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「銚子市観光フォトコンテスト〜犬吠埼灯台140周年記念〜」「受賞作品」「結果発表」(銚子市)
 本日ご紹介するのは、地元「銚子市」で発表されました「銚子市観光フォトコンテスト〜犬吠埼灯台140周年記念〜」「受賞作品」「結果発表」です。

 「犬吠埼灯台」(2011年1月1日のブログ参照)は、「銚子市」(2010年9月20日のブログ参照)の「はずれ」「犬吠埼」(2012年4月16日のブログ参照)の「突端」に立つ「灯台」です。
 「犬吠埼灯台」周辺は「水郷筑波国定公園」(2012年8月3日のブログ参照)の一部となっており、「太平洋」を望む「景勝地」となっています。
 「犬吠埼灯台」は、現在も稼働している「船舶」の「航行目標」「航路標識」で、その「外観」や「塔光」によって「位置」を示す「光波標識」の中の「夜標」として活躍しており、「犬吠」は、もとより「銚子市」の「象徴」として認識されています。

 「犬吠埼灯台」は、「日本」を代表する「灯台」のひとつで「歴史的文化的価値」が高く、「Aランク」の「保存灯台」ともなっており、2010年(平成22年)5月20日に「国」の「登録有形文化財」にも登録され、また「犬吠埼灯台」は「最大」の「第1等レンズ」を使用した「第1等灯台」であり、「第1等灯台」ですが、「日本」に6つしかないそうです。
 (「文化財登録原簿」へは4月28日に登録され、5月20日に「官報告示」)

 「豪快」な「犬吠埼」の「突端」に、そそり立つ「犬吠埼灯台」は、「英国人」「リチャード・ヘンリー・ブラントン」の「設計」により完成した「西洋型第一等灯台」で、「日本」で「24番目」に点灯されました。
 「犬吠埼灯台」は、「高さ」31.57mで、「国産煉瓦」を19万3000枚使用するなど、「日本の近代化遺産」としても大変「貴重」であり、平成10年(1988年)に「世界の歴史的灯台100選」・「日本の灯台50選」に選ばれたほか、平成22年(2010年)4月には「国」の「登録有形文化財」に登録されています。
 「犬吠埼灯台」の「敷地内」には、2002年(平成14年)3月20日に開館した「犬吠埼灯台資料展示館」もあり、この「灯台」の「歴史」、「機能」・「役割」などを学べ、「初代犬吠埼灯台レンズ」(フレネル式第1等8面閃光レンズ)をはじめ、「貴重」な「資料」が多数展示されています。
 「銚子市(犬吠埼)のシンボル」「犬吠埼灯台」の「管轄」は、「日本の海」を守り続ける「海上保安庁」「第三管区保安本部」が「管轄」しています。

 ちなみに「犬吠埼灯台」の「概要」(データ)は、下記の通りです。

 「犬吠埼灯台」「概要」(データ)

 位置   北緯35度42分28秒
      東経140度52分07秒

 所在地  銚子市犬吠埼9576

 塗色構造 白色 塔形 煉瓦造り

 レンズ   1等フレネル式

 塔質   単閃白光 毎15秒に1閃光

 実効光度 110万カンデラ

 光達距離 19.5海里(約36km)

 明弧   169度から65度まで

 高さ   地上から頭頂まで31.30m
      平均海面から灯火まで51.80m

 初点灯  1874年(明治7年)11月15日

 管轄   海上保安庁 銚子海上保安庁

 明治7年(1874年)11月15日に「初点灯」した「銚子市(犬吠埼)のシンボル」「犬吠埼灯台」は、昨年(2014年)140周年を迎え、140年もの間、「犬吠埼灯台」は、「震災」・「戦災」など「幾多」の「試練」にもめげず、「海の安全」を守り、「陸」では「銚子随一」の「観光名所」として、また「銚子市民」の「心の支え」となってきました。
 「銚子市」では、「犬吠埼灯台」140年の「歴史」を振り返り、「未来」を展望し、「感謝の意」を込めて「記念事業」を「計画」し、「犬吠埼灯台140周年記念セレモニー」(2014年11月13日のブログ参照)を、2014年(平成26年)11月15日(土)「犬吠埼灯台」また「周辺」にて「盛大」に開催しました。

 「平成26年度銚子市観光フォトコンテスト」(2014年9月22日のブログ参照)の今回の「テーマ」を「犬吠埼灯台140周年記念」として、「各賞」を「増設」し「規模」を「拡大」して実施。
 「犬吠埼灯台140周年」「平成26年度銚子市観光フォトコンテスト」の「作品テーマ」は、下記の通りでした。

 作品テーマ

 銚子らしさを象徴し、銚子の魅力をアピールできる作品

 ・自然・景観、名所・旧跡、行事・イベントなど

 ・人物、食事などで銚子の魅力を表現している写真。

 犬吠埼灯台にまつわる作品(犬吠埼灯台140周年記念)

 ・灯台のある風景はもちろん、灯台に関連している写真であれば可

 ・犬吠埼灯台の昔の写真、古い写真も大募集。

 「犬吠埼灯台140周年」「平成26年度銚子市観光フォトコンテスト」の「賞」、「作品数」、「賞金」・「副賞」等は、下記の通りでした。

 最優秀賞 2点 賞金3万円 賞状、記念品、トロフィー

 優秀賞  8点 賞金1万円 賞状、記念品、トロフィー

 特別賞  6点 賞金5千円 賞状、特別賞賞品

 入選   20点 銚子の物産セット 賞状

 この度(たび)「銚子市」では、上記のように、昨年(2014年)募集していた「銚子市観光フォトコンテスト〜犬吠埼灯台140周年記念〜」の「入賞者表彰式」が2月21日(土)に開催されました。
 「銚子市観光フォトコンテスト〜犬吠埼灯台140周年記念〜」では、「規模」を「拡大」して「募集」していたこともあり、「応募総数」352点の「作品」の「応募」があり、「主催」している「(一社)銚子市観光協会」、「関係者」の「皆さん」が「厳正」に「審査」し、その中から「39作品」を選定しました。
 選定された「銚子市観光フォトコンテスト〜犬吠埼灯台140周年記念〜」「作品」は、下記の通りです。

 「最優秀賞」

 一般写真の部

 「海鳥の港町」
 徳地重男さん (茨城県神栖市)
 作品コメント 銚子には何度も出かけますが、夕暮れ無数の海鳥に港町を感じました。

 犬吠埼灯台140周年の部

 「夜明けの灯台」
 名雪誠さん (銚子市)
 作品コメント 日の出前の灯台上空の雲が赤く染まり、ドキドキ感動しながら夢中でシャッターを切りました。

 「優秀賞」

 銚子市観光協会長賞

 「雨上がりの屏風ヶ浦」
 伊東邦夫さん (銚子市)
 作品コメント 雨が降った後、崖に水が染み出て夕日が反射して輝いています。

 銚子市産業観光部長賞

 「犬岩と富士」
 山口昌さん (銚子市)
 作品コメント 日中の犬岩と富士山の競演に心躍りました。

 「大好きな電車を待つ」
 富成浩静さん (銚子市)
 作品コメント 電車が大好きな息子と一緒に乗りました。勇退前に乗車できてよかったです。

 「大漁船を導く!」
 多田秀男さん (茨城県神栖市)
 作品コメント この写真は、去年の1月から2月にかけ夜1週間に一度通い20枚ほど撮り、工夫をして灯台の光を抑え撮影してできた苦作の一枚です。NDフィルター使用。

 「星標」
 大根明美さん (銚子市)
 作品コメント 灯台の光に導かれてたくさんの星が集まってきているようでした。

 「ウインドサーフィン」
 山口源一郎さん (銚子市)
 作品コメント なし

 「お父ちゃんボクも灯台昇りたい」
 鈴木清一さん (銚子市)
 作品コメント 犬吠埼灯台で開催の銚子音楽祭での一場面。お父さんに「灯台昇りたい」をアピールしてました。

 「皆既月食中」
 湯浅和真さん (銚子市)
 作品コメント 宇宙の神秘を感じます。

 「特別賞」

 銚子海上保安部賞

 「パワー全開」
 名雪照子さん (銚子市)
 作品コメント 灯台の前で黒潮美遊の躍動感ある踊りに胸がとても熱くなりました。銚子が元気になあれ!と思いながらシャッターを切りました。

 犬吠埼ブラントン会賞

 「怒涛」
 宮内謙一さん (銚子市)
 作品コメント 犬吠埼に打ち寄せる大波の激しさを表現。

 銚子商工会議所賞

 「灯台と絵画」
 小椋利昭さん (八街市)
 作品コメント 澄みきった5月の空のもと灯台の絵を描く人が印象に残りました。

 銚子市漁業協同組合賞

 「大漁旗舞う正月」
 湯浅恵子さん (銚子市)
 作品コメント ほこらしげに多くの大漁旗がはためいていました。

 千葉県写真業組合賞

 「アブラハムの樹」
 広川隆志さん (茨城県稲敷市)
 作品コメント 珍しい雲、「アブラハムの樹」と言うそうです。生涯で見たのはこの1回だけです。

 銚子ジオパーク賞

 「波の花舞う」
 高島輝和さん (銚子市)
 作品コメント 台風の翌日、荒波の様子を撮影に犬岩へ行くと白い泡の様な波の花が強風に乗って飛び交う姿が印象的でした。

 銚子元気娘。賞

 「元気娘。」
 秋元大さん (木更津市)
 作品コメント 大好きな銚子元気娘。を大好きな屏風ヶ浦で撮影。

 銚子市旅館組合賞

 「魚ギョッ!!」
 宇野澤愛美さん (銚子市)
 作品コメント 鮪の大きさのビックリ。

 銚子電鉄賞

 「外川駅鏡像」
 宮内敏行さん (銚子市)
 作品コメント 雨上がりの水たまりにもう一つの外川駅が。車のライトがイルミネーションのように写ってました。

 「入選」

 「一ノ島灯台」
 田村俊雄さん (銚子市)
 作品コメント 2014年2月の台風の翌日、風速25m?の時。

 「大漁」
 沼尻志津江さん (香取郡多古町)
 作品コメント 朝一番 船倉いっぱいのサバをトラックに積み込む様子を写しました。

 「台風一過」
 渡邉良一さん (旭市)
 作品コメント なし

 「朝陽」
 高橋克昌さん (長生郡長生村)
 作品コメント 冬の朝日を浴びて、キャベツ畑を走る銚子電鉄。上り銚子で目指せ100周年!

 「ファンタジー」
 名雪誠さん (銚子市)
 作品コメント 雨上がりの河岸公園、パーゴラのイルミネーションの光がとてもきれいで近くにいたカップルに頼み撮影しました。

 「黄昏の風車群」
 名雪照子さん (銚子市)
 作品コメント 夕焼けの雲がきれいに染まり思わず感動し夢中でシャッターを切りました。

 「夏の日」
 宮内進さん (茨城県神栖市)
 作品コメント なし

 「マリーナから愛宕山まで」
 伊東邦夫さん (銚子市)
 作品コメント 海岸から愛宕山を見ています。背景の雲は合成ではありません。

 「出発進行」
 久永邦枝さん (銚子市)
 作品コメント ひまわりの咲く駅で待った銚電車掌さんの姿が印象的でした。

 「犬若海岸の夕焼け」
 広川隆志さん (茨城県稲敷市)
 作品コメント なし

 「にげろー!!」
 村田豊さん (茨城県神栖市)
 作品コメント 冬でも元気いっぱい。

 「陽が沈むとき」
 佐々木泰明さん (銚子市)
 作品コメント 夕暮れの防波堤の傍らで、だるま夕日が海原に沈んでいきました。

 「早朝のサバ、ゼリ」
 多田秀男さん (茨城県神栖市)
 作品コメント 当日朝、銚子本城の実家に寄り、後、港に寄りましたら、サバのセリに出会ったので許可をいただき、台の上より、逆光で光る人間とサバを撮った一枚です。

 「旭日」
 滑方清さん (旭市)
 作品コメント 雲が多く日の出はだめかと思いましたが、やがて雲間より旭日が表れました。(逆光が強く苦労しました。)

 「ふっと覗くと」
 福士清二さん (埼玉県比企郡小川町)
 作品コメント 長崎海岸の堤防をグルリと散歩する。磯の香りに集落風景がやすらぐ堤防の下に小さな港があり小舟をロープに引き上げる道具の棒を引き抜いた穴には…。

 「遺したいもの」
 宇野澤愛美さん (銚子市)
 作品コメント 銚子ならではのレトロな車両、銚子電鉄。これからも頑張って後世に遺って欲しいといつも願っています。

 「プラネタリウム」
 吉田修さん (銚子市)
 作品コメント 灯台の光が夜空を演出してくれました。

 「羽の音」
 石毛圭子さん (香取郡東庄町)
 作品コメント なし

 「順番待ち」
 坂尾正純さん (銚子市)
 作品コメント 犬吠埼に遠足で来た子供達のヒトコマ。

 「緑風夏陽」
 宇野澤恵さん (市原市)
 作品コメント 真夏の陽射しを浴びながらキャベツ畑を散策しました。キャベツ畑の青い匂い、夏の陽、緑の風を受けて回る風車の一瞬を写真にとじこめました。

 「応募」された「方」の「銚子」への「想い」が「カタチ」となり表現された「フォトコンテスト」「銚子市観光フォトコンテスト〜犬吠埼灯台140周年記念〜」「受賞作品」「結果発表」。
 この機会に「受賞作品」を鑑賞に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 備考
 「銚子市観光フォトコンテスト」ですが、「銚子ポートタワー」「2Fホール」(2月25日〜3月11日)、「地球の丸く見える丘展望館」「2Fホール」(3月17日〜3月31日)で開催される「入賞作品展」にて、鑑賞できます。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2502 |
| 地域情報::銚子 | 07:54 PM |
「菅原大神春の例祭」(銚子市)
 本日ご案内するのは、地元「銚子市」「菅原大神」で2月25日(水)に開催されます「菅原大神春の例祭」です。

 「菅原道真」公は、「日本」の平安時代に活躍された「貴族」、「学者」、「漢詩人」、「政治家」で、「参議」・「菅原是善(すがわらこれよし)」公の「三男」として生まれ、「官位」は「従二位」・「右大臣」、「贈正一位」「太政大臣」に就かれていた「人物」です。
 「菅原道真」公の「菅原家」は、「天穂日命(あめのほひのみこと)」に「起源」をもち、「曾祖父」「菅原古人」公の時代に、「学問」をもって「朝廷」に仕える「家柄」となっていたそうです。
 「菅原道真」公の「祖父」「菅原清公(すがわらのきよきみ/きよとも)」公と「父」「菅原是善」公は、ともに「大学頭」・「文章博士」に任ぜられ「侍読」も務めた「学者」の「家系」であり、当時は「中流」の「貴族」であったそうで、「母方」の「伴氏」ですが、「大伴旅人(おおとものたびと)」公、「大伴家持(おおとものやかもち)」公ら「高名」な「歌人」を輩出しています。
 「菅原道真」公の「正室」は「島田宣来子」(「島田忠臣」の「娘」)、「子」は「長男」・「高視」や「五男」・「淳茂」をはじめ「男女」多数で、「子孫」もまた「学者」の「家」として長く続き、特に「高視」の「子孫」は「中央貴族」として残り、「高辻家」・「唐橋家」をはじめ「6家」の「堂上家」(半家)を輩出しました。
 「菅原高視」の「曾孫」・「道真五世」の「孫」が「孝標」で、その「娘」「菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)」(「更級日記」の作者)は「菅原道真」公の「六世」の「孫」に当たるそうです。
 上記のように「菅原道真」公の「祖父」「清公」公は「私塾」を設け、「同所」からは「朝廷」の「要職」に「数々」の「官人」を輩出し、「菅原家」は「一大学閥」となっていったそうです。

 「菅原道真」公は、「類(たぐ)い」まれなる「才能」の「持ち主」であり、「人々」から厚い「信頼」を得ており、その「ご生涯」は、「政略」による「左遷(させん)」など「波瀾万丈(はらんばんじょう)」のものでした。
 「菅原道真」公は、「幼少の頃」より「学問」の「才能」を発揮され、わずか 5歳で「和歌」を詠まれるなど、「神童」と称されていました。
 「菅原道真」公が「幼少期」につくったとされる「漢詩」ですが、下記の通りとなっています。

 月夜見梅花

 月耀如晴雪 梅花似照星
 可憐金鏡転 庭上玉房馨

 月の輝きは晴れたる雪の如し
 梅花は照れる星に似たり
 憐れむべし 金鏡転じ
 庭上の玉房の馨れることを

 今夜の月の光は、雪にお日さまが当たった時のように明るく、
 その中で梅の花は、きらきらと輝く星のようだ。
 なんて素晴らしいのだろう。
 空には月が輝き、この庭では梅の花のよい香りが満ちているのは。

 「菅原道真」公は、さらに「勉学」に励み、「学者」としての「最高位」であった「文章博士(もんじょうはかせ)」となり、「栄進」を続けられ、「青年期」は「学問」だけではなく、「弓」にて「百発百中(ひゃっぱつひゃくちゅう)」の「腕前」を披露されるなど、「文武両道」に傑出した「人物」として、「その名」を馳せていました。
 「菅原道真」公が「京都」から「讃岐国」の「長官」として赴任された際、疲弊していた「国」を建て直すなど「善政」を行い、「住民」に大変慕われました。
 その「実績」が「宇多天皇」に認められ、「菅原道真」公は、「京都」に戻り、厚い「信任」を受け、ますます「政治」の「中心」でご活躍されました。
 「菅原道真」公は、寛平6年(894年)、「唐」(当時の「中国」)の「国情不安」と「衰退」を「理由」に「遣唐使(けんとうし)」「停止」を建議され、後の「国風文化」の「開花」に大きな「影響」を与えました。
 その後「菅原道真」公は、「右大臣」に任じられ、「国家」の「発展」に尽くされていましたが、「左大臣」「藤原時平」の「政略」により、「身」に「覚え」のない「罪」によって「大宰府(ださいふ)」に突如「左遷(させん)」されることとなってしまいました。

 「菅原道真」公は、「ご家族」とも十分な「別れ」も許されないまま「京都」を離れる際、「ご自宅」の「梅の木」に「別れの歌」を詠まれたそうです。
 「京都」を離れる際に、「菅原道真」公が詠まれた「和歌」ですが、下記の通りとなっています。

 東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花
 あるじなしとて 春な忘れそ

 春風が吹いたら、香りをその風に託して大宰府まで送り届けてくれ、梅の花よ。
 主人である私がいないからといって、春を忘れてはならないぞ。

 「菅原道真」公は、「大宰府」では、「衣食」もままならぬ、厳しい「生活」を強いられながらも、「皇室」の「ご安泰」と「国家」の「平安」、また「ご自身」の「潔白」をひたすら「天」にお祈りされ、「誠」を尽くされました。
 「菅原道真」公は、延喜3年(903年)2月25日、その清らかな「ご生涯」を閉じられました。
 「菅原道真」公の「死後」、「天変地異(てんぺんちい)」が多発したことから、「朝廷」に「祟り」をなしたとされ、「天満天神」として「信仰」の「対象」となったそうです。
 「菅原道真」公の「死後」、「朝廷」でも「無実」が証明され、「人」から「神様」の「御位」に昇られた「菅原道真」公は、「太宰府天満宮」に「永遠」に静まり、「学問の神様」・「至誠の神様」として、現在に至るまで永く「人々」の「信仰」を集めています。

 「菅原大神」ですが、「銚子市」「桜井町」に鎮座する「桜井里」の「鎮守」で、1131年(天承元年)11月の「創建」とされ、現在の「菅原大神」「社殿」ですが、1987年(昭和62年)に建立されており、「菅原大神」の「敷地」187坪の「境内」には「萱葺流造」の「本殿」が建っています。
 「菅原大神」は、「菅原大神」という「名」の通り、「菅原道真」公を祀る「神社」で、「菅原道真」公は、上記のように「学問の神様」・「至誠の神様」として、現在に至るまで永く「人々」の「信仰」を集め、「地元」では「天神さま」と呼ばれ、「菅原大神」は「子授け」の「ご利益」があることでも「全国的」に知られています。

 「銚子市」の「西部」、となりまち「東庄町」(2012年4月15日のブログ参照)に程近い「市内」「桜井町」に鎮座している「菅原大神」は、「古来」より「桜井の鎮守」として「遠近」の「信仰」があつく、「別名」「子宝神社」とも呼ばれています。
 「菅原大神」では、毎年「春」の2月25日(2014年2月23日・2013年2月19日・2012年2月20日・2011年2月21日のブログ参照)、「秋」の11月25日(2014年11月25日・2013年11月24日・2012年11月24日・2011年11月23日・2010年11月22日のブログ参照)に、「例祭」が行われ、「菅原大神」の「例祭」には、多くの「参拝客」で賑わいます。
 「菅原大神」の「春」、「秋」の「例祭」が賑わう「理由」ですが、「子宝」に恵まれない「婦人」が、「菅原大神」に奉納されている「子宝石」(子産石)を「お腹」に当て「祈念」し抱くと「子宝」に恵まれる(授かる)といわれている「伝承」(いい伝え)によるものです。
 「菅原大神」には、「大小」90個の「子宝石」(子産石)と呼ばれる「丸い石」が「社(やしろ)」に奉納されており、この「石」を抱くと「子宝」に恵まれると伝えられていることから、上記のように「菅原大神春の例祭」、「菅原大神秋の例祭」には「子宝祈願」にお越しになる「方」や、「子宝」に恵まれた「方」の「お礼参り」にお越しになる「方」で賑わうそうです。

 「菅原大神春の例祭」ですが、2月25日(水)8時00分から「受付」を行い、「式」が始まる前に、「記帳」と「玉串料」(祈願料)3000円からを納め、11時00分から「例祭」が行われるそうです。
 「菅原大神春の例祭」では、上記のように「子宝祈願」が行われ、「神主」による「祈祷」、「詔(みことのり)」と「神主」の「話」が終わると、記帳した「順」に、「菅原大神」「神殿」の「前」に出て、「榊(さかき)」を奉納し、参拝します。
 その後、「菅原大神春の例祭」では、「子宝石」(子産石)を抱き、「子宝石」(子産石)を「お腹」に当てて「子宝」を祈願するそうです。

 そもそも「菅原大神」の「子宝石」(子産石)は、昔「菅原大神」から離れたところにあった「お産の神様」である「玉依姫命(たまよりひめのみこと)」を祀った「御産宮(ごさんのみや)」という「神社」に納められていたものだったそうです。
 それが、何らかの「事情」により「菅原大神」に移されたそうで、以来「菅原大神」は「子授けのご利益」を得たいと願う「人々」が参拝するようになっていったそうです。

 「桜井の鎮守」「菅原大神」で開催される「子授けのご利益」を祈念・感謝する「神事」「菅原大神春の例祭」。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「菅原大神春の例祭」詳細

 開催日時 2月25日(水) 8時〜

 開催会場 菅原大神 銚子市桜井町60

 玉串料  3000円〜 (祈願料)

 問合わせ 銚子市観光商工課 0479-24-8707

 備考
 「菅原大神」の「子宝石」(子産石)ですが、昭和60年上半期(1985年4月から10月5日)に放映されました「NHK朝の連続テレビ小説」「第34作」「澪つくし」で「主人公」「古川かをる」(「沢口靖子」さん)が「子宝石」(子産石)を抱き、「子授け」の「ご利益」を祈る「シーン」が「放映」されたことで、「その名」が「全国的」に広まったそうです。





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