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「火渡り修行」「神崎火まつり」(神崎町)
 本日ご案内するのは、近隣市「神崎町」「利根川河川敷」で10月13日(祝・月)に開催されます「火渡り修行」「神崎火まつり」です。

 「神崎町」は、「香取郡」に属する「まち」で、「首都」「東京」の「東」約60km、「世界の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)から「北北東」に14km、「千葉県」の「北端中央部」に位置し、「北」は「坂東太郎」「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)に面し、「南」は「下総台地」(北総台地)(2012年7月10日のブログ参照)のなだらかな「丘陵地帯」が広がっており、「神崎町」の「まち」のほぼ「中央部」を「JR成田線」が通っています。
 「神崎町」に「隣接」している「自治体」ですが、「東」は「香取市」、「西」と「南」は「成田市」に接するとともに、「北」は「利根川」を挟んで「茨城県」「稲敷市」と接しています。
 「神崎町」の「面積」ですが、19.85平方km、「町」の「東西」は5.7km、「南北」6.2km、「地勢」ですが、概(おおむ)ね「平坦」で、「南東部」は「丘陵」の「起伏」が多く、「畑」や「山林」が「大半」を占め、「北部」は「利根川」沿いに「肥沃(ひよく)」な「沖積低地」が開けている「自然」と「緑」が豊かな「まち」です。

 「神崎町」の「行政区域」としての「位置づけ」ですが、明治4年(1871年)「新治県」に始まり、明治8年(1875年)以降は「千葉県」に属し、明治22年(1889年)4月「町村制施行」とともに「武田」、「新」、「毛成」、「吉原」、「植房」、「立野」、「大貫」、「郡」の「8ヶ村」が「米沢村」として、また、「神崎本宿」、「神崎神宿」、「松崎」、「小松」、「並木」、「今」、「高谷」の「7ヶ村」が「神崎村」として合併、翌明治23年(1890年)3月に「町村」が施行され、「神崎町」となりました。
 その後、昭和30年(1955年)4月、「神崎町」・「米沢村」が合併して「新生・神崎町」が誕生、さらに昭和41年(1966年)1月、「向野地区」が「茨城県」「東村」・「河内村」から「千葉県」に割譲され、「神崎町」に編入、現在に至っています。
 昭和47年(1972年)には、「神崎町」では「工業団地」の「操業」も始まり、また近年は「自然」との「調和」を図りながら「大規模」な「宅地造成」や「道路整備」も進み、「緑」ある「自然環境」と恵まれた「歴史風土」の上に、「調和」のとれた「自然とふれあいのまち」を形成しているそうです。
 「神崎町」の「人口」ですが、6403人、(男3216人、女3187人)「世帯数」2379戸(2014年10月1日現在)となっており、「神崎町」は、「千葉県」で一番「行政規模」の小さい「まち」となっているそうです。

 「神崎町」は、古くから「北総」の「穀倉地帯」として「農産物」に恵まれ、「地下水」も「豊富」であったため、江戸時代初期より「酒」や「醤油」などの「醸造業」が発展し、明治の時代には「7軒」の「酒蔵」と「3軒」の「醤油蔵」があり、「関東一円」に向け、「利根川水運」で「商品」が運ばれ、「神崎町」では、「醸造業」が盛んに営まれていました。
 現在でも「神崎町」では、「仁勇・不動」の「醸造元」「鍋店株式会社」(2011年3月10日のブログ参照)、「五人娘・香取」の「醸造元」「寺田本家株式会社」(2011年4月10日のブログ参照)といった江戸時代から続く「2軒」の「老舗酒蔵」が醸造し続け、「魅力」ある「銘酒」を醸(かも)しており、「醤油」とともに「昔」ながらの「風味」を「今」に伝えています。

 「神崎町」の「基幹産業」は、上記のように「農業」や「醸造業」ですが、近年は隣接する「成田国際空港」、「国道356号バイパス」や「圏央道」(首都圏中央連絡自動車道)「神崎IC(こうざきインターチェンジ)」等を「基軸」として、「長期的展望」に立った「都市基盤」の「整備」を進めてきました。
 また「神崎町」では、「こうざき天の川公園」(2012年11月18日のブログ参照)、「こうざきふれあい自然遊歩道」、「神崎大橋」と「側道橋」「神東ふれあい橋」等を活用し、「まち」の「広域拠点性」をさらに強め、「神崎町民」が「主役」の「まちづくり」を「目標」に、上記のように「自然」と「調和」のとれた「自然と人とふれあいのまちづくり」を進めてきたそうです。
 「神崎町」では、太古から続く「歴史」、澄んだ「空気」や、輝く「緑」、清らかで美味しい「水」、「自然」の「恵み」に満ちあふれた「大地」に、息づく「人々」が「発酵」を繰り返しながら、新たな「魅力」を生み出しており、「神崎町」は、近年「発酵の里こうざき」として「周辺自治体」に親しまれています。
 現在「神崎町」は、「緑」豊かな「農村環境」でありながら、上記のように「圏央道」「神崎IC」や「国道356号バイパス」などの「整備」により「首都圏」への「アクセス」が「容易」となっているため、「道の駅」「建設計画」などを推進して「地域振興」に取り組まれています。

 「神岬大橋」は、「神崎町」と「利根川」をはさんで、「対岸」にある「茨城県」「稲敷市」を結んでいる「橋」です。
 「神岬大橋」ですが、昭和42年(1967年)5月に開通し、以後「千葉」・「茨城」「間」の「通勤」、「通学」、「物流」に、大きな「役割」を果たしています。

 近年は、「成田国際空港」の「開港」に伴う「周辺地域」の「臨空工業団地」や「鹿島臨海工業団地」の「形成」、「発展」により、「交通量」の「増加」の「一途」であるため、平成13年(2001年)3月、「専用歩道橋」として「側道橋」「神東ふれあい橋」が開通しています。
 「側道橋」「神東ふれあい橋」ですが、「夜間」の「往来」に配慮して、「手摺(てす)り部分」に「照明」が配置されていたり、4箇所の「バルコニー」を設け、「バルコニー」からは「雄大」な「坂東太郎」「利根川」の「情景」を堪能することができるなど、「神崎町」の新しい「観光スポット」としても注目されています。

 「火渡り修行」(2011年10月8日のブログ参照)は、「お大師さま」の「呼び名」で親しまれている「大日山神崎寺」(以後「神崎寺」と表記)で、毎年行われている「真言密教」の「修行」のひとつです。
 「火渡り修行」の行われる「神崎寺」は、「真言宗醍醐派」の「寺社」で、「関東八十八ヶ所霊場」の「第四十四番札所」で、「神崎寺」は、「関東」では数少ない「真言宗醍醐派」の「祈祷寺」でもあります。
 「真言宗醍醐派」は、「真言宗」の中でも、「祈祷」と「修行」を旨として、「当山派修験道」の「流れ」を伝えるのが「醍醐派」なのだそうです。

 「神崎寺」の「歴史」ですが、江戸時代の「書物」によりますと「神崎三山」に数えられていたそうです。
 「鎮守神」の「山」「神崎の杜」、「愛宕権現」の「山」「愛宕山」そして、「大日如来」「大日山」(神崎寺)が、「神崎三山」とされ、「神崎」は、古来より「神仏」を「大切」にしてきたそうです。
 その中「大日山」は、江戸時代末期まで「天台宗」の「浄刹」として「御山東照院」と称し、「人々」の「信仰」を集めていたそうです。

 しかし、明治時代の「神仏分離令」及び「修行道廃止令」に「端」を発する「廃仏毀釈」を「機」に多くの「霊山」が衰退し、「閉山」に追い込まれたそうです。
 以後は、「山頂」の「草庵」にて「近隣市町」の「長老たち」により「大師信仰」が伝えられ、「お大師さま」として親しまれ、「御山念仏大師講」として「縁日」の「勤行」が行われ、「法燈」が、わずかに「護持」される時代が約100年続いたそうです。

 昭和26年(1951年)、「気縁」を得て「真言宗」の「僧」「秀宝大僧正」が、「当地」に「留錫」し、「真言宗醍醐派」の「教風」、殊に「修験道」(山伏)の「宝輪」を転じ、「伝法の中興」になったそうで、同年(昭和26年)「大利根河原」にて「火生三昧」「火渡り修行」を権修。
 「山頂」の小さな「草庵」において、「護摩」を焚き、次第に多くの「人々」の「信仰」の「中心」になっていったそうです。
 「秀宝大僧正」の遷化後、その「遺志」を継いだ「善哉大僧正」が、昭和53年(1978年)、「山内」の「造成設備」を開始し、昭和55年(1980年)「本堂」落慶、昭和63年(1988年)「恵印堂」(通称「六角堂」)を建立し、「伽藍」の再建したそうです。

 「火渡り修行」は、平成19年(2007年)より10月の「体育の日」(10月第2月曜日)に「利根川河川敷」で行われています。
 この「行事」は、「真言密教」の「秘奥」として1300年余の「伝法」に則ったもので、「山伏姿」の「僧」が燃え盛る「炎」のなかを「素足」で通り抜け、その後を「信徒」や「見物人」が「家内安全」、「無病息災」、「病気平癒」を祈願して渡り歩くというもので、「関東近県」から、たくさんの「人」が集まるそうです。

 「火渡り修行」ですが、昭和26年(1951年)「武州高尾山」で、「第一回目」の「火渡り修行」が行われたそうです。
 当時、「境内」のなかった「東照院」(現「神崎寺」)で、初めての「火渡り修行」(昭和26年8月)が、「大利根河原」で行われました。
 以降、「神崎寺」での「火渡り修行」は、平成20年(2008年)から「旧・開催場所」の「利根川河川敷」で実施しています。

 「火渡り修行」「当日」の「流れ」ですが、「御清めの儀式」を行った「修験者たち」は、10時30分に「JR下総神崎駅」において、「出立式」を行い、「町内練行」(盆天練り歩き)に出発するそうです。
 「法螺貝(ほらがい)」、「太鼓」、大きな「かけ声」をあげての「練行」の後、「寺田本家」において、「鎮守供養」の「護摩」を行い、「餅つきイベント」を行います。
 13時00分に「利根川河川敷」に設けられた「道場」に入り、「神仏」の「降臨」する「場所」を整えるための「伝統作法」を行い、「柴燈護摩」の「秘法」を勤修、そして「祈祷」によって、「浄火」となった「炎」を「素足」の「行者」が渡ります。
この「火渡り修行」は、「参詣」の「者」が「火渡り」を行うと「火渡りの証」が授与されるそうです。
 「火渡り修行」の「会場」「利根川河川敷」に続く「河岸通り」には「露店」が並び、「行事」を盛り上げるそうです。

 「火渡り修行」が行われる「会場」「利根川河川敷」では、「神崎火まつり」も開催されます。
 「神崎火まつり」の「内容」ですが、「プレジャーボート体験乗船」、「サッパ舟利根川遊覧」、「コスモス摘み」、「占い」などの「出展」、「屋台」(露店)が10時00分からとなっています。
 「神崎火まつり」や「火渡り修行」の際の「駐車場」ですが、「神崎町役場」、または「神崎ふれあいプラザ」の「駐車場」の「利用」を呼びかけています。

 「利根川河川敷」で開催される「真言密教」の「修行」「火渡り修行」「神崎火まつり」。
 この機会に「神崎町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「火渡り修行」「神岬火まつり」詳細

 開催日時 10月13日(祝・月) 13時〜15時半

 開催会場 利根川河川敷(神岬大橋下流右岸) 香取郡神崎町神岬本宿

 問合わせ 神崎町まちづくり課 0478-72-2114

 備考
 「火渡り修行」「神崎火まつり」ですが、「雨天」の場合には「中止」となります。
 「火渡り修行」「神崎火まつり」「当日」10月13日(祝・月)10時30分より、「JR下総神崎駅」から「会場」まで「梵天練り歩き」が行われるそうです。

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