「開通」により、「第2種鉄道事業者」として「京成電鉄」が運行する「スカイライナー」や「アクセス特急」が「北総線」の「路線」を経由することになり、「京成電鉄」から得られる「路線・施設使用料収入」が「収益改善」に貢献し、上記のように2012年(平成24年)に「債務超過状態」を「会社設立」から40年をかけて解消したそうです。

 「北総鉄道」では、日頃「北総線」を愛顧されている「お客様」へ「感謝の気持ち」を込めて1996年(平成8年)から毎年「春」に「ほくそう春まつり」を開催しています。
 「ほくそう春まつり」は、「千葉ニュータウン中央駅」を「会場」に行われ、昨年(2015年)は、「関東近郊の鉄道各社が集結した鉄道グッズ即売会」、「鉄道忘れ物チャリティーバザー」、「警察音楽隊によるブラスバンド演奏」、 「豪華景品が当たる!抽選会」、「北総7500形ミニ電車」、「親子駅長撮影会」、 「東京電機大学による工作コーナー」、「鉄道おもちゃで遊ぶコーナー」等が行われ、「特設ステージ」では、「九州発アイドルグループ」「LinQ(リンク)」(3年連続出演)、「人気若手漫才コンビ」「ブルーリバー」、「ヒップホップアイドルユニット」「LYRICAL school TOKYO」、「アイドルグループ」「ハコイリ ムスメ」の「皆さん」が「イベント」を盛り上げたそうです。

 「ほくそう春まつり2016」ですが、4月24日(日)10時00分から15時00分まで「千葉ニュータウン中央駅」の「自由通路」、「駅前ロータリー」、「コンコース」等を「会場」に行われます。
 「ほくそう春まつり2016」の「内容」は、下記の通りです。

 1 駅コンコース

 ブラレールで遊ぼうコーナー

 親子駅長撮影会

 東京電機大学コーナー

 オリジナル風船の配布

 Nゲージコーナー

 2 自由通路・ロータリー広場(南口)

 鉄道会社グッズ即売およびPR

 3 自由通路・ロータリー広場(北口)

 景品抽選会

 京成グループ「BMKコーナー」
 忘れ物チャリティーコーナー

 北総ミニ電車の運行

 北総沿線物産展・模擬店

 印西市農産物店

 日本医科大学の健康相談コーナー

 企業等PRコーナー

 警察音楽隊ミニコンサート

 パトカー・白バイ展示

 消防車(ハシゴ車)などの展示

 「ほくそう春まつり2016」「ステージスケジュール」は、下記の通りです。

 10時00分〜10時10分 オープニングトーク (きゃんひとみ、ブルーリバー)

 10時10分〜10時35分 RY'sミニライブ (1回目)

 10時45分〜11時10分 VENUS PROJECTミニライブ

 11時20分〜11時50分 LinQ(リンク)ミニライブ (2回目)

 11時50分〜12時10分 ブルーリバー&LinQ (ブルLinQ) トークライブ

 12時10分〜12時35分 RY'sミニライブ (2回目)

 12時45分〜13時10分 超新塾 爆笑ライブ

 13時15分〜13時45分 bayfm presence 小島嵩弘 本気ライブ

 13時45分〜14時15分 LinQ(リンク)ミニライブ (2回目)

 14時20分〜14時50分 special guest Pileスペシャルミニライブ

 14時50分〜     クロージングトーク (きゃんひとみ、ブルーリバーほか)

 「千葉ニュータウン中央駅前」・「駅前自由通路」等で開催される「恒例」の「人気イベント」「ほくそう春まつり2016」。
 この機会に「印西市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「ほくそう春まつり2016」詳細

 開催日時 4月24日(日) 10時〜15時

 開催会場 千葉ニュータウン中央駅前・駅前自由通路ほか 印西市中央南1-1390-1

 問合わせ 北総鉄道株式会社運輸部営業課 047-445-1901

 備考
 「ほくそう春まつり2016」ですが、「荒天」の場合は「中止」となるそうです。

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| 地域情報::成田 | 10:11 AM |
「道の駅風和里しばやま8周年創業祭」(芝山町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「芝山町」「道の駅風和里しばやま」で4月24日(日)に開催されます「道の駅風和里しばやま8周年創業祭」です。

 「芝山町」は、「千葉県」の「北東部」「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)のほぼ「中央」に位置し、「山武郡」の「最北端」、「首都」「東京」から60km圏の地点にある「自治体」です。
 「芝山町」ですが、「東」は「香取郡」「多古町」、「南」は「山武郡」「横芝町」と「山武市」、「南西」に「富里市」、「北」は「成田市」、「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)に接しています。
 「芝山町」は、「東西」8.4km、「南北」10.5km、「面積」43.47平方kmとなっており、おおむね平坦で、「東」に「高谷川」、「西」に「木戸川」が流れ、この「流域」には「稲作地帯」が広がっており、「芝山町」「西北部」の「丘陵地」でも、「畑作」がさかんに営まれています。
 「芝山町」ですが、「山武郡」にある「まち」で、「国」の「構造改革特別区域法」に基づき、2003年(平成15年)4月21日に「国際空港特区」に認定されています。

 「芝山町」は、「成田国際空港」(成田空港)の「南側」に位置し、一部「空港用地」が「町内」にかかっており、「町域」のほとんどが「成田国際空港」を「離着陸」する「航空機」の「高度」が低い「場所」であるため、「成田空港周辺市町村」の中で、最も「騒音被害」が大きい「地域」だそうです。
 「芝山町」は、上記のように「成田国際空港」に隣接しているため、「臨空工業団地」(芝山第2工業団地、空港南部工業団地)などに多くの「企業」が進出しており、「国」の「構造改革特別区域法」に基づく「国際空港特区」の「一部」を担っています。
 また、その「波及効果」も大きく、「芝山町」「町内」はもとより、「周辺市町村」への「雇用拡大」や、「平成16年度」より「固定資産税収入」の「増収」により、「芝山町」は「普通交付税不交付団体」(財源超過団体)になり、「財政」の「健全化」にも貢献しています。

 「芝山町」の「産業」ですが、「第一次産業」である「農業」に携われている「農業従事者」が多く、「芝山町」の「人口」の30%程度を占めています。
 「芝山町」「町域全体」が「丘陵地帯」であり、「地域特性」を活かした「畑作」が多く、「芝山町」は「県内有数」の「農業地帯」として知られており、近年では「スイカ」と、「花卉(カキ)」の「出荷」が増加しており、「成田国際空港」から「海外」に輸出されるものも多いそうです。

 「芝山町」の「第二次産業」ですが、「芝山町内」には「芝山」(向野地区・千葉県企業庁)(木崎地区・千葉県まちづくり公社)、「第2芝山」(千葉県企業庁)、「空港南部」(千葉県企業庁)の「3つ」の「工業団地」があります。
 中でも「芝山工業団地」内にある「日本オーチス・エレベータ」の「エレベータ」の「試験塔」「芝山テストタワー」(高さ・154.2m、地上・39階建て)が目立ち、また現在も「物流団地」の「拡大」が続けられています。
 「芝山町」の「町内」の「主」な「物流拠点」ですが、下記の通りとなっています。

 郵船ロジスティクス 成田ロジスティクスセンター (NLC)

 福山通運 成田流通センター

 西日本鉄道 成田ロジスティクスセンター

 セイノー通関 成田ロジスティクスセンター

 西濃シェンカー 成田ロジスティクスセンター (ドイツ スティネス社との合併。)

 DHL 成田ロジスティクスセンター

 プロロジス パーク成田

 ケイラインロジスティクス 成田ロジスティクスセンター

 アルプス物流 成田営業所・航空事業センター

 東芝物流 成田エアカーゴセンター

 近鉄エクスプレス 成田ターミナル

 丸紅物流 成田営業所

 日立物流 成田空港センター

 阪急阪神エクスプレス 成田カーゴターミナル

 「道の駅風和里しばやま」(2011年8月27日・2010年9月8日のブログ参照)は、「県内有数」の「農業地帯」「山武郡」「芝山町」に立地している「人気」の「道の駅」です。
 「道の駅風和里しばやま」の「周辺」には、「航空科学」に関する「様々」な「資料」や、「モデルプレーン」を展示している「国内」「最初」の「科学博物館」「航空科学博物館」(2011年6月7日のブログ参照)や、「芝山町」から「埴輪(ハニワ)」が出土された事から「考古遺物」を展示した「博物館」「はにわ博物館」(2011年11月26日のブログ参照)、781年に創建され、江戸時代から「成田山新勝寺」(成田不動)(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)と共に「民間信仰」を集め、親しまれてきた「天台宗」の「古刹」「芝山仁王尊」「天應山観音教寺」(2011年4月25日のブログ参照)等、「観光資源」にも恵まれており、「道の駅風和里しばやま」は、「成田国際空港」が「敷地内」にあり、「県道62号線」沿いに立地する「アクセス性」に優れた「道の駅」です。

 「道の駅風和里しばやま」ですが、「開業当初」は「道の駅」ではなく、「風和里しばやま」として、「山武郡」「芝山町」「小池」に「地域交流拠点」を兼ねる「農産物直売所」として、2008年(平成20年)4月にオープンしました。
 上記のように「風和里しばやま」は、「成田国際空港」「南側」から「芝山町」を通り、「山武市」「松尾地区」を抜ける「幹線道路」(通称「芝山はにわ道」)沿いにあり、「芝山町」や、「地元農協」が出資する「第三セクター方式」で運営されており、「風和里しばやま」では「地元農家」と、「近隣の農家」約200人の「会員」が生産する「地元」の「農産物」や「千産千消産品」(「千葉県」の「地産地消産品」の「意」の「造語」)である「農産物加工品」、「花」、「惣菜」、「生鮮食料品」、「みやげ物」、「工芸品」などを「豊富」に取り扱い、「生産者」の「顔」が見える「販売」を行っていました。
 そして「農産物直売所」「風和里しばやま」は、「国土交通省」に、「道の駅」の「申請」を提出し、2011年(平成23年)8月25日に「道の駅」「登録」がなされ、晴れて「道の駅風和里しばやま」として登録されています。
 「道の駅」に昇格した「道の駅風和里しばやま」ですが、「千葉県内」の「道の駅」では、「22ヵ所目」の「登録」となったそうです。
 なお、「道の駅風和里しばやま」の「農産物直売所」は、「株式会社風和里しばやま」(第三セクター)が「管理」・「運営」を行っているそうです。

 「道の駅風和里しばやま8周年創業祭」ですが、「道の駅風和里しばやま」の「道の駅」「登録」がなされた、平成20年(2008年)4月26日のオープンから「8周年」を記念して行われる「恒例」の「記念イベント」です。
 「道の駅風和里しばやま8周年創業祭」に際し、「道の駅風和里しばやま」では、「充実」の「商品」の「ラインナップ」で、「観光客」、「地元客」の「皆さん」の「お越し」をお待ちしているそうです。
 「道の駅風和里しばやま8周年創業祭」では、4月24日(日)「当日」「来場者」「全員」、「無料」で一度だけ「ハズレなし」の「ガラポンくじ」を開催し、「ガラポンくじ」「先着」400名の「皆さん」が「チャレンジ」できるそうです。
 「道の駅風和里しばやま8周年創業祭」「ガラポンくじ」の「景品」ですが、「農産物直売所」ならではの「地元産」の「お米」や、「特産品」といった「素敵」な「商品」を用意されているそうです。
 なお「道の駅風和里しばやま8周年創業祭」「ガラポン」ですが、「景品」が無くなり次第「終了」となるそうです。

 「人気」の「道の駅」「道の駅風和里しばやま」で開催される「恒例」の「記念イベント」「道の駅風和里しばやま8周年創業祭」。
 この機会に「芝山町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「道の駅風和里しばやま8周年創業祭」詳細

 開催日時 4月24日(日) 9時〜

 開催会場 道の駅風和里しばやま 山武郡芝山町小池2568

 問合わせ 道の駅風和里しばやま 0479-70-8877

 備考
 「道の駅風和里しばやま」の「おすすめ商品」ですが、「芝山町」の「イメージキャラクター」「しばっこくん」がかわいい「お菓子」、「サイダー」となった「しばっこくんバターサブレ」、「しばっこくんサイダー」、「地元産」の「黒米」を使用した「古代米バウムクーヘン」、「玉こんにゃく」の「本場」「山形直送」「玉こん」といった「オリジナル商品」が「大人気」なのだそうです。
 「道の駅風和里しばやま8周年創業祭」が行われる「道の駅風和里しばやま」では、「ゴールデンウィーク」に「ゴールデンウィークイベント」を開催するそうで、「道の駅風和里しばやま」「ゴールデンウィークイベント」は、下記の通りです。

 4月30日(土) 10時30分〜15時30分

 移動動物園

 ※12時30分〜13時30分休み

 5月3日(祝・水) 10時00分〜15時00分

 バンド演奏会

 ※イベントは天候により中止となる場合があります。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2935 |
| 地域情報::成田 | 10:11 AM |
「不動の大井戸茶会」(成田市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「成田市」「なごみの米屋總本店」内「お不動様旧跡庭園」で4月10日(日)・16日(土)・17日(日)・23日(土)・24日(日)・29日(祝・金)に開催されます「不動の大井戸茶会」です。

 「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)は、「成田市」にある「真言宗智山派」の「寺」であり、「真言宗智山派」の「大本山」のひとつで、1000年以上の「歴史」をもつ「全国有数」の「霊場」で、「成田」を「代表」する「観光地」でもあり、「正月3が日」には約300万人、「年間」約1000万人以上の「参拝客」が訪れています。
 「成田山新勝寺」の「御本尊」は「不動明王」で、「成田山新勝寺」は上記のように「関東地方」有数の「参詣人」を集める「著名寺院」で、「家内安全」、「交通安全」などを祈る「護摩祈祷」のために訪れる方が多い「不動明王信仰」の「寺院」のひとつであり、「成田のお不動さま」の「愛称」で親しまれています。

 「成田山新勝寺」の「御本尊」である「不動明王」ですが、「真言宗」の「開祖」「弘法大師」「空海」が自ら「一刀三礼」(ひと彫りごとに三度礼拝する)の「祈り」をこめて「敬刻開眼」された「御尊像」で、この「霊験」あらたかな「御本尊」「不動明王」の「御加護」で、千年以上もの間、「御護摩」の「火」を絶やすことなく、「皆様」の「祈り」が一体となり清浄な「願い」となって現れるそうです。
 「成田山新勝寺」は、「開山1080年」を間近に控えた現在も「成田山のお不動さま」として数多くの「人びと」の「信仰」を集めています。

 「成田山」の「開山の祖」「寛朝大僧正(カンチョウダイソウジョウ)」は、延喜16年(918年)に生まれ、天慶3年(940年)「平将門の乱」を鎮めるため「朱雀天皇」の「勅命」により「関東」に下り、「この地」に「成田山新勝寺」が開山されました。
 「寛朝大僧正」は、「皇室」との「血縁」もある大変に格の高い「僧侶」で、後に「真言宗」初めての「大僧正」に任じられ、「成田山」の他にも「京都」に「遍照寺」を開山しています。

 「成田山新勝寺」は、上記のように平安時代中期に起きた「平将門の乱」の際、939年(天慶2年)「朱雀天皇」の「密勅」により「寛朝大僧正」を「東国」に遣わしたことに「起源」を持ちます。
 「寛朝大僧正」は、「京」の「高雄山」(神護寺)「護摩堂」の「空海」作の「不動明王像」を奉じて「東国」へ下り、翌940年(天慶3年)、「海路」にて「上総国」「尾垂浜」に上陸、「平将門」を調伏するため、「下総国」「公津ヶ原」で「不動護摩」の「儀式」を行ったそうです。
 「成田山新勝寺」では、この天慶3年を「開山の年」としています。
 「平将門の乱」「平定後」の永禄年間(1566年)(永禄9年)に「成田村一七軒党代表」の「名主」が「不動明王像」を背負って「遷座」され「伽藍」を建立された「場所」が、現在の「成田市」「並木町」にある「不動塚」周辺と伝えられており、「成田山発祥の地」といわれています。
 「成田山新勝寺」の「寺名」ですが、「また新たに勝つ」という「語句」に因み「新勝寺」と名づけられ、「東国鎮護」の「寺院」となったそうです。

 「成田山新勝寺」の「縁起」によると、940年(天慶3年)に「公津ヶ原」に遷座され、「仲町」の「神明山」に移された後、1566年(永禄9年)に「現在の地」に「本堂」が再建されたとありますが、「仲町」に移される前に「お不動様旧跡庭園」の「場所」に「不動明王像」が移されたという「伝承」があります。
 「不動明王像」は、「遷座当初」「公津ヶ原」に「御堂」を建て安置されていましたが、「伽藍」も「影響」を受け、次第に荒れ果ててしまったそうです。
 そこで、このまま「不動明王像」を、こんなところに放置しておいては申し訳ないと、「なごみの米屋」「創業者」「諸岡長蔵」氏の「祖先」にあたる「諸岡三郎左衛門」氏が、「屋敷内」にお遷しすることとなり、「仮堂」を建て、「井戸」から汲んだ「水」を「御尊像」に供えていたと伝えられています。

 「成田山表参道」ですが、「成田市」にある「参道」で、「JR成田駅」前から始まり、「終点」「成田山新勝寺」「総門」と「総門広場」までつなぐ「成田山新勝寺」に参拝する際に通る「全長」約800mの「通り」で、風情のある「門前町」が形成されています。
 「成田山表参道」には、江戸時代の「成田詣」で、当時使われていた「3階建て旅館」の「名残」を残す「料理屋」や、「土産物店」が、軒(ノキ)を並べ、「門前町の歴史」と共に「様々」な「情景」を刻んでおり、「成田山表参道」は、「成田山新勝寺」と共に、「成田の歴史」を感じることができる「町並み」となっています。
 「成田山表参道」ですが、大きく分けて、「JR成田駅前」、「花崎町界隈」、「上町界隈」、「仲町(ナカノチョウ)界隈」、「本町・田町界隈」、「門前広場」となっています。
 「成田山表参道」は、「各界隈」ごとに「趣」が異なり、「界隈」ごとに「特色」ある「門前町」を形成しており、「成田詣」に「いろ」をそえています。

 「なごみの米屋」(2011年1月25日のブログ参照)ですが、明治32年(1899年)の「創業」以来、「成田山新勝寺」の「門前町」「成田山表参道」にて、「季節」の「彩り」を映した「菓子づくり一筋」に歩んでこられた「和菓子の銘店」で、その「伝統の味」は、「地元」「成田」はもちろん、「日本全国」で、「好評」を得ている「老舗和菓子店」です。
 「なごみの米屋」は、「和菓子業界」において、「老舗」と呼ばれるまでになりましたが、「伝統」の上に「あぐら」をかくことをせず、「将来」に向け、さらに前進していこうとされ、「21世紀の和菓子文化の創造」を目指す上で、掲げた「企業理念」が、「なごみ」なのだそうです。

 「羊羹(ヨウカン)」や「どら焼き」などを製造している「なごみの米屋」の「歴史」は古く、百有余年の「歴史」を誇り、「創業」は、上記のように明治32年(1899年)4月です。
 「なごみの米屋」「創業者」「諸岡長蔵」氏は、「舟運」等にかわる「鉄道開通」によって、「成田山新勝寺」への「参拝客」が急増している状況を見て、

 「成田詣で(ナリタモウデ)にきているお客様に喜んでもらえるお土産はないものか」

 と考え、「母」・「なつ」さんと共に、「羊羹」を試作したのだそうです。
 「諸岡長蔵」氏は、「一升瓶」に詰めて、「家庭」の「祝事用」に保存してあった「小豆」5合と、「父親」の「病気見舞い」に戴いた「砂糖」を活用し、「成田山新勝寺」の「精進料理」「羊羹」を「ヒント」に、「下総台地」(北総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「芝栗」を練り込んだ「栗羊羹」を、「台所」で創製し、「販売」を試みたことが、「日本」で「最初」の「栗羊羹」の「始まり」なのだそうです。
 創製された「栗羊羹」ですが、販売すると、世間で瞬く間(マタタクマ)に評判となったそうです。
 なお「諸岡長蔵」氏は、「幼少」より「成田山」を尊崇し、また「お不動様」の「御心」を体して「成田」のために「社会奉仕」を続け、昭和39年(1964年)5月には、「成田市名誉市民」に推されています。

 「なごみの米屋」は、「成田」はもとより、「北総」を代表する「和菓子の銘店」です。
 「なごみの米屋」では、「成田山新勝寺」への「参拝土産」として「米屋の栗ようかん」を「筆頭」に、「優秀和菓子職人」の「称号」である「選・和菓子職人」などを販売しています。
 また「なごみの米屋」は、「スーパーマーケット」や「コンビニエンスストア」などでも、販売されている「どら焼き」や、「焼き菓子」は、「Seven-Eleven(セブンイレブン)」の「和庄庵」や、「FamilyMart(ファミリーマート)」の「和菓選シリーズ」などがあります。
 なお「なごみの米屋」は、「国内外」の「お菓子コンクール」で、輝かしい「成績」・「評価」を受けており、「外部評価」も高い「商品」を、「世」に送り出し、現在に至っています。

 「なごみの米屋總本店」は、「成田市」「上町」にある「店舗」で、「成田山新勝寺」「門前町」「成田山表参道」において、「代表銘菓」として「名代」の「栗羊羹(クリヨウカン)」を創始して以来、多くの「お客様」の「お引き立て」をいただいており、「成田山表参道」の「名所」となっている「なごみの米屋」の「總本店」です。
 「なごみの米屋總本店」「敷地内」には、「成田羊羹資料館」、「成田不動尊御遷座之旧跡記念碑」、「お不動様旧跡庭園」、「不動の大井戸」、「平成水守不動尊」、「諸岡長蔵胸像」が点在し、「お買い物」だけでなく、「歴史」や「文化」を体験できる「見どころ」がたくさんあります。
 「なごみの米屋總本店」の「入口」から「店内」を通り抜けて、「外」に出ると、「なごみの米屋工場」に面して、「お不動様旧跡庭園」があります。
 「不動の大井戸」ですが、「なごみの米屋總本店」「敷地内」(裏手)にある「お不動様旧跡庭園」の「一角」にある「井戸」です。
 「お不動様旧跡庭園」ですが、約400年前に、「成田山新勝寺」の「御本尊」「不動明王」が遷座された「場所」で、「不動の大井戸」から、こんこんと湧き出でる「清水」は、「長き」にわたり「霊水」として「人々」に愛されています。
 「なごみの米屋」では、下記のような「伝承」が伝えられています。

 近くに土地の人々に愛飲された霊水の湧く大井戸があり、お不動様をこの地に御遷しした諸岡三郎左衛門は、その大井戸から毎朝水を汲んでご尊像にお供えしました。
 現在の地にご本堂が還ってからも、明治の中頃まで成田山から毎朝御本尊に供える水を汲みに来ておりました。
 当時の大井戸は埋まってしまいましたが、諸岡家では同じ水脈より湧出する清水を枯らすことなく、故事に基づき「不動の大井戸」と称して今日に伝えてきました。

 「不動の大井戸茶会」ですが、「成田山新勝寺」の「不動尊」が、「最初」に遷座された「お不動様旧跡庭園」で行われる「催し」で、「毎年」4月の「週末」に「不動の大井戸」から汲み上げられた「水」を用いて、「表千家成田市茶道会社中」による「野点(ノダテ)」の「立礼」の「お茶会」です。
 「不動の大井戸茶会」は、「作法」にとらわれず、どなたでも「無料」で参加できる「催し」だそうです。
 「不動の大井戸茶会」ですが、「(社)成田市観光協会」が「主催」で行われている「催し」です。
 なお「不動の大井戸茶会」にご参加いただいた「方」には、「不動の大井戸から組み上げた名水」の「プレゼント」があるそうです。

 「不動の大井戸茶会」の「スケジュール」は、下記の通りです。

  期 日       亭 主   時 間

 4月10日(日)   行方宗岑 先生 10時〜15時(受付終了・14時30分)

 4月16日(土)   八尾宗保 先生   同 上

 4月17日(日)   矢澤宗文 先生   同 上

 4月23日(土)   成田市茶道会有志  同 上

 4月24日(日)   阿地宗玲 先生   同 上

 4月29日(祝・金) 大塚宗裕 先生   同 上

 なお「不動の大井戸茶会」ですが、「定員」に達し次第、終了となりますので、ご注意下さい。

 「成田山新勝寺」とゆかりのある「和菓子の銘店」「なごみの米屋總本店」内「お不動様旧跡庭園」で開催される「恒例」の「お茶会」「不動の大井戸茶会」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「不動の大井戸茶会」詳細

 開催日時 4月10日(日)・16日(土)・17日(日)・23日(土)・24日(日)・29日(祝・金) 10時〜15時
 (受付終了・14時半)

 開催会場 なごみの米屋總本店内お不動様旧跡庭園 成田市上町500

 問合わせ 成田市観光協会 0476-22-2102

 備考
 「不動の大井戸茶会」「会場」ですが、「なごみの米屋總本店」内「お不動様旧跡庭園」となっていますが、「雨天時」、「なごみの米屋總本店」「2階」「成田生涯学習市民ギャラリー」に「会場」を変更して開催されるそうです。
 「不動の大井戸」ですが、「なごみの米屋」をはじめ、多くの「人々」の「信仰」により、「大切」に守り続けられており、「自由」に汲むことができます。
 「不動の大井戸」には、「今」でも「言い伝え」を信じている「地元」の「人々」や、「遠方」からも、わざわざ「水」を汲みにくる「方」がいらっしゃるほどの「名水」なのだそうです。

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| 地域情報::成田 | 05:19 PM |
「吉高の大桜まつり」(印西市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「印西市」で4月9日(土)・10日(日)まで開催されます「吉高の大桜まつり」です。

 「印西市」は、「東京」の「都心」から約40km、「県庁所在地」「千葉市」から約20km、「世界の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)から約15kmに位置し、三方を「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)、「印旛沼」(2011年2月23日のブログ参照)、「手賀沼」に囲まれた「水」と「緑」豊かな「市」です。
 「印西市」は、「周辺」の「佐倉市」、「四街道市」、「白井市」、「八街市」、「成田市」、「富里市」、「印旛郡」「酒々井町」、「印旛郡」「栄町」と合わせて「印旛地域」と称されています。

 「印西市」に隣接する「自治体」ですが、「柏市」、「我孫子市」、「白井市」、「八千代市」、「佐倉市」、「成田市」、「印旛郡」「酒々井町」、「印旛郡」「栄町」、「茨城県」「北相馬郡」「利根町」となっています。
 ちなみに、隣接する「茨城県」「北相馬郡」「利根町」とは、「印西市」からは直接的な「往来」は出来なくなっており、「我孫子市」または、「印旛郡」「栄町」を経由する必要があるそうです。
 「千葉県」では、「他県」と接していながら、直接的な「往来」ができない「自治体」は、「印西市」のみとなっています。

 「印西市」ですが、2008年(平成20年)に「印西市」・「印旛郡」「印旛村」・「印旛郡」「本埜村」の「1市2村」の「枠組み」で、「市町村合併」の「特例」等に関する「法律」(新合併特例法)の「期限」である2010年(平成22年)3月末までの「合併」に関する「話し合い」を行うために、2008年10月24日に「合併問題懇談会」が、それぞれの「市村の長」および「議会議員の代表」により構成、設置され、翌2009年(平成21年)1月9日に「合併協議会」が設置されました。
 「合併協議会」では、「合併」の「期日」を2010年(平成22年)3月23日とし、「合併方式」は「印西市」に「印旛郡」「印旛村」・「印旛郡」「本埜村」を編入する「編入合併」、「新市」の「名称」は「印西市」とすることで「合意」、「合併申請」が行われ、2010年3月5日「総務省告示第73号」で「合併」が決定。
 これにより、予定通り、2010年3月23日に、「新・印西市」が誕生しました。
 「印西市」の「人口」ですが、「人口」94926人、「世帯」36397世帯、「男性」47147人、「女性」47779人となっています。
 (2016年(平成28年)2月現在)
 「印西市」ですが、今年(2016年・平成28年)「市制施行20周年」を迎えています。

 新「印西市」は、「千葉ニュータウン中央・印西牧の原地区」、「木下地区」、「印旛地区」、「本埜地区」から構成されています。

 「千葉ニュータウン中央・印西牧の原地区」ですが、「印西市」「西部」の「下総台地」(北総台地)(2012年7月10日のブログ参照)上、「千葉ニュータウン」が広がり、「千葉ニュータウン中央駅」・「印西牧の原駅」「周辺」および「国道464号線」沿線は、「印西市」における「経済」・「商業」の「中心地」(新「市街地」)となっています。
 「千葉ニュータウン中央・印西牧の原地区」ですが、最も「印西市」で「人口」が多く、「北総線」および「国道464号線」に沿って発展しており、「北総エリア」における「一大ショッピングゾーン」を形成しています。

 「印西市」「北西部」の「利根川」沿いの「低地」に所在する「木下(キオロシ)地区」(旧・木下町)ですが、、「利根川水運」の「宿場町」であった「旧・市街地」があり、「印西市」の「市役所」や「警察署」などの「行政機関」が位置し、「印西市」「行政」の「中心地」となっています。
 「木下(キオロシ)地区」ですが、古くからの「町並み」が残る「旧・市街地」であり、「利根川」および「木下(キオロシ)街道」に沿って発展しています。

 「印旛地区」(旧・印旛村)は、「印西市」の「東南部」に位置し、「北総エリア」の「基幹病院」である「日本医科大学千葉北総病院」があり、「印旛日本医大駅」を「中心」として「宅地化」が進行している「エリア」です。
 一方「印旛地区」は、「谷津田」をはじめ、「自然」も多く残されており、「樹齢」300年を越える「吉高の大桜」(2011年4月5日のブログ参照)や、「ナウマン象発掘の地」などの「観光名所」もあります。

 「本埜地区」(旧・本埜村)ですが、「印西市」の「北東部」に位置し、「北印旛沼」に面し「水田」が広がり、「冬」には「越冬」のために、800匹を越す「白鳥」が、飛来することで知られています。
 一方「本埜地区」は、「印西牧の原駅」「北側」に位置する「千葉ニュータウン」「滝野地区」で「宅地化」が進行、また「成田国際空港」に近いこともあって、近年「国道464号線」の「沿道」「みどり台」などに、「研究所」や「物流センター」などの「進出」が目立っているそうです。

 「印西市」は、江戸時代より「利根川」の「水運」が盛んで、「物資輸送」の「拠点」のひとつであった「木下(キオロシ)河岸」や、「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「息栖神社」(2010年11月7日のブログ参照)の「東国三社詣」(2010年10月23日のブログ参照)などに向かう「道中」の「宿場町」として栄えた「木下(キオロシ)街道」付近を、「中心」に栄えてきました。
 上記のように、「印西市」は江戸時代から「商業のまち」として栄え、「江戸」と「佐倉」・「銚子」を結ぶ上で「重要なまち」として、また「香取神宮」、「鹿島神宮」、「息栖神社」を詣でる「旅人」の「宿場町」として繁栄し、そのため、「印西市」には「歴史的建造物」、「遺跡」も数多く残り、当時の面影(オモカゲ)を偲(シノ)ばせている「まち」です。
 現在も「印西市」は「地理的条件」にも恵まれ、上記のように「東京都心」、「千葉市」、「成田国際空港」という「日本」を代表する「高機能拠点」の「中心」に近く位置している「まち」として「利点」を活かし「発展」を続けています。

 「吉高の大桜」(2011年4月5日のブログ参照)は、「印西市」「吉高地区」にある「桜」で、「樹齢」300年を超える「孤高」の「一本桜」です。
 「吉高の大桜」は、昔から「吉高の大桜」と呼ばれ「地域」で親しまれており、「印西市」の「市指定天然記念物」に指定されている「桜」で、「小林牧場の桜」と併せて、「印西市」の「2大花見スポット」と称されています。
 ちなみに「小林牧場」ですが、1965年(昭和40年)に設けられた「競争馬」の「保養育成」のための「牧場」で、「東京」の「大井競馬場」などに出場する「馬」が「ここ」で調教されています。
 「小林牧場」には、「入口」から「ロータリー」まで続く約700mにおよぶ「桜並木」があり、「見頃」を迎えると「見事」な「桜の回廊」、「桜の風景」が広がります。
 「小林牧場の桜」ですが、「桜の季節」になりますと、多くの「人」や「出店」で賑わい、「印西市観光協会」が選定した「いんざい八景」(2012年2月12日のブログ参照)のひとつとして指定されているほか、「千葉県」「選定」の「房総の魅力500選」にも選ばれています。
 ちなみに「吉高の大桜」、「小林牧場の桜」の「過去」5年の「満開日」は、下記の通りです。

 吉高の大桜(ヤマザクラ)

 平成27年 4月7日〜4月10日
 平成26年 4月8日〜4月11日
 平成25年 4月3日〜4月4日
 平成24年 4月14日〜4月17日
 平成23年 4月14日〜4月16日

 小林牧場の桜(ソメイヨシノ)

 平成27年 3月31日〜4月6日
 平成26年 4月1日〜4月8日
 平成25年 3月25日〜4月3日
 平成24年 4月9日〜4月13日
 平成23年 4月8日〜4月14日

 「吉高の大桜」ですが、「樹高」10.6m、「幹周囲」6.85m、「枝張最大幅」25.8mの「山桜(ヤマザクラ)」で、「開花の時期」には、「ピンク色」の「小山」のような「景観」を見せ、その圧倒的な貫禄に、想像以上の大きさと驚く「人」も多いそうです。
 「吉高の大桜」の「桜」の「周囲」には、たくさんの「菜の花」が咲き誇り、きれいに枝分かれした太く大きな「幹」、「周囲」の「花々」と調和して見事な「姿」をあらわし、「苔」の生えた「幹」から「吉高の大桜」が過ごしてきた、長い「年月」を感じる事ができるそうです。
 また「吉高の大桜」の「桜」ですが、「桜」の「周り」をぐるりと一周することが出来るので、「色々」な「角度」から「吉高の大桜」を愛(メ)でることができるそうです。
 なお「吉高の大桜」の現在の「開花情報」ですが、「印西市」「HP(ホームページ)」の「小林牧場、吉高の大桜開花情報」をご参照下さい。

 「吉高の大桜」は、「例年」、「ソメイヨシノ」より1週間程度遅く開花するそうで、さらに「吉高の大桜」は「開花時期」が短いそうで、「吉高の大桜」の「満開」の「状態」ですが、2、3日しか続かないそうで、見逃さないよう、「吉高の大桜」に足繁く通う「人」も多いそうです。
 ちなみに「吉高の大桜」の「場所」は、「印旛中央公園」「駐車場」(印西市瀬戸1518)から「徒歩」約25分となっています。
 ちなみに「印旛中央公園」ですが、「市町村合併」前、「印旛村中央公園」(旧・印旛郡印旛村瀬戸1518)として整備された「公園」で、「駐車料金」は「無料」、「カーナビ」に「目的地」を設定される「方」は、「敷地内」にある「印旛公民館」(旧・印旛村立中央公民館)の「電話番号」(0476-98-0427)を入力しても「駐車場」に到着するそうですので、ご参考にして下さいとのことです。

 「吉高の大桜まつり」ですが、上記のように「印西市」の「桜の名所」「吉高の大桜」から「徒歩」約10分の「イベント会場」で開催される「印西市観光協会」「主催」による「イベント」です。
 「吉高の大桜まつり」ですが、4月9日(土)・10日(日)10時00分から15時00分まで行われ、「イベント内容」ですが、「もちつき大会」、「お雑煮」、「きなこ餅」、「印西産」の「野菜」・「漬物」の「販売」、「せんべい」(2012年2月18日のブログ参照)その他となっています。
 また「印西市」では、「吉高の大桜」がある「吉高方面」へ、「吉高の大桜まつり」が行われる4月9日(土)・10日(日)に「見学無料送迎バス」を運行するそうです。
 「吉高の大桜」「見学無料送迎バス」、「時刻表」は、下記の通りです。

 「吉高の大桜」「見学無料送迎バス」「時刻表」

 「印旛中央公園」行き

 便 印旛日本医大駅  印旛中央公園

 1   8時50分発    9時05分着
 2   9時50分発   10時05分着
 3  10時45分発   11時00分着
 4  11時45分発   12時00分着
 5  13時30分発   13時45分着
 6  14時30分発   14時45分着
 7  15時20分発   15時35分着

 「印旛日本医大駅」行き

 便 印旛中央公園  印旛日本医大駅

  1  9時20分発    9時30分着

  2 10時20分発   10時30分着

  3 11時15分発   11時25分着

  4 12時10分発   12時20分着

  5 14時00分発   14時10分着

  6 15時00分発   15時10分着

  7 15時50分発   16時00分着

  8 16時40分発   16時50分着

 なお「吉高の大桜」「見学無料送迎バス」ですが、「道路事情」等により、予定通り運行できない場合がありますので、あらかじめご了承下さいとのことです。

 「印西」の「桜の名所」「樹齢」300年以上の「山桜」「吉高の大桜」「周辺」の「イベント会場」で開催される「恒例」の「桜イベント」「吉高の大桜まつり」。
 この機会に「印西市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「吉高の大桜まつり」詳細

 開催期間 4月9日(土)・10日(日) 10時〜15時

 開催会場 吉高の大桜 印西市吉高930

 問合わせ 印西市観光情報館 0478-45-5300

 備考
 「吉高の大桜まつり」ですが、「雨天中止」の「イベント」で、「イベント内容」も「天候」等により、変更になる場合もあるそうですので、ご注意下さい。
 「吉高の大桜」「周辺」には、「駐車スペース」がなく「車両進入禁止」となっており、少し離れた「国道464号線」沿いの「印旛中央公園」(印西市瀬戸1518)「駐車場」をご利用下さいとのことです。
 なお、「吉高の大桜」「周辺」は、「満開時」には、「花見客」による「道路渋滞」が発生するそうですので、「時間」には余裕をもって、お越し下さいとのことです。

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| 地域情報::成田 | 02:21 PM |

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