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2014,09,02, Tuesday
「御待夜祭(おたいやさい)」(成田市)
author :
犬吠埼観光ホテル
本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「宗吾霊堂」「鳴鐘山東勝寺」で9月6日(土)・7日(日)に開催されます「御待夜祭」です。
「宗吾霊堂」「鳴鐘山東勝寺」(2010年12月23日のブログ参照)は、「成田市」「宗吾」にある「真言宗豊山派」の「寺院」で、「山号」は「鳴鐘山」です。
「鳴鐘山東勝寺」は、「義民」・「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)の「霊」が祀られていることから「宗吾霊堂」と広く呼ばれており、「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」として親しまれています。
「鳴鐘山東勝寺」の「創建年代」等については「不詳」なのだそうですが、「鳴鐘山東勝寺」「寺伝」によりますと、「桓武天皇」の「勅命」により、「征夷大将軍」「坂上田村麻呂」が「房総」を平定した際の「戦没者」のために「建立」・「創建」したといわれています。
「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」は、たびたび「火災」にあって「寺地」を転々とし、1662年(寛文2年)「澄祐」により再興され、「下方字鐘打」に移ったそうです。
その後、「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」は、1910年(明治43年)「火災」により焼失し、1921年(大正10年)「現在地」に再建されたそうです。
上記のように「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」に祀られている「義民」・「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)は、「徳川4代将軍」「徳川家綱」の地代に「佐倉藩」の「領民」を救うため、「将軍」に直訴し、当時の「佐倉藩」の「苛政」をおさめられた「人物」です。
当時の「佐倉藩」は、打ち続く「凶作」と「過酷」な「重税」に「農民」が苦しめられており、「幕府」に「農民」の「窮状」を訴えましたが、その「訴状」は受け入れられず「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)は、当時禁じられていた「将軍」への「直訴」を決行し、「農民たち」を苦しめていた「重税」が見直され、「村々」の「願い」は叶えられたそうです。
「佐倉藩」の「苛政」はおさめられたものの、「義民」「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)は、「直訴」したことにより「磔(はりつけ)刑」に処され、承応2年(1653年)8月3日に処刑されてしまいました。
それから100年後、宝暦2年(1752年)、「佐倉藩」は、その「失政」を悔い、「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)の「名誉」を回復し、「宗吾道閑居士」の「法号」を謚号(しごう)し、以来「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)は「宗吾様」と呼ばれるようになり、今では江戸時代の「義民」・「佐倉宗吾」(佐倉惣五郎・木内惣五郎)が祀られている「寺社」「宗吾霊堂」として、「全国」の「信者」が「参拝」に訪れています。
「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」の「伽藍」ですが、「大本堂」、「仁王門」、「薬師堂」、「聖天堂」、「鐘楼堂」、「宗吾霊宝殿」、「宗吾御一代記館」、「大本坊」・「旧客殿」などとなっています。
「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」の「大本堂」ですが、「真言宗」の「御本尊」「大日如来」ではなく「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)の「霊」が祀られており、「薬師堂」には「御本尊」「薬師瑠璃光如来」、「聖天堂」には「坂上田村麻呂」の「寺仏」と伝わる「大聖歓喜天像」が祀られています。
また「宗吾御一代記館」では、「宗吾様」(佐倉惣五郎・佐倉宗吾・木内惣五郎)の「生涯」を、66体の「人形」を使った「立体パノラマ」で解説されています。
また「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」「玉垣」ですが、「演目」「佐倉義民伝」の「大入り」の「御礼」から「歌舞伎役者」の「寄進」が盛んであったことが刻まれた「名前」からわかるそうです。
「御待夜祭」は、今から約350年前、打ち続く「凶作」と「過酷」な「重税」に苦しむ「農民」を救うため、当時禁じられていた「将軍」への「直訴」を決行し、処刑された「義民」「佐倉宗吾」(木内惣五郎・佐倉惣五郎)を偲び、「命日」にあたる「9月第一土曜日・日曜日」に開催される「宗吾霊堂」の「例大祭」です。
「御待夜祭」は、1802年(享和2年)、「佐倉宗吾」(木内惣五郎・佐倉惣五郎)の「150年忌」の「供養」が行われたとき、「台方村」が「総代」となり、「笹踊り」を興行したのが「始まり」とされています。
「御待夜祭」では、「例大祭」「両日」(土曜日・日曜日)「鳴鐘山東勝寺」「御本堂」で「信徒安穏」の「大護摩」の「修行」があり、7日(日)の「大護摩修行」の11時の「法要」は、「ご開帳」並びに「大般若経六百巻転読会」の「特別法要」が行われるそうです。
また「御待夜祭」「両日」、「宗吾霊堂」「鳴鐘山東勝寺」の広い「境内」に、たくさんの「露店」がところ狭しと立ち並び、「家族連れ」や「子供達」の楽しげな「笑い声」があふれ、賑やかな「活気」に包まれ、「宗吾霊堂」「鳴鐘山東勝寺」「境内」は、昭和30年代に「タイムスリップ」したかのような懐かしい古き良き「日本」を感じさせる「雰囲気」に包まれ、「ヒグラシ」の「鳴き声」が「夕闇」に溶け込む頃、「露店」に「灯り」がともり、「祭り」はいよいよ盛り上がりをみせるそうです。
「御待夜祭」では、目移りするほどズラリと並んだ「露店」を巡って、「イカ焼き」や「あんず飴」、「お好み焼き」など、「祭り」ならではの「食べ物」を楽しめたり、「金魚すくい」や「射的」、「型ぬき」や「輪投げ」などの「遊び」に興じることができ、「童心」に返れる「お祭り」となっており、「宗吾霊堂」「鳴鐘山東勝寺」「境内」には、300を超える「露店」が立ち並ぶそうです。
また「御待夜祭」では、「宗吾霊堂」「鳴鐘山東勝寺」周辺の「沿道」で、「子供連」及び「大人連」により、「屋台」が威勢よく曳き廻され、また「剣道」・「弓道」の「大会」や「各種民芸」・「カラオケ大会」など「様々」な「イベント」も行われており、「御待夜祭」は、「秋の風物詩」となっています。
現在も多くの「人々」「信徒」に慕われている「義民」「佐倉宗吾」(佐倉惣五郎・木内惣五郎)を祀る「宗吾霊堂」「鳴鐘山東勝寺」で開催される「佐倉宗吾」(佐倉惣五郎・木内惣五郎)の「御霊」を慰めるための「例大祭」「御待夜祭」。
この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「御待夜祭」詳細
開催期間 9月6日(土)・7日(日)
開催会場 宗吾霊堂 成田市宗吾1-558
問合わせ 宗吾霊堂 0476-27-3131
備考
「宗吾霊堂」は、上記のように「鳴鐘山東勝寺」といい、「成田」といえば「成田山新勝寺」が「先(さき)」に思い浮かぶ「方」もおられると思いますが、「新勝寺」(「成田山新勝寺」)は、「東勝寺」(鳴鐘山東勝寺) よりも新しい「寺」という「意味」で、「この名」がつけられているそうです。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2252 |
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地域情報::成田
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