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「第67回銚子菊花展」(銚子市)
 本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子ポートタワー」「1階展示ホール」で11月1日(土)〜11月14日(金)の期間開催されます「第67回銚子菊花展」です。

 「銚子ポートタワー」(2010年9月30日のブログ参照)は、「水産ポートセンター」内にある「施設」で、「水産物卸売センター」「ウォッセ21」(2011年4月26日・2010年8月25日のブログ参照)と隣接する「高さ」57.7mの「ツインタワー」です。
 「銚子ポートタワー」の「ウリ」はなんといっても「4F」「展望室」からの360度の「大パノラマ」で、「陽光」と輝く「太平洋」を「背景」に「銚子漁港」(2012年1月24日のブログ参照)、丸みを帯びた「広大」な「水平線」、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「河口」の「雄大」な「眺望」を満喫することができます。
 「日本最大流域」を誇る「利根川」が「世界最大の海洋」である「太平洋」に注ぐ様を望む「絶好」の「位置」に立地している「銚子ポートタワー」からは、遠く「鹿島灘(かしまなだ)」(2012年6月16日のブログ参照)や、「日本一」の「銚子漁港」を「眼下」に見渡せ、「時期」によっては「利根川」に沈む「夕景」も楽しめる「眺望スポット」となっています。

 「銚子ポートタワー」は、「千葉県」により、「水産ポートセンター」「ウォッセ21」と並ぶ「観光部門施設」として建築され、平成3年(1991年)6月に竣工しました。
 「銚子ポートタワー」の「設計者」(設計事務所)ですが、「(株)横川建築設計事務所」で「構造様式」は「鉄骨造りハーフミラーガラス」「ツインタワー」で、「総反射ガラス張り」の「おしゃれ」な「タワー」となっています。

 「銚子ポートタワー」の「概要」ですが、「1F」に「インフォメーション」・「昇降ロビー」、「イベントコーナー」・「売店」があり、「銚子の観光」を「ガイド」してくれる「検索システム」も用意されています。
 「銚子ポートタワー」「2F」には「展望ロビー」が設けられており、「展示会」・「イベント」・「催事」・「会議室」などに使われています。
 「銚子ポートタワー」「3F」は「展望ロビー」(「高さ」43.05m)、「4F」が「展望ホール」(「高さ」46.95m)となっており、三方を「海」と「川」に囲まれた「銚子の風景」を見渡すことができます。

 「キク」(菊)は、「キク科」「キク属」の「植物」で、「日本」で「観賞用多年草植物」として発展した「品種群」を「和菊」、「西ヨーロッパ」で育成されて生まれた「品種群」を「洋菊」と呼びます。

 「イエギク」(家菊)(学名・Chrysanthemum×morifolium syn.Chrysanthemum×grandiflorum Kitam.)は、「キク科」「キク属」の「植物」で、「秋」に咲く「花」でありますが、「単日性植物」で、「電照」などを用いた「作型」の「分化」により、「周年」供給されています。
 「イエギク」は、「食用」にする「もってのほか」などの「品種」もあり、「イエギク」の「花言葉」は「高貴」だそうです。
 「キク」は、「鑑賞園芸的」には「和菊」、「生産園芸的」には「洋菊」が「中心」に栽培されており、「切花」としては「温室」での「電照栽培」で「周年」出荷され、「バラ」、「カーネーション」とともに「生産高」の多い「花卉」となっています。

 「キク」は、「日本」では「薬草」や「観賞用植物」として平安時代より用いられ、「宮中」では「菊」の「節句」とも呼ばれる「重陽の節句」(旧暦・9月9日)が明治時代まで行われ、現代でも「皇室園遊会」(観菊御宴)として行われています。
 「日本」で「菊」の「栽培」が盛んになったのは、「栽培」の「プロセス」が「冬」に「芽」をとり、「春」に植え、「夏」に成長させ、「秋」に観賞するといった具合で、「イネ」の「栽培」と類似していることが影響しているとの「説」があります。
 現在では「各地」に「愛好会」ができる一方で、「秋」にはそれらが「主催」の「品評会」が開かれています。

 「キク」は、「物品」への「意匠」として用いられることも多く、「後鳥羽上皇」が「身の回り」のものに施したことにより「天皇」および「皇室」の「紋」となったといわれ、鎌倉時代には「蒔絵」や「衣装」の「文様」として流行しました。
 「日本」の南北朝時代以降には「天皇」より下賜されることにより「公家」や「武家」の間で「家紋」として使用されるようになったそうです。
 「日本」では「黄泉の国神話」の「口承」による「影響」で、「伝統的」に「仏花」や「献花」として「菊」が使用されてきました。
 「世界的」には、「フランス」、「ポーランド」、「クロアチア」等の「一部」の「ヨーロッパ諸国」において「白菊」が「墓参」に用いられ、「中国」、「韓国」でも「葬儀」の際に「菊」が用いられることが多いそうです。
 「キク」の「花弁」が「放射線状」に並んだ「形状」に由来する「慣習的」な「呼び名」があり、「アンモナイト」の「化石」を「菊石」といったり、また「陶芸」や「そば打ち」での「材料」の「練り方」に「菊練り」があります。

 「銚子菊花展」(2013年11月4日・2012年10月29日・2011年10月31日のブログ参照)は、「銚子菊花会」(林廣二・会長)の「皆さん」が出展している「菊花」の「展示会」です。
 「銚子菊花展」は、毎年「秋」に「銚子ポートタワー」を「会場」にして開催される「恒例」の「催し」で「ファン」の間で、「人気」のある「イベント」として知られています。

 「銚子菊花展」は、今年(2014年)で「67回目」を数える「歴史」ある「催し」で、「第67回銚子菊花展」では、例年と同様に、「銚子菊花会」「会員」13名の「皆さん」が「丹精」込めて育てた「菊花」約200鉢を「展示」・「鑑賞」することができます。
 馥郁(ふくいく)たる「菊」の「香り」を「胸いっぱい」に吸い込みながら、「日本」ならではの「伝統美」「菊花」を鑑賞できる「第67回銚子菊花展」では、「身」も「心」も清らかに澄み渡って、「体」の「底」から「リフレッシュ」すること「うけあい」な「催し」となっています。
 「第67回銚子菊花展」で展示される「菊花」ですが、「盆養」(三本立単鉢)をはじめ、「ダルマ」、「福助」、「盆栽」、「懸崖(けんがい)」、「ジャンボ福助」などとなっています。

 「銚子菊花会」は、昭和22年(1947年)に「前身」の「銚秋会」として発足し、「第1回菊花展」を「飯沼観音」(2010年11月24日のブログ参照)「境内」で開催したのが「始まり」だそうです。
 「銚秋会」の「発足時」の「会員」はわずか4名であったそうですが、「戦後」の「荒廃」した「雰囲気」、「空襲」で「焼野原」となり、復興しようとしている「銚子」を「菊花」の清らかな「美しさ」で「応援」しようと以来、長年にわたり「活動」を続けてきたそうです。
 現在、「銚秋会」は、「銚子菊花会」として「会員数」も13名に増え、毎年「秋」の「銚子菊花会」では「会員各位」が「愛情」を注いで育てた多くの「菊花」の「晴れ姿」を「市民」の「皆さん」や「園芸ファン」に楽しんでもらっているそうです。
 「銚子菊花展」の「菊花作品」は、「姿形」も「様々」で、「懸崖づくり」や大きな「菊花」を競い合う「作品」、「盆栽風」の「もの」など「バラエティー」に富んでいるのが「特徴」だそうです。

 「第67回銚子菊花展」の「会期中」の11月2日(日)に、「全日本菊花連盟」の「審査資格」を持つ「粕谷美津子」さん(茨城県神栖市)を迎え、「菊花大会」を開催するそうです。
 「粕谷」「審査員」は、「大阪」で開催される「国華園」「主催」の「日本菊花全国大会」で「三本立単鉢の部」において「日本一」に輝いた「実績」を持ち、その他の「大会」でも毎回数多くの「受賞歴」があるそうです。
 「銚子ポートタワー」「1階展示ホール」を「会場」に行われる「菊花大会」では、参加した「会員」の「励み」となるよう「千葉県知事賞」をはじめ、「銚子市長賞」など多くの「関係機関」や「企業」の「協力」により、「優秀花」15点を表彰するそうです。
 なお「菊花大会」ですが、「審査」は9時半から開始するそうです。

 「銚子」の「展望の名所」「銚子ポートタワー」「1階展示ホール」で開催される「秋・恒例」の「催し」「第67回銚子菊花展」。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第67回銚子菊花展」詳細

 開催期間 10月31日(金)〜11月13日(木)

 開催時間 8時半〜17時

 開催会場 銚子ポートタワー1階展示ホール 銚子市川口町2-6385-267

 問合わせ 銚子ポートタワー 0479-24-9500

 備考
 「第67回銚子菊花展」に出展されている「銚子菊花会」の「年間」を通しての「活動」ですが、下記の通りとなっています。

 栽培技術の講習会を年3回実施。
 「さし芽の方法」
 「三枝整技」
 「定植の方法」
 「ダルマ・福助の水耕栽培」の勉強

 定例会を年3回実施し情報交換。

 栽培技術向上のため、日帰り旅行による近郊の菊花展の視察を実施。











| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2277 |
| 地域情報::銚子 | 10:20 AM |
「相撲祭(すもうさい)」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」「本殿前特設土俵」で11月3日(祝・月)に開催されます「相撲祭(すもうさい)」です。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」にある「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」の「息栖神社(いきすじんじゃ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)と「鹿島灘(かしまなだ)」(2012年6月16日のブログ参照)に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、「明治維新」前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られています。
 「武甕槌大神」ですが、「古事記」では、「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」が「軻遇突智(かぐつち)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。

 「武甕槌大神」ですが、「古事記」では、「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」が「軻遇突智(かぐつち)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」とともに、「天孫降臨(てんそんこうりん)」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」は、寛永11年(1634年)、「徳川頼房」公が奉納した「楼門」で「日本三大楼門」のひとつとして知られています。
 「鹿島神宮」「楼門」は、「鹿島神宮」「境内」「鹿島神宮の森」の「縁」の中にひときわ「朱色」が鮮やかな「楼門」で、「鹿島神宮」「楼門」の「扁額」は「東郷平八郎」「元帥」の「直筆」によるものだそうです。

 「鹿島神宮」の「創建」ですが、2674年前の「初代」・「神武天皇」「御即位」の「年」にあたり、「神武天皇」は、「東征」の「途上」における「大神」の「布津御霊劔(ふつのみたまのつるぎ)」による「守護」に感謝され、「鹿島の地」に「大神」を勅祭されたそうです。
 これに先立つ神代の昔、「武甕槌大神」は「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」の「名」を受け、「葦原中国」といわれた「我が国」の「国譲り」から「国造り」まで、その「建国」に大いにその「御神威」を発揮されました。
 「鹿島神宮」は、その「御威徳」から「武の神」として崇められ、日出づる「東方」に坐します「鹿島立ち」の「御神徳」によって、「事始め」、「起業」、「開運」、「旅行交通安全の神」、「常陸帯」(2012年1月13日・2011年10月16日のブログ参照)の「故事」によって「安産」、「縁結び」の「神」を仰がれています。

 「鹿島神宮」「文化財」ですが、「布津御霊劔(ふつのみたまのつるぎ)」と称される「長大」な「直刀」が「国宝」に指定されているほか、「鹿島神宮」「境内」は「国」の「史跡」に指定され、「本殿」・「本殿」・「楼門」など「社殿」7棟が、「国」の「重要文化財」に指定されており、そのほか「鹿島神宮」は、「鹿」を「神使」とすることでも知られています。
 上記のように「鹿島神宮」は、古くから「朝廷」から「蝦夷(えぞ)」に対する「平定神」として、また「藤原氏」から「氏神」として崇敬され、その「神威」は中世の「武家の世」に移って以後も続き、「歴代」の「武家政権」からは「武神」として崇敬され、現代も「鹿島神宮」は「武道」で篤く信仰されています。

 「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「式年大祭御船祭」(2014年8月31日のブログ参照)が特に「有名」で、今年(2014年)の9月1日(月)には、「3日間」に渡って「御船祭」が催行されています。
 (「式年大祭御船祭」「前日」8月31日(日)午後には、「御座船清祓式」(2014年8月29日のブログ参照)が執り行われました。)

 「相撲」ですが、「力技(ちからわざ)」による「格闘技」の「一種」で「角力」とも書きます。
 「相撲」ですが、「素手」、「まわし」一枚の「姿」で「土俵」上に相対した「競技者」が「相手」と倒し合い、「土俵」外に出し合って「勝敗」を競う「競技」となっています。

 「古事記」では、「武甕槌大神」と「武御名方(たけみなかた)神」の「力比べ」により「国譲り」が行われたとの「記述」があり、「日本書紀」にみえる「垂仁天皇」の「代」の「当麻蹶速(たいまのけはや)」と「野見宿禰(のみのすくね)」が対戦したという「伝説」は、「相撲」の「初め」として「有名」です。

 「相撲」は、「民俗学」上すでに弥生時代の「稲作文化」をもつ「農民」の間に、「五穀豊穣」の「吉凶」を「神」に占う「農耕儀礼」として「相撲」が広く行われていたことが明らかにされており、古くは「武術」・「農耕儀礼」・「神事」として行われていました。
 このように「相撲」は、ただ単に「力比べ」の「スポーツ」や「娯楽」ではなく、「本質的」には、「農業生産」の「吉凶」を占い、「神々」の「思召(おぼしめ)し」(神意)を伺う「神事」として普及し、発展してきたそうです。
 「相撲」が「史実」として初めて記録されたのは、642年(硬極天皇1)「古代朝鮮国」の「百済(くだら)」の「使者」をもてなすために、「宮廷」の「健児(こんでい)」(衛士(えじ))に「相撲」をとらせたという「記述」で、「日本書紀」にみられるそうです。
 726年(神亀3年)、この年は「雨」が降らず「日照り」のため「農民」が「凶作」に苦しんだそうです。
 「聖武天皇(しょうむてんのう)」は「伊勢大廟(いせたいびょう)」のほか21社に「勅使」を派遣して「神の加護」を祈ったところ、その翌年は「全国的」に「豊作」をみたので、「お礼」として「各社」の「神前」で「相撲」をとらせて奉納したことが、「公式」の「神事相撲」の「始まり」と記されており、「農村」における「秋祭」の「奉納相撲」も、その「名残(なごり)」の「伝承」とされています。

 その後、「相撲」は、平安時代には「宮中」の「年中行事」として「相撲(すまい)の節(せち)」が行われ、室町時代に至って「職業」「力士」が生まれ、近世になり「土俵」や「極まり手」・「禁じ手」が定められ、江戸期からは「興行」も盛んになったそうです。
 「相撲」ですが、一般に、「日本」の「国技」とされています。

 「鹿島神宮」では、11月3日(祝・月)に「秋」の「恒例行事」・「相撲祭(すもうさい)」が行われます。
 「相撲祭」ですが、「鹿嶋市」「宮中地区」の「各地区」が毎年「持ち回り」で奉仕している「お祭り」です。
 「相撲祭」では、「鹿島神宮」「本殿」前の「特設土俵」上で、「所役」により「相撲古事記」が奉読され、「鹿島の神」と「相撲」の「おこり」が「観衆」に述べられ、「土俵」の上では「化粧廻(けしょうまわし)」を締めた「童男」(10歳以下の男児)が、「相撲」の「取り組み」をまねて対戦、「生後」3ヵ月から9歳までの「男児」36人が出場し、「勝負」はいずれも「引き分け」とするのが「習わし」となっている「和やか」な「行事」なのだそうです。
 「相撲祭」ですが、「鹿島神宮」「御祭神」「武甕槌大神」が「国譲り」「交渉」の際、「神々」と「力比べ」としたとされる「故事」に由来し行われているそうです。
 (「武甕槌大神」が「出雲」で「武御名方命(たけみなかたのみこと)」と「力競べ」をしたという「古事」にちかんで「相撲」の「所作」を行っています。)

 「武の神」「武甕槌大神」を配祀する「鹿島神宮」「本殿前特設土俵」で開催される「秋」の「恒例行事」「相撲祭」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「相撲祭」詳細

 開催日時 11月3日(祝・月) 10時〜

 開催会場 鹿島神宮本殿前特設土俵 茨城県鹿嶋市宮中

 問合わせ 鹿島神宮社務所 0299-82-1209

 備考
 「相撲祭」では、「宮中地域」の「14地区」が「持ち回り」で奉納し、今年(2014年)は「下生区」が「当番」だそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2340 |
| 地域情報::鹿島 | 10:02 AM |

 
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