本日ご紹介するのは、近隣市「成田市」「成田市さくらの山」で10月1日(土)に開催されます「ジンギスカン発祥の地成田」「さくらの山ジンギスカンまつり」です。
「成田市」は、「面積」約214平方km、「人口」は132061人(平成28年8月末日現在)で、「千葉県」の「北部中央」に位置する「中核都市」です。
「成田市」の「北」は、とうとうと流れる「坂東太郎」・「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)をへだてて「茨城県」と接し、「西」は「県立自然公園」に指定されている「印旛沼」(2011年2月3日のブログ参照)、「東」は「香取市」と接しています。
「成田市」の「西側」には「根木名川」、「東側」には「大須賀川」がながれ、それらを取り囲むように広大な「水田地帯」や肥沃(ヒヨク)な「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「畑地帯」が広がっています。
「成田市」「北部」から「東部」にかけての「丘陵地」には「工業団地」や「ゴルフ場」が点在し、「成田市」の「南」には「日本の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)・「成田国際空港」(2015年4月7日・2012年12月10日のブログ参照)があります。
また「成田市」の「中心部」である「成田地区」は1000年以上の「歴史」がある「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)の「門前町」として栄え、毎年多くの「参拝者」で賑わいます。
「成田市内」にはほかにも数多くの「寺社」が点在しており、「成田市」は、豊かな「水」と「緑」に囲まれ、「伝統的」な「姿」と「国際的」な「姿」が融和した「都市」として知られています。
「成田市」は、平成18年(2006年)3月27日、「香取郡」「下総町」、「香取郡」「大栄町」の2町が合併し、新生「成田市」が誕生、「北総台地」(下総台地)の「中核都市」としてさらなる飛躍を果たしました。
かつての「田園観光都市」「成田」は、「信仰のまち」としての「顔」と、「経済」、「文化」の様々な「分野」での「国際交流」の「拠点」として、「国際交流都市」の「顔」をもつ「まち」へと大きく変貌しています。
「宮内庁下総御料牧場」は、1969年(昭和44年)8月18日まで、「成田市」「三里塚地区」に存在していた「御料牧場」の「名称」です。
江戸時代、「下総台地」の「北部」に「江戸幕府」によって「佐倉牧」が設置されて「軍馬」や、「農耕馬」の「放牧地」があり、「佐倉牧」は7つの「牧」から構成されていたことから「佐倉七牧」とも称され、「三里塚一帯」には「七牧」の1つであった「取香牧(トッコウマキ)」が置かれていたそうです。
明治時代に入り「文明開化」の「煽り」を受け「国内」での「羊毛」の「生産」を高める「必要性」が起こり、
1 青草に富むこと
2 樹林地に恵まれていること
3 物資の輸送に便利な所
を条件に「内務省」は「用地選定」に「アメリカ」の「牧羊家」「アップ・ジョーンズ」を起用して「各地」の「実地調査」を行いました。
その結果、「七牧」の一つ「取香牧」(現・成田市取香、三里塚周辺)の「隣接地」が「牧羊場」に定められ1875年(明治8年)9月、「下総牧羊場」が開場し、この時、「取香牧」も閉場し「牛馬」の「改良」に当たる「取香種蓄場」として発足しました。
この頃、「内務卿」・「大久保利通」は「現地の視察」を行い、また「牧羊場」・「種蓄場」「両場」の「初代場長」に「内務省」の「岩山敬義」が就任しました。
1878年(明治11年)5月、「大久保」が暗殺され「非業の死」を遂げ、その「影響」もあってか1880年(明治13年)1月、「両者」が合併して「下総種蓄場」となったそうです。
この「合併」は「事業」を整理する「意味合い」が含まれていたとされています。
「下総種蓄場」は「場内」を「三里塚区」、「両国区」(現・富里市両国)など「七区」に分かれており、「本庁」は「両国区」「高堀」に置かれたそうです。
「下総種蓄場」の「管理」は1881年(明治14年)にそれまでの「内務省」から新設された「農商務省」に移され1885年(明治18年)6月には「宮内省」「御料局」の「直管」となり1888年(明治21年)10月に「宮内省下総御料牧場」と改められ、それまで「高堀」にあった「本庁」が「三里塚」に移され、その後、「牧羊事業」は次第に縮小され「綿羊」の「数」も減少したそうです。
1966年(昭和41年)3月、「政府」は「臨時新東京国際空港閣僚協議会」を改組し「千葉県」と協議・検討を続けた結果、「富里」の「東方」約10kmに位置する「三里塚」付近が「航空管制」、「気象条件」などの「諸条件面」で「富里」と差異がなく、また「国有地」である「下総御料牧場」および「県有地」を「最大限」に利用しかつ「敷地面積」を「航空審議会」「答申」「規模」の約半分にする事により「民有地」の「買収」が極力少なくして「地元住民」に対する「影響」を「最小限」に留めることができるなど「利点」があるこてが判明しました。
同年7月4日の「閣議」で「新東京国際空港(現・成田国際空港)の位置及び規模について」を決定、「牧場」は、「空港敷地」となることが決まったそうです。
明治から大正にかけて「牧場経営」は「改善」が図られ、「事業」は更に縮小へと向かい、1922年(大正11年)には「牧場」の「経営」が悪化し、「馬」の「繁殖」を一時中止したそうです。
1923年(大正12年)、「牧場」の「総面積」の6割にあたる2044町歩を「帝室林野局」へ移管し、かつての「7区」から「三里塚」、「両国」の「2区」だけとなりました。
1969年(昭和44年)8月、「御料牧場」は「栃木県」「高根沢町」に移転することが決定され同月18日に「牧場」の「閉場式」が行われましたが「成田空港反対闘争」「激化」の折であり「空港反対派」が「場内」に乱入するという場面もあったそうです。
かくして「宮内庁下総御料牧場」は明治以来の「歴史」に幕を閉じ、「新牧場」へは80家族約300人、「家畜」約400頭が移転しました。
「下総御料牧場」の一部は「三里塚記念公園」として保存され今日に至っており、「御料牧場」移転後「社台牧場」など、「民間」の「サラブレット生産牧場」も「北海道」「日高地方」にその拠点を移しました。
しかし今なお「三里塚」周辺には「出羽牧場」、「新田牧場」、「新堀牧場」、「千代田牧場」、「鈴木牧場」などが点在し、かつての「馬の産地」の「面影」を垣間見ることができるそうです。
「三里塚」の「春」は「桜樹」10万株ともいわれ、「花」で満ちあふれ多くの「人」を集め近くの「成田山新勝寺」、「宗吾霊堂」とともに「名勝地」として「人々」に親しまれていました。
「三里塚」の「桜」は「牧場」開創の際「防風林」として「スギ」、「マツ」、「ケヤキ」と共に「ヨシノザクラ」、「ヤマザクラ」、「ボタンザクラ」などが植えられた事に始まります。
広い「牧場」を散策しながら「花の観賞」が出来る事も特徴で、
「一里、二里、花は桜の三里塚」
ともてはやされていたそうです。
また1969年(昭和44年)の4月1日から15日まで行われた「最後」の「桜まつり」には、名残を惜しむ延べ20万人の「花見客」で賑わったそうです。
「ジンギスカン」(成吉思汗)は、「マトン」(成羊肉)や、「ラム」(仔羊肉)などの「羊肉」を用いた「日本」の「焼肉料理」です。
「一般的」には「北海道」を代表する「郷土料理」とされる他、「岩手県」「遠野市」、「長野県」「長野市」など「一部地域」でも盛んに食されています。
「ジンギスカン」は、「中央部」が「凸型」になっている「ジンギスカン鍋」を熱して「羊肉」の「薄切り」と、「野菜」を焼き、「羊肉」から出る「肉汁」を用いて「野菜」を調理しながら食します。
使用する「肉」には、「調味液漬け込み肉」の「味付け肉」、「冷蔵(チルド)肉」の「生肉」、「冷凍肉」の「ロール肉」があります。
「ジンギスカン」の「起源」については、「俗説」で「かつてモンゴル帝国を率いたジンギスカン(チンギス・カン)が遠征の陣中で兵士のために作らせた」と説明される場合もありますが、実際には「モンゴル」の「料理」とはかけ離れています。
また「羊肉」を用いる「中国料理」としては「清真料理」の「カオヤンロウ」という「羊肉料理」がありますが、これも「日本」で食べられている「ジンギスカン」とは程遠いですが、ただし「ジンギスカン料理」の「起源自体」は「中国大陸」にあるといわれ、「日本軍」の「旧満州」(現・中国東北部)への「進出」などを機に、「前述」の「カオヤンロウ」から「着想」を得たものが「日本人向け」に「アレンジ」され、現在のような「形式」になったものとみられます。
「最初」の「ジンギスカン専門店」は、1936年(昭和11年)に「東京都」「杉並区」に開かれた「成吉思(ジンギス)荘」とされています。
他にも、「山形県」「蔵王温泉」や、「岩手県」「遠野市」等がそれぞれ、上記の「東京」や、「北海道」のものとは「発祥」を異にする、独自のものとしての「ジンギスカン鍋」の「起源」を主張しています。
上記のように明治8年(1975年)、「成田」に「日本初」の「牧羊場」が誕生、後に「宮内庁下総御料牧場」となり、「皇室」「ご滞在」に際し、「賓客」には「ジンギスカン」が振る舞われたそうです。
やがて周辺の「農家」で「牧羊」が始まると、「ジンギスカン」もすぐに「地域」に広まったそうです。
「成田空港」の「建設」により「御料牧場」は「栃木県」「塩谷郡」に移転しましたが、「成田」では今も変わらず「ジンギスカン」が親しまれています。
「成田市」では、「ジンギスカン」とゆかりのある「地」「成田」として、「成田市さくらの山」「展望デッキ」付近を「会場」に「さくらの山ジンギスカンまつり」を開催するそうです。
「さくらの山ジンギスカンまつり」ですが、10月1日(土)10時00分から15時00分まで行われる「野外」の「イベント」で、「2部入替制」となっています。
「さくらの山ジンギスカンまつり」は、「第1部」は11時00分から12時30分まで、「第2部」は13時30分から15時00分までの「2部入替制」で行われ、「受付」は「各回」30分前から、「各回」90分制限となっているそうです。
「さくらの山ジンギスカンまつり」の「チケット価格」ですが、1組6000円(各回30枚限定)、「内容」ですが、「大人」4人分の「肉」・「野菜」、「紙皿」、「割箸」、「エプロン」、「七輪」1台、「炭」、「駐車スペース」1台分確保となっています。
※1組につき大人6人程度のスペースです。
※七輪ブース内は、ペットの連れ込みをお断りいたします。
※お持ち込みの食材の調理はご遠慮ください。
※追加の生肉・生野菜を会場で別途販売いたします。
「さくらの山ジンギスカンまつり」では、「ジンギスカン」を盛り上げる様々な「ショー」、「アトラクション」、「体験教室」(参加無料)などが行われ、「内容」は下記の通りです。
成田市観光キャラクター「うなりくん」(2011年1月15日のブログ参照)の「うなりくんふわふわドーム」(1回300円)
oriさん(ペルウ゛ィス/キッズヨガ)
ラキ・フラスタジオ(フラダンス)
沖縄島唄ナイチャーズ兼ゴスペルチームシュイラ
アクラム(ベリーダンス)
シンタロウダンス教室(キッズダンス)
Baha!(キッズダンス)
「成田市民」の「憩いの場」「成田市さくらの山」で開催される「ジンギスカン発祥の地成田」ゆかりの「イベント」「さくらの山ジンギスカンまつり」。
この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「ジンギスカン発祥の地成田」「さくらの山ジンギスカンまつり」詳細
開催日時 10月1日(土) 10時〜15時
開催会場 成田市さくらの山展望デッキ付近 成田市駒井野1338-1
問合わせ 空の駅さくら館 0476-33-3309
備考
「ジンギスカン発祥の地成田」「さくらの山ジンギスカンまつり」ですが、「雨天」の場合、「翌日」10月2日(日)に「順延」となっており、10月2日(日)が「荒天」の場合は「中止」となるそうです。
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地域情報::成田 | 10:07 AM |