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「元始祭(ゲンシサイ)」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」で1月3日(日)に開催されます「元始祭(ゲンシサイ)」です。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」にある「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」の「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」と「鹿島灘」に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、明治維新前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られており、「古事記」では、「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」が「軻遇突智(カグツチ)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」とともに、「天孫降臨」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきました。

 「鹿島神宮」の「創建」ですが、2674年前の「初代」・「神武天皇」「御即位」の「年」にあたり、「神武天皇」は、「東征」の「途上」における「大神」の「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」による「守護」に感謝され、「鹿島の地」に「大神」を勅祭されたそうです。
 これに先立つ神代の昔、「武甕槌大神」は「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」の「名」を受け、「葦原中国」といわれた「我が国」の「国譲り」から「国造り」まで、その「建国」に大いにその「御神威」を発揮されました。
 「鹿島神宮」は、その「御威徳」から「武の神」として崇められ、日出づる「東方」に坐します「鹿島立ち」の「御神徳」によって、「事始め」、「起業」、「開運」、「旅行交通安全の神」、「常陸帯」(2012年1月13日・2011年10月16日のブログ参照)の「故事」によって「安産」、「縁結び」の「神」を仰がれています。
 「鹿島神宮」は、古くから「朝廷」から「蝦夷(エゾ)」に対する「平定神」として、また「藤原氏」から「氏神」として崇敬され、その「神威」は中世の「武家の世」に移って以後も続き、「歴代」の「武家政権」からは「武神」として崇敬され、現代も「鹿島神宮」は「武道」で篤く信仰されています。

 上記のように「鹿島神宮」、「香取神宮」とも古来より「軍神」としての「性格」が強く、「武術」の「道場」には「鹿島大明神」、「香取大明神」と書かれた「2軸」の「掛軸」が「対」になって掲げられることが多く、そのため「鹿島神宮」周辺は「武芸」が盛んとなり、「鹿嶋」は、戦国時代の「剣豪」、「兵法家」で、「父祖」「伝来」の「鹿島古流」(鹿島中古流)に加え、「天真正伝香取神道流」を修め、「鹿島新当流」を開いた「剣聖」「塚原卜伝(ツカハラボクデン)」(2011年11月29日のブログ参照)の「故郷」として知られています。
 「鹿島神宮」「例祭」では、「鹿島神宮」に由来のある「直心影流剣術」による「奉納演舞」が行われる他、「古武道団体」が「演武大会」(2015年10月3日・2014年10月25日・2013年10月5日のブログ参照)を開催することもあります。

 「鹿島神宮」「文化財」ですが、「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」(布都御魂剣)と称される「長大」な「直刀」が「国宝」に指定されているほか、「鹿島神宮」「境内」は「国」の「史跡」に指定され、「本殿」・「仮殿(カリドノ)」・「楼門」など「社殿」7棟が、「国」の「重要文化財」に指定されており、そのほか「鹿島神宮」は、「鹿」を「神使」とすることでも知られています。
 「鹿島神宮」の「境内地」ですが、「東京ドーム」15個分(約70ha)に及ぶ「大きさ」で、「鹿島神宮」の鎮座する「地」は「三笠山(ミカサヤマ)」と称され、この「境内」は「日本」の「歴史上」、「重要」な「遺跡」であるとして、「国の史跡」に指定されています。
 (摂社坂戸神社境内、摂社沼尾神社境内、鹿島郡家跡も包括)
 「鹿島神宮」「境内」(70ha)のうち約40ha(ヘクタール)は「鬱蒼(ウッソウ)」とした「樹叢」で、「鹿島神宮樹叢」として「茨城県指定天然記念物」に指定されており、「樹叢」には約800種の「植物」が生育しており、「鹿島神宮」の長い「歴史」を象徴するように「巨木」が多く、「茨城県内」では「随一」の「常緑照葉樹林」になっています。
 その他「鹿島神宮」「境内」には、透き通る「湧水」で「禊(ミソギ)」も行われる「御手洗池」や、「鹿園」など、多くの「見どころ」があります。
 ちなみに「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」(布都御魂剣)ですが、「茨城県」「唯一」の「国宝」である「直刀」で、「鹿島神宮」「宝物館」にて、所蔵、展示されています。

 「鹿島神宮」「本殿」は、「三間社流造」、「向拝一間」で「檜皮葺」、「漆塗り」で「柱頭」・「組物」等に「極彩色」が施されています。
 「鹿島神宮」「本殿」ですが、元和5年(1619年)の「造営」までは、現在の「奥宮」の「社殿」として使用されていたそうです。
 「鹿島神宮」「本殿」の「背後」には「杉の巨木」の「神木」が立っており、「樹高」43m・「根回り」12mで「樹齢」約1000年といわれ、さらに後方、「玉垣」を介した「位置」には「鏡石(カガミイシ)」と呼ばれる「直径」80cmほどの「石」があり、「神宮創祀の地」とも伝えられています。

 「鹿島神宮」「楼門」は、寛永11年(1634年)、「水戸徳川初代藩主」「徳川頼房」公が奉納された「楼門」で、「高さ」約13m、「日本三大楼門」のひとつとして知られています。
 「鹿嶋社楼門再興次第記」によれば、「三代将軍」「徳川家光」公の「病気平癒」を「徳川頼房」公が「大宮司」(神宮の最高責任者)「則広」氏に依頼し、「徳川家光」公が「快方」に向かった為に奉納されたとあり、「浅草」の「水戸藩下屋敷」で130余人の「大工」が切組み、「船筏」で運んで組み立てたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」ですが、昭和15年(1940年)の「大修理」の際「丹塗り」とし、昭和40年代に「檜皮葺」の「屋根」を「銅板葺」にしたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」は、「鹿島神宮」「境内」「鹿島神宮の森」の「縁」の中にひときわ「朱色」が鮮やかな「楼門」で、「鹿島神宮」「楼門」の「扁額」は「東郷平八郎」「元帥」の「直筆」によるものだそうです。

 「御手洗池」は、「神宮」「境内」の「東方」に位置する「神池」で、「潔斎(禊)の地」、古くは「西」の「一の鳥居」がある「大船津」から「舟」で「この地」まで進み、「潔斎」をしてから「神宮」に参拝したと考えられており、「御手洗」の「池名」もそれに由来するとされています。
 「御手洗池」には、「南崖」からの「湧水」が流れ込み、「水深」は1mほどで、非常に澄んでおり、「御手洗池」に「大人」が入ってもその「水深」は「乳」を越えないといわれ、「鹿島七不思議」のひとつに数えられています。

 「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2015年3月8日・2014年3月5日・2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2013年3月6日・2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「式年大祭御船祭」(2014年8月31日のブログ参照)が特に「有名」で、2014年9月1日(月)には、「3日間」に渡って「御船祭」が催行されています。
 (「式年大祭御船祭」「前日」8月31日(日)午後には、「御座船清祓式」(2014年8月29日のブログ参照)が執り行われました。)

 「元始祭(ゲンシサイ)」ですが、「宮中祭祀」のひとつで、「大祭」です。
 「元始祭(ゲンシサイ)」は、現在では「新暦」1月3日、「天皇」が「宮中三殿」(賢所・皇霊殿・神殿)において、みずから主宰する「親祭」であり、「皇位」の「元始」を祝ぐ「儀式」です。

 「元始祭(ゲンシサイ)」は、1870年(明治3年)1月3日(旧暦)、「神祇官」「八神殿」に「八神」・「天神地祇」・「歴代」の「皇霊」を「鎮祭」したのに始まり、1873年(明治6年)1月3日から現在の「三殿親祭」の「形式」となったそうです。
 1908年(明治41年)9月19日制定の「皇室祭祀令」では「大祭」に指定されたそうで、1年で「最初」の「大祭」となっています。
 「同法」は、1947年(昭和22年)5月2日に廃止されましたが、1948年(昭和23年)以降も、「宮中」では、従来通りの「元始祭(ゲンシサイ)」が執り行われています。
 また、「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」および「休日ニ関スル件」により、1874年(明治7年)から1948年(昭和23年)まで「同名」の「祝祭日」(休日)であったそうです。

 「鹿島神宮」では、1月3日に「元始祭(ゲンシサイ)」を執り行っています。
 「鹿島神宮」「元始祭(ゲンシサイ)」は、「宮中」「三殿」で、「天皇」自ら「皇位」の「元始」を祝い、「皇祖」以下「祖霊」や、「緒神」をまつる「祭儀」です。
 「元始祭(ゲンシサイ)」ですが、「全国」の「神社」でも行うものと定められていたそうです。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」で開催される「新春」に行われる「鹿島神宮」「物事」の「始め」の「祭典」「元始祭(ゲンシサイ)」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「元始祭(ゲンシサイ)」詳細

 開催日時 1月3日(日) 10時〜

 開催会場 鹿島神宮 本殿 茨城県鹿嶋市宮中2306-1

 問合わせ 鹿島神宮 0299-82-1209

 備考
 「鹿島神宮」では、1月1日「元旦」に、「歳旦祭(サイタンサイ)」が「朝」6時00分から「鹿島神宮」「本殿」で執り行われます。
 「歳旦祭」ですが、「宮中」および、「全国」の「神社」で、「皇室」ならびに「国民」の「繁栄」と、「農産物」の「豊作」を、「皇祖」・「天神地祇」に祈願する「祭祀」なのだそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2789 |
| 地域情報::鹿島 | 06:35 PM |
「5年連続水揚げ量日本一」「銚子漁港」(銚子市)
 本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子漁港」の「5年連続水揚げ量日本一」です。

 「銚子市」(2010年9月20日のブログ参照)は、1933年(昭和8年)2月11日、「銚子町」、「本銚子町」、「西銚子町」、「豊浦村」の「3町1村」が合併し、「全国」で116番目、「千葉県」では「県庁所在地」「千葉市」に次いで2番目の「市」として誕生しました。
 その後、「銚子市」は、1937年(昭和12年)に「高神村」、「海上村」、1954年(昭和29年)に「船木村」、「椎柴村」、1955年(昭和30年)に「豊里村」、1956年(昭和31年)に「豊岡村」と順次合併、発展してきました。
 現在の「銚子市」の「人口」ですが、65671人となっており、「世帯数」は27708世帯となっています。
 (2015年(平成27年)12月1日現在)

 「銚子市」は、三方を「水」に囲まれ、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)「河口」から「君ヶ浜」(2011年6月1日のブログ参照)、「犬吠埼」(2012年4月16日のブログ参照)、「屏風ヶ浦(ビョウブガウラ)」(2012年5月20日のブログ参照)に至る「海岸線」は、「砂浜」あり、「断崖絶壁(ダンガイゼッペキ)」ありと、「変化」に富んだ「雄大」な「景観美」を織り成しています。
 「銚子市」は、「利根川」沿いの「低地」と「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)からなり、「表層」は「関東ローム層」に覆われています。
 「銚子市一」「標高」が高い「愛宕山」(「標高」73.6m)は、「北総台地」(下総台地)「最高峰」の「高さ」を誇り、「愛宕山」の「頂上」付近には、「地球の丸く見える丘展望館」(2010年8月30日のブログ参照)という「人気観光スポット」があり、「北」は「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)から「筑波山」を望み、「東」と「南」は「一望千里」に「太平洋」の「大海原」を、「西」は「屏風ヶ浦」から「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)まで見渡せ、文字通りの「絶景スポット」となっています。
 「銚子市」の「観光スポット」・「見どころ」ですが、「犬吠埼灯台」(2011年1月1日のブログ参照)、「地球の丸く見える丘展望館」、「銚子ポートタワー」(2010年9月3日のブログ参照)、「銚子漁港」、「銚子電鉄」(2012年2月11日のブログ参照)、「銚子マリーナ」(2012年10月4日・2010年10月18日のブログ参照)、「水産物卸売センターウオッセ21」(2011年4月26日・2010年8月25日のブログ参照)、「犬吠埼温泉郷」、「外川の町並み」(2010年12月13日のブログ参照)等となっています。

 「銚子漁港」は、「銚子市」にある「特定第3種漁港」で、「年間水揚げ量」では、「全国有数」の「漁港」です。
 「銚子漁港」ですが、「全国屈指」の「水揚げ量」を誇る「漁港」で、「全国有数」の「漁場」を持つ、「水産」、「加工」、「流通」の「総合漁業基地」として知られています。
 なお「銚子漁港」ですが、平成26年(2014年)1年間の「水揚げ量」が、27万4000t(トン)余りとなり、平成25年(2013年)よりおよそ6万t、「率」にして28%増え、「他」の「港」を大きく上回り、「水揚げ量」が「日本一」となっており、「魚」の「水揚げ量」が「4年連続」で「全国1位」(2015年1月1日のブログ参照)となっています。

 「銚子漁港」の「管理者」は「千葉県」で、「漁港番号」は「1930010」、「漁業協同組合」は「銚子市漁業協同組合 Choshi Fisheries Cooperative Association」で、「銚子市漁業協同組合」ですが、平成8年(1996年)9月に「銚子地区」の「6単協」(銚子市、銚子市黒生、銚子市外川、銚子市西、銚子市川口、千葉県小型機船底)が、合併されて設立された「組合」です。
 「銚子市漁業協同組合 Choshi Fisheries Cooperative Association」「組合員数」ですが、287名の「内」、「正組合員」177名、「准組合員」110名で、「組合員」は、6つの「魚種別部会」(旋網部会、鰹鮪部会、底曳部会、小型底曳部会、一本釣部会、各種部会)に所属しています。

 「銚子市漁業協同組合 Choshi Fisheries Cooperative Association」の「事業」、「内容」は、下記の通りです。

 共済事業 組合員の共済に関する事業。

 購買事業 組合員の事業または生活に必要な物資の供給

 販売事業 組合員漁獲物その他の生産物の販売

 直販事業 組合員漁獲物その他の生産物の直売

 製氷事業 漁獲物鮮度保持の為の氷供給

 加工事業 組合員漁獲物その他の生産物の加工

 利用事業 組合員の事業または生活に必要な共同利用に関する施設

 指導事業 水産に関する経営および技術の向上に関する指導

 「銚子」は、古来「零細漁業」と、「農耕」とによって、「生計」を営む「一漁村」でありましたが、「紀州方面」の「人々」が来往するようになってから開発されたといわれています。
 「銚子漁港」「第1魚市場」は、昭和7年(1932年)に完成、璽来「千葉県下」、「地元漁船」はもとより、「北」は「北海道」から、「南」は「沖縄」にいたる「沖合漁船」の「一大根拠地」として、60有余年の「歴史」を経て、「飛躍的」「発展」をとげています。
 「銚子市漁業協同組合 Choshi Fisheries Cooperative Association」の「沿革」は、下記の通りです。

 昭和7年(1933年)   県有銚子漁港魚市場のうち、中央魚市場が完成。

 昭和9年(1934年)10月 千葉県水産株式会社(大正12年11月創立)が県より借り受け、業務を開始。

 昭和19年(1944年)   臨港側線を敷設。新生魚市場が完成。(荷捌所として使用)

 昭和20年(1945年)1月 千葉県水産株式会社は、生鮮魚類の統制強化により、市場業務をできなくなったため、千葉県水産業会に市場権を譲渡、実務は銚子市漁業会をして行わしめた。

 昭和20年(1945年)7月 内浜魚市場は戦災により焼失、中央市場は大破。

 昭和23年(1948年)10月 県水産業会は、銚子市漁業会に市場権を譲渡。

 昭和24年(1949年)12月 戦災により焼失した内浜魚市場が復旧。

 昭和25年(1950年)7月 県は、生鮮魚介類の統制撤廃に伴う処置として、流通秩序の確立と漁港の管理保全を目的として銚子漁港魚市場条例を交付し、この条例に基づいて知事は中央魚市場及び内浜魚市場を銚子市漁業協同組合に、新生魚市場を外川漁業協同組合に市場開設者として承認した。

 昭和32年(1957年)3月 新生魚市場を県に返還。市場を廃止し、倉庫に転用。

 昭和37年(1962年)8月 東魚市場が完成。(工事費45913千円)

 昭和40年(1965年)4月 中央魚市場の改築工事を始める。

 昭和40年(1965年)6月 中堤防工事進行により完成部分を水揚岸壁に利用。

 昭和40年(1965年)12月 中央魚市場管理棟が完成。(工事費249845千円)

 昭和42年(1967年)3月 中堤防完成。水揚、仕込出漁岸壁に利用。

 昭和44年(1969年)3月 内浜魚市場を廃止解体し、駐車場に転用。業務を東魚市場に移す。

 昭和47年(1972年)2月 銚子市漁業協同組合は、県より魚市場施設を有償にて譲り受ける。

 昭和50年(1975年)4月 第2卸売市場(工事費68767千円)が完成。

 昭和52年(1977年)3月 第3卸売市場No.1(工事費223264千円)が完成。

 昭和62年(1987年)3月 第3卸売市場No.2(工事費1257400千円)が完成。

 昭和63年(1988年)6月 漁船員福利厚生施設「ゆうなぎ」(工事費210000千円)完成。

 平成6年(1994年)12月 鮮魚直売所完成オープン。

 平成8年(1996年)9月 市内6漁業組合が合併。

 平成14年(2000年)3月 海水氷製氷工場完成。

 「銚子沖」は、「寒暖流」の「交錯」する「好漁場」を有するため、「いわし」(2012年5月17日のブログ参照)、「さば」(2012年12月8日のブログ参照)、「さんま」(2012年9月1日のブログ参照)、「かつお」、「まぐろ類」(2012年11月8日のブログ参照)、「あじ」、「ひらめ」、「金目鯛」(2011年2月14日・2010年11月17日のブログ参照)等となっており、「鮮魚」として「銚子漁港」から「全国各地」に送られています。
 「銚子漁港」で「水揚げ」される「主」な「魚種」は、下記の通りです。

 鰯(イワシ)   2002年(平成14年)度「陸揚高」「全国1位」

 鯖(サバ)   2002年度「陸揚高」「全国1位」

 鯵(アジ)類  2002年度「陸揚高」「全国4位」

 秋刀魚(サンマ) 2002年度「陸揚高」「全国4位」

 鮪(マグロ)   2002年度「陸揚高」「全国6位」

 鮫(サメ)    2002年度「陸揚高」「全国3位」

 メヌケ     2002年度「陸揚高」「全国5位」

 となっています。
 ちなみに「銚子市」の「金目鯛」ですが、「東京」「築地」の「市場」で1kg当たり3000円以上で取り引きされている「深海」の「高級魚」で、「銚子市」の「金目鯛」の「水揚げ量」ですが、「国内2位」を誇るそうです。

 「銚子漁港」では、「水揚げ」される「魚種」も「豊富」で、これら「魚介類」を取り扱う「銚子漁港」「魚市場」の「卸売市場」も、「銚子漁港整備」に呼応し、「第1」・「第2」・「第3卸売市場」と、「受入施設」の「整備拡充」が図られ、「全国有数」の「漁業根拠地」として、「益々」の「発展」が期待されています。

 「銚子漁港」の「概要」は、下記の通りです。

 銚子漁港・魚市場

 魚市場用地の面積 40243平方m

 第1卸売市場 21678平方m

 第2卸売市場 6165平方m

 第3卸売市場 12400平方m

 魚市場の建物及び位置

 第1卸売市場

 中央市場

 鉄骨、鉄筋コンクリート2階建

 銚子市飯沼町186番地の61 銚子市新生町1丁目36番地の2

 建面積 4296平方m

 第2卸売市場

 鉄筋コンクリート一部鉄骨1階建

 銚子市川口町1丁目6278番地

 建面積 801平方m

 第3卸売市場 No.1

 鉄筋コンクリート一部鉄骨2階建

 銚子市川口町2丁目6528番地

 建面積 3164平方m

 第3卸売市場 No.2

 鉄筋コンクリート一部鉄骨4階建

 銚子市川口町2丁目6528番地

 建面積 6213平方m

 トラックスケール

 第1スケール 秤量50t (第2卸売市場)

 第2スケール 秤量50t (第2卸売市場)

 第3スケール 秤量60t (第3卸売市場先)

 簡易荷捌所(2011年9月2日のブログ参照)

 鉄筋コンクリート一部鉄骨1階建

 銚子市新地町1468番地の20

 建面積 1809平方m

 貸事務所

 第1卸売市場・中央市場2階21室 (30平方m〜60平方m)

 この度(タビ)「銚子市」では、「銚子漁港」の昨年(2015年・平成27年)1年間の「水揚げ量」が、「日本一」になったという「吉報」が入りました。
 「銚子市漁業協同組合」によりますと、昨年(2015年・平成27年)1年間の「銚子漁港」の「水揚げ量」は、21万9261t(トン)で、一昨年(オトトシ)(2014年・平成26年)より5万tあまり、「率」にしておよそ20%減りましたが、「他」の「港」を上回り、「5年連続」で「日本一」(全国1位)となったそうです。
 「銚子漁港」の「水揚げ量」の「内訳」ですが、「主力」の「サンマ」は、「海水温」が高く「群れ」が南下してこなかったなどから、「水揚げ量」は5783tと一昨年(2014年・平成26年)の「3割」にとどまり、「過去」15年間で最も少なくなり、さらに、「イワシ」の「水揚げ」も2万t近く4万3000tあまりだったそうです。
 一方で、「マグロ」(はえ縄船によるマグロ・カジキ類)の「水揚げ」は「好調」で、新しい「高度衛生管理型施設」(第1卸売市場)(2015年4月7日のブログ参照)が完成したことから、一昨年(2014年・平成26年)より200tあまり増え、4561tだったそうです。
 一方「水揚げ額」は、一昨年(2015年・平成27年)より81億円減って、234億円となったそうです。
 「銚子市漁業協同組合」の「坂本雅信」「組合長」は、

 「主力のサンマやイワシの水揚げが少なく厳しい年だったが、5年連続の水揚げ日本一を達成できる見込みでほっとしている。
 屋内型の市場を活用し、今後も品質の良い魚を提供していきたい」

 と「コメント」しています。

 平成23年(2011年)から平成27年(2015年)にかけて「5年連続水揚げ量日本一」の「快挙」を達成した「日本」を代表する「特定第3種漁港」「銚子漁港」。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 備考
 昨年(2015年・平成27年)の「銚子漁港」の「水揚げ額」は、約81億円減の234億5548万円で、「水揚げ額」の「順位」は、一昨年(2014年・平成26年)の「全国4位」から「全国5位」に「順位」を落としたそうです。
 ちなみに昨年の「水揚げ量」「全国2位」ですが、「焼津漁港」(静岡県)で、約5万tの「差」があるそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2794 |
| 地域情報::銚子 | 06:16 PM |

 
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